静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

文字の大きさ
65 / 103

嫌な記憶で終わらせないために

しおりを挟む
 家に着いた二人は暫く口を開かなかった。
 終始身に纏っていた緊張感のせいで姿勢を正すこともできない。できれば横になりたいぐらいだった。だが、横になっても眠るなどできないため互いにソファーの上で目を閉じている。
 まだ手が震えている。握り続けていたせいか、小さなしびれもある。父親だから偉い。長男だから偉い。人の心配よりも自分の保身。人を守ることを知らない哀れな人達。それが彼らと会ったアーデルの感想だった。
 頭の中にあるのは互いの事。聞かなければならない事と話さなければならない事がグルグルと回り続けている。

「ラビ皇子」
「は、はい!」

 疲れているのにアーデルの言葉で飛び跳ねたラビがソファーの上で正座する。

「お茶の時間にしませんか?」
「え……?」
「ほら、疲れた時には甘い物が一番だって言うじゃないですか。だから、紅茶を淹れて、秘蔵のクッキー缶を出して、一緒に買った高級チョコも出して、昨日焼いたシフォンケーキに生クリーム全部使って食べましょう」
「ぜ、全部、ですか?」

 相当な量だと驚くラビにアーデルが笑顔で頷く。

「そしたら、ゆっくりでいいので、お話しませんか?」

 黙って明日を迎えるほうがきっと辛い。言わなければと考えているだけで眠れないはず。なら、今日話してしまおう。でもその前に少しだけ休憩しよう。アーデルはそう考えた。
 ラビは涙が出そうになった。アーデルと結婚してよかった。何百回そう思っただろう。愛人なんて冗談じゃない。そう言えなかった自分が情けなくて俯いて目を閉じる。
 肩を震わせるラビを抱きしめてポンポンと背中を叩くアーデルにもたれかかりながらラビは暫く震える唇を噛んでいた。

「はい! じゃあ準備しましょう!」
「は、はい!」

 ラビの震えが少し小さくなったのを見計らってパッと身体を離したアーデルに驚くも涙を拭って慌てて立ち上がるラビがキッチンへと向かう。

「生クリームの泡立ては任せてください!」
「お願いします」

 もうすぐ雪が降るだろう。見渡す限りの銀世界。落ち葉を踏むのとはまた違う音がして、窓を開けると寒さに身を震わせる。二人で暖炉に手をかざしながらあったかいと笑い合う瞬間が好きだ。誰にも邪魔されたくない時間だ。間に入るのは愛人ではなく自分達の子供がいい。それ以外は必要ない。
 生クリームを泡立てる人を手伝うのも子供がいい。その人に好意を持つ人間が間に入って上手くいくはずがない。
 自分の利益だけを考えて全てを動かそうとする人間に自分の人生全て明け渡してたまるかとアーデルは心の中で呟いていた。

「すごい量ですけど……」
「全部食べますからね」
「ぜ、全部……」
「茶葉も一番良い物を使いましたし、今日は贅沢な日にしますから」

 最悪な日は最悪のまま終わらせない。贅沢すぎる事をしてでも最高に変える。嫌な出来事を思い出した際に『でもあの日の──』と思い出せる良い事を一つは置いておきたいから。
 嫌な記憶ほど残りやすい。思い出しては何度も後悔して腹も立てる。一度しかない人生を嫌な記憶に振り回されくないと泣くアーデルに父親が言った事だ。

『自分の機嫌は自分で取りなさい。誰かが取ってくれる事に期待してはいけないよ。期待どおりにならなかったら余計に最悪な記憶になってしまうからね。お前が持つ嫌な記憶が完全に消える事はないだろうが、薄れさせる事はできる』
『どうやって?』
『うんと好きな事をするんだ。何でもいい。大好きな事をしなさい』
『キッチンに入ってお菓子を食べてもいいの?』
『いいよ。でも自分で作って食べなさい。誰かの分まで食べるんじゃなくて、手伝ってもらって自分で作って食べるんだ。そしたら全部お前の物だからね』
『生クリームたくさんでもいい?』
『もちろんだ』

 嫌な記憶を思い出して涙していた日の記憶は最高の物へと変わった。嫌な記憶は消えない。でもその記憶によって感情を乱されそうになった日はこうして好きな事を思いきりすると決めている。そうすれば少しだけマシにはなるから。
 だから今日もこうする。二人の家で、二人だけで贅沢を極める。ちまちま食べていたチョコレートとクッキーを出して、昨日焼いたシフォンケーキも並べる。

「いただきます」
「いただきま──ええっ!? そ、そっちですか!?」
「もちろんですッ」

 容器いっぱいに盛り上がった生クリームを掬ってシフォンケーキにかけるのではなく、シフォンケーキをフォークに刺して生クリームにつけて食べたアーデルに目を瞬かせるも幸せそうに笑うのを見てラビも真似する。

「甘ッ!」
「ふふふっ、甘いですね。ハイデンで食べたケーキよりも甘いです」
「あのケーキは果物とのバランスを考えてありましたから、これは果物がない分、甘さ重視ですよね」
「とんだパティシエですね」
「すみません」

 いつも少しのクリームと一緒に食べるためべっとりとまとわせているのを食べるのは久しぶり。ハイデン以来。だが、おかげでその時の事を思い出して二人は笑顔になる。

「あ、クッキーにも意外と合いますよ」
「あ、ホントだ」

 クッキーにもクリームをつけて食べる。意外と合うと顔を見合わせる二人は同時に笑い、味覚が狂ってきていると言い合う。
 シフォンケーキ、クッキー、チョコレートを順番に食べては大量に紅茶を飲む。その繰り返しを二時間ほど続けた。

