静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

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幼馴染という立場

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「大変ですね」

 大量の手紙に一つずつ目を通しては苦笑が消えないラビの顔にはもうその表情が刻まれてしまったかのように同じ表情が続いている。
 手紙は全部で四十三通。これが一年間で届いた総数であればまだわかるのだが、離れていたのは一週間だけ。ビバリーに到着した日に書いたのだが、それでもヒュドールへ郵便物が届くのにそれなりの時間がかかる。かかって三日か四日。それを読んですぐに手紙を出したとして、郵便受けに溜められたのは帰路の時間も含めれば六日か七日。その数日間でこれだけの手紙を書いて寄越すシャンディの怒りは読まないアーデルにも伝わってきた。
 何が書いてあるのかまでは聞かない。聞いても良い感情は持てないだろうから。

「ふう……」

 最後の一枚に目を通したラビが小さな溜息を吐いた。ソファーに背を預けて疲れた目を押さえながら天井を向く。四十三通全てに怒りが綴られていたのだとしたらラビが抱えた感情は最悪のものだとなっているだろう。

「ラビ皇子」

 何か楽しい話題をと考えながら隣に腰掛けたアーデルにパッと笑顔を浮かべるが、苦笑にしかなっていない。

「市場に行きましょうか。今行けばおやつの時間には間に合いますし、クッキーかチョコレートを買って──……」

 言葉が止まってしまうぐらいには嫌な音が聞こえてきた。馬車だ。普段なら警戒する音だが、このタイミングともなるとどこの馬車なのか容易に想像がつく。目を閉じ、吐き出したくなった溜息を飲み込んでゆっくりと立ち上がった。

「アーデルはそこで待っていてください」
「大丈夫ですか?」
「慣れてますから」

 弱々しい笑顔でそんな事を言うラビが切なかった。テーブルの上に置かれた手紙を横目で見ると強烈な言葉が綴られている。四十三枚全部こんな言葉で埋め尽くされていたのだろうか。
 ラビは皇子、シャンディは公爵令嬢。近しいと言えど身分は天と地ほどの差がある。それを幼馴染というだけでこんなにも偉そうに相手を傷つけられるのかとアーデルは悲しくなった。手紙だけでこんなにも辛いのだから、相手の表情や声色、怒声で表現されれば辛いなんて言葉では足りないだろう。
 怒声や喧騒を苦手とするのはアーデルも同じ。アーデルもすぐに声を張り散らす妹には慣れている。ラビにとってもシャンディの怒声は言葉どおり慣れているのだろうが、十三歳のフォスが絶対に口にしないような言葉をあえて書き込んだシャンディの悪意に腹が立った。
 せっかく楽しい気分で帰ってきたのに。あんなにも楽しい旅行だったのに。その気持ちはシャンディが全て台無しにした。盛大な溜め息が込み上げるも、ラビが飲み込んだのを思い出してアーデルも一人飲み込んだ。


「あら、ノックせずとも出てきてくれたのね。感心感心」

 馬車は停まったというのにシャンディは降りてこない。窓を開けてラビが寄ってくるのを待っている。あまりない行動に相手の怒りを感じながら馬車へ寄ると笑顔を向けられる。

「おかえりなさい、ラビ」
「あ、うん。ただいま」
「ビバリーは楽しかった?」
「うん」

 その返事にシャンディの笑顔が不機嫌なものへと変わった。

「へえ……そう。とりあえず乗って。私の家に行きましょう」
「……ごめん。今日は行けない」
「……どうして?」

 怒りを隠そうとしない怒気を含んだ声色にラビの視線が落ちる。

「今日はこれからアーデルと市場に行くんだ」

 ラビは何があっても自分を優先してくれた。誘いを断ったことはほとんどない。体調が悪かったり、皇族のイベントでどうしても出席しなければならないなど、どうしようもない時だけ断りを入れてきた。何度も何度も頭を下げてごめんを繰り返すラビに「仕方ないなぁ」と笑って返すのがお約束。ありがとうとお礼を言って笑顔を見せるラビと笑い合う時間は数えきれないほどあったのに、今のラビは一度の謝罪だけで頭も下げない。それはいつものように「仕方ない」と返せる断り方ではなく、思わず怪訝な表情で問いかけた。

