静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

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幼馴染という立場2

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「な、何よ!」

 一度も向けられた事のない怒りが宿った瞳に焦って声を張るシャンディからラビは視線を逸らさない。

「君だろうとそういう話題を共有するつもりはないよ、シャンディ」
「……あっそ! 何も睨む事ないでしょ! それならそう言えばいいだけじゃない!」
「ごめん。だけど、君が無神経にもそんな事を聞いてくるから……」

 無神経と言われた事は一度もない。彼からだけでなく、誰からも、だ。抱いたか抱かれたかという話題は貴族の間では世間話のようにするものだ。男も女も。友人と呼べる相手がいないラビは誰かとそういった話をすることがない。だから知らなくて当然だと理解は示すが、それでもたった一度聞いただけで睨まれるというのはどうにも納得がいかない。
 アーデルと結婚するまでは上手くいってた関係だ。幼い頃から築き上げてきた関係が、彼の結婚で崩れてしまった。変わることのない関係のはずだった。でも変わってしまった。幼馴染として優先されることもなく、相手は妻のために大事な幼馴染を睨みつける。悔しい。握った拳を震わせながら唇を噛み締めていたシャンディが嘲笑するように鼻で笑った。
 
「無神経? 無神経はどっちよ。あなたでしょ」

 シャンディの言葉にラビは何も返さなかった。何について言っているのかわかっているから。

「私がビバリーに行きたいって言ったの覚えてるわよね? それなのにどうして勝手にビバリーに行ったの? どうして私じゃなくてあの子と行ったの? 私が、行きたいって言ってたのに!」
「それは知ってたけど、でも──」
「私が行きたいって言ってた場所に他の女と一緒に行くなんてそっちのほうが無神経じゃない! それを棚に上げて私を無神経呼ばわりするなんてどうかしてる!」
「あれは新婚旅行で──」
「新婚旅行、ねぇ。へえ……新婚旅行。新婚旅行にわざわざビバリーを選ぶなんて私への当てつけとしか思えないんだけど?」
「そんなつもりはないよ、シャンディ」
「じゃあどういうつもり? 私が納得できる説明してくれるのよね?」

 威圧的な態度にラビは一度呼吸を止めてから飲み込みきれなかった息をゆっくりと吐き出す。
 シャンディの怒りには慣れている。シャンディは良く言えば感情豊かで、悪く言えば感情の起伏が激しいタイプ。笑いと怒りが一瞬で交代するのだ。
 アーデルと出会う前はシャンディのそういうところに憧れていた。自分の感情に素直な性格を羨ましいとさえ思っていた。だけど、アーデルと暮らすようになって、夫婦としての一線は目に見えるほどあるものの、望んでいた静かで穏やかな時間が流れる相手と一緒にいるほうが心地良いと思うようになった。少し前まではこれがシャンディだと思えていた威圧的な、感情的な態度も今は自覚するほどストレスに感じている。

「僕が彼女にビバリーのあの美しい景色を見せたかったんだ」
「あの子に? 私じゃなくて?」
「うん……」

 静かだが、確かな肯定に馬車を降りるとラビと同じ目線になった。

「シャンディ、僕は──ッ!」

 パンッと乾いた音が響いた。憤怒する感情が抑えきれず、ラビの頬を打った。
 シャンディにこうした暴力を受けるのも初めてではない。感情の起伏が激しい女性であるため、ラビがあまりにも気の利かない言動をした際に何度かビンタをくらった事がある。だから手紙を読んでいる時には既にビンタを受ける事も覚悟していた。

「結婚しても関係は変わらないって言ったわよね?」
「変わらないよ。だけどそれはずっと君を最優先にするという意味じゃなくて、結婚しても君が幼馴染として仲良くするって意味だ」
「私が先にビバリーに行きたいって言ったの! あなたもそれは知ってたわよね!?」
「知ってたよ」
「それならビバリーには私と行くべきなんじゃないの!?」

