ポンコツ天使が王女の代わりに結婚したら溺愛されてしまいました

永江寧々

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甘い王子様

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「へえ、アーラ島といえばあの南にある高級リゾート地ですよね。すごいですね」
「一年に一度、教会に祈りに行くためだけに行ってたんだけど今年は妻と一緒に行くんだ」
「天使に会いに行っていたのではなく?」
「ハハッ、正解だよ。あそこに行けば会えるんじゃないかと三日三晩教会の中で過ごしてた」
「天使には会えました?」
「アストルム王国でね」

 ヴィンセントが忙しいというからウルマリアが話し相手として来てくれたのに何故かヴィンセントはフローリアを膝に抱いてウルマリアと談笑中。

「フローリアですか?」
「うん。彼女は僕が赤ん坊の時に会った天使そのものなんだ。もう一度彼女に会いたくて毎日教会に通ったし、アーラ島では教会で過ごした。彼女に会うことばかり考えてね」
「え? 本当に?」
「うん。神が僕に褒美として彼女に会わせてくれたんだ」

 驚きを隠せないウルマリアは目線だけでフローリアにどういう事だと訴えかけるが返ってくるのは苦笑だけ。
 絶対に聞き出さなければならない事と判断しながらも「素敵な話ですね」と笑顔で相槌を打った。

「ヴィンセント、入ってもいい?」
「いいよ」

 ノックの後に聞こえたデアの声にヴィンセントが返事をすればすぐに開くドアから入ってきた燃えるような赤い髪。キレイだと思うもいつもは派手な色の服を着ていたデアが今日は真っ白なワンピースを着ている。

「何か用かい?」

 フローリアがヴィンセントの膝の上にいる事は気に入らないが、それをあからさまに顔に出してヴィンセントに嫌われるほどバカではない。だから気にしていないフリをしてヴィンセントの前でくるりと回ってワンピースを見せた。

「このワンピースどう? 似合ってるかしら?」
「いつもと違う雰囲気だね」
「私ね、本当は清楚な感じが好きなの。あなたも好きでしょ?」
「僕は女性の服はよくわからないから。でも君が気に入って着てるならいいんじゃないかな? 新鮮だよ」

 けして『よく似合っている』とか『キレイだ』とか言わないヴィンセントが本当に変わってしまったようで嫌だった。
フローリアに出会う前のヴィンセントなら絶対にその二言をくれたのに。

「で、どうしたんだい?」

 服はどうでもいいと言わんばかりに用件を促すヴィンセントに笑顔を向けたまま隣に腰かけると腕が触れるほど近くに座った。

「この人はどなた?」
「彼女はフローリアの話し相手のウルマリアだ」
「フローリア様には話し相手が必要なの? ジッと待っている事はお辛いのかしら? エミリア様がいらっしゃるでしょう? わざわざつけてもらうなんてね」
「夏の旅行まで少し忙しくて彼女の傍にいられないから僕の代わりに話し相手になってもらってるんだ。彼女はいいって言ったんだけど僕が嫌だから」

 あくまでもフローリアのわがままではなく自分がやった事だと主張するのも気に入らない。ヴィンセントは神のためにのみ動く人間であって誰かのために自ら動いたりする人間ではなかったのに今は全てフローリア中心だ。

「そうそう! 夏休みの旅行の事なんだけど、アナシタリア島へ行かない? フローリア様ってフルーツが木に生っているのを見られたことないでしょう? アナシタリア島は海もキレイだし、魚も美味しいのよ。パパが貸しきってくれる言うから三人で一緒に行きましょ?」 

 夏の旅行という言葉で本題に入ったデアはフローリアに木に生ったフルーツをと言いながらも一度だってフローリアに視線は向けない。赤い口紅ではなく今日はピンクの口紅をつけ、ツヤツヤの唇をこれからキスでも受けるように少し寄せながら顔を近付けて誘った。

「誘ってくれてありがとう」
「じゃあいつ休みに———」
「でもアーラ島に行くから」
「じゃあそっちにしましょ! 私もずっと行ってみたいと思ってたの! でもあなたってば連れてってくれなかったじゃない? 今年は私も一緒に行ってもいいでしょ? フローリア様、いいですよね?」
「え? 私は———」

 あえてフローリアに聞くズルさにヴィンセントはデアの顔前に手を出してこれ以上近付かないよう無言で忠告する。
 この屋敷の中でフローリアは新参者で一番年下。クロフォード家に昔から出入りしているデアの方が家族に近いと言っても過言ではないためフローリアが「嫌だ」と言えないのを知りながらあえて聞いたのだ。
 ヴィンセントもそれがわかっているから答えさせなかった。

