完璧であろうとする二人の光と闇

永江寧々

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長子3

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 何を言っているのかわからない。言っている意味はわかる。わからないのは理由だ。自分たちはこれまでほとんど接してこなかったのに、何故今更になってそんなことを言い出したのかがわからない。

「お前とエドモンドの関係は両家が決めたルールに則ったものだ」
「エドモンド殿下とは想い合っています」
「だが、エドモンドは不十分だ。お前を守り、支えていくには自分のことで手一杯すぎる」

 かぶりを振る。

「私は、彼に完璧を求めているわけではありません。両家の先祖が決めたことでも、私はエドモンド殿下をお慕いしております」
「弟のことはどこまで知っている?」
「彼がディスレクシアであることも知っています」
「……そうか。話したのか」

 ジェラルドにとってそれはあまりにも意外なことで、弟と妹には話していない。セレナにも話さないものだと思っていただけに、驚きだった。

「弟にお前の過去を背負いきれると思うか?」

 セレナの痛みを突くジェラルドの手をそっと下ろさせると苦笑を見せる。

「エドモンド殿下は私が必要だとおっしゃってくださいました。私がルカ・フィリバートに何をしたのかを知りながらも結婚をやめるつもりはないと。王子妃となる予定だった者が愚かにも自己の感情を優先した結果、取り返しのつかないことをしてしまった女を見捨てなかったのです」
「アイツは一人では歩くことができない人間だ。自信があるように見えるが、実際は人一倍臆病。アイツの行動理由は常に欲望の裏返しだと知っているか?」
「欲望の裏返し?」

 首を傾げるセレナから離れて元の立ち位置へと戻って窓の外を眺めるジェラルドはスッと目を細めた。

「優しくしてほしいから優しくする。気にかけてほしいから気にかける。助けてほしいから助ける。愛してほしいから愛を伝える」

 なんとなく、わかる気がした。エドモンドを悪く思ったことは一度もない。嫌いになったことも浅ましいと思ったことだって一度もない。ただ、時折、彼がとても儚く見えるときがあった。何かを求める子供のような、そんな感じ。

「ジェラルド殿下の行動理由は?」
「義務だ」

 やはり、この人と自分は似ているとセレナは思った。セレナの行動理由もそうだ。しなければならないという義務からそうしているだけ。

「どちらが正しいということはない。どちらが間違いというわけでもない。だが、下心あっての行動にお前が返せなければ弟は疲弊するだろう。そして、お前はそうしなければならない義務感に疲弊する。愛し合っていたはずが、いつしかそうであるために二人の間に義務が生まれる可能性もある」

 一種の脅しに聞こえるジェラルドの言葉にセレナはすぐに反応しなかった。エドモンドのことは愛しているし、エドモンドが望むならなんだってする。しかし、ルカが執着を見せている今、結婚の延期を望んでいる自分がいる。巻き込まないためではあるが、実際のところそれだけではない。この感情のまま結婚していいのかという迷いがあるからだ。
 ルカを刺したことは変えられない事実。ルカがそのことについて警察に報告しないと誓ったとしてもセレナの中であの出来事は消えない。初めて狩りをした日のように、鮮明に覚えているのだ。動物とは違う、人の皮膚と肉を裂いてナイフが入っていく感覚。そして自分が持っていた明確なる殺意も。あと五十年か六十年の人生の中で何百回、何万回と思い出すだろう。そして、ルカが言わずとも、誰かがどこかから手に入れた情報によって明るみに出たとき、ダメージを受けるのはセレナではなくセレナと結婚したエドモンドだ。
 必死になって守ろうとするだろう。否定し、怒って見せるかもしれない。しかし、一度出た噂がその火を広げる。あっという間に広がった火は一人の頑張りで消すことはできない。見える未来だ。

「ジェラルド殿下とならその義務は発生しないとおっしゃるのですか?」
「お前のことは気に入っているが、好いてはいない。お前もそうだろう。私とお前は出会ってそれなりの時間が経っているが、こうしてまともに会話したのは今日が初めてだ。感情を持つキッカケすらなかった」
「では何故、私と結婚をお考えになられたのですか?」
「お前が痛みを知っているからだ」

