静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

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懐中時計

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「展望台でも足はついているはずなのに戻ってくるとホッとしますね」
「別世界ですよね、あそこは」
「本当に」
「また来たいですか?」
「……ええ。また来たいです」

 熟考してから返事をした。戸惑っているわけではなく、また来たいかと自問したため時間がかかった。怖さはあった。緊張と羞恥のハプニングもあった。身体の自由が奪われるような強風は確かに怖かったが、それでもラビと初めて訪れた場所だからもう二度と、という答えは出なかった。

「じゃあまた来ましょう」

 アーデルの笑顔を見れば嘘ではないとわかる。返事に嬉しそうに笑うラビを小指を結んで約束した。

「足は大丈夫ですか?」
「階段は慣れていますから」

 帰りはエレベーターには乗らなかった。階段で降りるとアーデルが言ったのだ。ガクンとあの大きな揺れをもう一度感じるのが怖かったし、高所から自動で降りていくのも怖いと感じたからだ。その中にまたラビに守られて長い時間過ごすのが恥ずかしかったというのもあって階段を選んだ。動きやすいワンピースで来たおかげで階段を降りるのにはなんの問題もなかった。問題だったのは階段に足を引っ掛けて転んでしまわないようにとラビと手を握りながら降りてきたこと。守られているのと触れ合っているのならどっちが恥ずかしくなかっただろうと考えるも答えは出なかった。
 互いに前を向いて歩いているため相手の顔を見ることがなく、ビバリーを訪れた際に階段で上がったラビの当時の心境を聞いたり、降りる階段の長さを実感しながらそれを上がっていく労力を考えてゾッとしたりと会話は途切れなかった事だけが救いだった。

「て、手を離しますね」

 最後の一段を下り終えてもまだ繋いだままだった手を離そうとするのをアーデルが手に力を込めることで拒んだ。

「も、もし、ラビ皇子が嫌でなければ……このまま、歩きませんか? わ、私達は夫婦なわけですし、手を繋いで歩くことはおかしな事ではないと思うんです。この旅行は新婚旅行ですし……」

 段々と声が小さくなっていくアーデルの顔も段々と俯いていく。サラッと流れた髪が隠れていた耳を露わにし、その赤さにラビの目が向く。緊張しているのは自分だけではない。感情を抑え込んで逃げようとする自分の悪い癖が出たと情けなさに唇を噛んだ後、力を込めて握り返した。
 
「も、もちろんです! ぼ、僕もそうしたいと思っていました……から……」

 それが本心であればどんなにいいか。彼は気を使う人だから自分のわがままを聞いてくれているだけかもしれないと見られたくない赤い顔を上げて相手の顔を見ると目を見開いた。ラビの顔も赤くなっている。嬉しい。ただ手を繋ぐだけなのに、相手は政略結婚の相手なのに、どうしてこんなに緊張と喜びが交差するのか。
 二人の横を手を繋いだ子供が駆けていく。あんな風に笑い合いながら歩けばいいだけなのにと羨ましくもあった。
 二人の様子を見ていた観光客がクスクスと笑うのを耳にしてラビとアーデルが動き出す。

「じゃ、じゃあ行きましょうか!」
「か、懐中時計を見に行くんでしたね!」
「はい!」
「街一番の時計屋に行きましょう! きっと良い物がたくさんありますよ!」

 歩き方を忘れたようにぎこちない徒歩で進んでいく二人だが、恥ずかしいからといって手を離すことはしなかった。
 手を離したのはラビが案内してくれた時計屋に入ってから。その時もスッと離すと相手に変に思われては困ると互いに目を合わせて「後でまた」と同じ言葉を口にした事で二人は安心して手を離した。

「ここ、ですか?」
「はい」

 街一番と言って案内された店の外観は口にこそしないが、とても街一番とは思えないような年季の入ったもの。看板の文字は薄れ、木造の建物の一部は色が変わってしまっているようにさえ見える。
 歴史を感じさせると言えば聞こえはいいが、ここを街一番と呼ぶには躊躇いがあった。なぜなら外から見える店内が薄暗いから。どうにも入りにくさを感じてしまう。

