静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

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襲撃

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「ど、どうしました!?」

 悪夢でも見たのかと慌てるが、ラビは壁に背を当て、外の様子を伺っている。そして続く、壁を叩くような音。

「な、なんでしょう……」
「……ましょう……」
「え?」
「逃げないと……!」
「逃げるってな……」
 
 どういう意味だと混乱するアーデルだが、すぐに気付いた。
 火が見える。窓の外。物が焼けるニオイ。火事だ。

「火矢を放たれている」
「火矢って……あの……」
「火を纏わせた矢です」

 どうして、なんて子供が持つ疑問を口にはしなかった。不安要素を排除するための行動だと瞬時に理解した。だが、ここまでするのかと信じられない思いはある。
 自分達の不安が取り除けるなら人が死んでもいいというのか。アーデルにはその考えが理解できなかった。だが、理解できる事もあった。
 戦争はこうして生まれるのだ、と。

「消したほうが──」
「この音は火矢が壁に刺さる音です。鎮火は不可能だ」

 壁を何度も連続で叩かれているかのような音。これが全て火矢だとすれば火はあっという間に家を包んでしまう。その証拠に見える火の勢いが上がっている。
 手を引かれ、裏口から出ようとした時、アーデルが止まった。

「アーデル! 急いで!」 
「待ってください! 持って行かなきゃいけない物があるんです!」
「ダメだ! そんな時間は──アーデルッ!!」

 引っ張られる手を振り払って家の中へと戻ったアーデルは壁にかけていた似顔絵を外した。他にも持っていく物はある。一緒に貯めた貯金箱、交換した手紙、一緒に読んだ本、お気に入りの珈琲豆、お気に入りのカップ、ドライフラワーにした思い出の花。

「アーデル! 時間がない!!」
「やだ! 待って! まだ──いやぁッ!」

 全部持って行く事はできなかった。貯金箱を掴むと同時にラビが腹部に腕を回し、アーデルを抱えて家から飛び出した。
 油を纏った火は木をあっという間に焼いてしまう。染み込んだ油が広がり、そこを辿って火が伸びる。家が炭と化すまで火矢を放つつもりだろう彼らの攻撃の手は止まず、火の勢いは増すばかり。
 幸いにも家の傍は森となっており、飛び出したラビはそのまま一直線に森の中へと走った。
 夜の森は視野は悪いが、身を隠すには向いている。松明は手元を照らすだけで奥までは照らせない。奇襲を行う事もあるラビにとって闇夜は慣れた戦況だった。
 
「ここで、少し様子を見ましょう」

 毛布の一枚でも掴んでくればよかったと後悔しながらも考える時間はなかった。
 火矢を放ったのは死神だと気付いた男とその仲間だろう。火を放ち、様子見であったからよかったものの、侵入の可能性もあっただけに必要最低限の物だけを掴んで飛び出した。

「オリヴァーは!?」
「大丈夫。出た時に手綱を切りましたから」

 短剣で綱を切ると同時に飛び出したため状況は理解していると判断したラビはあまり心配はしていなかった。馬は賢い。それこそバカな人間よりもずっと。
 一緒に世話をしてきたアーデルは既に愛情が芽生えているため心配で取り乱しそうになったが、ラビの言葉で安堵する。

「ここまで、できるもの、なの……ですね……」

 ポツリとこぼしたアーデルの声が震えている。

「死神なら、何をしてもいいと思っているのでしょうか……」

 死神と呼ばれているだけの人間である事を忘れているのではないかと唇を噛み締める。焼け死んだ姿を見れば安堵するのだろうか。相手は死神だからこうでもしなければ夜も眠れないと笑い合ったのだろうか。

「僕が──」
「また家を探しましょう」

 パッと笑顔を見せるアーデルだが、涙が溢れてしまう。クシャりと顔を歪ませ、両手で顔を覆うも唇を噛み締めて嗚咽だけは堪える。

「あなたとの思い出が……」

 思い出は記憶には残っている。だが、品が消えてしまった。なんとか持ち出せた似顔絵と貯金箱。それを大事に抱き抱えるアーデルの口から嗚咽が漏れる。
 ラビはそのままアーデルを抱き上げて移動する。入り口のほうで声が聞こえた。裏口が開いているのを見て逃げたと考え、入ってくるつもりなのだろう。
 夜に目が慣れるのは人よりも早く、暗い森の中でも小走りで移動できる。
 できるだけ奥まで行き、根本に人が入れるだけの穴が空いている大木を見つけてそこに入った。これだけ立派な森だからこうした大木があると予想していた。

「少し狭いですが、ここで一夜を明かしましょう」
「はい」

 似顔絵を抱きしめるアーデルを抱きしめているとアーデルは意外にもすぐに眠ってしまった。現実逃避だろう。辛い事から目を逸らすために眠りにつく人間がいる。ラビは不安になると眠れないタイプだが、アーデルは逆。

「アーデル」

 小さく声をかけたが身じろぎ一つしない。呼吸を確認してからゆっくりと離れて木にもたれかからせた。
 窓の外を確認している際に掴んだ愛剣を持って大木から出たラビは近くにあった木を入り口に立てかけてから移動を始めた。  
 空は白んでいない。まだ闇夜の中、早歩きは走りに変わり、入り口へと急ぐ。
 火はまだ消えていないだろうが、火が消えた際、何か残っている物でもあれば持っていこうと考えて向かったのだが、森の入り口には男が数人立っていた。家に火矢を放った者だろう。手には弓、背中には矢筒を背負っている。
 木の後ろに隠れて聞き耳を立てると彼らの会話が聞こえてきた。

