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形だけの
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「なんで僕がこんなこと……」
“ユズリハ邸”の前に立ちながらぶつくさ文句を繰り返すこと三分、ハロルドはまだ門を叩けないでいる。
あれから何度か『食事に誘ったか?』と聞かれること四回。まだですと答える度に次の問いかけ時の声色が変わっているのを感じ、五回目はないと察してここにやってきたのだが、一緒に食事などしたくはない。和の国の粗末な食事など口にしたくもない。でも帰ることもできない。この状況もきっと窓から見ているだろうから。
「入らないんで?」
「うわあっ!! ビ、ビックリするだろ! 急に開けるな!」
「そんなとこで気配出されたままじゃ気が散るんで帰るか入るかしてもらっても?」
帰れと言いたげなシキにムッとしたハロルドはそのまま中へと入っていく。
玄関で靴を脱いで居間まで行くと一度足の裏を見て汚れがないかを確認するも汚れはない。
「こんな時間にどうした?」
冷静な女であることは認める。テーブルの上に広げて読んでいた本に栞を挟んで閉じると崩していた足を正座に戻してハロルドが持っているトレーを置けるように片付けた。
ユズリハの後ろに回ったシキは使用人でありながら片付けを手伝うこともハロルドが持っているトレーを受け取ろうともしない。
「祖父がお前と一緒に飯を食えって持たせたんだ。わざわざ僕に運ばせたんだぞ」
「飯はもう食うてしもうた」
「は……?」
驚きに思わず時間を確認した。
「まだ夜の七時だぞ?」
「わらわは夕餉は五時と決めておる」
「五時!? 僕が学校から帰る時間だぞ!」
「遅くまで大変じゃな」
「これどうするんだよ……」
そんな早くに食事をするとは祖父も聞いていなかったのだろう。聞いていれば休日に会いに行かせるはずだ。
「持って帰って暴君に言えばいい。婚約者は五時に食事を終えるから一緒に食事はできない、とな」
「なら休日にって言われるだろ」
「休日は嫌か?」
「……僕は普通の食事が好きなんだ。誰が好き好んで和の国の料理なんか食べるかよ」
「ならこうも付け足せばよい。食事は一人でしたいと断られたとな」
ユズリハが言えと言ったのだから真実を告げ口されることはないが、ハロルドは不思議だった。
「お前、怒らないのか?」
「なぜ怒る?」
「僕たちの関係は形だけだとしても嫌がられると腹が立つだろ」
いつもユズリハは笑顔を見せる。ハロルドが何を言おうと笑顔で対処する。失礼だ、なら顔を見せるなと怒ることもできるし、それはウォルター・ヘインズを味方につけている譲羽の特権とも言えるものなのにユズリハは怒らない。
聡明と言った祖父の言葉がハロルドにユズリハは今は我慢しているだけでいつか大逆転を狙っているのではないかと変な勘ぐりを起こさせてしまう。
「人には人の感情がある。そなたは思ったことを言っているだけのこと。それはそなたの感情であり、わらわが止めることではない。そなたはそう思っているのだと受け止めておるだけのこと」
わからない。ハロルドはそう受け止めることはできない。嫌なことを言われれば腹が立つし、怒る。唯一祖父にだけ怒れないが、これは受け止めているのではなく我慢しているだけ。
自分の感情と他人の感情が違うことはわかっているが、だからといって何を言っても怒らない人間と受け止められて好き放題言われたくはない。
「そなたさえ良ければここで飯を食うて帰るのはどうじゃ? すぐに帰っては怒られるのじゃろう?」
「……そうする」
食べ終わっているのだから強制はできなくても食べながら話をするぐらいはできただろうと責められる可能性もある。
もう祖父に褒められたいとは思わないが、怒られたくもない。
渋々食べることにしたハロルドは自分の分だけテーブルに並べて食べ始めた。
「お前は? 飯食ったのか?」
「俺はお嬢と食べることにしてるんでね」
「使用人が主人と一緒に食事を許されてるなんて和の国は随分と上下関係の薄い国なんだな」
あえて攻撃的な言葉を使ってみてもユズリハは笑顔を崩さない。
「二人しかおらぬ中で使用人も主人もない。シキとわらわは友なだけじゃ」
「運命共同体だしな」
