静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

文字の大きさ
62 / 103

召集4

しおりを挟む
 なぜ彼が皇族でありながらこんなにも卑屈であり、口癖のように謝罪をするのか──ずっと疑問だった事がここに来て解決されはしたが、不快感の大きさにアーデルは感じた事がない怒りが湧き上がっていた。
 シャンディと対峙した時が自分の中にある怒りの頂点だと思っていたが、今日はそれとは比にならない程の怒りを感じている。
 どちらがマシという話ではない。どちらも吐き気を覚えるほど嫌悪している。
 こんな人間に彼がこれ以上、傷つけられるのは耐えられない。この一発を受けたら遠くに引っ越す。父親にだけ事情を知らせて、二人で静かに暮らそう。そう堅く決意したアーデルだが、その手が頬に当たる寸前にラビによって抱き寄せられた。

「ラビ皇──」

 胸から顔を上げようとするアーデルをラビの腕が許さない。グッと抱え込むように力を込めるため、アーデルはそれに従って顔は上げないでいた。
 速すぎる心臓の音。震えは今も続いており、小刻みの震えている。

「ラビッシュ……お前……なんのつもりだ? まさかこの俺に逆らうのか? お前のようなゴミクズが俺に逆らおうってか!?」

 響き渡る怒声にラビの身体が大きく跳ね、抱きしめる腕に力が入る。
 怖くないはずがない。長男への恐怖を乗り切ったわけでもない。アーデルだけは守る。その意思だけがラビが反射的に動かしたのだ。
 カタカタ震え、呼吸は浅い。それでもラビはアーデルを離す事はせず、兄の腹部を見つめながら言葉を紡ぐ。

「に、兄さんの怒りは尤もです。ぼ、僕は役立たずで、出来損ないで、お、皇子としての仕事もしていないし──」
「してないんじゃなくて、できない、だろ?」
「で、できないし、ク、クズかもしれないけど──」
「かもしれないだ? お前は正真正銘のクズだろうが。ゴミクズなんだよ、お前は。それ以外の表現がお前にあると思ってんのか? 笑わせんなよ」

 目を見開いて威圧するジュベールの顔は見ていなくとも低く小さくなる声色でどんな顔をしているのかはわかる。何十回では足りないぐらい聞いてきた声だから。

「ぼ、僕は、み、皆様が思うとおりの人間です。こ、公務を皆様に押し付けて逃げた、ひ、卑怯者です」

 自らの宣言にアイリスとシャーレが漏らすクスクスとした笑い声がアーデルの怒りを増幅させる。

「だ、だけど……!」

 謝罪と懇願以外で声を張ったラビにジュベールの表情が険しくなる。顔を上げて自分の目を見た事も気に入らない。

「なんだ? 言ってみろ」

 あえて圧をかけた強い言い方をする兄に緊張から飲み込めない唾液を必死の思いで飲み込んでごくりと喉を鳴らした。
 言えばきっと今以上の怒りを沸かせ、殴られるかもしれない。でも、この言葉だけは飲み込めなかった。

「アーデルは違います。彼女はクズじゃない」

 見下している人間からの反論にジュベールからブチッと何かが切れた音がした。

「俺が間違ったことを言ってるって言いたいようだな? 出来損ないのクズを誰が面倒見てやったと思ってるんだ。謝罪するしか能がないゴミのくせに長男様に反論か。従う側である事を忘れてんじゃねぇぞ」
「ぼ、僕はずっと──」
「まずはお前の目の前でそいつを教育し直してやる。髪を切り落として、謝罪は土下座からって覚えるまで鞭打ちだ。反射的にできるようになったら次は自分がいかにゴミであるかを認識させる。それは性格ひん曲がったアイツらが丁寧にしてくれる」

 アイリス達を親指で指したジュベールに二人は顔を見合わせて舌を出す。

「お姉様、ジュベールお兄様が私達の性格がひん曲がってるって言ったの聞いた?」
「ええ、聞いたわ。でも実際そうなんだから仕方ないでしょ。いいじゃない、真っ直ぐに生きるより悪い事も楽しめる人生を送ってる者が世の中勝つんだから」
「それもそうね。さすがアイリスお姉様、素敵だわ」

 姉妹は上手く生きている。ジュベールに直接反論はせず、不満を会話にするだけ。ワーナー家ではこうした生き方でなければラビのようになってしまうのかもしれない。
 ラビは男としては七番目だが、きょうだいとしては九番目。上の生き方を見ていれば学習しそうなものだが、なぜ彼だけがこんな目に遭ったのか、それが新たな疑問となる。

「ラビ、お前はそこで土下座して俺が教育するのを見ていろ」

 ジュベールが伸ばした腕は先ほど振り下ろした手と同じで、アーデルに当たる直前に距離が取られ空振りを起こす。それがどんなに滑稽な事か、きょうだいが顔を逸らす姿でわかる。笑い声をこぼさないように顔を逸らすか、テーブルに伏せるかで隠す様子を見てジュベールの顔が怒りで赤くなる。

「ラビッシュッ!! 貴様──ッ!」

 言葉での交渉など意味がないと腰に差している剣に手を伸ばしたジュベールはそこで止まる。まだ柄も握っていない。だが動けない。二人の関係上、絶対に見る事などなかったはずの鈍色の光。それがラビの手からジュベールの喉元へと向かって伸びている。
 いつ抜いたのか見えなかった。それは向けられている本人だけでなく、きょうだいも同じなのだろう。驚いた顔で固まっている。

