静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

文字の大きさ
12 / 103

冷めた芋も

しおりを挟む
 重い気分で帰宅したラビは家の前にハウザー家の馬車がないことに気がついた。

「帰ったのだろうか……」

 棚の上に置いたカップがない。アーデルが片付けたのかもしれない。ココは帰った。そう考えてもいいのかもしれないが、ラビの身体は馬車から降りようとはしなかった。
 彼が家に帰ったならいい。だが、アーデルも一緒だったら? 家に入ったらキッチンに洗われたカップが三つあるだけでアーデルはいない。アーデルのことだからきっとテーブルの上に書き置き一枚残して入るだろうが、それを読んで自分がどういう気持ちになるか容易に想像がついていたから家の中に入ろうとしない。

「ラビ皇子、いかがなさいました?」

 心配した御者がかける声にハッとして慌てて馬車を降りた。
 ココが持ってきた芋の入った箱が棚の側に置かれている。食べたかったのか、ただ二人の輪に入っていたかったのかはわからないが、それを見ながら残念に思う自分に溜息をつく。

「僕はなんてクソみたいな人間なんだ……」

 この箱の中に入って膝を抱えたい気分だった。
 自分の家は確かに狭いが、膝を抱えたところで自分の身の丈に合っているとは思えない。自分の身の丈に合う場所は芋が入るような箱の中だと自虐するラビの耳にドアが開く音が聞こえた。

「ラビ皇子?」

 馬車が止まる音を聞いて窓から見ていたが、なかなか入ってこないラビを心配したアーデルが迎えに出てきた。一瞬で全身に緊張が走り、身体が強張る。

「い、いらしたのですね!」
「ええ、ここが自宅ですので」

 不思議そうな表情でこちらを見ているアーデルに口許が緩むのを感じて唇を内側に引っ込めながら何度も頷く。

「何をされているのですか?」
「い、いえ、何も! 何もしていません! ただ箱を見ていただけです!」
「箱を? お芋しか入っていませんよ?」

 笑ってくれるアーデルが家にいたことに安堵して地面を蹴って三段飛ばして上がった。一気に距離が縮まったことにアーデルが驚くもすぐにドアを大きく開けて中へと誘う。
 外の気温とは真逆の上着を必要としない暖かな空気にホッと息を吐き出したラビがコートハンガーに上着をかけて暖炉の前に行く。

「あ、あれ?」
「どうしました?」
「ココ・ハウザーさんがいない……」

 てっきり家の中に移動したのだと思っていたラビがアーデルに振り返るとアーデルは首を傾げた。

「もうとっくに帰りましたよ?」
「え……」
「皇子がシャンディさんの家に行ってから三十分後ぐらいに帰りました」
「ど、どうして!?」
「彼は結婚祝いを届けに来ただけで、長居するつもりはなかったそうです。午後から新たにパイプを作った国との会議があるらしくて、それで時間を早めて訪ねて来たんだとか」

 ラビの顔が青ざめる。彼が世界一多忙な経営者だと言われていることは知っていた。今日の訪問も多忙の中、時間を作って来てくれたのだと容易に想像がつくのに自分はまともな会話もしないまま、もてなすこともしないまま家を離れた。きっと結婚式に予定が合わなかったからと二人の結婚を祝いに来てくれたのに時間が取れた今日やって来てくれたはずなのに。
 なんてことをしてしまったのかと後悔に身体の動きだけではなく瞬きも呼吸さえも止めたラビをアーデルが心配する。

「ラビ皇子?」

 固まったまま動かないラビの顔を覗き込もうにも廊下が狭くて横を通って前に回り込むことができない。

「ラビ皇子」

 トントンと肩を叩くも返事はない。一体どうしてしまったのかと首を傾げるアーデルにラビが突然振り向いた。

「キャアッ!」
「わああッ!! ご、ごめんなさい!!」
「だ、大丈夫です! ど、どうしました!?」

 あまりの勢いに夜盗にでも襲われたかのような悲鳴を上げたアーデルにラビまで驚いた。互いに心臓をバクバクと大きな音を立てさせながら顔を見合わせる。

「ぼ、僕はなんてことを……! 多忙であるココ・ハウザー氏になんのおもてなしもしないまま家を離れてしまった! あまつさえ夕方まであなたを一人にして僕は何を……!」

 膝をついたと思うと両手まで床について四つん這いになったラビが地面に額をつけるのに一秒も掛からなかった。

「も、もももも申し訳ございま──」
「ラビ皇子、立ってください」
「は、はい!」

 飛び跳ねるように立ち上がったラビはアーデルの声に恐怖を覚えていた。土下座はしないと約束した。してほしいと思ったことは一度もないし、これからもきっと思うことはないから土下座はするなと言われていたのにやってしまった。

「彼はあなたにお会いできたことを喜んでいました。式典でもなかなかお会いできないからレアだと」
「レア……僕が……?」
「豪傑であるあなたの武勇伝を聞いてみたかったとも言っていました」
「ぼ、僕に武勇伝なんてありません!」
「彼はなぜあなたが根暗だと呼ばれているのかがわからないと言っていました。ラビ・ワーナーは強くて、勇敢で、心優しい人なのにと」
「そ、そんな、僕なんて……」