二人は既にデキてるんじゃないかとハロルドは思ったが、実際そんなことはどうだっていい。縋りつかれるよりマシと考えればここに足を運ぶのもそれほど重くはない。いつか好きになられたらと考えるほうがずっと重かった。
「……お前は僕に片想いの相手のことを聞くけど、お前は国に好きな男とかいなかったのかよ」
「おらぬなぁ。和の国では女は学校には通わぬ故、接触できる異性は限られておる。使用人か、家にやってくる商人ぐらいじゃが……わらわの家が商家だったからなぁ。異性とは縁がなかった。使用人もほぼほぼ女で、異性と言えばシキと庭師ぐらいか。庭師はウォルターぐらいの年齢じゃったしのう」
思い出しているのか指折りながら何かの数を数えている。
カカッと女性にしては品のない笑いをこぼしたことでハロルドが嫌悪感を滲ませる。できるだけ顔には出さないようにしようと考えても出てしまう。
「言葉は祖父から教わったのか?」
「家庭教師がついた。異国の女性じゃ。そなたのように金髪で美しい女性じゃった。十五になったら海を渡って嫁に行くと聞かされ、物心ついた頃には家庭教師が住み込みで家族のように過ごしていた」
祖父と話す際、訛りのない現地の人間のように流暢に話すと思った。両親は言葉は話せるのかと心配していたが、祖父が問題ないと言っていた理由もこれでわかった。
「異国の男との結婚は嫌じゃなかったのか? 向こうで好きな奴ができる可能性だってあったはずだ」
「そなたの祖父は良い奴じゃ。悪いようにはせんじゃろうと思うておったし、十五までに好きになる相手も現れなんだ。結局は深く考えておらなんだだけじゃが」
「後悔は?」
「ない」
言いきったユズリハの瞳に揺れはない。物心ついたときから聞かされていれば自分だってそう言えたかもしれない。子供の頃に聞かされていれば嫌だと泣いて抗議していたかもしれない。そうすれば何か変わっていたかもしれない。あまりにも脆すぎる期待だが、そんなことを考えてしまう。
自分とユズリハでは覚悟が違う。十五年ずっと受け入れてきた人間と迎え入れる前日に突然告げられた人間。片方は想い人もおらず、片方は片想い中。
その瞳を見ているとハロルドのほうが動揺してしまう。
「恋愛結婚も政略結婚も極端に言えば結婚という形は同じ。和の国では十一で嫁に行くことも珍しいことではない。そう考えるとわらわは十五まで親の傍にいられて、嫁いだ先ではこのように素晴らしい環境を用意してもらえた。これで不満を持てというほうが無理な話よ」
「…………夫になる男にもか?」
キョトンとした顔を見せるユズリハにハロルドは自分でも何を聞いているんだとは思った。だが、ユズリハが笑顔なのが気持ち悪いと感じ、本音を知りたいと思う気持ちが先走ってしまったのだ。
咳払いをするハロルドがチラッとユズリハを見るとユズリハは急に大声で笑い始めた。
「はっはっはっはっはっはっ! それはない。会ったこともない相手を即座に受け入れて愛を語る男のほうが信用ならぬし気持ちが悪い。そなたの反応は何もおかしなことではないのじゃ。そなたの祖父が孫にはギリギリまで話すつもりはないと言うておった故、こうなることは容易に想像がついておった」
悟りでも開いているのかと思うほど全てを受け入れ穏やかに語るユズリハにハロルドは複雑な心境だった。
彼女はこれから死ぬまでここでシキと暮らすことになる。形だけの夫を持ち、子供を授かることもなく人生を終える。それさえも覚悟の上なのだろうと不憫にさえ思えた。
だが、不憫に思ったところでユズリハを愛することはできない。どうしたって相性が悪いと感じてならない。
「お前も……さ、誰か好きな男ができたら愛人にするといい」
「おやまあ、そなたは寛大な男じゃのう。わらわの国では女が愛人を持つなど許されることではないぞ」
「金や権力を持つ者の愛人は禁じられていない」
「女もか?」
「ああ」
「そうか。では、そのときはそうさせてもらおう」
形だけの夫に操を立てる必要はない。愛どころかなんの感情もないのだから遠慮する必要などないのだ。祖父からはひ孫が楽しみだと言われたわけでもない。期待しているとも言われていないのだから任せるつもりなのだろう。
ヘインズ家の跡取りを作るのはは長男である兄の仕事であって弟の仕事ではない。それこそ和女と子供を作るなど想像さえしたくないことだった。
「片想いは実りそうか?」
