十歳で運命の相手を見つけた少年は小さな幸せを夢見る

永江寧々

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彼らも

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 ティニーたちも貧乏だった。トラッシュ通りで暮らす人間はこぞって『ガーベージに生まれなくてよかった』と言うが、所詮は貧乏人の集まり。彼らとて都市部に出て働くことのできない人間だ。それでも人間は上を見て指を加えるより下を見て嘲笑したがる生き物だとディルは知っている。ジョージの表情からはそうした感情が読み取れる。ジョージのそうした表情はジンによく似ていて不愉快だが、ジョージのような人間に感情のままに反論すると面倒なことにしかならないとわかっているため何も言わないでいると先に彼が口を開いた。

「お前、親は?」
「いない」

 家族は、と聞かれたらどう答えようか迷っただろう。彼らに妹がいる話はしたくない。極力、自分の情報を渡したくなかった。だが、ジョージは警戒するディルの心配などどうでもいいかのように言葉を続ける。

「俺の親父はクズだった。昼間は人にペコペコ頭を下げながら真面目に働くくせに夜になると酒を飲んで暴れる。叫ぶだけならまだいいが、椅子を振り回して壁にぶつけて壁も椅子も壊れる。そこから吹き込む雨と風にまた苛立って暴れる。酒がなくなると瓶片手に外に出て隣家の壁に投げつけるのも習慣になってて毎日隣人と喧嘩してた。酔っ払いに真面目に怒ることほど馬鹿馬鹿しいことはねぇってのに隣のジジイも根気強く怒り続けてたな」

 懐かしそうに目を細めるジョージの言い方は隣人がもう怒れないような言い方に聞こえる。父親をクズ『だった』と言った時点で彼にとっては全て怒りではなく過去として懐かしむものに変わっているのだと感じさせる。離れられたのだから当然かとディルは視線を外さないまま話に耳を傾けた。

「二人で仲良しこよししてりゃ良かったものをジジイは溜まりに溜まった鬱憤を俺にぶつけるようになった。嫌ならどっかそこら辺の家からドア奪って防御柵でも作れって言ったら殴ってきやがってよぉ。あれはムカついたね。首まで棺桶に入ってるジジイのくせにこんな若いイケメンの顔に傷作りやがって。強盗より犯罪だろ」

 自分の顔を触ってディルにイケメンを披露するかのように視線を向けるジョージよりも隣で微笑みながら聞いているティニーのほうがずっと綺麗な顔をしているとディルは心の中でだけ思った。

「それからジジイは俺を殴るようになった。拳や杖、ときには蹴りもした。俺もまだガキだったからそれに怯えることしかできないかわい子ちゃんだったんだよな」

 絶対嘘だとディルは目で伝える。

「マジだって。だってまだ十二歳だぜ? 可愛い盛りだろ。お前、歳は?」
「十五」
「ほらな?」

 何がほらな、だと声を出さずに顔で訴えるディルの横でティニーが小声で「ごめんね」と謝る。

「近所の奴らは俺が殴られてるって知っんのに誰も助けてくんなかった。誰も俺らに関わりたくなかったんだよな。酔っ払いに怒鳴り続け、ガキを平気で暴行するジジイと酔っ払うと昼間は気が弱いくせに酒を飲むと化け物になる男がいる家庭のガキなんかに」

 トラッシュ通りはガーベージよりマシな環境にあるが、所詮は国から淘汰された場所。集まる人間は皆同じ。身を挺してまで助けるなんて偽善者はおらず、皆が見て見ぬふり。そして口々に同じことを言う。

『可哀想にね』と。

 同情はしない。貧乏人が集まる街なんてどこも同じだと思っているから。

「でも俺は助けてもらえるなんて期待はしてなかった。誰も助けてくれないってわかってたからな。期待なんてもんは母親が俺を置いて逃げ出した時点で捨てたんだ」

 いつの間にか帰ってこなくなった父親の代わりに傲慢と化しても子供を最低限の養いを続けていた母親はまだマシな人間だったのだろうかと考える。

「だから俺は自分にできることをやったんだ」

 何をしたか聞けと目で訴えてくるジョージにディルは「何したんだよ」と問いかけた。

「オイルランプパクってぶちまけて火ぃつけた」

 そう答えたジョージの笑顔がまるで純粋な少年の笑顔のようにキラキラしていたからディルは思わず目を瞬かせる。
 彼にとってマダムシンディの所に来たことで過去を過去のことと水に流したわけじゃない。自らの手で疎ましい過去を終わらせたから笑顔で語れていただけだったと異常性さえ感じさせるその笑顔からスッと目を逸らした。

