静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

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終わり

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「ガッ……ハ、ッ!」
「ッ!」

 ジュベールが発砲した事で一瞬の隙が生まれたのはラビではなくルーカスだった。ほんの一瞬でいい。相手を仕留めるにはほんの一瞬の隙さえあればどうにかなる。だが、ルーカスにはその隙が生まれなかったため苦戦していた。

「ジュベ……クソッ……」

 余計な事をした、と息子を睨む父親の嫌な覇気は消えていない。腹を刺され、腹部と口から血を吐こうとも膝はつかない。

(硬い……!)

 今まで斬ってきた誰よりも硬く、刃を反転させて致命傷を負わせようとするのに刃が動かない。舌打ちをしようとしたラビが突如吐血する。

「え……」

 驚いたのはジュベールだけ。ラビの表情は驚きではなく悔しげに見えた。

「どうしたラビ。完全に仕留めるんじゃなかったのか? 俺はこんな事じゃ死なんぞ」
「こんな、事では、ですよ、ね……」
「ッ!? ぐぁあッ!」

 浅い呼吸を繰り返しながら口端を上げて余裕を見せるルーカスの腕を掴んだラビはその場でルーカスの膝に当てた足に力を入れて膝をへし折った。
 骨が折れる鈍い音の後、ルーカスが膝をついた。筋肉は鍛えられても骨までは鍛えられない。曲がるはずのない方向へ力を入れられればどんな屈強な肉体を持つ人間でも勝てはしない。ましてや腹を貫かれた状態。膝を折られないために身体に力を入れようものなら刺さった刃で自ら傷を深めるだけ。
 均等さが失われたルーカスの身体が傾くと同時にラビは握ったままだった剣を抜いて横一線に剣を振った。

「……おや……じ……?」

 呆然とするジュベールは目の前で起こったその一瞬をまるで紙芝居でも読んでいるような気分だと感じていた。血を吐きながらも笑っていた見慣れた顔が消えたかと思えば、今は目の前に転がっている。父親の身体はラビが受け止めなかったため床に倒れた。ジュベールが触れようにも少し離れた場所にあるため歩かなければ触れられない。それなのに顔は目の前にある。簡単に触れられる距離に。
 何が起こった。どういうことだ。見ればわかる事なのに頭が理解しようとしない現実にジュベールはただその場に座って父親の顔を見ているしかできなかった。

「ごめんなさい、ジュベール兄さん。結局僕は犬死にはできませんでした」
「は……?」

 背を向けたまま話すラビにジュベールは父親の顔から目を逸らさないままでいる。

「覚えていませんか? 僕が公務の代わりに戦場に出る事になった日、僕に言ったじゃないですか。犬死にしろ、負け犬って」
「覚えてねぇ……」
「兄さんはいつも僕が死ぬ事を望んでた。でも本当は僕を殺したかった。剣の大会で僕に負かされたあの日からずっと……」

 振り向いてゆっくりと歩いてくるラビにジュベールが目を見開く。

「お、おま、お前それ……!」
「死ねなくて、ごめんなさい。兄さんにその姿を見せてあげられればよかったんですけど、もう無理ですね」
「ち、治療しに行けよ!!」
「もう一仕事終わらせたら行きます。これが最後ですから」
「し、死んじまうぞ!? いいのか!? アーデルが待ってるんだろ!?」
「これぐらいでは死にません。こんな痛み……兄さんから受けた傷に比べたら、ないも同然ですから……」

 腹に突き刺さったナイフはルーカスが愛用していたもの。剣ほど長くなくとも斬れ味は剣以上とルーカスは言っていた。隠し持つ物だからこそ仕留められる物を持たなければならないと。
 見ただけでわかる出血量。手で押さえようとそれだけでは止血できないほど深い傷だとジュベールは悟った。このままでは死んでしまうと訴えるもラビは剣片手にこちらへ歩いてくる向かってくる。
 足取りは深手を負っているとは思えないほど一歩が軽い。戦場、虐待と傷を受け続けたせいかとラビの痛みへの耐性にジュベールの顔が青に染まっていく。

「く、来るな! お、俺はヒュドールの皇帝だぞ!」
「僕はその皇帝の首を刎ねに来たんです。もう二度と武力なんかで世界を怯えさせないために」
「お、俺は変わる! 俺は親父とは違うんだ! 世界平和を望んでる!」
「人はそう簡単にはかわれないですよ、兄さん。僕が人を殺す事に心を痛めないようにね」
「な、仲間が大勢死んだんだぞ! お前のせいだ!」
「それもどうだっていい事です。僕にとって大切なのはアーデルだけですから」

 ここでアーデルを貶す事はできない。貶せばルーカスと同じ亡骸になるのは目に見えている。ジュベールは必死に考えていた。ラビを倒す方法、ではなく、ラビから逃げる方法を。

「兄さんだけは逃しません」

 ヒュッと喉が鳴った。喉が締まり、声が出ない。殺される。これは確定事項だ。

「兄さん、謝ってくれませんか?」
「は……な、なんて?」
「僕を虐げてきた事、謝ってもらいたいんです」
「も、もちろん謝る! 俺の謝罪でお前の気が済むなら何千回だって謝るさ!」

