静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

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死神の妻として

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 部屋に戻ったアーデルは椅子にもベッドにも腰掛けず、部屋の真ん中で立ち尽くしていた。
 何を考えるわけでなく、ただ、ボーッとしているだけ。今は何かの音を耳に入れたくない。服が何かと擦れる音も自分でたてる靴音も。だから部屋の真ん中に置かれている円形の絨毯の上に立ち、目を閉じている。
 ゆっくりと時間をかけて繰り返す深呼吸。気持ちが昂っているわけではない。落ちているわけでもない。地平線を見るように上も下もない感情。静かで、穏やかそのもの。
 新聞を読んで衝撃を受けた直後、今まで抱えていた不安がスッと消えた感覚があった。そこから心はとても穏やかに落ち着いている。
 思い出すのはあの日──家が燃やされた翌朝の事。
 朝、燃えた家を見て帰ってきたラビに抱きしめられた時、血の匂いがした気がした。血の匂いなんて知らない。紙でうっすらと切った時に滲む血に匂いなんてない。だけど、それを舐めた際に感じる味。それが匂いとなって感じた。
 もしかしたら……と考えはしたけど、怖くて聞けなかった。戻ってきた彼があまりにもいつもどおりだったから。望んで剣を振る人じゃない。彼は望んで戦争に参加しているわけじゃない。公務と引き換えに引き受けた事だ。だけど、慣れてしまっている部分はどうしたってあるのかもしれない。
 なぜ血の匂いがするのか。夜、家から逃げ出す時にはしなかった匂いなのに、どうして朝になったら血の匂いを纏っていたのか。ずっと疑問だった。
 その剣は正義だったか? いや、人を斬るのに正義など存在しないだろう。悶々と考えている今でも彼に問おうとしないのは何故か。彼が当たり前のように「仕方なかった」と答えるかもしれないのが怖いから? それともなんでもない顔で答えるかもしれないのが怖いから? 全部だろう。
 疑問は不安へ変わり、それを誤魔化すために笑顔でいる事を心がけた。責任を感じている彼に今聞ける事ではないからと。
 アーバンの新聞には鎮火した焼け跡から三人の遺体が見つかったと書いてあった。性別は不明。客は来ていなかった。だから遺体など出るはずがない。でも実際に焼け跡からは遺体が発見された。それも三人。すぐにラビの仕業だとわかった。同時に、彼から血の匂いがした理由も。
 ショックではあったのかもしれない。だが、アーデルはその感情よりも安堵を強く感じた。人が殺されているのにおかしいとは思う。自分のためには怒らない、怒れない人。何かあったのだろう。何か言われたのか、それとも聞いたのか。
 目を開けて小さく息を吐き出したらベッドへ移動する。背中から倒れて見上げる天井は十六年も見てきた物なのにどうにも落ち着かない。

(たぶん、私の事関連だと思う。死神と一緒にいた女ってだけでターゲットにする理由は充分よね)

 自分が眠っている間に追いかけてきた男達を相手にしたのかもしれない。彼はあの日、きっと一睡もしていなかった。水を汲みに行ったのも木の実を取りに行ったのも本当にそうしようと思っての事だと疑ってはいないが、シャツが少し濡れていた事からついてしまった返り血を洗ったのかもしれない。
 自分が責められるだけなら、謝って済むなら喜んで土下座する人間だ。妻のためならどんなに震えていようとも絶対服従を教え込まれた相手にさえ牙を向く。
 危険だからと事前排除できる人間でもないため、抱えていた疑問が新聞を読んだことで腑に落ちた。

(一緒に背負わなきゃ)