「マッチが起こす火なんてこんな小せぇのによく燃え広がるよな。あれには感動したなぁ」

 恍惚とした表情を見せるジョージの狂気を訴えるようにティニーを見ると苦笑している。これが普通の反応だと安心していたが、ふと思い出した幼い頃の記憶。

「待って。俺が子供の頃、トラッシュ通りで大規模な火事があったけど……」

 まさかと目を見開くディルにジョージが「正解」と笑みを深める。

「ゴミの焼却だって言われたあの火事は俺が起こしたんだ。歴史に残る大火事だぜ」

 ガーベージまで届くことはなかったが、トラッシュ通りは全て焼け野原と化したほど大きな火事だった。都市部まで燃え広がっては困ると大勢の人間が消化活動に出た。鎮火するまでの間『なんでゴミのために俺たちが!』といった怒声が響いていたと野次馬に行っていた大人たち言っていた。その原因が、諸悪の根源が目の前にいて、それを後悔することなく歴史に残ると両手を広げて笑っている。異常だ。異常だが、人に飼われて生きるには異常にならなければ耐えられないのかもしれないとそれには少し同情した。彼らもきっと自分と同じようにどうしようもない状況下で飼われているのだろうから。

「でもよ、それからの人生もあんま良いもんじゃなかったわけよ」
「だろうな」
「そこはどうやって生きてきたんだ?だろ」
「聞かなくても勝手に話すだろ」
「まあそうなんだけど」

 のぼせそうだと一度湯船から身体を出して大理石の床の上に直接腰掛けると交代するようにジョージが鼻の下まで湯の中に入った。ぶくぶくと音を立てるジョージに向かってティニーがダメだと首を振る。チッと舌打ちこそ聞こえないものの顔でそれを表現していた。
 湯から顔を出して髪を掻き上げオールバックにしたジョージが話を続ける。

「世の中結局は金なわけよ。どんだけ真面目に働いても微々たる額しか稼げねぇ不満を親父は酒で晴らしてた。幸い、俺を殴ることはなかったけど、俺は大事な物をたくさん奪われたから俺も奪ってやったんだ」
「命か?」

 ディルの問いにキョトンとした顔で目を瞬かせたあと、浴室に響き渡るほどの大声で笑い始めた。湯を叩いては湯の中で足をバタつかせ、ヒーヒーと苦しげに笑う。

「そうだよ! その通りだ! 俺はな、可愛くて優しい子供だったからペコペコするしか能がねぇ昼間の親父と酒に溺れて暴れるしか能がねぇ化け物を同時に退治したんだ! これは救いだよ! そのついでに隣のジジイも毎日の苛立ちから救ってやったんだ! どうせもうじきお迎えが来る予定だったんだから少し早まるぐらいいいだろ! 俺は救世主になったんだ!」
「で、金目当てでマダムに飼われることにしたって?」

 ディルの問いでジョージの笑顔が消える。
 
「そんな楽に生きれたわけねぇだろ。金の集まるとこに行ったんだよ」
「どこ?」

 トラッシュ通りは燃えてしまった。金がなかった場所に金が集まるわけがない。だが、ガーベージにはジンのような人間もいる。金が集まらないと断言はできなかった。

「ギャングだよ。規模は小さかったが、それなりに金は持ってた。ギャングじゃ成功すりゃ全てが手に入るって。俺は負け組のまま終わりたくなかったからな」
「可愛くて優しい救世主様がまさかギャングに入るとは」