「まだこれからだ。今日話した感じだと両想いだけど」
「なら次は髪飾りでも贈るか?」
「まずは花だろ」
「花、か?」
怪訝な表情を見せるユズリハが見たのはハロルドではなく後ろで待機するシキ。鼻で笑ったわけではないが花だと言ったハロルドを馬鹿にしたのだろう小さな笑みを浮かべて緩く被りを振った。
「花を贈るのは常識だぞ」
「そうか。なら次は花じゃな」
「花もらって喜ばない女がいると思ってるのか?」
「わらわが女であれば、じゃが……花は喜ばぬ」
「なら庭に植えてる花はなんなんだよ」
庭に咲き誇る花を指差すハロルドに「ああ」と声を漏らしたユズリハが顔を庭へと向ける。
「花は眺めるだけでいい」
「もらったことがないからだろ?」
「それもあるが、咲いておるものをわざわざ切る必要などなかろう」
気まぐれに花束をプレゼントしたところで喜ばなそうだと先に知っておいてよかった。せっかくプレゼントしたのに喜ばず「わざわざ」とでも言われれば今より更に嫌いになる自信がある。
「喜ぶとよいな」
やはりわからない。
「婚約者の恋を応援するのか?」
「形だけだと言うのはそなたじゃぞ?」
「そうだけど、それでも……」
嫉妬しないのかと聞いているようで急に恥ずかしくなり、急いでかきこんで皿をトレーに戻した。
「帰る!」
「ウォルターによろしく言ってくれ」
急いで帰るハロルドにユズリハは笑うが、シキはあまり良い顔をしてはいなかった。
「あんなクソガキに嫁ぐことになるなんて前世でどんな悪行を重ねればそうなるのかねぇ」
「悪い男ではない。そうカリカリするな」
「ああいうクソガキは嫌いでね」
「わらわのこともクソガキと言うではないか」
「だから嫌いだって言ってんでしょ」
「そなたも前世で悪行まみれじゃったということか」
「どうやらそうらしい」
ようやく表情が和らいだことに安堵し、ユズリハはシキに茶の準備を頼んで片付けていた本をテーブルの上に再度広げた。
気を遣っているわけではないが、人が来ると家の雰囲気が変わって落ち着かなくなる。
嫁いできた自分よりも祖父から圧をかけられているハロルドのほうが大変だろうと同情さえしていた。
申し訳ない気持ちはあれど婚約を破談にすることはできない。
これは二十年も昔に交わされた決定事項なのだ。
形だけでもいいから我慢してくれ、と心の中で謝った。
“ユズリハ邸”の前に立ちながらぶつくさ文句を繰り返すこと三分、ハロルドはまだ門を叩けないでいる。
あれから何度か『食事に誘ったか?』と聞かれること四回。まだですと答える度に次の問いかけ時の声色が変わっているのを感じ、五回目はないと察してここにやってきたのだが、一緒に食事などしたくはない。和の国の粗末な食事など口にしたくもない。でも帰ることもできない。この状況もきっと窓から見ているだろうから。
「入らないんで?」
「うわあっ!! ビ、ビックリするだろ! 急に開けるな!」
「そんなとこで気配出されたままじゃ気が散るんで帰るか入るかしてもらっても?」
帰れと言いたげなシキにムッとしたハロルドはそのまま中へと入っていく。
玄関で靴を脱いで居間まで行くと一度足の裏を見て汚れがないかを確認するも汚れはない。
「こんな時間にどうした?」
冷静な女であることは認める。テーブルの上に広げて読んでいた本に栞を挟んで閉じると崩していた足を正座に戻してハロルドが持っているトレーを置けるように片付けた。
ユズリハの後ろに回ったシキは使用人でありながら片付けを手伝うこともハロルドが持っているトレーを受け取ろうともしない。
「祖父がお前と一緒に飯を食えって持たせたんだ。わざわざ僕に運ばせたんだぞ」
「飯はもう食うてしもうた」
「は……?」
驚きに思わず時間を確認した。
「まだ夜の七時だぞ?」
「わらわは夕餉は五時と決めておる」
「五時!? 僕が学校から帰る時間だぞ!」
「遅くまで大変じゃな」
「これどうするんだよ……」
そんな早くに食事をするとは祖父も聞いていなかったのだろう。聞いていれば休日に会いに行かせるはずだ。
「持って帰って暴君に言えばいい。婚約者は五時に食事を終えるから一緒に食事はできない、とな」
「なら休日にって言われるだろ」
「休日は嫌か?」
「……僕は普通の食事が好きなんだ。誰が好き好んで和の国の料理なんか食べるかよ」
「ならこうも付け足せばよい。食事は一人でしたいと断られたとな」