 アーデルには断言できない。今回の件は誰が悪いのか、と。
 ラビは死神と呼ばれるほど人を殺してきた。望んだわけじゃないとアーデルが擁護すると彼は決まって『自分が望んだ事です』と言う。望んだのは出陣する事であって人を殺す事ではないと言ったが、それでも彼は『戦争に参加する事がどういう事かわかった上で言ったので同じ事です』と言う。
 人を殺してきたのは事実だ。市場にいたアーバンの人間の目は恐怖だけでなく憎悪も感じられた。中には他国で暮らしていた親兄弟を持つ者もいたのだろう。そして戦争で亡くなった。
 その人が直接手を下したわけじゃなくとも恨みたくなる気持ちはアーデルにもわかる。病に冒された母親を助けてくれなかった神様を恨んだ。そして信じないと決めた。神様がいて、母親を選んで病を与えたわけではないとわかっている。だけど、当時六歳のアーデルには神様が悪いとしか考えられず、信仰をやめた。自分と妹から母を、父親からは妻を、国民から王妃を奪い去ったのは病ではなく神様だとお門違いな恨みを持っていたから。
 だからといって殺していいわけではない。殺されたから殺して……その繰り返しでは戦争は一生終わらない。戦争によって金儲けをしている者もいるとヒースは言っていた。金のためならなんでもする。そういった人間がいるのも確か。終わらなければいつまで経ってもラビは解放されない。剣が握れなくなるその瞬間まで戦い続ける事になる。
 だが、考えたところで何ができる? 何もできやしない。彼がヒュドールの皇子であり、ルーカス・ワーナーの息子である限りは。

(殺人はダメ。でも正当防衛であれば良しとされている。だから盗賊や山賊は殺してもお咎めなし。なら、ラビが人を殺したのはお咎めなしに入る? 家の様子を見に行って戦う事になったの? それとも別の場所? でも家の中ってわけじゃない。あれだけ燃えたんだから家の中で戦うなんて無理よね。じゃあ殺した後にラビが三人の遺体を身元不明にするために燃え盛る家の中に放り込んだ? だとしたらそれは正当防衛に入る? 過剰防衛では?)

 ラビ・ワーナーは元来とても怖がりな人間。アーデルは彼に会った時、自分達はよく似ていると思った。人の目や意見が気になってしまうタイプだと悟った。だから彼が結婚相手だと知ってあまり億劫には感じなかった。だから好きになるのも早かった。
 彼は人を殺す事に慣れている。返り血を浴びない人の殺し方さえ知っていた。そして人を殺しておきながら平然を装う術も知っている。だがそれは感覚が麻痺しているわけではない。自分が怒りや不安を誤魔化すために笑顔を見せるのと同じで、彼も知られたくない感情を隠すために取り繕う事に慣れているだけ。
 やられたからやり返す。どちらかが我慢すれば終わる。アーデルはずっとそうしてきた。我慢し続けるわけじゃない。その瞬間、その一回だけ我慢すれば落ち着いた頃に話し合えるのだから。
 でもそれが通用しない相手だから殺したのかもしれない。
 悪ではある。だけど、アーデルの中に彼を責める気は微塵も湧いてこない。彼は自分のためにやったのではないと確信がある。これはただの擁護に過ぎないし、逃げ切れたアーバンの民は更に死神を恨むだろう。そしてアーバンに家族や知り合いがいた人間も死神を許さず、恐怖を増大させるはず。
 アーデルはあの家で待つつもりだった。あっという間だと彼が言ったから。だけど、まるで神に祈り縋るように頼むからルスに帰ってきた。

『あなたを失ったら、僕は……生きていけないんです』

 床に膝をついてアーデルの両手を握ったラビは何度も同じ言葉を繰り返していた。
 三人は殺した。だけど残党がいるかもしれない。ここまで追ってきて火矢を放たれたら、乗り込まれたらと考えるとラビはアーバンを滅するよりもずっと怖い事だと考えた。
 家が燃え始めたらアーデルはまた持っているだけ持っていこうとするだろう。逃げるのが間に合わず、焼け跡から一体だけ遺体が見つかった。アーデルの姿が見えない。想像するだけでラビは吐きそうになった。だからアーデルがなんと言おうと家で待つことは許さなかった。

「いかなる時もあなたと共に……」

 覚悟は決まっている。
 だからこれだけは言える。
 彼の中にどんな彼がいたとしてもそれが離れる理由にはならないということ。
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