 つい口から出てしまった嫌味にジョージが笑う。

「ガーベージの人間らしいじゃねぇか。ただの良い子ちゃんだと思ってたぜ。なあ、ティニー」
「そうだね」

 良い子なんかでいられるはずがない。良い子なんかじゃない。良い子であるはずがない。もう、良い子と呼ばれることもない。良い子じゃなかったと笑われることに心が救われる日が来るなんて思ってもいなかったディルは無意識に笑っていた。

「でもな、やっぱ人生思いどおりにならないもんで上手くいかなかったよな。毎日毎日使いっ走り。抗争に出してもらえりゃ幹部の一人や二人殺す自信もあったのにダメだった。そのくせくだらねぇ使いっ走りはさせる」
「また殺した?」
「俺を殺人鬼みたいな言い方するんじゃねぇ。金盗んで逃げただけだ」

 引くようなことではない。ガーベージで生きていれば強盗は当たり前。そしてそれで死ぬのも当たり前。人の物を盗んだのだから殺されて当然。盗まれたのだから殺して当然の意識が根付いている場所で生きてきたディルは驚かず納得したように頷くだけ。

「あんときは殺されると思ったね。大人がガキ殺すための武器片手に追いかけてくるんだぜ。せっかく大金担いで逃げてんのに使わず死ぬなんてごめんだって必死に逃げた」

 ディルにはわからない感覚だった。
 十歳のとき、広大な野菜畑の中から生で食べられる野菜をと選んだキャベツを二つ持っていこうとして見つかった。あの瞬間、殺されると覚悟をしたのを覚えている。そのときの恐怖もその後の喜びも……。
 ジョージは人に優しくされなかったからそれを悪いことだと思わなかった。金に執着していたジョージにとって担いだ金は自分の人生を変える物で、これで人生を変えると決めた物でもあった。

「でも子供の体力なんか知れてるだろ? 足に痛みが走ってヤバいって思いながらガキだけが通れる細い道を抜けた所にマダムがいたんだ」
「偶然?」
「さあな」

 そんな偶然あるだろうかと首を傾げる。

「でもそんなことはどうだってよかった。大事なのは金を持ったまま逃げ切ること。マダムはそれに手を貸してくれたんだ。車のドアを開けて『あの男たちから逃がしてあげようじゃないか』って言ってな」
「罠だったかもしれないのに」
「死ぬしかねぇ状況の中で助かるかもしれねぇ道があるのが見えたらそっちに行くだろ。そっちに行っても結局は死ぬんだとしても俺をバカにしてコキ使うだけ使って金を払わなかったゴミどもに殺されるよりは良いはずだって思ってたからな。でも警戒しなかった理由はそれだけじゃねぇ」
「他に何が?」
「鞄の中には」

 銃を構える真似をしてバーンッと効果音を口にしながらディルを撃った。

「入ってたからな」
「取り出して撃つまでに殺されると思わなかったのか?」
「思わなかった」
「ジョージはそこまで考えてなかっただけだよ」
「オレもそう思った」

 同じだと頷くディルにジョージが湯をかける。目を閉じたまま顔に滴る湯を手で払ってジョージにやり返すとティニーが二人から距離を取る。

「それから俺はずっとここにいる。ここには金がある。上手くやってればなんでも手に入るんだぜ」
「オレは契約が終わったら帰る」
「契約に終わりなんかあんのか?」

 きっとないだろう。あったとしても稼げなくなるまで。稼げなくなったらジンは全てをなかったことにして開閉してしまうだろう。十歳のディルがしたことも、あの頃のディルを守ろうとしたジルヴァのことも、ジルヴァの秘密も、何もかも。
 そのとき、自分はどうするだろう。どう感じるのだろう。耐えられるだろうか? 湯をかけるのをやめてぼんやり考えていたディルの顔にまた大量の湯がかかった。

「やめろ!」
「ティニーの人生聞いてやれよ。目玉飛び出るぞ」
「そんな大した人生じゃないよ。ギャングに入ったりしなかったしね」

 でもジョージと一緒にここでマダムに飼われている。顎の下を撫でられて恍惚とした表情を浮かべていたのを覚えている。ティニーはジョージよりもまともそうだが、だからといって何も知らないまま接するよりは知っていたほうがいいかと思い「ティニーの人生はどんなだった?」と問いかけた。
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