「こんにちは」
「いらっしゃい」

白い髭がよく似合う初老の男性。白いシャツに茶色のズボンに同色のサスペンダーを身につけた小柄な店主。

「おお、仮面のお方。久しいな」
「お久しぶりです」
「お知り合いですか?」
「ビバリーを訪れた際に立ち寄ったんです」
「こんな立派な仮面をつけた若者は彼しか見たことがないからな。ボケて家族も自分の名前も忘れてもこの仮面は忘れんよ」

 首からチェーンでかけていたメガネを取ってかけた老人が柔らかな笑顔を浮かべる。新聞を読む顔は頑固者を印象付けるものだったが、こうして笑うと不思議と安心感を与えるものでアーデルも微笑みを浮かべる。

「恋人か?」
「妻です」
「おお、それはめでたいな。前に会った時は結婚は一生しない。できないと弱音吐いてたくせになぁ」
「や、やめてください。ご縁があったんです」
「らしいな。可愛らしい嬢ちゃんだ」

 会釈をするアーデルに微笑む店主がラビの背中を叩いて笑う。アーデルとの結婚が決まるまで本気でそう思っていたラビが苦笑する。

「時計屋、増えましたね」
「毎日新しい店がオープンしてるよ。流行りに乗っかった店がオープンしては潰れていく。大事なのは流行りの消耗品じゃなくて大事にすれば長く使える物なんだがね」

火はつけておらず、咥えているだけだったパイプ煙草を口から外して寂しそうに語りながら寄ってきた。
 
「どんな時計をお探しかな? 壁掛け? 懐中時計? 置き時計? 流行りのない地味な時計ばかりだが、手入れを怠らなければ何十年でも使える物ばかりだよ」

 壁にかかってある時計も壁に沿って立っている置き時計もショーケースに並べられた懐中時計も数はそう多くない。通り過ぎた新しい店の中は男性客で溢れていたのに、ここには自分達だけ。ラビは何故ここを街一番だと言ったのか、アーデルにはわからなかった。

「懐中時計を買いに来ました」
「ようやく買い替える気になったか」
「あ、いえ、僕ではなくて彼女が見たいと言ったので来たんです」
「ほう。嬢ちゃん、懐中時計に興味があるのかい?」
「はい」
「なら、いくつか出してやろう」

 ポケットに入れていた鍵の束を取り出してショーケースを開けた店主が迷うことなく三つ取り出してアーデルの前に並べる。どこにでもある普通の海中時計に見える。執事長が持っていた懐中時計もこんな感じだったし、父親が持っているのはもっと煌びやかで上質な物だった。
 これではないと思うが、出してもらったからには手に取って見る必要があると考え、一つ手に取って蓋を開けた。これといって感動はない。どうせならもっと煌びやかな物がいいと思うアーデルには店主が言ったとおりこの地味な懐中時計に魅力は感じられなかった。

「良い物ですね」
「そうなのですか?」

 目を細めるラビが置いてある懐中時計を手に取って細部を確認する。

「今は少し細工に凝った懐中時計が人気ですが、これは昔ながらの作りを忠実に守っているんです。その証拠に音が良い」

 耳元に持ってこられた懐中時計の音を聞くが、アーデルにはわからない。不思議そうな顔をするアーデルを店主が笑う。

「嬢ちゃんにはわからんか。そりゃそうだ。こんなもんは男の見栄のためにあるもんだからな」
「すみません」
「俺らにティーカップの良さを語られてもわからんのと同じ。どれも一緒で、茶が飲めりゃいいじゃねぇかって思うが、それを妻に言うとティーカップで殴られそうになった。嬢ちゃんもそんな感覚だよな。時計なんざどれも同じ。時間が確認できりゃどれでもいいだろって」

 時計屋の店主に頷けるはずもなく、苦笑だけして手にしていた懐中時計を置いた。

「あなたが選んでください」
「これは好みがありますし……」
「あなたの好みでいいんです。私にはわかりませんから」
「わ、わかりました」
「なら、もうちっと出してやろうか」

 目利きができる人間ならと奥から箱を一つ持って戻ってきた店主が見せる懐中時計にラビの目が輝く。並べられたのは計四点。でも、ラビの目が捉えたのは一つだけ。釘付けになっている。
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