静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

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幼馴染という立場3

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「いたッ!」

 声を上げたのはアーデルではなくビバリーだった。
 振り下ろした手はアーデルの頬に当たる事はなく、途中で止まった。ラビが手を掴んだのだ。ただ掴むだけで止められる手にラビはあえて力を込めて握った。ギリッと音がするほど強く。

「痛いじゃない! 一体どういうつもり!?」

 乱暴に振り払ったシャンディは赤くなった手首を押さえながら今度はラビを睨みつける。今まで一度だってこんな止め方はされた事がない。怒りが込められたような強い握り方だった。顔にも少し怒りが込められているように見える。まさかアーデルを叩こうとした事で自分に怒りを向けているのかと思うとシャンディはそれにまた腹が立った。

「シャンディ、いい加減にしてくれ……」
「それはこっちの台詞!」
「彼女は君から暴力を受けるような発言はしてないはずだ。君の一方的な感情によって彼女に手を上げることは許されないぞ」

 先程から痛みを言っているのはシャンディであってアーデルではない。シャンディはアーデルの存在が気に入らないから一挙手一投足に腹が立つ。ラビの冷静な声もそうだ。どんな状況でも必ず味方でいてくれた彼がこちらを非難している事が許せない。

「私が悪いって言うの!?」

 金切り声を上げるシャンディにラビが声を張った。

「君以外の誰が悪いって言うんだ!!」

 あまりの大声にシャンディだけでなくアーデルも驚いた。ラビが大声を出すのは焦っている時だけだと思っていたが、今、彼は間違いなく怒っている。肩を上下させながらシャンディのドレスの広がりを見つめ、呼吸を整えている。
 自分に対して怒鳴ったのか。シャンディは混乱していた。いや、思考停止かもしれない。ラビが声を上げた理由がシャンディにはわからなかった。

「……なに……? 今……私に怒鳴ったの……? あなたが……? 私に……?」
「……ごめん……。だけど、アーデルに暴力を振るう事は許されないんだよ。僕はいいよ。僕は君の幼馴染だし、君を怒らせてしまったから受け入れられる。慣れてもいるしね。だから、もし叩かなきゃ気が済まないなら僕にしてほしい」

 ごめんと何度も謝ってはシャンディの機嫌が直るようにさまざまな提案をし続けるラビはもういない。二人は親交もなかった相手と政略結婚をしたはず。一緒に暮らして二ヶ月程度。そんな短期間で愛が紡げるはずがないし、夫婦関係に絆が芽生えるはずもない。相手はあのラビだ。人の目や意見が気になるため人が苦手なラビ・ワーナーが男性ならまだしも女性と二ヶ月程度で親しくなるなど不可能なはず。それはシャンディが予想もしていなかった状況。
 でも、目の前に立つラビはアーデルを庇っている。理解できない状況にシャンディが震えた息を吐き出した後、口元を歪ませて笑った。

「男は結婚しても変わらないって言うけど、あなたは違ったのね。変わらないって、変わってないって言いながらあなたは妻を優先する。一緒にビバリーに行くのは妻で、わがままを言うなと怒られるのは私。そうさせてるのはあなたなのに」
「ビバリーに行きたかったなら約束だと言ってくれればよかったじゃないか」
「言わなくてもわかるでしょ!? 私が行きたいって言ったらそれはあなたとよ! 一人でじゃない!」
「君は以前も行きたいと言っていた場所にウェルザー公爵との夏の旅行で行った事があるじゃないか。一緒に行こうと言わなかったから夏に行く予定なのかもしれないと思ってたんだ」
「じゃあ確認すればいいでしょ!?」

 なんで自分がそこまで、と出かかった言葉を飲み込む。
 予定を決めるのはいつもシャンディで、ラビはそれに従者のようにお供するだけ。休む間もなく連れ回すのがシャンディの旅行。それなのに今回だけは一緒に行くかどうかの確認をしろと言う。さすがのラビもその言葉にはうんざりした感情が初めて芽生えた。

「……シャンディ、悪いけど帰ってほしい」
「は?」

 唐突すぎる言葉に固まるシャンディにラビが続ける。

「このまま話してても平行線だよ。君は一緒にビバリーに行こうとは言わなかったから僕は彼女とビバリーに行ったんだ。行ってしまったのはなかった事にはできない。だから、いくら君が気分を害したと怒鳴り散らそうと僕には何もできないんだよ」
「じゃあ私と一緒にビバリーに行って。それでチャラにしてあげる」

 目を閉じてかぶりを振るラビが言った。

「それはできない」
「どうして!?」
「僕は結婚して妻を持つ身だ。幼馴染といえど妻以外の女性と二人きりで旅行するわけにはいかないよ」
「私とあなたの間には何もないじゃない! あなたは私になんの感情も持ってない。そうでしょ!?」
「そうだけど、余計な心配はかけたくないんだ」

