静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

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死神出現5

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「まさかお前が俺を裏切るとはな」

 いつもならここで必死に弁明する。降りかかる圧に従って土下座をし、大声での謝罪を響かせていた。だが、今日はそうしなければという考えに至らなかった。緊張からごくりと喉が鳴り、身体に余計な力が入る。ジュベール相手にそうならなかったのは実力の差があるから。相手が銃であろうと不利と思わなければ怖くない。ここで殺してしまえば今後一生怯えなくて済むのだから緊張する必要もなかった。
 ルーカスを軽く見てはいなかったが、戦闘においての彼の実力をほとんど知らないだけにジュベール相手のような心構えではこちらが命を落とす事になると、それだけは本能で感じている。

「後継者は僕にしてくれるものだと思っていたのですが」
「はっはっはっはっは! よく言うぜ。指名してほしいと思った事もねぇくせに」
「誰よりもこの国に貢献してきたのは僕ですよ」
「そうだな。そりゃ違いねぇ。だが、お前じゃヒュドールの皇帝は無理だ」
「何故ですか?」
「優しすぎるんだよ、お前は」

 驚きそうになった自分を戒めるように唇を噛む。

(彼はこういう性格だ。惑わされるな)

 暴言や虐待を繰り返しながらその間に優しい言葉を放つ。認めてもらえれば優しくしてもらえる。これは一種の洗脳で、ラビは長年それに縋り付いていた。
 離れたいと心から願う一方で褒められたい、認められたいと思う気持ちもあった。

「ジュベールぐらい非道に慣れなきゃヒュドールは守れねぇ。わかるだろ?」
「アーバンの悲劇を繰り返させるわけにはいきません」
「だからお前には継がせねぇだよ」
「お、親父ィ! こいつ殺してくれ! 逃げた奴ら以外は全員コイツに殺られたんだ!!」

 アイリスとシャーレを撃ち殺しておきながらよく言う、と思ったが、否定はしなかった。最低でもこの二人は仕留めると誓った以上はここでの否定に意味はない。

「兄妹だけじゃ飽き足らず親殺しにまで堕ちるか」
「これは逃げ続けた僕の始末です。僕が戦争に出なければ──」
「ヒュドールはここまでにはならなかったってか?」

 先読みされた感情。ラビは極力、感情を表に出さないように堪える。

「お前はこう思ってるんだろ? 我慢して公務に出ておけば死神と呼ばれ忌み嫌われる事もなかったし、ヒュドールはこれほどまでに戦力拡大に力を入れなかった、と」

 図星だ。

「お前は一つ勘違いしている」
「勘違い?」
「お前のその力は誰かを守るためにあるのではなく、滅ぼすためにあるのだ」
「違う!!」
「ならお前はその力で誰を守った? 何を守ってきた?」
「僕はヒュドールを……アーデルを……」
「それは誰かを殺す事で守ってきたにすぎんだろう」

 彼のこういうところが嫌いで、嫌で、家から離れる事を選んだ。そうなのかもしれないと思い込まされそうになる彼の自信に満ちた発言で何度心折られたかわからない。
 自分で意思を持っても彼は簡単に打ち砕く。だから発言するのが怖くなった。

「守るなどおこがましい考えはやめろ。残った兄妹はジュベールだけだ。お前はアーデルを連れてヒュドールに戻れ」
「ジュベール兄さんの下につけという事ですか?」
「そうだ。ジュベールが指揮を取り、お前は今までどおり戦えばいい。女がいなくなった今、アーデルはヒュドールの第一王女になれるんだぞ。虐げられる心配もない」

 剣を握る手が震える。怒りが、憎しみが、嫌悪が腹の底から込み上げてくる。
 血の繋がりを口にしていた人間が、今更になって血の繋がりのない者を引き込もうとするその図々しさと厚かましさに吐き気がした。

『ラビ』

 優しい声でそう呼んでくれるアーデルをヒュドールに連れ帰るつもりなどあるはずがない。アイリスやシャーレがいなくともジュベールがいる。ルーカスがいる。それだけでここは最悪の国であり続ける。
 ルーカスはどんな状況下であろうと裏切り者を許すような性格ではない。もしここで屈せば徹底的に“教育”し直されるのは目に見えている。それによってアーデルの笑顔は失われる。ラビはそれが最も恐ろしかった。
 ドクン、ドクンと強く大きく打っていた脈が心に合わせて静かになっていく。怯えは必要ない。ここで彼に勝てばジュベールも討てる。ヒュドールは終わる。
 ヒュドールの国民へどう説明するか、今は考えない事にした。今は目の前の最大戦力にぶつかっていくだけだと息を吐き出し、声を張る。

