静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

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親子

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「おかえり、アーデル」
「はい……」

 アーデルは家にいたかった。二人で過ごしたあの家で、彼の帰りを待っていたかった。
 こうしてルスに一人で帰る虚しさとどうしようもない現実に押し潰されてしまいそうだった。
 歓迎する父親に抱きしめられながらもアーデルはこの状況にまだ納得できていない。

「大丈夫かい?」
「ええ、私は」

 ラビはそうではないだろう。
 彼はちゃんと話してくれた。呼び出された内容がなんだったのか。何をしなければならないのか。それに拒否権はない事も。
 話を聞きながらアーデルは考え続けていた。どう返事をするべきなのか。
 アーデルはルーカスの命令が理解できないというわけではなかった。どんなに酷い扱いを受けていようともそれは家庭内の問題であって、外の人間はラビが家族からゴミ扱いされている事を知らない。だからアーバンの人間がした事は一国の皇子の暗殺、という事になる。
 しかしそれはアーバンの国王にとっては寝耳に水。ヒュドールの皇子が郊外で暮らそうとしていた事さえ知らなかった可能性もある。傭兵を雇ったわけでなく、一人一人を管理しているわけではない国民の中のたった数名が恨みから起こした問題。それを戦争に発展させる理由とするルーカスの過激さもあるかもしれないが、大声で非難できるわけでもなかった。

「お父様」
「ん?」
「お父様はアーバンに対してどういう思いでいらっしゃいますか?」

 娘も命を狙われたようなもの。同じ父親でありながらヒースは戦争を仕掛けようとはしない。静かに問いかけるアーデルにヒースが「ふむ」と呟いてから立ち上がり、窓の外を見た。

「これは私の勝手な推測でしかないが、権力を欲しているかどうか、だろうね」
「え?」
「お前と彼を狙った犯人は許せないが、だからといってアーバンという国を滅ぼせとは思っていない。それはあまりにも横暴だ。自国の皇子が、我が息子の命を狙ったのはお前の国の民だ。責任を取れ、ではなく、その命で贖えとルーカスは言った。ラビ皇子の命を軽んじているわけではないが、アーバンで生きる国民の命と引き換えにするほどの事件だっただろうかとも思う」
「それは……」
「死んでしまったのならまだわかる。だが、お前もラビ皇子も無傷だ。アーバンを滅ぼすというのはあまりにも大事」

 アーデルはラビからすぐにルスに帰るよう説得を受け、こうして帰ってきた。だから父親に詳細を綴った手紙は書いていない。それでもこれだけ知っているということはルーカスから手紙が送られてきたのだろう。
 ヒースはやはり自分の父だと実感する。考え方が同じだった。

「お前はどう考える?」
「私は……今、とても複雑な感情を抱えています。様々な感情が混ぜこぜになって、それをどう言葉で表現すればいいのかわからない……」
「ゆっくりでいい。話してみなさい」

 アーデルの顔色があまり良くないのを見て、このまま部屋に返せば悪化するかもしれないとソファーに座るよう促した。
 使用人を呼んで紅茶を用意するよう伝え、向かいのソファーに腰掛けた。

「飲んでからでいい」

 紅茶が運ばれてくるまで二人は口を開かず、目の前に紅茶が置かれた後、ヒースが言った。

「答えが出ない悩みを一人で考えていたところで意味はない。誰でもいいから話しなさい」
「私の考えは間違っているかもしれません……」
「それは誰が決める?」
「聞いた人でしょうか」
「その人々は世界の真理を司る者か?」
「そうでは……」

 子供の頃から考えすぎる性格であるためアーデルは周りと上手くやれなかった。物事を瞬時に判断するのが苦手で、相手からの評価を気にし、自分が言った言葉で相手が不快にならないか、自分の考えは変じゃないかと気にするあまり発言が遅くなる。考えすぎる必要はないと何度も言ったが、それでもアーデルは人から批判される事や嫌われる恐怖に打ち勝つ事ができなかった。
 ラビと結婚した事によって少しは顔つきが変わったように見えるが、根っこはまだ変わっていない。
 
「お前とラビ皇子が違う人間であるように、お前と私も別の人間だ。自分と同じ考えだから安心。違うから不安。それはよくわかる。私も国民も貴族も全て私と同じ考えであればいいと何万回思った事か。でも違うからこそ新たな視点が見えてくる事もある。少なくとも私はお前を否定するつもりはないよ」