「借りてた本も返したいし、お茶もしたいの。ずっといなかったんだからそれぐらいいいでしょ?」

 ラビが断れないように言葉を追加するもラビはかぶりを振る。

「市場に買い物に行くってアーデルと先に約束してたし、彼女を一人にしたくないんだ」

 シャンディにショック与えるには充分すぎる言葉だった。
 自分は幼馴染、アーデルは妻。仕方のないことだとわかっていてもアーデルが来たから関係が変わってしまった事に怒りを覚える。結婚しても自分達の関係は変わらないと誓い合ったのに、これでは話が違う。大事にすべきは相手ではなくこちらだと目で訴えるも地面に視線を落としているラビと目が合わない。

「じゃ、じゃあ私の馬車で行きましょ? ね?」
「歩いて行く、から」

 ビバリーで何があったのか。それを疑いたくなるほどにはラビは誘いを断ってくる。ありえない。ラビが自分の誘いをこうも何度も断ってくるなんて。一度断るだけでもあんなにも申し訳ない顔をしていた男が、何度も断っている。

「……本気で言ってるの? 市場まで結構な距離があるのよ? 王女に歩かせるつもり?」
「アーデルは歩くのが好きなんだ。散歩がてら行きたいって言ったし、歩く気分じゃなかったら馬に乗っていくって」
「乗馬できるの?」
「僕の馬に乗せる」
「あなたが愛馬に人を乗せるって言うの?」

 自分だってそんなに乗せてもらったことはない。馬は頑丈だけど繊細な動物だからと言われ、乗せてもらったのは過去に一度だけ。無意味に馬の腹を蹴って暴走させたわけではないし、大人しくしていたつもりだ。それなのにラビは馬に乗せることを拒否した。あれだけだった。彼が示した明確な拒否は。それなのに彼は今、アーデルを馬に乗せて市場に行く可能性を口にした。

「どういうつもり……?」
「さっき言ったじゃないか……。アーデルとの約束が先だって……」
「馬は繊細な生き物だから人は乗せないのよね?」
「アーデルはよく世話をしてくれるから懐いてるんだ」
「私だって一緒に住んでたら世話ぐらいしたわよ!」

 胸に手を当てながら声を張るシャンディにラビはかぶりを振った。

「君の家にも馬はいるけど、君は一度だってしたことないじゃないか」
「だってあれは──」
「君の馬だろう」

 ラビが父親から馬を与えてもらったのを知ってすぐ、シャンディも父親に言って馬を買ってもらった。でもほとんど乗っていないし、馬の世話は人を雇って任せている。
 馬を相棒として大切に世話しているラビにとってシャンディの言葉は今の状況を突破するための偽りでしかない。
 アーデルは馬に乗ったことも触ったこともなかったにもかかわらず世話を始めた。

『いつか、私が乗りたいと言った時にこの子が「世話もしてないくせに。世話もしないような奴を乗せてたまるか」って思うかもしれないので、一度ぐらいならと思ってもらえるようにお世話していたいんです。下心満載のお世話ですけど』

 笑いながら本当に丁寧に時間をかけ、声もかけながら毎日欠かす事なく世話を続けてくれている。シャンディは自分が望んで買い与えてもらったのに乗ろうとさえしない。馬の本能をも殺すような置物状態にラビはずっと心を痛めていた。

「また後日、君の家に行くよ。君と君の両親に買ったお土産も渡したいし。だから今日は帰ってく──」
「ビバリーで何があったの……?」

 言葉を遮ってまで発した唐突な問いかけにラビが眉を寄せる。

「何って……?」
「あなたは私の誘いを断ったりするような人じゃなかったじゃない。いつだって私のお願いを聞いてくれた。誰よりも私を優先してくれたのに、断るなんておかしいじゃない。ビバリーであの子と何かあったからよね? 抱いたの?」

 顔を上げたラビとようやく目が合ったが、シャンディの瞳に映る感情は困惑ではなく怒りにも似ているものだった。
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