「フローリアと二人きりで過ごすから」
「私もいいでしょ?」
「ダメだよ。二人で行くんだ。二人だけでね」

 二人という言葉を強調するヴィンセントにデアは眉を寄せながらこの部屋にいない二人の存在に気付いた。

「リガルドは? 一緒に行くんでしょ?」
「いや」
「あのウィルとかいう執事は?」
「行かない。僕とフローリアの二人だけだ」

 信じられなかった。護衛をつけない事もそうだが、ヴィンセントが誰かと二人きりで過ごす時間を作るということがショックでデアは思わず固まった。
 毎年アーラ島に行く時、デアは何度も連れて行ってほしいとねだっていたが一度も連れて行ってもらえなかった。その時の断る理由が『君を退屈させてしまうから』だったのに今はその優しい言葉さえない。

「私が行くと迷惑?」
「あの島は神聖な島なんだ」

 胸を鋭い刃物で突き刺されたような気分だった。
 神聖な島にフローリアは連れて行くのに自分は連れて行ってもらえない。酷い侮辱だった。

「私が神聖な場所に相応しくないってこと?」
「君は祈りの時間を無駄だと思っているだろう? 神への祈りは必要なものだよ」
「あそこは神の島じゃないのよ?」
「天使の島だ」
「そんなの逸話じゃない! あなたは実際あの場所で天使に会えなかった! 天使なんていないのよ!」

 ハッキリと言いきったデアに向けるヴィンセントの表情は傷付いたものだった。
今までデアは一度だって神や天使を否定せず『きっと会えるわ』と言い続けてきた。それなのに今になって否定する言葉を吐くことに今までの言葉が全て嘘だったのだと知ったヴィンセントはデアから視線を逸らした。

「三日三晩こもるのに彼女は連れて行くの? 退屈するんじゃない?」

 フローリアの信仰心が厚いのは知っている。だがそれなら自分だって神や天使を信じていると言っていたのだから連れて行ってもらえたはず。それなのにいつだって『退屈させるから』という理由で連れて行ってくれなかった。ならフローリアも同じように退屈させるだろうと指摘するもヴィンセントはすぐに首を振る。

「教会にはこもらない。だって天使は彼女なんだから」
「じゃあ……どうして行くの?」
「彼女に翼の教会を見せてあげたいんだ」

 人が変わったように眩しい笑顔を見せるヴィンセントはデアではなくフローリアを見つめている。

「三日?」
「一ヵ月」

 今までは三日だけだったアーラ島への旅行はフローリアを連れて行く今年、一ヵ月という長期に変わった。護衛も執事もいない島で過ごす二人きりの時間。
 フローリアが望んだのか、それともヴィンセントが望んだのかなど聞く意味はない。ヴィンセントの目を見ればわかる。

「執事もつけないでどうやって過ごすの? 料理は? 掃除は? 洗濯は?」
「大事なことはウィルが全部書いて教えてくれるから大丈夫。心配はしてないんだ。何事も挑戦だし、彼女と二人なら何でも出来そうな気がするから」

 何事も挑戦———そう笑うヴィンセントは神に祈る事以外に挑戦しようとしたことは一度だってない。いつだって『僕に出来る事なんて限られてるんだから身の程は弁えてるつもりだよ』と言っていた男が、何もかも使用人がする中で生きてきた男が庶民の生活をしようとしているなどデアには信じられなかった。

「もし私が妻だったら……連れて行ってくれた?」

 涙で潤む瞳で見上げながらキュッと服を掴んで震えた声で問いかけるデアは淡い期待に縋りつく。
 だが……

「もし、なんてのはないんだよ」

 デアの目が見開かれる。
 もしもの話さえさせてはもらえず、ヴィンセントはそれにさえ答えようとしなかった。

 甘やかしてくれていたヴィンセントが甘さを向けるのはデアではなくフローリアで、優しい微笑みも甘い言葉も全てフローリアのもの。

 誰にでも分け隔てなく与えていた優しさを独り占めするフローリアをデアはまた憎んだ。

フローリアを睨み付け、涙目で去っていくデアのドアを強く閉める音に皆が肩を跳ねさせる。

「彼女は?」
「僕の幼馴染のデアだ。公爵の一人娘だから可愛がられてね。何でも自分の思い通りになると思ってる所もあるし、それ故にカッとなりやすいんだ。それをあとで後悔して謝りに来ることもあるんだけど……」
「王子にご執心のようですね」