「お腹いっぱいです」
「僕もです」

 食べ終えた頃には明るかった空もすっかりと暗くなった。
 カーテンを閉める事さえ億劫に思うほど満腹な二人はソファーの上で足を放り出しながら丸くなった腹を撫でては満足げに息を吐く。

「贅沢しすぎでしょうか?」
「クッキーにチョコレートにシフォンケーキに生クリーム。お砂糖だらけ。でも、こんな日があってもいいと思うんです。今日の事を思い出した時は絶対にこの瞬間の事も思い出すんですから」

 自分一人では絶対に浮かばない考え方。嫌な記憶だけで終わらせないようにしてくれたアーデルには感謝してもしきれないとラビはソファーの上で手を繋ぐ。それをアーデルはちゃんと繋ぎ返してくれる。

「手を繋ぎ始めた頃、これだけで恥ずかしくて仕方なかったです。父以外と繋ぐ事なんてなかったものですから、手の大きさに驚いて、恥ずかしくて……」
「僕もです。アーデルの手は小さくて、柔らかくて、強く握ったら折れてしまいそうで怖くて……。でも、繋ぎたくて……」

 繋げないか。繋ぐタイミングは今かと一緒に歩きながら何十回と考えていた日が懐かしく思えるほど今では互いに自然に手を繋ぐことができる。少し触れ合うだけで真っ赤になって、緊張していたのが懐かしさと寂しさを誘う。
 当たり前に慣れてしまう寂しさと当たり前になっている喜びとが混ざり合う複雑さを感じながらも隣を見れば愛する人がいる幸せを噛み締める。
 だが、二人はまだキスのタイミングがわかっていない。見つめ合い、黙る時間はあれど、なかなか顔を寄せられないでいた。
 キスは何度かしている。片手で足りるだけの回数だが、それでも未経験ではない。自分達は夫婦なのだからおかしくない行為なのにどうにも当たり前にならない。タイミングはいつが正しいのかとアーデルもラビも考えてしまい、一歩が踏み出せない。

「……ふふっ」

 結局、長い沈黙に負けてアーデルが笑い、それにつられて眉を下げながらラビが笑う。

「僕は、アーデルといられて幸せです」
「私もです」
「結婚できてよかったと思っています」
「私もです」
「僕の人生にはアーデルがいないとダメなんです」
「私もです」

 だからと姿勢を正したラビに合わせてアーデルも身体を起こして姿勢を正すも太ももを叩いた。

「え?」
「膝枕、しませんか?」

 突然の提案に数秒間、脳が思考を停止したラビがアーデルの太ももを凝視する。服で覆われているため生肌が見えるわけではないが、透視できそうなほど見つめる。

「憧れなんです。穏やかな時間の中で夫に膝枕をする妻を演じるの」
「あ、そ、そうなんですね。じ、じゃあ……お、お邪魔し、ます……」

 暖炉のほうを向きながらゆっくり頭を乗せると心臓が速く動き始める。それは膝枕をしてもらったからだけでなく、アーデルの手が優しく髪を撫でるから。
 抱きしめている時とは違ったアーデルの香りを強く感じる事に緊張するラビだが、目を閉じた際に浮かんできた今日の記憶に目を開け、暖炉の火をぼんやりと見つめた。

「……聞いてくれますか? 僕が何故……ラビッシュ……と呼ばれ、あの家であんな扱いを受けているのかを……」
「聞かせてください。あなたの全てを」

 パチパチと薪が燃える穏やかな音を聞きながらラビは思い出したくもない消せない過去の記憶の蓋を開ける事にした。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

で、お前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか?

Debby
恋愛
ヴェルトが友人からの手紙を手に辺境伯令嬢であるレィディアンスの元を訪れたのは、その手紙に「詳細は彼女に聞け」と書いてあったからだ。 簡単にいうと、手紙の内容は「学園で問題を起こした平民──エボニーを妻として引き取ってくれ」というものだった。 一方その話を聞いてしまった伯爵令嬢のオリーブは動揺していた。 ヴェルトとは静かに愛を育んできた。そんな自分を差し置いて、言われるがまま平民を妻に迎えてしまうのだろうか。 そんなオリーブの気持ちを知るはずもないエボニーは、辺境伯邸で行儀見習いをすることになる。 オリーブは何とかしてヴェルトを取り戻そうと画策し、そのことを咎められてしまう。もう後は無い。 オリーブが最後の望みをかけてヴェルトに自分を選んで欲しいと懇願する中、レィディアンスが静かに口を開いた。 「で、そろそろお前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか」 「はい?」 ヴェルトは自分が何を言われたのか全く理解が出来なかった。 *--*--* 覗いてくださりありがとうございます。(* ᴗ ᴗ)⁾⁾ ★全31話7時19時更新で、全話予約投稿済みです。 ★★「このお話だけ読んでいただいてもOKです!」という前提のもと↓↓↓ このお話は独立した一つのお話ですが、「で。」シリーズのサイドストーリーでもあり、第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」の「エボニーその後」でもあります(あるいは「最終話」のその後)。 第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」 第二弾「で、あなたが私に嫌がらせをする理由を伺っても?」 第三弾「で、あなたが彼に嫌がらせをする理由をお話しいただいても?」 どれも女性向けHOTランキングに入り、特に第二弾はHOT一位になることが出来ました!(*´▽`人)アリガトウ もしよかったら宜しくお願いしますね!

私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」 「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」 私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。 暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。 彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。 それなのに……。 やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。 ※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。 ※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。

処理中です...