ユズリハが言えと言ったのだから真実を告げ口されることはないが、ハロルドは不思議だった。
「お前、怒らないのか?」
「なぜ怒る?」
「僕たちの関係は形だけだとしても嫌がられると腹が立つだろ」
いつもユズリハは笑顔を見せる。ハロルドが何を言おうと笑顔で対処する。失礼だ、なら顔を見せるなと怒ることもできるし、それはウォルター・ヘインズを味方につけている譲羽の特権とも言えるものなのにユズリハは怒らない。
聡明と言った祖父の言葉がハロルドにユズリハは今は我慢しているだけでいつか大逆転を狙っているのではないかと変な勘ぐりを起こさせてしまう。
「人には人の感情がある。そなたは思ったことを言っているだけのこと。それはそなたの感情であり、わらわが止めることではない。そなたはそう思っているのだと受け止めておるだけのこと」
わからない。ハロルドはそう受け止めることはできない。嫌なことを言われれば腹が立つし、怒る。唯一祖父にだけ怒れないが、これは受け止めているのではなく我慢しているだけ。
自分の感情と他人の感情が違うことはわかっているが、だからといって何を言っても怒らない人間と受け止められて好き放題言われたくはない。
「そなたさえ良ければここで飯を食うて帰るのはどうじゃ? すぐに帰っては怒られるのじゃろう?」
「……そうする」
食べ終わっているのだから強制はできなくても食べながら話をするぐらいはできただろうと責められる可能性もある。
もう祖父に褒められたいとは思わないが、怒られたくもない。
渋々食べることにしたハロルドは自分の分だけテーブルに並べて食べ始めた。
「お前は? 飯食ったのか?」
「俺はお嬢と食べることにしてるんでね」
「使用人が主人と一緒に食事を許されてるなんて和の国は随分と上下関係の薄い国なんだな」
あえて攻撃的な言葉を使ってみてもユズリハは笑顔を崩さない。
「二人しかおらぬ中で使用人も主人もない。シキとわらわは友なだけじゃ」
「運命共同体だしな」
二人は既にデキてるんじゃないかとハロルドは思ったが、実際そんなことはどうだっていい。縋りつかれるよりマシと考えればここに足を運ぶのもそれほど重くはない。いつか好きになられたらと考えるほうがずっと重かった。
「……お前は僕に片想いの相手のことを聞くけど、お前は国に好きな男とかいなかったのかよ」
「おらぬなぁ。和の国では女は学校には通わぬ故、接触できる異性は限られておる。使用人か、家にやってくる商人ぐらいじゃが……わらわの家が商家だったからなぁ。異性とは縁がなかった。使用人もほぼほぼ女で、異性と言えばシキと庭師ぐらいか。庭師はウォルターぐらいの年齢じゃったしのう」
思い出しているのか指折りながら何かの数を数えている。
カカッと女性にしては品のない笑いをこぼしたことでハロルドが嫌悪感を滲ませる。できるだけ顔には出さないようにしようと考えても出てしまう。
「言葉は祖父から教わったのか?」
「家庭教師がついた。異国の女性じゃ。そなたのように金髪で美しい女性じゃった。十五になったら海を渡って嫁に行くと聞かされ、物心ついた頃には家庭教師が住み込みで家族のように過ごしていた」
祖父と話す際、訛りのない現地の人間のように流暢に話すと思った。両親は言葉は話せるのかと心配していたが、祖父が問題ないと言っていた理由もこれでわかった。
「異国の男との結婚は嫌じゃなかったのか? 向こうで好きな奴ができる可能性だってあったはずだ」
「そなたの祖父は良い奴じゃ。悪いようにはせんじゃろうと思うておったし、十五までに好きになる相手も現れなんだ。結局は深く考えておらなんだだけじゃが」
「後悔は?」
「ない」
言いきったユズリハの瞳に揺れはない。物心ついたときから聞かされていれば自分だってそう言えたかもしれない。子供の頃に聞かされていれば嫌だと泣いて抗議していたかもしれない。そうすれば何か変わっていたかもしれない。あまりにも脆すぎる期待だが、そんなことを考えてしまう。
自分とユズリハでは覚悟が違う。十五年ずっと受け入れてきた人間と迎え入れる前日に突然告げられた人間。片方は想い人もおらず、片方は片想い中。
その瞳を見ているとハロルドのほうが動揺してしまう。
「恋愛結婚も政略結婚も極端に言えば結婚という形は同じ。和の国では十一で嫁に行くことも珍しいことではない。そう考えるとわらわは十五まで親の傍にいられて、嫁いだ先ではこのように素晴らしい環境を用意してもらえた。これで不満を持てというほうが無理な話よ」
