静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

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目覚め

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「ん……」

 ラビが目を覚ました時、視界を覆ったのは見知った天井だった。

「……なん、で……」

 声が掠れている。起き上がろうとすると腹部に激痛が走り、顔を歪ませた。

「ラビ!?」

 目が覚めている事に気付き、開いたばかりのドアのすぐ側でガラスが割れるような音がした。視線をやると花瓶だった物とそれに入っていた花が床に散らばっている。
 ベッドに駆け寄って顔を覗き込まれるとラビが目を細め、そのまま閉じた。

「シャン、ディ……」
「私がわかるのね!? よかった!」

 まだ生きている。そう実感できる事はありがたいが、目覚めてすぐ見た顔がアーデルではなくシャンディである事に心底落ち込んだ。
 腕で目を覆ってゆっくりと長い息を吐き出すラビの手をシャンディが握る。

「水飲む?」

 喉がカラカラに渇いている。手伝ってもらいながら少しだけ起き上がり、グラスに入れられた水を飲む。少し咳き込んでしまうが、全部飲み干すとシャンディが少し涙ぐんだ。

「よかった……! もう、起きないかと思ったんだから……」
「ぼ、く……どう、やって……」

 廊下で倒れたまでは覚えている。顔に劇薬を受けた日以来の激痛に朦朧としていたのも。なぜシャンディの家にいるのかまではわからない。
 掠れた声で問いかけるラビにシャンディが再び手を握って答えた。

「あなたがここに入って行くのを見てから居ても立っても居られなくてお城に入ったの。そしたらほとんどの人が……」

 死んでいた。口を押さえるシャンディにとってあの光景はトラウマでしかないだろう。それでもシャンディは前に進んだ。そして倒れている自分を見つけたという事か、と推測した。

「お城の中にはほとんど人はいなくて、廊下にあなたが倒れてた。出血がひどくて、何回呼びかけてもあなたは反応しなかった。急いであなたを家に運んで医者を呼んだわ」
「君が……?」
「使用人を数名連れて行っていたから運ばせたの」
「危ないよ……」
「わかってる。だけど……相手はあの皇帝よ。無事では済まないと思ったの。あなたが死んじゃったらって、心配で……」

 大粒の涙を流すシャンディにラビは感謝を伝えた。

「あなたの身体は毒に侵されてた。あなたの家中探して解毒薬を見つけてすぐ治療にかかったの。だけど……」
「もういいよ。ありがとう、シャンディ」

 その先は聞きたくなかった。ルーカスのナイフで刺されたのだ。ましてや毒というオマケ付き。念には念を。それがルーカスだ。アイリスの毒を使ったのだろう。ルーカスのナイフというだけでも大事。そこにプラスαでアイリスの毒となればタダでは済まない。

「こうして生きてるだけで感謝しないと」

 掠れた声はか細く、静かでなければ聞き取れないだろうほど。それでもラビの表情は穏やかだった。

「丸一ヶ月、あなたは目覚めなかったのよ」
「一ヶ月!? いッ!!」
「ダメ! ジッとして!!」

 耳を疑う言葉に声を張った瞬間、目が飛び出るのではないかと思うほどの痛みに襲われ、背中をクッションに押し付けた。
 目を見開き、浅い呼吸を繰り返しながらラビは何度もその言葉を頭の中で繰り返す。

(一ヶ月……? 一ヶ月? 一ヶ月も……)

 あれから一ヶ月も経っている。信じられない。

「状況、は……?」
「ヒュドールは混乱に陥ってるわ。ルーカス皇帝とその家族の死が確認された事は大きく報道されたから。誰が率いていくのかって貴族達が集まって、そこでも醜い争いが続いてるみたい」
「ルスとアステルは? 陥落したとか、燃えたとか、そういうの、ない?」
「特に何も」

 それが本当ならいい。安堵の息を吐き出すラビの手をシャンディが軽く揺らす。

「あなたの身体は以前のようには動かないと思うって医者が言ってた」
「……どのぐらい回復する?」
「わからないけど、戦場で駆け回るのはもう無理だろうって」

 そんな必要はもうないからいいとラビは静かに頷く。駆け回れなくてもいい。戦争はもうしない。ルスもアステルも戦争参加は表明していないのだから。

「リハビリをすれば歩けるようになるかもしれないけど、走れるようになるのはずっと先かもしれないって」

 一ヶ月も寝たきりだったため身体が重たく感じる。でも、ラビは一刻も早く動きたかった。

「何してるの!?」

 動こうとするラビをシャンディが肩を押して止める。

「アステルに行かないと……アーデルが待ってるんだ……」
「今は無理よ! 動かせない! 声を張るだけで痛いのにどうやって立つのよ!」
「アーデルが心配してる。帰るって約束したんだ」
「私が手紙を送ったから大丈夫!」
「返事は来た?」
「わかったって返事が来た」
「見せて」

