静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

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彼の真実3

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 ──十五年前の記憶──

 剣の腕は誰よりも才能があった。大人相手にも負けないだけの技術と才。それは皇帝陛下でさえ目を見張るほどのものだったが、兄たちに勝つ事だけは許されなかった。引き分けもなし。必ず負けることを強要された。
 勢い余って勝ってしまうと報復が酷く、ラビはいつも慎重に負けるようにしていた。勝って気持ち良くなる事はない。相手は兄でも自分よりも弱い相手。勝って暴行を受けるぐらいならあえて負けて暴言を吐かれるほうがマシだった。
 剣術の稽古の時間がラビは好きだった。ラビの人生で唯一大人から褒めてもらえる時間であり、皇帝陛下に報告される良い成果を残している自信もあったから。
 第七皇子としてワーナー家に引き取られたその年、ラビはヒュドールで一年に一度開かれる剣の大会に出場する事になった。剣を握ってまだ三ヶ月だったが、ルーカスからは『お前の実力なら優勝できるかもしれんぞ』と言われた。皇帝陛下がそう言うのだから優勝してもいいのかもしれないと心躍った瞬間。
 出場者は剣の腕に自信がある世界中の剣士とワーナー家の男。ワーナー家の男は得意不得意関係なく自動的にエントリーされる。
 貼り出されたトーナメント表を見てラビは一瞬で気分が落ちた。

「才能がないってのは大変だな。こんな晴れ舞台で惨めに敗北する姿を世に晒すことになるんだから。ま、親に捨てられるようなゴミにはお似合いの姿だが」

 戦う相手はジュベールだった。くじで公正に決められたものではなく、ジュベールが自分と戦わせるように言ったものだろうとすぐに察しがついた。
 隣に立ったジュベールからの言葉に「そうですね」と返すと鼻で笑われ去っていった。
 ラビは迷っていた。勝ってもいいのだろうか。勝てば報復されるのではないか。だが、優勝できるかもしれないとルーカスが言ったのだ。それは優勝してもいいと言っているようなものなのではないか。
 一回戦でジュベールと当たるとは思っていなかったが、あれはジュベールの策略だった。二回戦進出させないための、自分が絶対的に強く、勝者である事を見せつけるために組ませたもの。
 国内外から人が集まり注目している大会だ。父親と同じで評価を上げるにはもってこいのイベントだから。

「ラビ、よろしく頼む」

 ステージ上で外用の爽やかな笑みを携えながら握手を求めるジュベールにラビは一瞬戸惑った。握手などしたくもないだろうに“爽やかなジュベール皇子”を演じるためにここまでする彼を怖いと思った。自分の演出でありながら手を握った事であとで何か言われるのだろうと思うと伸ばす手が震える。

「おっと、ラビ皇子、緊張で手が震えているのでしょうか?」
「ラビ、そんなに緊張しなくていいんだぞ。お前は剣を握ってまだ三ヶ月だ。そんなに気負わなくていい」
「は、はい」

 優しい声に顔を上げるも一瞬で目を逸らした。合わせた目の奥にいるジュベールが言っていた。「勝ったら殺す」と──
 やはりこれは勝ってはいけない試合だと確信し、ラビは大会側が用意している剣を握る。ラビもジュベールも同じ剣。条件は同じ。平等。だからこそ実力が出る大会。
 定位置まで下がり、深呼吸を繰り返す。

(いつもどおり……いつもどおりやればいい。大丈夫。慣れてるじゃないか。いつもどおりやれば罰は受けない)

 上手く負ける方法はわかっている。負けるだけなのに身体に緊張が走る。
 ステージの外からはジュベールを応援する黄色い声。誰もラビの応援はしない。

「ラビ、来い」

 合図の鐘が鳴り、ジュベールが言った。自分に言い聞かせるのに夢中だったラビがハッとして慌てて駆け出した。剣を構え、振りかぶる。

「応援がなくて残念だな、ラビッシュ。お前みたいなゴミは長男である俺を輝かせるために存在する。それが真理だ」

 声援の大きさでジュベールの声はラビにしか聞こえていない。あえて剣を押し合う時間を作るジュベールが爽やかな笑顔で吐き出す暴言にラビは返事をしなかった。
 ジュベールのほうが十年早く生まれている。体格の差から見るに力の差も歴然。それでも押し合う事でジュベールが稽古をつけてやっているような光景を見せる事ができる。おー、と声が漏れるのはそれを微笑ましく見ている観客の心理を表している。言葉は聞こえず動いている唇だけ見ると相手の印象から「兄としてアドバイスでもしてやっているのだろう」と勝手な変換が起こる。ジュベールは全てわかっているのだ。

「お前は一生そうやって生きていくんだよ。俺達のために生きて、俺達のために死ねよ。いいな?」

 死ねと言われるとは思っていなかったラビにとってその言葉は衝撃的だった。やめてくれと泣きながら懇願する事はあった。加減を知らないジュベールに何度土下座をしたかわからない。いつか殺されるかもしれないと思う事はあれど、決定的な言葉を吐かれた事はなかったためそこまで恐怖は感じていなかった。