 いつものように何度も繰り返す謝罪もなければ情けなく眉を下げる事もないラビがかぶりを振る。何を言うのかはわからないが、良い言葉ではないことは表情でわかった。
 シャンディはラビに否定される日が来るなど想像した事もなかった。どんな理不尽な事を言おうとも彼はいつも全てを肯定してくれたから。そんな相手が今、初めて否定しようとしている。それはシャンディにとって、恐怖に近い感情でもあった。
 言わないで。そう願う心とは反対に、シャンディの目はラビを睨みつけている。

「一緒に行く約束はしてないよ」

 約束をする必要はなかった。だって、誘えばいつだって彼は付き合ってくれたから。皇子でありながら城に縛られることのない生活をしている彼だからできた事だ。それを今更になって約束を持ち出す相手にもう一度手を振り上げた。

「やめてください!」

 抵抗を見せようともせず受け入れる覚悟で衝撃を待つラビの後方から悲鳴のような声が聞こえた。二人同時に振り返る先にアーデルが怒った顔で立っている。

「アーデル、身体が冷えるので中に居てください」

 ビバリーは暖かかったが、ヒュドールはまだ冷える。こんなくだらない会話にアーデルを参加させたくないラビの願いに気付かないアーデルは階段を降りてラビの隣に立った。

「盗み聞き? ルスの王女様は随分と崇高なご趣味をお持ちなのですね」

 心臓は既に速く動いている。怒鳴り散らすほどの怒りを抱えた相手に向かっていくのは怖い。出来るだけそういう場面は避けて通るようにしてきた。だからアーデルはこれまでの人生で誰かと正面切って対峙した記憶はない。だから今こうしてシャンディに睨まれているだけで足が震える。ごめんなさいと頭を下げて家の中に逃げてしまいたいぐらいには恐怖を感じているのだ。だが、そうはしない。彼の妻として家の中から傍観者のように見ているだけはできなかった。

「何をそんなに憤怒されているのかは存じませんが、夫に手を上げることは許しません」

 ピクッとシャンディの眉が動く。

「夫……ええ、そうでしたね。ラビは今、あなたの夫。忘れていました。だから新婚旅行にビバリーまで行ったんでしたね」
「シャンディ、やめてくれ」
「ビバリーに行きたいと言った私の願いを叶えてくれただけなのです」
「だけ、ですか……。そうですよね。あなたにとってはその程度の事ですよね。政略結婚の相手が行きたいと言えばラビは叶えようとするでしょう。真面目な男ですから。政略結婚だとしても形だけでも妻となった相手の願いの一つや二つ叶えておかなければ相手の親に夫婦仲良くやっていると説明できませんからね」
「あなたが怒っているのはわかりますが、それと彼に暴力を振るうのはイコールではありません。腹が立ったから手を上げる。それは……」

 子供の頃に成長する過程で抑制されるべき行動。教育を受ける上で学んでいく常識だと、喉元まで出かかった言葉をアーデルが飲み込む。相手がラビの幼馴染の公爵令嬢という立場の人間であること以外、アーデルは彼女の事を何も知らないのだ。だから偉そうぶって上からそういった発言をする事はもしかすると侮辱にあたるかもしれない。そう考えるとそれ以上言葉を続ける事ができなかった。

「何を言おうとしたのか知りませんが、私にお説教のような事はやめてください」
「すみません。では、一つだけ言わせていただきます。私の夫に暴力はやめてください」

 アーデルの言葉にシャンディがカッとなる。なぜ親交もなかった相手がラビと結婚し、ラビを『私の夫』と呼ぶのか。まだ現状を受け止めきれていない、受け止めたくないシャンディにとってその言葉はラビが新婚旅行にビバリーを選んだ事よりも許せないものだった。ダメだと頭ではわかっているのに身体が勝手に動いてしまう。ラビに取った行動と同じく、手を振り上げた。
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