 シャンディが悔しげに唇を噛む。ラビの中にいるのは自分ではなくアーデル。自分の言葉などこれっぽっちも信用していないのだと俯いて表情を隠す。
 助けたのは自分なのにどうして、と拳を握るシャンディがどんな顔をしているのか、見なくてもラビにはわかる。

「シャンディ、君には感謝してるんだ。君が来てくれなかったら僕はあのまま死んでたと思う。でも君が来てくれたから僕は助かった」
「今帰ってもあの子に迷惑かけるだけよ。あの子に付きっきりで看病してもらうの? 今のあなたの姿を見せたら彼女はあなたを行かせた事を後悔するし、あなたの現状を悲しむわよ。元気になった姿を見せてあげたほうが絶対に良い」
「シャンディ」
「手紙を書けばいいわ。ここでリハビリをして、元気になったら帰るって。生きてるって事をあなたの字で知らせればきっと安心して待っててくれるわ」

 シャンディが手紙を書いていない事ぐらいわかっている。ここで手紙を書いて託したところでアーデルには届かないだろう。そんな事もラビには透けて見える。
 彼女は結局変わっていない。自分がこのまま居座り続ければきっとまた依存が始まるだろうとラビはかぶりを振った。

「ラビ、よく聞いて。あなたの傷は深いの。ただ刺されただけじゃない。毒による後遺症がある。あの子じゃ支えきれない。きっと泣いてばかりいてあなたに罪悪感を抱かせるのよ。私は耐えられる。あなたを支えられるわ。だって、あなたが辛い時に支えたのは私だもの。あの子じゃない」

 それでもかぶりを振るラビにシャンディが声を張る。

「きっと、泣くと思う。声を上げて泣くだろうね」
「ほらね! 一番辛いのはあなたなのに自分が一番辛いみたいに泣くなんてそんなの──」
「でも、それは僕の前じゃない」

 言い切った事に眉を寄せるシャンディに向けるラビの笑顔は穏やかで優しいものだった。

「アーデルはそういう子なんだ。リハビリを受ける僕を彼女は励ましてくれる。申し訳なくなったら僕が、僕なんかのためにって言ったら彼女はすぐに袋を持ってきて言うんだ。罰金です、って。そのために僕はいつも硬貨をポケットに入れてる。そんな瞬間が僕にはとても幸せなんだ」
「そんなの、あなたの性格を罰金で矯正させようとしてるだけじゃない! あなたしか罰を受けないようになってる!」
「そんな事ない。彼女も罰金を入れる。一日一個って決めたケーキを二個食べたら罰金。いつもより多めに作ったから食べちゃわないとって状況に持って行くために多めに作ったら罰金。一日三回以上溜息をついたら罰金。ほとんど僕だけど、アーデルも少し入れるんだ」

 シャンディにとってはあまりにもくだらない罰金制度。でも、それを語るラビの顔はそれを慈しむようなもので、涙が出そうになった。
 どうして自分といる時はそんな笑顔を見せてくれなかったのか。どうして彼女なのか。たとえアーデルがラビの過去を聞いていたとしてもそれは過去の話であり、自分は当時のラビの様子を知っているし、支えてきた。それなのに選ばれたのは自分ではなくアーデル。
 突き放されてから何十回、何百回と考えた。でも自分を納得させられるだけの答えは出ない。

「シャンディ、ごめんね。助けてくれてありがとう」
「お礼言うなら元気になるまでここにいてよ……」

 苦笑を見せるラビを見るだけでシャンディは自分の気持ちが整っていくのがわかった。

「君が僕にこだわってる時間はすごくもったいないと思う」
「だって子供の頃からずっとラビ・ワーナーが好きだったんだもの」
「ありがとう。だけど、僕は──」

 待って、とシャンディが言った。口を閉じたラビがシャンディを見る。
 言おうとしている言葉がわかっているから聞きたくなかった。わかっている事だとしても、もう一度ラビから聞くのは耐えられないと強く手を握るシャンディが泣きじゃくる。
 それでもラビはシャンディの手を握り返しはしなかった。

「ごめんね」

 その一言に含まれた意味が多すぎてシャンディは何も答えなかった。
 帰りたいと強い意思を持つラビをこれ以上引き留めておくことはできないとわかっていたから。
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