「臭ぇんだよ、ゴミ──」

 ジュベールが剣にグッと力を入れたのがわかった。剣を弾くつもりだったのだろう。ジュベールがこうした時はあえて少しだけ力をぶつけて剣が弾かれたように振る舞う。あくまでも自然に。
 いつもどおりの成果を出すだけ。いつもどおりの口の悪さに、いつもどおりの剣術。特別なのは場所だけ。上手くやる。
 キンッと甲高い音が響き、上に弾き飛ばした剣は宙で回転しながらステージの端に刺さった。

「な、な、なんということでしょう! あっという間! 一瞬の出来事です!」

 実況を務めている司会者が高らかに声を上げる。

「ジュベール皇子、まさかの一回戦敗退!!」

 響き渡った結果に静まり返っていた会場が一気にザワつく。
 誰もがわかっていた。これは世界中の剣士が腕試しとして出場する事が認められてはいるが、ジュベール・ワーナーの優勝が決まっている八百長試合であると。
 ジュベールが優勝して終わる。それが筋書きだったのに、ラビがそれを一回戦で打ち壊した。大勢の国民が見守る中、司会者も中止を宣言できるはずもなく実況を続ける。
 優勝候補であるジュベールを第七王子が破った展開に国民たちが次第に歓声を上げ始め、それは段々と大きくなっていった。

「ジ、ジュベール兄さん……」
「ラビ、すごいじゃないか!」

 慌てて土下座しようとしたラビの肩を掴んで軽く揺らすジュベールが張る嬉々とした声に国民の歓声が一際大きくなる。

「剣術を初めて三ヶ月のお前が俺を負かした! お前には才能がある! 剣術を続けろ! お前はきっとこの国一番の剣士になるぞ!」

 兄として負けてやったのだと捉えた者は多かっただろう。大きな拍手が巻き起こる中、ジュベールの真意を知っていたのは掴まれている肩に激痛を感じているラビだけ。指が肩にめり込むのではないかと思うほどの力が込められている。痛みに顔を歪めないように必死に作った笑顔でラビは言った。

「兄さんが胸を貸してくれたおかげです」
「お前の実力だ。自信を持て」

 より一層大きくなる拍手と歓声。そして痛み。解放された時、ラビは腕が痺れて剣を落としそうになった。それを両手で持つことでなんとか堪え、ジュベールと一緒に観客に頭を下げてステージを降りた。
 ラビの実力が本物であるかなどジュベールにはどうだっていい。自分が優勝する筋書きが消えた事が許せなかった。だが、二回戦に進出するラビをここで痛めつけるわけにはいかないと顔は殴らず渾身の力で腹を蹴り上げた。まるでボールを蹴るように力を込めた事でラビの身体が浮き、そのまま壁まで吹き飛んだ。近くだったとはいえ、蹴られた腹部と打ちつけた背中の痛みに悶えるラビにジュベールが言った。

「優勝したら殺すからな」

 本気だと声色で悟った。勝つもりはない。もう途中で剣がすっぽ抜けた事にして負けようとさえ思っていた。
 だが、それを許さない者が一人いた。

「ラビッシュ、本気で戦え」

 ルーカスだ。

「俺の代わりにコイツが優勝するってのか!?」
「あそこが戦場ならどうなってた?」
「大会だろ!」
「答えろ」
「……負傷してた」

 ルーカスの口からこぼれた「あ?」という怒気を含んだ声に「死んでた」と言い直したジュベールの情けなさにアイリスが笑う。それを睨みつけるジュベールにルーカスが追い打ちをかける。

「弱い奴は死ぬ。それだけだ」
「俺は弱くねぇ!」
「結果が全てだと言ってるよな?」

 過程はどうでもいい。結果が全てだと言い続けている父親の言葉にジュベールは反論できなかった。負けは負け。負けなかったラビが悪いのではなく、負けさせられなかったジュベールが悪い。そう判断した。
 床の上で丸くなり必死に呼吸を続けるラビの前でしゃがんだジュベールにラビが慌てて土下座する。

「優勝しなかったら殺すからな」

 どっちだと思う事はなかった。自分に勝っておきながら優勝を逃せば全てが台無しになる。ラビが優勝すればジュベールが負けてやったから、と考える者もいると考えたのだ。だからラビの優勝は絶対となった。

「はい!」

 土下座したまま優勝を誓い、ラビはそれから必死で戦った。体格も年齢も違う相手と戦い、歓声を受けながら進出を続ける。

「今年の優勝者が決定しました! さすがはワーナーの男! 兄の胸を借りた一回戦から優勝まで駆け上がった小さな剣士の誕生だー!!」

 今日一番の歓声と拍手を受けながら授与したトロフィー。嬉しかった。初めて自分という人間が認めてもらえた瞬間だった。あの強烈な喜び。一生味わっていたいとさえ思うほどの感動。
 優勝トロフィーを抱きしめながら帰ったラビは一生大事にしようと浮かれすぎて忘れていた。

「おい、ゴミクズ」

 ここが地獄であるということを。
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