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仲違い
翌朝、ヴィンセルはベンフィールド邸へ迎えには行かなかった。
迎えに行けばきっとアリスは困った顔をしながらも乗り込むのだろう。王子が直々に迎えに来たのに断れるはずがない。
『ご理解ください』
そう言ったアリスを無視して迎えに行けるほどヴィンセルは図太い神経をしていない。
ただ、ちゃんと学校には来るだろうかと心配で朝は早めに家を出て、生徒会室からずっと門を見張っている。
「ん? ああ、カイルか。アリスはちゃんと──」
ドアの開く音に振り返った先にはカイルがいた。昨日あれからどうしていたかと問いかけるよりも先にカイルの拳がその口を塞いだ。
「カイル何をッ──……」
カイルが向ける目は今まで見たことがないほど酷く冷たいもので、燃え盛るような怒りを通り越してもはや軽蔑すらしているのが伝わってくる。
怒られている間はまだいいと言う。何も言われなくなった時こそ本当に終わりなのだと。
熱を持ち、ズキズキと痛む頬を押さえながら立ち上がるときにもう一発拳が飛んでくることを覚悟していたが、二度も振り下ろされることはなかった。
「お前は今後二度とアリスの名を口にするな。アリスの視界に入るな。アリスの人生に関わるな」
「カイル教えてくれ。アリ──」
「二度は言わん。お前が王子じゃなかったら俺はこの場でお前を殺してるぞ、ヴィンセル」
ゾッとするほど冷たい声を残して去っていくカイルの態度にヴィンセルはアリスがあれから泣いたのだと察した。
アリスのことだからきっと理由は言ってないだろう。
ヴィンセルの前でさえ泣くのを堪えていたのだ。家に帰ってすぐ泣いてしまったのかもしれない。
性的欲求がなくとも自分のあの言葉は下心そのものだった。アリスが持つ小さな好意には気付いている。
アリスに惹かれてアリスの傍にいたいと思ったのではなく、自分のためにアリスの傍にいたかっただけ。彼女の好意を利用するような台詞を吐いた。
アリスの言った『楽になれる』という言葉が何度もヴィンセルの頭の中で繰り返される。
自分の喜びと感謝を伝えたかったのに、出てきたのは愚かにも相手を傷つけるための言葉だった。
(自分ではなく自分の香りを目的とする男を誰が受け入れるというのか……)
もし自分だったら──その場でそう考えてから発言すべきだった。もし立場が逆なら『相手に失礼だと思わないのか?』と聞くだろう。もしかすると『君は一度自分の考え方を改めた方がいい』とも言うかもしれない。軽蔑の眼差しと共に冷たい声で言い放ってワザと足音を立てながらその場を立ち去るだろう。
相手に言われたとき想像ならこんなにも簡単に想像できてしまうのに、なぜ自分が言った時の相手の気持ちを考えようとは思わなかったのか。
ほんの少し頭を使えばわかることなのに。
「たった一人の女性の気持ちも考えられないとは……何が王子だ。笑わせるな」
自嘲めいた笑みを浮かべながらこぼれた呟きは誰の耳に入るでもなく、静かな空間の中で虚しく消えていった。
「セシル」
「ゲッ、アルフレッド」
「ちょっと、僕の顔見てそんな顔する?」
「する、というかした。で、何か用?」
あからさまに嫌そうな顔を見せるセシルが苛立っている様子にアルフレッドは苦笑を見せる。
「そんな苛立ってる君を見るのは久しぶりだね。どうしたの?」
「別に。カイルにムカついてるだけ」
ランチにアリスを呼ぼうとするとアリスの教室前に居たカイルがダメだと言い、いつもの調子で文句を言うと『あそこにアリスを呼ぶ正当な理由などないだろう』と半ばキレ気味に言われてしまってから呼べていない。
クラスが違えど学年が同じであるため廊下などで擦れ違う際に顔は合わせていてものんびり食事をしながらお喋りをする時間は全く取れないままの二週間。
セシルの我慢はそろそろ限界を迎えそうだった。
アリスが来ないことで起きる問題はないが、それよりもヴィンセルとカイルの仲を問題視しているアルフレッドにとって解決策を相談できる相手はセシルだけ。そのセシルも今は過度のストレスの中にいて態度が悪い。
「あんまり食べ過ぎると血糖値上がるよ」
「食べても太らないからいいの」
「痩せてても内臓脂肪はあるんだよ」
「嫉妬してる暇があるなら痩せたら?」
「太ってないからね!?」
抱える紙袋の中には溢れんばかりのパンが山盛り入っている。カフェテリアの袋ではないことからナディア・アボットの差し入れだろうと隣に立つナディアを見てわかった。それでも幸せそうにしないのはアリスのパンが特別だからで、このパンではないというストレスがまたセシルを追い詰めていた。
「ヴィンセルがした失敗にどうして僕が巻き込まれなきゃいけないわけ? おかしいでしょ」
「だね」
あれだけ話したのに上手くいかなかったのかと呆れるアルフレッドが怒るセシルに同意する。
大事な友達だからこそ、ちゃんと上手くいってほしいのにヴィンセルとアリスの間には大事なものがないため上手く進まなかった。
「アボット嬢は何か知らないのかい?」
「知らないんだって」
「アボット嬢に聞いてるんだけど」
「僕が何回も聞いた」