 褒められるような人間ではないと何度もかぶりを振るラビにアーデルも同じようにかぶりを振った。

「あなたはとても優しい人です。それは妻である私もとてもよく感じていることです」

 褒められることのない人生を生きてきた自分を日の浅い付き合いしかしていない二人がこんなに褒めてくれることにどう反応していいのかわからない。ココのことは何も知らないが、アーデルは嘘つきではない。その言葉は嘘ではないだろう。ただ、褒められてそれを受け入れることに慣れていないラビは視線を彷徨わせる。その様子にアーデルがクスッと笑った。

「皇子が淹れてくださった珈琲がとても美味しいと絶賛していましたよ。もし秘伝でなければ淹れ方を手紙に書いて送ってほしいとまで」
「あ、あんなのでよかったらいくらでも……」
「それからこれを」
「あ……」

 ソファーの前のテーブルを指すアーデルを目で追うと見つけたのは皿の上に乗った芋。

「焼きたてはもちろんですが、ココが見つけてくるお芋は冷めても美味しいんですよ。だからラビ皇子が帰ったら絶対に食べさせてくれって」
「ぼ、僕の分、ですか?」
「そうです」
「あ、あなたは食べないのですか?」

 シートを叩いてソファーに座るよう促すアーデルに従って腰掛けると芋が一本しかないことに対して問いかけるとアーデルが珍しく視線を逸らした。アーデルもよく顔ではなく少し視線を外して話す癖があるが、こうしてあからさまなまでに外すことは少ない。どうしたのかと問いかけると俯いた。

「アーデル?」
「……も……ま、した……」
「え?」

 ゴニョゴニョと話す言葉を聞き取れず、少し屈んで耳を傾けるとまたゴニョゴニョとアーデルが口を動かす。

「三本も、食べた、ので……」

 目を瞬かせていたラビが数秒後、堰を切ったように笑いだした。初めて見るラビの爆笑する姿だが、理由が理由なだけにアーデルの顔が一気に赤く染まっていく。

「食べてみてください! 絶対に一本じゃ足りないって言いますよ! 二本でも三本でもペロリと食べちゃうぐらい美味しいお芋なんですから!」
「すぐ食べます」
「わ、私が食いしん坊なわけではありませんから!」
「僕は食いしん坊なのでたぶん五本は食べられると思います」

 少食で小口だと思っていた相手は意外にも大口で食べる大食漢。あれもこれもと手を伸ばしては大きな口へと詰め込んでいく。それがこの細い身体に吸収されてしまうのだから毎日の生活の中で唯一不思議さが消えない光景でもある。
 半分に割った焼き芋を皮も剥かないままかぶりついた瞬間に目を見開いた。早すぎる反応だが、咀嚼せずともわかる甘さ。甘い匂いと噛んだ瞬間に舌に触れたねっとりとした食感から伝わってくる甘味。彼が蜜芋と呼ぶのも納得だと思うほどに甘くて美味しかった。
 大きな芋だった。それこそアーデルの片手では手に余るほどの太さがあったのに半分を三口で食べてしまったラビの口の大きさに驚いてしまう。驚いている間に残りも三口で食べてしまった。

「お、お水どうぞ!」
「ありがとうございます。パサついてないので口の中の水分が持っていかれなくていいですね」

 水瓶の中に溜めている汲んできた山水をカップに入れて持ってきたアーデルから受け取って一気に飲み干したラビの満足げな笑顔につられてアーデルも笑顔になる。

「本当に美味しくて何本でも食べられそうです。五本は食べられそうだ」
「じゃあ明日も焼き芋しませんか? 焼き方はココが書き残してくれたんです。ラビ皇子に焼きたても食べてもらいたいからって。焼きたても本当にすっごく美味しいですから」
「楽しみです。たくさん焼きましょう」
「はい」

 ラビは自分が全ての物事に対してネガティブすぎる事と臆病すぎる事に嫌気がさすことは何度もあったが、これほどまでに申し訳ないと感じたのは初めてだった。一人でショックを受けて、暴走して、やるべき事を疎かにした。それは相手が王族貴族でなくとも失礼であることに変わりない。
 優しいのは自分ではなく彼ら二人である。こんな自分を優しいと言ってくれるのだから。ありがたくて涙が出そうだった。
 その日の夜、ラビはハウザー家に手紙を出した。宛先はもちろんココ・ハウザー。今日の無礼と芋のお礼と感想。珈琲の淹れ方とオススメの銘柄。そして、次は焼きたてと淹れたてを一緒に味わえたらともてなす準備をしておくことを約束事として書いた。

「お菓子、たくさん食べてくださいね」
「はい」

 寝室の隅に置かれた箱の中にある大量のハウザーのお菓子。蓋を開けるともはやそれは宝箱のようで、いつまで見ていても飽きることはない。

「明日のお芋、楽しみですね」
「はい。すごく楽しみです」

 そう言って二人は枕元の電気を消した。明日も今日みたいな気持ちのいい晴れである事を祈りながら心地の良い眠りについた。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」 「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」 私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。 暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。 彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。 それなのに……。 やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。 ※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。 ※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』

鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」 華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。 王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。 そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。 レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。 「お願いだ……戻ってきてくれ……」 王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。 「もう遅いわ」 愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。 裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。 これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。

処理中です...