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疑惑
しおりを挟むフローリアが去った日の昼過ぎ、号外で配られた新聞には【ヴィンセント王子電撃離婚!】の文字があった。フローリアの浮気が原因だとハッキリ書いてあり、城の外では市民達が集まり大騒ぎになっていた。
「ちょっと待って! 何これ! どういうこと!?」
「母さんが書かせたんだろ」
「なんてこと……!」
新聞をテーブルに叩きつけながら怒るエミリアにアーサーも同じ意見で大きく溜息を吐き出す。
「何とかしてあげられないの!?」
エミリアの声が二人の寝室に響き渡る。
「ムリだ」
「あんなのデアが作った偽物に決まってる!」
「自分だって認めただろ。あれがデアの作ったものなら認めるはずがない」
もしエミリアの言う通り、デアが作った偽の映像ならフローリアは否定すればよかった。ヘレナに詰め寄られたのが怖かったのだとしても隣にヴィンセントがいた。手を握り、振り向くだけでヴィンセントは身を挺して守ってくれただろう。
だがフローリアは否定ではなく肯定してしまった。自白を覆すのは難しい。何より、フローリアは違うと否定しようとさえしなかったのだから尚更難しくなった。
「でもあの子は浮気なんかする子じゃないし、出来る子じゃないのはあなたも知ってるでしょ!」
「なら何であんな顔したんだ! あれがデアの捏造ならあんな顔しないだろ!」
アーサーの言葉にエミリアは何も言い返せなかった。
確かにあの映像がデアの捏造であればフローリアはヴィンセントの手を握って知らないと否定するだろう。だが、フローリアは映像から音声が流れる前に反応した。立ち上がり、青ざめた顔で震え始めたのだ。あれはそれが真実であると言っているようなもので、アーサーの言い分の方が正しかった。
だが、エミリアは信じたくなかった。ヴィンセントの傍にいる事が自分の幸せだと笑っていたフローリアが他の男に愛を囁くなど考えたくなかった。
「どうしてこんな事に……フローリア」
両手で顔を覆うエミリアの肩に手を置いたアーサーは顎に手を当てながら「ふむ」と声を漏らす。
「ウルマリアに話を聞いてみるべきかもしれないな」
ウルマリアとの会話の中にも【レオ】という名前が出ていたのを思い出し、何か知っているはずだと考えた。
「ウルマリア・バーンズが到着しました」
「入れ」
城に呼び出されたウルマリアはアーサー達の前に緊張した面持ちで姿を見せた。だがそれはアーサーと会う事への緊張ではなく何を聞かれるのかという不安からのように感じた。手にしている新聞が握りしめられている。
「君を呼び出したのはレオという男の話を聞きたいと思ったからだ」
「ッ!」
フローリアほどではないが微弱ながらに反応を見せたのをアーサーは見逃さなかった。
「この……この離婚という話は……事実でしょうか?」
「これは……」
「答えてもらおうか」
エミリアが答えようとするのを手で止めて厳しい口調で促すアーサーにウルマリアは目を閉じて深呼吸をする。クシャッと新聞が小さな音を立てて握り潰されるも目を開け、顔を上げたウルマリアの目には強い意志が見えた。
「君はフローリアの話し相手だったな?」
「はい」
怯えの見えないハッキリとした返事にアーサーは目を逸らさなかった。
「詳しい事は言えないが、君とフローリアの間柄は王女と話し相手以上のものに思えた」
「盗聴された音声をお聞きになられたのでしょうか?」
「君とフローリアの共通の人物としてレオという名の男が上がっている。その人物について答えてほしい」
こっちの質問に答えず自分の知りたい事を通そうとするアーサーの鋭い視線を見つめ返しながらウルマリアはフローリアがどうなっているのか聞きたい気持ちを抑えて口を開いた。
「フローリア様からはお聞きになられませんでしたか?」
「彼女は話せる状態ではなかった」
離せる状態ではないというのは大袈裟なのか、それとも言葉のままなのか、ウルマリアの眉が寄る。
フローリアは精神的に強い方ではなく、天界でも怒られればしょぼくれて仕事が手につかない事があった。ヨナスは強く叱ることはせず甘やかす方だったが、アーウィンは時に厳しい叱り方をした。その時は落ち込んで泣いて、フローリアの仕事は全てレオが代わりにこなす事もあった。
何が起こったのかはわからないが、フローリアの状態が普通ではない事がわかり、唇を噛みしめる。
「教えてウルマリア。レオって誰なの? どういう知り合いなの? フローリアとは深い仲なの? 大それたことが出来る子じゃないってわかってるから真実を知りたいの。こんな事……誰も望んでない」
エミリアの必死さにウルマリアは迷う。アーサーと違って本気でフローリアを心配しているのが伝わってくる。テーブルの上で新聞を握りしめながら手を震わせる姿は見ていて痛々しいほどだった。
だが、縋りつくように問いかけるエミリアに向けて騎士のように正しい姿勢で頭を下げた。
「申し訳ありませんがお応えできません」
ウルマリアの返事は予想外だったのかアーサーは怪訝な表情でウルマリアを見つめる。
「反逆罪に問われてもか?」
「アーサー!」
「はい」
答えに迷いはなかった。
この答えによって自分と夫は国を追われるかもしれない。だが、答えられるはずがなかった。
自分達は天使で、理由あって地上に降り、人間として生きている。レオというのは天使仲間で深い仲といえばそうだが二人が心配しているような関係ではないと言ったところで誰がそれを信じるのか。
エミリアが言う『大それた事』とは新聞に書かれているフローリアの〝浮気〟の事だろうが、我慢できなくなったレオが会いに来たのだとしたらレオを殴りたくなった。
「ですが、これだけは信じてあげてください。あの子は……フローリア様はヴィンセント様を裏切るような方ではありません。心からヴィンセント様を愛しておられます。どうか、信じてあげてください」
訴える瞳の強さにアーサーはそれ以上問う事はしなかった。
「アーサー、やっぱりフローリアは裏切ってなんかないのよ。あなたもわかってるでしょ? あの二人は私達には理解出来ないぐらい深い愛で繋がってる」
「一人にしてくれ」
希望が見えたと声を張るエミリアに部屋を出るように言うとアーサーは机の上で手を組んで顎を乗せる。
ウルマリアが深い部分まで知っているのは間違いない。
だが何を? どこまで?