「お断りします!」
「ならば死ね」

 答えは聞かずともわかっていた。ラビが欲しているのは継承権ではなく平和。心の安寧。それは決してヒュドールでは、ワーナー家では手に入らないもの。罰せられないために必死に剣を振り続けた男だ。手にした宝物を失わないためなら親をも殺すだろうとも。
 ルーカスも従わない者には興味がない。裏切り者に与えるは罰ではなく死。

「剣を使われるのですね!」
「対等であらねばな!」

 彼の辞書にそんな言葉があるのかと心の中で嫌味を口にしながらルーカスが抜いた剣に己が剣をぶつける。
 部屋には突風が吹き抜け、皇子と皇帝が交わす剣の音が響く。

「お前に剣を教えてやったのは誰か忘れたわけではあるまいな?」
「口を閉じなければ舌が飛びますよ!」

 ルーカスは武力の化身のように迫力があり、拳だけでなく剣術においても隙がない。ジュベールのように簡単ではないと覚悟はしていたが、隙が見えない相手と戦う事が初めてで、剣術だけは誰にも負けない自信があったラビにとって弾かれた剣技に思わず舌打ちする。
 圧倒。今の状況はその言葉が正しい。狭い部屋の中で距離を取り、息を吐き出した。

「どうした? まさかその程度ではあるまいな?」

 挑発には乗らない。命のやり取りの中で大事なのは感情を乱さない事。挑発に乗って計算外の行動を取った瞬間、死に魂を持っていかれる。だからラビは何も答えず、ルーカスから目を逸らさないまま呼吸を整えていた。

「俺がやった剣は斬れ味がいいだろう」
「申し分ないですね」
「最高硬度にして最高犀利の剣だ。戦場でしか生きられぬお前に相応しい贈り物であった」
「そこだけは感謝していますよ。これでなければあなたの首を刎ねるのは無理でしょうから、ね!!」

 床を蹴って一気に距離を詰める。ラビの剣を受け止めるルーカスの剣も同じ材質で出来ているのだろう。材質が悪ければ剣をぶつけた際に刃こぼれを起こすか、そのまま刃まで斬れてしまう。だが、ルーカスの剣はガキンッと鼓膜を突くような大きな音を立てて受け止める。

「死ぬ覚悟は出来ているか?」
「その言葉、そっくりお返ししますよ!」
「口も達者になったか。やはりアーデルと結婚させて正解だった。守るべき者がいれば人は強者にも弱者にもなり得る。お前は前者だ。初めて手に入れた者を守るためにその他全てを排除できてしまうのだからな!」

 体格が違う。背丈で負けてはいないが、体型は似ても似つかない。細身であるラビと筋骨隆々のルーカス。力比べでは負けてしまう。つばぜり合うだけ不利になる。押し負けるその一瞬が隙となり、その隙をルーカスは見逃さなかった。
 両手で握っていた剣から片手を離して拳へと変え、ラビの腹部へ放った。
 その迫り来る攻撃をかわし、同時に剣を振るって応戦する。

(恐ろしい人だ……)

 目は一瞬も離れていない。両手で剣を握って体重をかけるラビの押しをルーカスは片手で受け止め、あまつさえ拳を放った。あの拳が直撃していれば内臓破裂は避けられない。ほんの一瞬でも隙を見せれば殺される。それは戦っているラビだけでなく見ているジュベールでさえ感じていた。

(マジで親父を殺すつもりなのか……?)

 彼の剣技は気弱な性格とは裏腹に鋭さと的確さを持っていた。彼が死神と呼ばれるだけの実力者であることをジュベールは初めて認識する。
 剣の交差する音と共に戦いは続く丁々発止。
 ラビがルーカスに立ち向かう姿は逞しさと美しさを兼ね備えていた。相手は武力を具現化したような男、ヒュドールの皇帝。それでもラビに震えはなく、その目には強い意志が宿っている。

「死ぬのはテメーだッ!」

 ルーカス・ワーナーが死ねば王位継承権を持つ自分が皇帝になれる。だが、ヒュドールの中にはルーカスのやり方に反抗的な者も多い。ルーカスには死んで引退ではなく、生きて引退し、自分が皇帝として確かな権力を手にするのを見届けてほしいと頼んでいた。ここで殺されればその計画は潰える。それどころか自分も死ぬ事になる。ラビが最も恨んでいる相手が誰なのかジュベール本人が誰よりも理解しているのだから。
 そうはさせないと近くに落としていた銃を片手で拾い、そのまま横に構えて引き金を引いた。
 集中していない今なら殺れる。そう確信したジュベールだが、直後に目を見開く。

「グッ……!」
「親父ッ!!」

 ジュベールの目にはラビの剣がルーカスの腹を貫いているのが映っていた。
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