「まさかヒュドールの死神が来るなんてな」
「仕留められたか?」
「これで仕留められてなきゃ俺達の命はねぇぞ」
「あれだけの業火からどうやって逃げるっつーんだよ」
「女も一緒に始末したのはやり過ぎだったんじゃないか?」
「死神と結婚した時からいつかこうなる事は覚悟してただろ」

 覚悟はしているだろう。でも離れるつもりはないとアーデルはいつも言う。『あなたは殺人鬼じゃない。だから一緒にいるんです。どんな時もあなたと一緒にいると誓い合ったんでsから』と。
 もし気付くのが遅ければ部屋に充満した煙で重体に陥っていたかもしれないと考えると剣を握る手に力が入る。

「しっかし、ここまでやるなんて……死神になんの恨みがあったんだよ」
「俺の弟の嫁はヒュドールが仕掛けた戦争によって命を落とした。生まれたばかりだったガキも一緒にな」

 恨みを買っている事はわかっていた。戦争で街に踏み込むのはラビの仕事ではないため彼の恨みに直接関わったわけではないが、彼はその現場を直接見たわけではないため死神と呼ばれる男がやったと思い込んでいても仕方ないとラビは理解している。だからここで彼らの前に飛び出して事実を話すとかそういった行為はせずに彼らが去るのを待つつもりだった。
 早く去ってくれと願っていたのが、飛んできた言葉に目を見開いた。

「最悪、一緒にいた女だけでも死んでればそれでいい。死神にも同じ経験してもらわねぇと気が済まねぇからな」
「ヒデー奴」
「生き残ってたらどうするんだ?」
「見つけ出してこの家みたいに火矢を放ってやるんだよ。弟は死ぬほど苦しんだ。死神にも味わってもらわねぇとだろ?」
「その前に女を味わっちゃどうだ? 地味だが、良い女だったぞ」
「そうだな。そうしてからだ。地の果てまで追いかけてやる。幸せになるなんて許さねぇ。誰が親かもわからねぇガキ孕ませてから死神の目の前で殺してやるよ」

 プツンと頭の中で太い糸が切れたような音がした。
 ラビは自分はなんと言われようと平気だが、誰かにアーデルを悪く言われる事だけは耐えられなくなっていた。ワーナー家の人間であろうとシャンディであろうと許せない。きっと相手がココでも許さないだろう。
 戦争で苦しむ人間は多い。加担者として申し訳ないとも思う。だが、それを天秤にかけてもすぐに崩れてしまう。彼らの言葉はラビを怒らせるには十分なものだった。

「え?」

 地面を蹴って飛び出したラビが彼らの前に姿を見せるのに三秒もかからなかった。まるで喜劇を見たかのように声を上げて笑っていた彼らの目がラビという死神の姿を捉えてから声を漏らしてから黙るまでは一瞬の事だった。

「アーデル」
「あ、ラビ。よかった。目が覚めたらいなかったので心配しました」

 空が白んだ頃に大木に戻ると大木の外でラビを探すようにキョロキョロと見回していたアーデルに声をかけた。安堵して寄ってくるアーデルを抱きしめて頭に頬を乗せる。

「ラビ?」

 抱きしめる力の強さに首を傾げるアーデルを離したラビが笑顔を見せた。

「すみません。川に水を汲みに行っていたのと木の実を探していました。水が綺麗な場所ですからよく育っていましたよ」

 差し出された布の中には赤い木の実がたくさん入っている。それを一粒取って口に入れると甘酸っぱさに全身に走っていた緊張が少しほぐれる。水を受け取って喉を潤し、息を吐き出す。

「歩けそうですか?」
「家に戻って焼け残った物を──」
「全て燃えていました」
「見てきたのですか?」
「はい。何もかも燃えて、残っている物はありませんでした」
「そうですか……」

 似顔絵と貯金箱だけでも持ち出せただけ感謝すべきかと考えながらアーデルは大木からそれらを持ち出した。

「帰りましょう!」

 気合いを入れるように大きな声を出すアーデルに微笑んで頷き、手を出す。

「ヒュドールまでどのぐらいかかるでしょうね」
「過去最高の散歩時間ですよ」
「そうですね」
「これがあるので宿に泊まれない心配はないですし、どこかで馬車を借りてもいいですね」
「旅行資金ですよ?」
「家までの旅行です」
「帰宅って言うんですけどね、それ」
「細かい事は気にしない! さ、行きますよ!」

 本当はもっと泣いていたいだろうに笑顔で声を張るアーデルの強さにラビは頭が上がらない。
 自分がした事を知ればきっと彼女は笑顔を消すだろう。だから知られてはならない。早々にこの場を離れ、何事もなかったかのように生きるだけ。
 死神を恐れ、石を投げるだけにしておかなかった彼らが迎えた末路をアーデルは許さないだろう。だが、反省するつもりも詫びるつもりもラビにはない。
 もしこれが大々的にニュースになれば死神の名は更に大きく広がるだろう。事実無根だと、あんまりだと憤慨するだろうアーデルに何も言えない事をしてしまった。庇ってくれる相手にもう有り難いと思う事は許されなくなった。

「当然だ……」

 ポツリと呟いた言葉は風が揺らす葉のざわめきに掻き消された。
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