裏切っていないのなら何故言えない?
話し相手として選ばれたウルマリアがあれほど親し気だったのは何故だ?
面接で選ばれたウルマリアとフローリアに共通点などあるはずもない。その二人の間で出た【レオ】という男の名。
映像では間違いなく抱き合っていた。それもフローリアから男に抱きついていた。
エミリアの言う通り、フローリアとヴィンセントの愛はアーサーにも理解出来ないほど深いものだった。自分達の世界を作り上げ、仕事はあくまでも外の世界のものだと割り切っているような感じを受けていた。だから二人でいる時の二人は異様なほど互いしか見えておらず、人間が持てる愛の深さについて疑問を持ったぐらいだ。
もしあれが全て演技なのだとしたら大した役者だが、それはないと確信している。
だからこそ整理がつかない。
「フローリア・ベル。生まれてすぐ難病である事がわかり三歳で昏睡状態に陥った。十四年後、突如目を覚まし、姉のクローディアが妹と入れ替わるように昏睡……」
頭の中を整理するように紙に書き始めたアーサーは何度も頭を掻いて後頭部の髪を乱す。
「そもそも何故フローリアが産まれた事を発表しなかった?」
たとえ重病で生まれたとしても名ぐらい発表する者だろう。一人で祈るより二人三人と祈った方が神に届くかもしれない。それが国民に広がれば神もきっと聞き入れてくださると思いそうなものだが、ベル家はそれをしなかった。
「そもそも本当に昏睡状態だったのか?」
三歳の頃に眠りについたのかと疑問を感じるが、否定も肯定もしきれない。
フローリアは少し不思議な女だとアーサーは思っていた。
ベル家がフローリアの存在を隠し続けていたと考える事は出来ても、それにしてはフローリアは理解出来ない物事が多かった。だが、それと同時に賢いと思う瞬間もあった。
子供と大人の瞬間が見え隠れするような性格で、だからアーサーはフローリアを信じるのに時間がかかった。
「二重人格とは考え難いしな……」
もし二重人格であったら性格の差に納得はいくが、ヴィンセントへの愛が変わらないのはおかしい。
「姉が妹の身代わりを頼んだ、か?」
眠り続ける妹を目覚めさせてほしいと神に祈り続け、その代償に自分を差し出すという話は聞いた事がないわけではない。
クローディアがどういう人間なのかは何度か会った事があるためアーサーも知っている。
自分に自信がなく、常に人の視線を気にしていた。人の評価の中で生きるには弱すぎる人という印象を受けた。
「妹に代わってほしかったと考えれば納得はいくが……」
フローリアを見た時、クローディアとは似ても似つかない事に驚いた。本当に同じ親から生まれたのかと。
クローディアも磨けば光る原石だとは思ったが自分に自信がないクローディアは鏡を見る事もなかっただろう。だが、それこそ不思議だった。いくら鏡を見なかったといえど身支度は使用人がしていたはず。
だがフローリアは十四年間寝たきりでも欠けている部分が見つからなかった。
「十四年間眠っていた娘が目覚めた時の障害が車椅子生活だけか?」
食べられないという障害も出ていたが、それでも目覚めてそれほど経たないうちにヴィンセントと顔合わせをし、その日にヴィンセントは嬉しそうに笑って『天使に会った』と言った。という事は痩せ細ってはいなかった。今と変わらない姿で迎えたという事になる。
実際、アーサーもフローリアに会って天使のようだと思った。
容姿の美しさは勿論のこと、穢れた心を浄化するような清らかさを感じたほどだ。その美しさはずば抜けたもので、見るもの全てを虜にする。
ヴィンセントと同じだった。
「レイラ王妃も美しいが……彼女は……」
別格だった。
レイラはヘレナと変わらぬ歳だが、魔女かと疑う声もあるほど若々しい美しさを保っていた。だから皆、クローディアを見ると驚いた。
フローリアが娘というのは遺伝として頷ける。だが、それにしてもどこか浮世離れした美しさがあってクローディアと似ていない事も疑問だった。
「突如目覚めた天使か……」
フローリアという名を何度もペンで囲みながら全くまとまらない状況に深い溜息を吐いた。
「フローリア……君は何者なんだ?」
謎は深まるばかりだった。
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