 アーデルがいるからそう言っているのだと肩を竦めたシャンディが嘲笑するように笑う。
 
「カッコつけなくてもいいのよ、ラビ。ルスの王女から離婚を言い出すことなんてあり得ないんだから」
「だからそうじゃなくて……」
「あなたは優しいから気を遣ってあげてるんでしょう? 良い夫を演じる事こそあなたの今の最大の役目だものね」
「シャンディ、違うよ。これは僕の本音で──」
「ラビ、本当のあなたを理解しているのは私だけだし、理解できるのも私だけよ。それはこれからも変わらない。だって、あなたはとても特殊な人間だから」

 その言葉にラビの勢いが消えていく。怒られた幼子のように俯いてしまったラビをアーデルが見る。
 付き合いが違うのだからシャンディが自分の知らないラビを知っているのは当然だが、アーデルはどうにも彼女の言い方がひっかかった。これから、彼が許してくれるのであれば彼の事を今よりもっと知っていきたいと思っているが、今ここでそれを口にするのは火に油を注ぐようなものと判断して何も言わなかった。

「くしゅんッ」

 せいぜいこうして嘘のくしゃみをするのが精一杯だった。それでも効果はあった。ラビが慌てて上着を脱いでアーデルの肩にかける。

「シャンディ、帰ってくれ。」
「まだ話は終わってない!」
「平行線だって言っただろう。これ以上、ビバリーに行った事について君と話す事はないよ」

 中に入ろうとアーデルの肩に手を添えて一緒に入っていこうとするラビの背中にシャンディが叫ぶ。

「結婚するって言ったじゃない!」

 その言葉に足を止めたラビがアーデルに中に入っているよう伝えて階段を一段上がったところで振り返った。

「それは、君が三十歳になっても婚約者がいなかったからって話じゃないか。それに、僕はあの人の命令で結婚する事になってるからできないって言ったはずだ」
「でも、あなたはそう言った私にそうだねって返事をしたじゃない!」
「あれは……」
「その場を上手くやり過ごす返事だったって言うの?」
「そ、それは……」

 断る事が苦手だったラビは「勝手に婚約も結婚もできない」の言葉はゴニョゴニョと口ごもり、結婚しようと笑顔で約束を取り付けようとするシャンディへの返事は「そうだね」と言った。怒らせると面倒で、そこから機嫌を直すまでが長い。父親とシャンディの父親は親交があるだけに無碍にするのも気が引けた。かといって父親はシャンディと結婚しろと言った事は一度もなく、むしろ「俺の許可なく婚約者を作るな」と言われていたぐらい。父親はシャンディと結婚させるつもりはなかったのだ。子供は国を拡大させるための道具でしかないのだから結婚相手は必ず王族か皇族。公爵令嬢など歯牙にもかけてはいなかった。
 優柔不断な自分の返事を真に受けてシャンディはこの歳まで独身を貫いてきたのかもしれない。三十歳まであと五年。もしかすると本当に独身のまま迎えるつもりだったのか。そう思うと急激に込み上げる申し訳なさにラビが頭を下げる。

「いい加減な返事をしてごめん。だけど、僕には選択権はなかった」

 第七皇子になんの権力があるのか。家族から粗末に扱われる身分である事はシャンディも知っているはずだと言い訳めいた事を口にする。

「……私の時間返してよ……」
「……ごめん……」
「謝って済む問題じゃない! あなたが結婚するって言うからずっと独身だったの! あなたの言葉を信じてたからパパが持ってきた結婚話も断ってきたのに! それなのにあなたは小国の王女と結婚した! こんなの最低の裏切りよ!」
「ごめん……」
「結婚しても変わらないって言ったのに、あなたは変わった! いい加減な言葉で逃げて、嘘をついて、私を傷つける……!」
「シャンディ……」
「最低よ! 嘘つき! 裏切り者!」
「シャンディ、ごめん」
「大嫌い!!」

 きらりと光る一筋の涙を流して馬車に乗り込んだシャンディはすぐに窓のカーテンを閉めてそのまま馬車を走らせた。
 追いかける事はしない。ドッと押し寄せる疲れに息を吐き出すだけ。きっと追いかけなかった事にもまた怒るのだろうが、ラビはそれで済むならいいとシャンディの怒りを諦める事にした。
 何を言ったところでシャンディは気に入らないのだ。追いかけたところで平行線なのは変わらない。だからラビはもう一度溜息を吐いて中に入った。
 アーデルにちゃんと話さなければならない事がある。それもまた気が重かった。
 
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