 それはジェラルドにとって当たり前で、とても簡単な理由だった。

「完璧であることは当然ではないことを知っているのは完璧を目指した人間だけだ。完璧とは何かを考えたことがある者もまた同じ。その苦しみから逃げ出さず、争わず、従い続けた者だけが知る痛みがある」

 完璧にはなれない。だが、完璧であろうとすることはできる。強制されたことでも、それが自分の歩む道だと信じていたから進むことができた。

「……ジェラルド殿下との結婚は、完璧を目指す延長線にあると思います」
「エドモンドと結婚しても同じことだろう」
「彼は……失敗を許してくれます」
「お前はそうじゃないだろう」

 窓の外を見ていたジェラルドが振り向き、セレナを見る。

「許されることで余計に罪悪感を覚える」

 何を知っているんだと言いたくとも、当たっているから何も言えない。

「まるで長い付き合いのようにご存じなのですね」
「お前と私はよく似ているからな」
「エドモンド殿下も同じですよ。彼も完璧ですから」
「弟は少し違う」

 感情を持たないと言われるジェラルドとは反対に爽やか王子と人気を博しているエドモンドもまた兄同様に完璧と呼ばれている。違わないことはない。

「エドモンドは私の存在がプレッシャーとなり、自分も完璧であらねばという自己脅迫のもと、完璧を目指している」

 言いたいことがわかったセレナが小さく頷く。

「完璧でなければならない者とあろうとする者の違い、ということですか?」
「そういうことだ」
「彼も痛みを知っていますよ、殿下。彼は私たち以上に努力の人間です。私たちは当然のように読み書きができ、突然の報告にも対処ができます。ですが、彼は突然、変更書類を持って来られてもヴィーオがいなければ対処ができません。ヴィーオの努力もあるのでしょうが、彼は誰にも読み書きができないと悟られたことはないのです。書いて覚えることができない彼の記憶は能力の問題ではなく努力の結果です」
「そうだな」
「エドモンド殿下は常々おっしゃっています。完璧な兄の弟として完璧であること。弟と妹が目指す背中は完璧な兄としてのものでなければならない、と。彼は確かに自己課題が多すぎると思います。余裕そうに見えて、精一杯だと思う瞬間もよく見てきました。彼はとても繊細で、優しくて、弱い。彼は全てにおいて“あろうとする者”だと思うんです」

 ジェラルドは否定も肯定もしない。兄でありながら弟と関わってきた時間は少ない。双子の弟たちとはほとんど関わっていない。血の繋がった兄弟でありながら会話するだけで気を張り、言葉を選び、要約した内容を口にする弟を哀れだと思うと同時に申し訳ないと思うこともあった。自分が完璧でなければ弟が完璧を目指すために苦しむこともなかったのに、と。

「ジェラルド殿下はもしかして、子供をお考えなのではないですか?」
「……ああ」
「感情の制御ができない人間を妻に持つと、いつかブスッと刺されますよ」
「お前の狩りの腕は一流らしいな」
「大会に出ることができれば優勝してしまいそうな程度には、ですけどね」

 自慢か謙遜かわからない言い方にフッと小さな笑みを見せたジェラルドにセレナは深く頭を下げた。

「私は、エドモンド殿下と結婚するかどうかもまだわかりません。自業自得という言葉が私の中で大きくなっている以上は、やはり、決断できません」
「ルカ・フィリバートが生きている以上、お前はずっと苛まれるのだろうな」
「それこそ自業自得です」
「私なら守ってやれるぞ」
「罪人だと知りながら隠蔽するのは犯罪ですよ」
「知らぬ存ぜぬで通す」

 本当にそうしてしまいそうな自信ある声色に苦笑しながら顔を上げるといつの間にか近くに来ていたジェラルドから頭を撫でられた。エドモンドはいつも頭を撫でてくれた。髪の感触が好きだと丁寧に、愛しむように撫でてくれた。その瞬間がセレナも好きだった。

「時間を取らせたな」
「とんでもない。ジェラルド殿下とお話しできる機会など、そう訪れるものではありません。光栄でした」
「まだ時間はある。気が変われば訪ねてくるといい」

 そんな瞬間はないだろうと眉を下げるセレナの頬をひと撫でしてドアに向かった。外で待機していた使用人がドアを開ける。

「失礼します」
「ああ」

 カーテシーをして玄関へと向かうセレナの足取りは、エドモンドの部屋を出たときよりもほんの少しだけ軽かった。
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