「ラビ──」

 動くと同時にチクッと喉に痛みを感じ、それがラビの愛剣によるものであると視線を下げた事でようやく理解した。
 ジュベールが剣を抜こうとしたのを察し、彼の手が柄に触れるよりも先に剣を抜いたその速さに今度はジュベールの喉が鳴る。
 肩を上下させながら呼吸するラビの耳に届いたクスッとこぼれた笑い。それに反応したのはラビではなくジュベール。笑ったのはシャーレだ。笑われたのはラビではなく自分だと察したジュベールがワナワナと怒りで身体を震わせながらラビを睨みつける。

「俺と戦おうってか!? 自分みたいなゴミクズでも剣でなら長男に勝てますってか!? 何千人何万人と人を殺してきた自分なら兄を殺す事ぐらい簡単ですってかぁ!?」

 ジュベールの中に蘇る嫌な記憶。抹消したいほど強烈で最悪な記憶。それによって加速する怒りがジュベールを動かす。テーブルにあったワイングラスにボトル、皿、ナイフ、など距離を取って投げ始める。近距離であろうとラビには当たらない。戦場で一瞬の判断の中で死への一線を超えないでいるラビにとって大きい投擲物は弾きやすい。

「女みたい」

 ボソッと言った事だが、ジュベールの耳にはハッキリと聞こえた。

「今なんつった? あ? 言ってみろシャーレ!」
「いやぁぁあああああ! ごめんなさいお兄様! ごめんなさいぃぃいい!」
「謝罪は土下座だろうが! あのクソゴミに言った言葉聞いてなかったのかぁ!?」
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!!」

 髪を鷲掴みにされたシャーレの身体が宙に浮く。ブチブチと聞こえる髪がちぎれる音が聞こえてもジュベールは離さない。さっきまで楽しくお喋りしていたアイリスはその様子を見ているだけで止めようとはしない。
 この家ではこれが普通なのだ。誰かが過剰な怒りをぶつけられても助けない。悪いのは怒らせた人間だと言わんばかりの態度。異常だ。
 その光景を見ようにも少し身体を動かすとすぐにラビの腕に力が入って動けない。響き渡る謝罪と悲鳴のような泣き声にまた嫌悪する。

「キャアッ!!」

 投げ飛ばされるように落とされたシャーレが床の上で丸まって「ごめんなさい」と言い続ける。言うべきではなかったという反省ではなく、怒った兄がこれ以上怒りを向けてこないようにするための防御だとアーデルは悟った。
 
「ラビッシュ……お前、俺より強くなったつもりか?」

 静かな声で問いかけるジュベールにラビが乾いた口内でかき集めた唾液を飲み込む。

「ぼ、僕は、ア、アーデルの夫です。だ、だから、に、兄さんに傷つけさせるわけには、い、いかないんです……! ぼ、僕は、つ、妻を守るためなら、に、兄さんとだって、た、戦います!」

 何があろうとアーデルは差し出さない。真っ向からの拒否に剣を抜いたジュベールが床を蹴ろうとした瞬間、コンコンと音が鳴った。
 とても静かな、テーブルを叩く音。

しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

で、お前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか?

Debby
恋愛
ヴェルトが友人からの手紙を手に辺境伯令嬢であるレィディアンスの元を訪れたのは、その手紙に「詳細は彼女に聞け」と書いてあったからだ。 簡単にいうと、手紙の内容は「学園で問題を起こした平民──エボニーを妻として引き取ってくれ」というものだった。 一方その話を聞いてしまった伯爵令嬢のオリーブは動揺していた。 ヴェルトとは静かに愛を育んできた。そんな自分を差し置いて、言われるがまま平民を妻に迎えてしまうのだろうか。 そんなオリーブの気持ちを知るはずもないエボニーは、辺境伯邸で行儀見習いをすることになる。 オリーブは何とかしてヴェルトを取り戻そうと画策し、そのことを咎められてしまう。もう後は無い。 オリーブが最後の望みをかけてヴェルトに自分を選んで欲しいと懇願する中、レィディアンスが静かに口を開いた。 「で、そろそろお前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか」 「はい?」 ヴェルトは自分が何を言われたのか全く理解が出来なかった。 *--*--* 覗いてくださりありがとうございます。(* ᴗ ᴗ)⁾⁾ ★全31話7時19時更新で、全話予約投稿済みです。 ★★「このお話だけ読んでいただいてもOKです!」という前提のもと↓↓↓ このお話は独立した一つのお話ですが、「で。」シリーズのサイドストーリーでもあり、第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」の「エボニーその後」でもあります(あるいは「最終話」のその後)。 第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」 第二弾「で、あなたが私に嫌がらせをする理由を伺っても?」 第三弾「で、あなたが彼に嫌がらせをする理由をお話しいただいても?」 どれも女性向けHOTランキングに入り、特に第二弾はHOT一位になることが出来ました!(*´▽`人)アリガトウ もしよかったら宜しくお願いしますね!

私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」 「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」 私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。 暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。 彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。 それなのに……。 やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。 ※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。 ※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。

処理中です...