たとえば、この恋に終わりがないと言われても──

永江寧々

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バシールという男2

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「ああ、でも、ザファル兄は本当はすごく優しい人だよ。兄さんに怒られる俺をいつも庇ってくれた。殴られるってわかってるのにさ」

 ザイードの暴力性は見た目どおりなのだろう。あの瞳を思い出すだけで無意識に身体に緊張が走る。 
 アストリッドの変化を見ながらメルバを一口飲んだバシールの目が瞬きを増やし、茶を見つめる。

「美味しい! やっぱりこういうお茶を飲んでる女性は美しい人が多いんだね」

 シンプルな褒め言葉ではあるが、アストリッドは苦笑を浮かべ、イヴァは彼にイフラーシュと同じ匂いを感じてジトッと見た。
 そういう言葉を向けて女性にそういう反応をされたのは初めてなバシールにとっては予想外すぎてまた瞬きが増える。

「ところで……」

 バシールはカップを置きながらあからさまに話題を変えた。

「アストリッドちゃんがここに来た理由って確か、未亡人になったからだっけ?」
「ッ!? あなたって人は──」
「大事な人を失う辛さは俺も知ってる。でも、故郷を失う辛さまでは知らないからね。君がどれほどの悲しみと苦しみを抱えているのかは想像もつかないよ」

 デリカシーがないと怒ろうとしたイヴァはバシールの言葉に口を閉じはしたが、睨みつける表情はそのまま。

「俺ね、父親が苦手だからずっと母親と一緒にいたんだ。甘やかしてくれる母親が大好きだった。だから、母親が死んだときは三日三晩泣き続けた。兄二人は涙一つ流さなかったし、いつまで泣いてるんだって言うし、薄情だと思ったよ。悲しくなかったわけじゃないだろうけどさ」

 泣くか泣かないかは人それぞれで、泣いたから深い悲しみにいるというわけではないだろう。
 フィルングもそうだった。父親の葬儀で泣くことはなかったし、それからも涙一つ流すことはなかった。彼にとってそれは想像していたとおりの未来であり、そう遠くない自分の姿でもあったのだろう。
 三日三晩どころではない泣き続けにイヴァは何も言わず寄り添い続けてくれた。

「ありがとう」

 急にお礼を言われたことに驚きながらもイヴァはすぐに笑顔に変わってアストリッドを抱きしめた。
 予想外の展開にバシールのほうが驚き、瞬きに合わせて視線を左右に動かしながら流れを予想し直す。
 
「でも、君には精霊がいた。それは救いだったんじゃない?」

 アストリッドとイヴァは二人で同じような表情で目を瞬かせる。

「え?」
「一人じゃなかったわけだし」

 バシールの声は優しく、耳心地が良い。
 胸に手を当てながら伏せ目がちになり、濃く長いまつ毛を見せつけた。

「悲しみを分かち合える存在がいるって大事なことだと思うんだよね。俺もティグラがいなかったら今頃は腐ってたかもしれない。兄さんのように」

 儚げに見える苦笑いを見るアストリッドの横でイヴァは眉を寄せながらかぶりを振った。

「私を救ってくれたのはルィムもそうですが、彼女がいてくれなかったらでもあるんです」
「え?」

 歪んでいたイヴァの表情はアストリッドと目が合うと瞬時に笑顔に変わる。パブロフの犬のように。

「彼女がいなければ私は生きてすらいなかったと思います」

 地下牢の中でとっくに諦めてしまっていただろう。イヴァがいたから、彼女が自分を生かしてくれた。アストリッドにとってイヴァは恩人でもあった。

「いいね、そういう関係。俺にはそういう人がいないから羨ましいな」
「そうでしょうそうでしょう!」

 自慢するように胸を張るイヴァに微笑みを向けるもバシールの顔はすぐにアストリッドに向いた。
 そこからはバシールの独壇場だった。
 宮廷での面白いエピソード、各国から届く珍しい品々の話、精霊の加護を授かってからの人生の変化。バシールは話を途切れさせることがないほど話題が豊富で、表情豊かに話し続けた。

「アストリッドちゃんから見て、ザファル兄ってどういう感じ?」
「優しい人です」
「即答だね」
「あんなに優しい人は見たことがありません」
「夫より?」
「そうですね」
「そこ即答するぐらい!?」

 それにはバシールだけでなくイヴァも驚いていた。
 イヴァにとってフィルングほど優しい人はいないと断言できるほど愛情豊かで優しい人だった。
 だが、アストリッドにとってはそうではなかった。

「夫もとても優しい人でしたが、彼は子供のようなところが多かったものですから」
「確かに……」

 悪戯好きで、使用人に悪戯を仕掛けては執事長に怒られるの繰り返し。そんなとこも愛していたが、ザファルのほうが大人だとは思う。
 極端なまでに気を使い、不器用なまでに真っ直ぐな愛情を迷いながらも伝える人。

『私が優しい人間であることは疑いようのない事実だが、ザファル・アレイファーンという男は本当に心優しい男なんだ。ピュア、という言葉が相応しいかもしれないな』

 自分で言うのかと笑ってしまった日のことを思い出してアストリッドの表情が柔らかものへと変わっていく。
 まるで恋人を想うような優しい笑顔にバシールは目が釘付けになった。

「……ザファル兄のこと、好きなの?」
「……そうではありません。彼は不器用なだけでとても優しい人、ということです」

 これまでザファルのことをそんなふうに評価した者がいただろうか。
 誰しも彼を怖がり、理解できないと近付くことさえしなかった。

(愛情ではないが、情はあるって感じか)

 気がつくと、陽は随分と傾いていた。庭園にオレンジ色の光が差し込み、花々を幻想的に照らしている。
 ティグラとルィムは花に腰掛け、まだ楽しそうに会話を続けていた。まったく飽きる様子がない。

「そろそろ帰らないと妻に怒られちゃうな」
「奥さん怖いんですか?」
「十七人に囲まれたらそりゃあね」
「じゅっ!?」

 目玉が飛び出るほど驚いた。ザファルに六人の妻がいると聞いただけでも驚いたのに、バシールはその三倍近く妻を抱えている。
 エルヴァング育ちのイヴァには考えられなかった。

「ああ、大丈夫。俺たちは皆で楽しむ派だから」
「興味ないです!」

 お腹いっぱいだと言わんばかりに勢いよく返事をしたイヴァにアストリッドが苦笑しながらごめんなさいと謝るもバシールはおかしそうに笑う。

「楽しいお話をありがとうございました」
「俺も楽しかったなぁ。ティグラがルィムに会いに行きたいって言ったときは俺も一緒にここに来てもいいかな?」
「もちろんです」

 立ち上がったバシールに合わせて立ち上がったアストリッドの後ろでイヴァは歓迎しないと顔に書いてバシールに見せた。

「またね」

 バシールはティグラを呼び戻し、アストリッドの宮を後にした。
 彼の足取りは軽やかで、その後ろ姿にイヴァは唾を吐きかけてやりたい気分だった。

「なんなんですかね、あの人」
「変わった人よね」

 ふふっと笑うアストリッドの中に残ったのは“”お喋りな人という印象だけだった。
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