「…………夫になる男にもか?」
キョトンとした顔を見せるユズリハにハロルドは自分でも何を聞いているんだとは思った。だが、ユズリハが笑顔なのが気持ち悪いと感じ、本音を知りたいと思う気持ちが先走ってしまったのだ。
咳払いをするハロルドがチラッとユズリハを見るとユズリハは急に大声で笑い始めた。
「はっはっはっはっはっはっ! それはない。会ったこともない相手を即座に受け入れて愛を語る男のほうが信用ならぬし気持ちが悪い。そなたの反応は何もおかしなことではないのじゃ。そなたの祖父が孫にはギリギリまで話すつもりはないと言うておった故、こうなることは容易に想像がついておった」
悟りでも開いているのかと思うほど全てを受け入れ穏やかに語るユズリハにハロルドは複雑な心境だった。
彼女はこれから死ぬまでここでシキと暮らすことになる。形だけの夫を持ち、子供を授かることもなく人生を終える。それさえも覚悟の上なのだろうと不憫にさえ思えた。
だが、不憫に思ったところでユズリハを愛することはできない。どうしたって相性が悪いと感じてならない。
「お前も……さ、誰か好きな男ができたら愛人にするといい」
「おやまあ、そなたは寛大な男じゃのう。わらわの国では女が愛人を持つなど許されることではないぞ」
「金や権力を持つ者の愛人は禁じられていない」
「女もか?」
「ああ」
「そうか。では、そのときはそうさせてもらおう」
形だけの夫に操を立てる必要はない。愛どころかなんの感情もないのだから遠慮する必要などないのだ。祖父からはひ孫が楽しみだと言われたわけでもない。期待しているとも言われていないのだから任せるつもりなのだろう。
ヘインズ家の跡取りを作るのはは長男である兄の仕事であって弟の仕事ではない。それこそ和女と子供を作るなど想像さえしたくないことだった。
「片想いは実りそうか?」
「まだこれからだ。今日話した感じだと両想いだけど」
「なら次は髪飾りでも贈るか?」
「まずは花だろ」
「花、か?」
怪訝な表情を見せるユズリハが見たのはハロルドではなく後ろで待機するシキ。鼻で笑ったわけではないが花だと言ったハロルドを馬鹿にしたのだろう小さな笑みを浮かべて緩く被りを振った。
「花を贈るのは常識だぞ」
「そうか。なら次は花じゃな」
「花もらって喜ばない女がいると思ってるのか?」
「わらわが女であれば、じゃが……花は喜ばぬ」
「なら庭に植えてる花はなんなんだよ」
庭に咲き誇る花を指差すハロルドに「ああ」と声を漏らしたユズリハが顔を庭へと向ける。
「花は眺めるだけでいい」
「もらったことがないからだろ?」
「それもあるが、咲いておるものをわざわざ切る必要などなかろう」
気まぐれに花束をプレゼントしたところで喜ばなそうだと先に知っておいてよかった。せっかくプレゼントしたのに喜ばず「わざわざ」とでも言われれば今より更に嫌いになる自信がある。
「喜ぶとよいな」
やはりわからない。
「婚約者の恋を応援するのか?」
「形だけだと言うのはそなたじゃぞ?」
「そうだけど、それでも……」
嫉妬しないのかと聞いているようで急に恥ずかしくなり、急いでかきこんで皿をトレーに戻した。
「帰る!」
「ウォルターによろしく言ってくれ」
急いで帰るハロルドにユズリハは笑うが、シキはあまり良い顔をしてはいなかった。
「あんなクソガキに嫁ぐことになるなんて前世でどんな悪行を重ねればそうなるのかねぇ」
「悪い男ではない。そうカリカリするな」
「ああいうクソガキは嫌いでね」
「わらわのこともクソガキと言うではないか」
「だから嫌いだって言ってんでしょ」
「そなたも前世で悪行まみれじゃったということか」
「どうやらそうらしい」
ようやく表情が和らいだことに安堵し、ユズリハはシキに茶の準備を頼んで片付けていた本をテーブルの上に再度広げた。
気を遣っているわけではないが、人が来ると家の雰囲気が変わって落ち着かなくなる。
嫁いできた自分よりも祖父から圧をかけられているハロルドのほうが大変だろうと同情さえしていた。
申し訳ない気持ちはあれど婚約を破談にすることはできない。
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