 初対面のウルマリアから見てもデアはヴィンセントに執着しているのがわかった。

「彼女のアプローチを断り続けてきたんだ」
「何故です?」
「天使を……彼女に会える日を待っていたから」

 ヴィンセントの発言はウルマリアにとって不可解なもので、首を傾げたくなった。詳しい話はフローリアから聞き出すとしてもフローリアの性格から考えて全て聞き出しているわけではないだろうことを想定して口を開いた。

「もしその時の天使に会えただけなら、その後はどうしました? もしもの話をしてください」

 デアに言った「もしもはない」という言葉を言われる前に先手を打った。
 一瞬困ったように笑うが、フローリアを見るだけでそれが微笑みへと変わる。

「またいつか会えるよう祈り続ける。彼女が幸せであるように、天使として多くの人々に祝福を与え続けていた彼女がそれと同じぐらいかそれ以上の祝福を受けられるよう祈るつもりだった。会えた時の事やその後の事なんて自分でも呆れるほど想像し続けたよ」
「会えてもデアさんとは結婚するつもりは?」
「なかった。彼女は我が強すぎるんだ」

 神だけを信じ、フローリアにもう一度会える事だけを願い祈り続けたヴィンセントにとってあの天使の存在は永遠のものだと思っていた。
 年を取って腰が曲がっても死ぬまで祈り続けていただろう事は容易に想像がつき、自分が死ぬ時に迎えに来てくれるだろう事を願っていた。
 誰かと結婚という道は思い描く人生に存在しなかったのだ。

「フローリア様は王子にとってどういうお方ですか?」
「彼女も我が強い所はあるけど遠慮も知ってるし、おっちょこちょいで笑顔が可愛くて優しくて清らかで———」
「ヴィンセント様っ」

 次々出てくる褒め言葉にウルマリアがニヤつき始めたのを見て恥ずかしくなったフローリアが慌てて口を押さえて止めるもその手を取ってキスをされてしまう。

「でもフローリア様は人間です。天使ではありませんよ? よろしかったのですか?」
「僕は彼女があの時の天使だって信じてるんだ。地上に舞い降りた天使……って言うと君は笑うかい?」

 恥じらいも迷いもなく『信じている』と口にするヴィンセントをウルマリアは疑わなかった。首を振って笑わないと伝えると嬉しそうに笑顔になる。

「神様からのご褒美なんですよね」

 この自信はきっとヴィンセントが天使に会い、褒美をもらったからだと確信した。
 もしヨナスが仕組んだ事なのだとしたら……。ウルマリアは複雑な心境だった。
 ヴィンセントは神に選ばれたことによってフローリアと出会えた。だがフローリアは? 天使の資格を失い、罪を犯してもいないのに何の覚悟もないまま人間にされてしまった。
 人々を祝福する事に喜びを見出していた清らかな天使。右も左もわからないまま地上で人間として生きる辛さを味わうのは遅かれ早かれ来る事だったとしても、ヴィンセントの願いでそれが早まったのだとしたら?
 考えるのはレオの事。傍で守り続け愛し続けてきたフローリアが人間に憧れるのは時間の問題だとわかっていただろうが、それでもその時は一緒に地上に落ちるつもりだったはず。それなのにヨナスが命じた〝仕事〟という名目のせいで落ちるに落ちられなくなってしまった。ましてやフローリアは王女なのだ。レオが落ちた所でどうする事も出来ないのだから。

「私はそんな清らかな人間じゃありませんよ」
「君が清らかじゃないのなら誰が清らかだというんだい?」
「エミリア様とか」
「それはない」

 この即答をエミリアが聞けば拳は免れないだろう。
 フローリアが苦笑するだけにすれば諦めたように息を吐き出して窓の外へ顔を向ける。

「フローリア様は幸せ者ですね」
「そんな事ないよ」

 否定したのはフローリアではなくヴィンセント。これにはウルマリアだけでなくフローリアも驚いた。
 フローリアは毎日じゅうぶんすぎるぐらい幸せを感じている。それなのにヴィンセントはフローリアは幸せ者ではないと言う。

「僕はまだ彼女を愛しきってるとは言えない。もっともっと、彼女がうんざりするぐらいの愛を注ぎたいんだ。愛に溺れて僕の事しか考えられなくなるぐらいにね。まだそこに達してないから」
「そうしなきゃ私が幸せになれないとお思いですか?」
「そうじゃないけど、それぐらい出来たら君を幸せに出来たなって思えるかもしれないから」

 頬を膨らませたフローリアに怒らせたかと不安な顔をするヴィンセントだが、すぐに笑顔が見えた事に安堵する。

「私の幸せはいつだってヴィンセント様が隣にいてくださる事で満たされるんです」
「じゃあやっぱり幸せに出来てないよ。だって最近はずっと忙しくて君の傍に居られてない」
「でもお仕事が終わればずっと一緒ですよ?」
「日中は君を幸せに出来てない」
「いいんです。その後、たくさん満たされますから」