 ゆっくりと息を吐き出すアーデルの表情は明るくなるどころか沈んでいく。目の前にある紅茶に浮かぶレモンを見つめながら口を開いた。

「彼が……死神だと呼ばれている事は知っていました。ですが、それはあくまでも彼から聞いた話であって、それがどういう影響を及ぼすのかまでは知らなかったんです。ビバリーやハイデンで嫌な思いをした事は一度もありませんでしたから。でも、知らなかったわけでもないんです。ルスでココのパーティーがあった際、ラビ・ワーナーが悪く言われるのを面と向かって聞きましたから」
「そうか」
「あんな風に死神だと騒がれ、言いがかりも甚だしい暴言をぶつけられ、逃げるようにその場を離れたのは初めての経験でした。戦争でも人殺しは人殺しと彼は考えています。自分が言い出した事である以上はその責任から逃れる事もできないと言って……アーバンに向かいました」
「うん」

 膝の上で拳を握るアーデルの苦しみがヒースにも伝わってくる。

「犯人は許せないとお父様はおっしゃいました。私も同じです。許せません。新しい地での新生活を彼はとても楽しみにしていました。シャンディさんやルーカス皇帝陛下から物理的に距離を取る事で小さくとも何かが変わるのではと考えていたから」

 引っ越しを楽しみにしていた彼の表情を思い出すと戻らざるを得なくなった状況に追い込んだ人間は許せない。だが、そう語りながらもアーデルの表情は怒りよりも困惑に近いものだった。

「それについて何かあったのか?」

 ヒースも引っかかっている事はあった。しかしそれをどう切り出すべきかと考えても答えが出ないままこうして話を聞いている。アーデルに問いかけるには憚られる内容でもあったから。
 だが、娘の表情から察するに何も知らないわけではないのではないかと悟り、思いきって問いかけた。

「話してみなさい」

 握っていた拳を開き、両手を組んでまた力を入れる。止めていた息を吐き出して新しく吸い込んだ息を今度はゆっくり吐き出した。

「彼を疑うような真似はしたくないんです。私は彼の妻だから、誰よりも彼を信じていたい。だけど……」
「信じられないような事があった、か?」

 小さく頷くアーデルの瞳から涙が一つこぼれ落ち、手の甲を濡らす。

「お前はアーバンのあの事件の新聞記事を読んだかい?」
「いいえ」

 ヒースは黙って立ち上がり、机の引き出しから新聞を取り出してアーデルに差し出した。
 新聞の日付は事件の翌日になっている。一面を飾っている自分達が住んでいたあの場所の写真。ラビが言っていたように全て焼けてしまっている。掘り返したところで何も残ってはいないだろう。あのまま逃げて正解だったと思うアーデルが安堵の息を吐こうとして呼吸を止めた。

「三人の……遺体……?」

 見出しに書かれていた言葉に新聞を掴むアーデルの手が小刻みに震え始める。
 目は記事の文章を追い、次々と情報を得ていく。開きっぱなしの目が何度も頻繁に瞬きを繰り返していた。
 落とすのではなく置いた。新聞を落としてしまうのではないかと想像していたヒースにとってアーデルがまだ冷静でいる事が少し意外ではあった。

「……怖い世の中ですね」

 笑みか苦笑か、曖昧な表情でそう答えたアーデルにヒースは「そうだな」とだけ返した。

(遺体が出た事は知らなかった。だが、思い当たる節はある、といった感じか)

 人を襲えば反撃に合う可能性は当然あって、三人の遺体が出たのは反撃に遭ったからだろう。相手が死神と呼ばれるほどの男だとわかっていながらの愚行。遺体となった者達に同情はするが、思うところは自業自得。

「疲れただろう。部屋に戻ってゆっくりしなさい」
「はい」

 これは戦争ではなく虐殺。今日にもアーバンは地図上から名が消え、世界から姿を消すだろう。理不尽な圧力によって。
 アーバンが軍事力を隠し持っていない限りは長引く事はない。数日後にはラビが迎えに来るだろう。
 だがその時、ラビはいつもどおりでいられるだろうか。戦争と違って殺すつもりでかかってくる相手ではない。なんの力も持たない無力な人間を命令だからと剣を振り下ろさなければならない。その現実にどこまで耐えられるのか。

「アーデル」

 ドアへと向かっていた足を止めて振り返ったアーデルを見てヒースは目を見開いた。

「いや……なんでもない」

 言う事などあるはずもない。娘はもう死神の妻として生きる覚悟ができている。あの表情がそれを物語っていた。
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