 震えて動かなかった身体が嘘のように土下座へと変わる。もはや本能でのみ身体が動いていた。ジュベールも幼い頃から父親に何度こうして土下座をしたかわからない。髪を掴まれて、殴られて、土下座して、謝って、泣いて──
 だけど、許しを請う事だけは許されなかった。長男であるが故に情けない言葉を口にするなと何度それで殴られたかわからない。褒められた事は少なく、失敗すれば『長男のくせに』と言われ、成功しても『長男だから当然』と言われる。剣の才能がないわけではなかった。ただ、ラビにありすぎたから、ないと判断された。善か悪か、是か否か。常に二択しか
存在しない世界で生きてきたルーカスの息子でいるのは辛かった。だからこそ特別枠である長男を盾にきょうだいたちに好き放題してきた。自分がそうされてきたのだから自分より後に生まれた人間が苦労しないのはおかしいと心の底からそう思うようになった。
 ラビが憎かった。孤児院で生まれた名前すらなかった汚い孤児が父親の気まぐれで皇族となり、苦労もなく皇子と呼ばれるようになった。そして間もなく【ヒュドール最強の剣士誕生】と新聞に書かれ、滅多に人を褒めない父親が上機嫌にラビを褒めた。
 ラビが来てから全てがおかしくなった。父親に『期待している』などと言われた事もないジュベールにとって、あの瞬間に感じた怒りはいつまでも燃え続け、鎮火できるものではなくなっていた。
 許していれば、と今になって大波が如く押し寄せる後悔に身体が震え始める。

「ラ、ラビ──」
「いつもどおり、ラビッシュと呼んでください」

 ラビの言葉にビクッと背中が跳ねる。

「ラ、ラビッシュ……お、俺が悪か──……」

 ボールのように地面を跳ねて転がったジュベールの顔。
 謝ってほしかった。嘘でもいいから謝罪がほしかった。だけど、実際に聞ける瞬間になったら聞きたくないと思ったのだ。謝られたからといって許せるはずがない。自分から謝罪を求めたのだから受けたら許さなければならない。
 止めるより先に手が動いた。もういいと言葉ではなく、強行できないように首を刎ねた。
 地面に転がったジュベールの顔は恐怖に染まっている。

「簡単、だなぁ……」

 彼への反発は剣を持てば容易い事だったのにと今ならわかる。でもこれはルーカスがいなくなったからできた事だ。ルーカスが生きていたら報復が怖くてできなかった。
 だけどこれでもう、報復する力を持った人間はいなくなった。ようやくラビの人生に心からの安寧が訪れる。

「帰ろう……」

 アーデルが待ってる。心配しているだろう。寝ていないかもしれない。
 帰ったらまずハグをして、謝って、キスをして、ひどい顔だと笑って叩かれよう。
 
「待ってて……」

 足が重い。腹部が熱い。奥からズキズキとした痛みが迫ってくるのを感じる。

「ちゃっかり、してる、なぁ……」

 腹部を貫いたのは同時だった。その瞬間、ルーカスは刃を縦から横に変えた。内臓の損傷を広げるためだ。ラビはそうしたくても彼の筋肉が硬すぎてできなかった。
 出血は一箇所だが、何発か拳を受けている。打撲程度ではなく骨がイッているのがわかる。確実に仕留めるつもりだったルーカスのやり方に思わず笑ってしまうラビは踏み出す一歩が重すぎる事に枷でもついているのではないかと思わず自分の足を見た。何もついていない。
 もう自分を縛る物はなくなった。自由の身だ。帰る場所もある。帰りを待ってる人がいる。帰ると交わした約束がある。それなのに足が動かない。

「帰ら、なきゃ……」

 壁に手をついてなんとか身体を支えるも踏み出す一歩の重さは変わらず、今度は瞼まで重くなってきた。

「アーデルが、待ってる……のに……」

 一歩踏み出すと体勢が崩れて床に倒れた。手を伸ばし、絨毯を掴んで身体を前進させるも床についた腹部に強烈な痛みが走り、表情が歪む。

「帰、る……から……」

視界が霞む。ここは敵陣。戦争はまだ終わっていない。立ち上がれ。剣を取れ。そんな鼓舞すらできず、ラビは帰りを待っているだろう最愛の人の笑顔を思い出しながら目を閉じた。


「アーデル」
「ラビ!?」

 ラビの声が聞こえた気がしてアーデルが慌てて振り返るも立っているのはヒースだった。

「ラビの状況は!?」
「城に入って以降の情報が確認できていない」
「そう、ですか……」
「大丈夫。彼は死なない」
「長引かなければよいのですが……」

 相手はヒュドールであり、ルーカス・ワーナー。一筋縄ではいかないだろうと分かってはいるが、一刻も早く帰ってきてほしかった。あの優しい声が聞きたい。疲れて帰ってくるだろう相手を抱きしめたい。
 ラビなら大丈夫。そう自分に言い聞かせながらも消えない不安に、アーデルは目を閉じ、再び祈り続けた。
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