 目の前で見ていると砂を吐きそうなイチャつきにウルマリアは苦笑するもあのフローリアがここまで愛情を感じて言葉を紡げるならヨナスの考えはけして失敗ではなかったのかもしれないと思った。
 後悔していないのであれば、毎日が幸せだと言えるのであればそれが一番良いに決まっているのだから。
 それは天使として祝福を続けるだけの毎日を送るよりずっとイイ事で何よりウルマリアが安心できる事だった。

「ヴィンセント様、お仕事はよろしいのですか?」
「んー今日は君とこうしてたいな」
「怒られちゃいますよ?」
「怒られたって平気だよ。君とこうしてられるならいくらだって怒られる」

 抱きしめたまま頬ずりをする子供のような姿を国民が見れば色々な悲鳴が上がるだろうとこれ以上見ていてもいいのか迷ったウルマリアが立ち上がった時、ドアが思いきり開いた。

「フローリア様、残念なお知らせがございます」

 入ってきて早々リガルドの言葉に目を瞬かせるフローリア。

「今年のアーラ島へのご旅行は中止になりました」

「え?」
「な、どうして!?」
「サボらないとの約束で一ヵ月のお休みをいただいているのをお忘れですか? 少しでも業務が滞るような事があれば中止にするという約束ですので」

 業務が滞っているのだろう。絶対にノックを忘れないリガルドがノックもせずに入ってきたのがその証拠。
 慌ててリガルドに駆け寄るヴィンセントの形相は必死そのもの。

「ウルマリアごめん! まだ居てあげて!」
「旅行はなしですからね」
「今日中に終わらせるから!」

 リガルドの背中を叩きながら何度も謝るヴィンセントの王子らしからぬ姿に笑いながらウルマリアは座り直した

「溺愛されてるね」
「優しい人だから。私が上手く言葉や態度を表せなくても、いいよって言ってくれるの。出来るだけ返したいのに上手く出てこなくて……」
「同じぐらいの愛情を返してもらおうなんて思っちゃいないよ。まあ、ちょっと危ない思考は持ってそうだけど」
「危ない?」
「いや、こっちの話さ」

 どこか闇を抱えていそうな感じが見えた事はフローリアには黙っておこうと笑って手を振って誤魔化した。

「王子が言ってた天使に会ったってアンタなの?」

 困った顔で頷くフローリアに『はあ~』と感嘆の声を漏らしたウルマリアは背もたれにもたれかかって腕組をする。

「そりゃアタシだって見えてるなこの子って思う子は居たけど……まさかそれを大人になった今でもってのは初めて聞くよ」

 祝福に行った時、赤ん坊が手を伸ばしてくることは何も珍しい事ではなかった。穢れを知らない無垢な赤ん坊だからこそ天使の姿が見えるのであって、ヴィンセントが赤ん坊の頃に天使を見たというのも納得できるが、普通は思春期になるまでに思い出に変えてしまうもの。
 それなのにヴィンセントは求め続けた。もう一度あの天使に会いたいと神に願い続けていた。
 そしてそれは奇跡を起こし、会うだけではなく結婚するにまで至ったのだから驚かずにいられない。

「アンタがあの時の天使だって信じてるんだって。地上に舞い降りた天使。当たってるじゃないのさ」
「本物だと思ってるっていうのは初めて聞いたの。私ずっと顔がそっくりだから選んでくれたって思ってたから」
「ま、普通はそう思うか。でもアンタみたいな顔しか子が二人もいるなんて厄介だから一人でいいさね。お美しい王女様」
「やめてよ」

 フローリアからすれば自分の顔よりウルマリアの顔の方がずっと整っていて美人に見えた。キリッとした目元に色気のあるふっくらとした唇に健康そうな褐色肌。竹を割ったような性格も好きだった。
 天使だった時からウルマリアはフローリアの憧れだった。

「アーラ島は何もない島だよ。何するんだい?」
「わかんない。でもヴィンセント様見てるだけで楽しいから」
「あの人にそんなこと言えるのかい?」
「ふふっ、内緒」

 唇に人差し指を当てて内緒だと笑うフローリアの笑顔は子供のように無邪気で、二人同じ顔して笑うおかしさにウルマリアは声を上げて笑う。
 何故そんなに笑っているのかわからないフローリアだが、ウルマリアの豪快な笑い方が好きで暫くその笑顔を眺めていた。
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