たとえば、この恋に終わりがないと言われても──

永江寧々

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出発

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「ザファ兄、マジで行くの?」
「ああ」
「マジで? 皇子の仕事は?」
「私はもう皇子ではない」
「なんで? 皇帝の息子だから皇子じゃん」
「皇帝を務めた者はその座を降りようとも皇子に戻ることはない」
「じゃあ肩書きなし?」
「先帝というだけだ」
「放棄すんの?」
「そうだな」

 バシールとこんなふうに話すのはいつぶりか。
 皇帝になる前から距離があり、皇帝になってからは話し込むこともなかった。
 今日は少し特別だからか、バシールはいつにも増してザファルに話しかけている。

「兄さんだったら絶対耐えると思ったのにな……」
「雨が降らなかったからな」
「これも運か」

 ザイードは耐えられなかった。たった四日耐えるだけだと言葉では簡単だが、朝と夜で寒暖差が四十度を超えるラフナディールであの刑に耐えられる者はいないと言っても過言ではない。
 ルガシュを没収され、本当にただの人に戻ってしまったため、熱への耐性がなくなってしまった。それによって日中の暑さに呻き、夜の寒さに震え、身体の水分は失われ続けた結果、四日間を耐え抜くことはできなかった。
 それでもバシールだけはザイードの執念を信じていた。彼の生への執着心。父親や弟への復讐心で耐え抜くだろうと。

「次は一人っ子だといいね、兄さん」

 真っ白な布に包まれて土の中へ丁寧に下ろされていく姿を見ればこれが夢ではないのだと嫌でも思い知らされる。

「お前は優しいな」
「え?」
「人間に生まれ変われると信じてやっているんだな」
「あ……いや、何も考えてなかっただけ」

 何も考えずに溢れた言葉は心からの言葉だろう。その優しさにザファルは目を細めた。
 ザファルが水の精霊の加護を授かり、皇帝に指名されてからザイードは過激になっていった。それを誰よりも近くで見ていたのがバシールだった。
 気まぐれで高圧的で傲慢な兄だったが、嫌いではなかった。憎んだこともなかった。少し苦手だっただけ。
 だから、この現実を受け止めなければならないのが少しだけしんどいと思った。
 
「いつ帰ってくんの?」
「皇帝陛下が亡くなられたときだろうな」
「うわー、予想立てらんないじゃん」
「そうだな」

 ザファルが国を出ることは事前に聞いていたし、覚悟もできていたが、寂しくなると思った。
 ただでさえ人が減っている中、またさらに人が減る。

「ファリドまで連れていくことないじゃん。うちの奥さんたち寂しがってるんだよ」
「あいつの決断だ」
「そうだけど~」

 旅に出ることをファリドと話し合った。旅をすることがどういうことか。楽しいことばかりではないことも現実的に伝えたが、彼の返事に迷いはなかった。
 たくさんの荷物をアストリッドの宮に運んで、イヴァと一緒に荷造りをしていた。
 バシールは妻たちがファリドをとても可愛がっていたため残ってくれるよう言ってみたのだが、父親と一緒に行きたいとハッキリ断られた。 

「例えばさ、二十年後に帰ってきていきなりファリドが皇帝になるって言っても納得しない人間は多いと思うよ?」
「お前の子供がなればいい」
「俺がなるんじゃなくて? 俺の子供がなるの!?」
「お前は皇帝には向いていないだろう」
「それはそう……だけど、そう言われるのは癪だよ!」

 責任感を嫌うバシールにとって皇帝の座は重すぎる。マルダーンもザイードもバシールも我慢を嫌う。ザファルが特別異常だったのだとバシールは思っている。
 自分の息子が皇帝になったところで、と思わないわけではないが、先のことまで考えるのは苦手であるため両手を上げて考えるのをやめた。

「色々だな。馬も使うし、船も使う。歩きもする」
「ラフナディールの船を出すの?」
「いや、街から出ている船だ」
「皇帝だった男が!?」
「今はもう違う。旅をするのに自分の船では大仰すぎる。あれでは旅ではなく遠征だ」
「まあ、それはそう、かも……?」

 ザファルの考えに同意できたことは少なく、贅沢三昧の暮らしをしているバシールにとってそういった考えは貧乏臭く感じてしまう。

「何も今日出なくてもいいのに」
「明日にする意味があるか?」
「んー……追悼的な?」
「なんの意味もないだろう」

 兄弟としての繋がりを大切にしてこなかったのはザイードも同じで、ザイードの態度に合わせるようにザファルも距離を置き始めた。
 目に見えて起こり始めた綻びをどうすることもできず、流されるままに生きてきたバシールにとってザイードの死を悲しめと強要することはできないし、それを理由に引き止めることもできない。

「不安か?」

 見抜いたような発言に苦笑しながら頬を掻く。

「そりゃそうでしょ。兄が二人もいなくなるんだよ? 俺、父さん苦手だし」
「暫くはヴァルグ殿に夢中だろう」
「そっちもイケたっけ?」
「かもしれんな」

 そういう意味ではないとわかっていながら茶化すと珍しくザファルが乗ってきたことに驚きを隠せず、異常現象でも見たかのように驚く弟の表情にハハッと声を漏らした。

「笑えんじゃん」
「そうだな」

 それ以上は言葉が出てこなかった。バシールの中で兄を引き止める言葉が尽きてしまったのだ。 
 ザイードの死が涙が出るほど悲しいわけじゃないことが悲しい。かといって嘘で涙を流すことはできない。ただ苦しいだけ。

「とと様!」

 駆け寄ってきたファリドの頭を撫でるとバシールがファリドを抱きしめた。

「やっぱ残らない?」
「ごめんなさい」

 相変わらずの即答に苦笑しながら身体を離し、額にキスをする。

「元気でな、ファリド」
「うん! バシールおにいさんも」
「おじさんだろう」
「おにいさんでいいの!」

 くだらない意地だと笑いながら前に視線をやると前方にアストリッドがイヴァと一緒に立っていた。

「またな、バシール」
「またね」

 ザファルのほうから言ってくれるとは思っていなかったため驚きながらも嬉しそうに笑って手を振る。

「待たせたか?」
「いいえ」
「待たせすぎだと言ってくれたほうが嬉しいのだが」

 変わったと思うのはアストリッドもイヴァも同じ。
 兄との別れを彼がどう思っているのかわからないが、それについて言葉をかけるつもりはなかった。過去の事情を知らない自分が知ったかぶりをしたくなかったのだ。

「ふふっ、行きましょうか」

 ファリドはサラディーンの馬に乗り、イヴァはアミーラ、アストリッドはザファルの馬に乗って港へと向かう。

「本当によろしいのですか?」
「ああ、好きにすればいい。マルダーン皇帝陛下に仕えるのは苦労するだろうが、七星であることはお前たちの人生にとって大きな利益となるだろう。話は通してある」

 マルダーンの横暴に耐えられるかどうかは彼ら次第であり、必ずしも耐えなければならないわけではない。だから選択肢を彼らに与えた。
 港で伝える話でもないが、マルダーンを納得するのに時間がかかってしまい、今になった。
 七星なのだからと欠員が補充されるかもしれないが、それはザファルに止められることではない。
 ラフナディールではこれからも犯罪が多く起きるだろう。それに七星は欠かせない存在となる。

「ザファル様、どうぞよい旅を」
「ありがとう」

 ザファルからお礼を言われることに慣れていない面々は豆鉄砲をくらったような顔を見せる。その様子に自分のこれまでの言動が詰まっているのだと反省しながら小さな微笑みを向けた。

「アストリッド様、ザファル様とファリド様をよろしくお願いします」

 アミーラからの挨拶にアストリッドは笑顔で頷いた。
 四人はそれぞれ船へと乗り込んでいく。エルヴァングに行ったときとは違う、観光客が乗る普通の船に。

「お元気で!!」

 イヴァのとびきり大きな声に、七星たちは彼女たちがラフナディールに来た日のことを思い出して笑った。
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