苦笑を浮かべるナディアはアルフレッドの傍にいるアリシアと目を合わせてどうするか目だけで会話をしていた。
アリスから聞いた言葉はある。だが本人のいない場所で自分たちが勝手に答えてしまっていいものか、二人はずっと迷っている。
貴族は口が軽く噂話が三度の飯より好きと言われており、彼女たちもそれに当てはまるとしても友人のこととなると話は別。
「アリシア、僕の美しい花。どうか教えておくれ。二人の間には何があったんだい?」
ナディアが話さないのならとアリシアに振り向いて顎を持ち上げ、今にも唇が触れそうなほど近くまで顔を寄せて甘ったるい声で問いかけた。
友達は大切。でも推しのお願いだからと反応する乙女心が迷っていた口を無理矢理開かせる。
「アリシア、堪えるのよ! 言ってはダメ!」
震えながら唇を開くアリシアにナディアが声をかけるも唇は閉じず、軽く引っ張られた腕に視線を軽く下ろすとアリシアの目が見上げるセシルの目と合った。
「君は知ってるんだね?」
「あ……」
先に口を開けたのはナディアの方だった。
「──というわけなんです……」
憧れの人の前では黙っていることできず、二人とも自分が知っていることをぽろぽろとこぼすように話した。
なにより、二人とも被害者でもある。アリスやヴィンセルのことを心配しているし、カイルの対応にも困っている。
話しておいたほうがいいのかもしれないと思った。
アリシアとナディアの説明に二人はすぐに口を開かなかったが、その表情から滲み出る呆れが彼らの感情を物語っている。
「傍にいたいって伝えるなんて何考えてるんだか……」
「気持ちがあってこその言葉なのになぁ」
想いを言葉にするのは間違いではない。むしろ正解だと言えるだろう。しかしヴィンセルのしたことは思慮の浅さを、下心を丸出しにしただけであって、そんな言葉で誰が心を動かすのかと呆れるしかなかった。
「わたくしでも靡きませんわ」
「僕が言っても?」
「ええ」
セシルは試しに言ってみた言葉に焦りもなくハッキリ返すナディアに驚いた。
相手は侯爵令嬢なのだから伯爵にひれ伏す必要はない。当たり前の事なのにセシルはあまりにもハッキリ返すものだから驚きを隠せなかった。
推しだなんだと言って尽くしてくれるナディアがそれは断るのだと。
「誰だって自分を愛してくれる男性と結婚したいに決まってますわ。婚約者が決まっているのであれば話は別ですけれど、選べる状況にあるのなら愛してくれる男性を選びたいですもの。たとえ相手が王子だとしても、愛してくださらないのなら結ばれるべきではないのではないかしら」
尤もだと三人は頷く。
ヴィンセルがアリスに興味を持ったのは自分が落ち着く香りを持っていたからであってアリスが魅力的だったからではない。
そんな邪な気持ちでアリスの傍にいようなどと笑わせるなとナディアは飛び出しそうになる言葉を無理矢理飲み込んだ。
「アリスちゃんはヴィンセルが好きなんだよね?」
アルフレッドは確信を持っていたがアリシアとナディアは顔を見合わせて難しい顔を見せる。
「わたくしたちにもそれはわかりませんの。あの子は確かにずっと彼を目で追ってはいましたけど、アリシアとは違う気がしてますの」
「ちょっと! どうしてわたくしの名を出しますの!?」
「だってあなた、アルフレッド様にガチ恋なんでしょう?」
「ガチ恋ではありませんわ! わたくしには婚約者がいますのよ! 彼は私の中の最推しというだけですわ!」
憧れか恋かは紙一重で、アリスを見ているだけではどちらなのか、二人は確信が得られなかった。
アボット姉妹はアリスの話を聞きながら常に思っていた。恋であれば今までの状況をもっとハシャぐのではないだろうかと。
ロマンス小説好きの妄想好きの少女が憧れていた王子と過ごす人生の中で驚くほど落ち着いている理由は何なのか、それが二人にはわからない。
もしかすると怪我をさせてしまったと思わせてしまったという罪悪感のせいでハシャげないのかもしれないと思ったが、それにしてもアリスはあまりに落ち着いていた。
「ナディアちゃんはセシルにガチ恋?」
「わたくしもアリシアと同じですわ。卒業までセシル様を推して推して推しまくって、卒業と同時に婚約者と結婚する道筋ができていますの」
「婚約者に悪いとは?」
「ふふっ、花を連れ歩く殿方がおかしなことを言いますのね。わたくしはまだ誰のものでもありませんの。推し活ぐらいでガタガタ言うような婚約者なら結婚しませんわ」
「婚約者はその推し活とやらを知ってるのかい?」
「ええ、もちろん。セシル・アッシュバートンがいかに素晴らしい方が毎夜語り聞かせていますもの」
「やめてよ」
それを受け止めている婚約者がすごいとアルフレッドは苦笑こそしないものの、こんな婚約者なら自分は絶対に上手く行かないと思っていた。
気持ち悪そうに顔を歪めるセシルだけが感情に素直に生きている。
「ヴィンセルは今まで女性と接したことがないから誘い方や気遣いを知らないのは仕方ないと言えば仕方ないんだよね。ましてや女心なんてあることさえ知らないだろうし」
「知らなかったで済まされることって勉強ぐらいじゃない?」
「でも事実そうだろう?」
「バリーが君の花に手を出しても同じことが言えるんだ? 君が問い詰めてもバリーはたぶんこう言うだろうね。ああ、アルフレッドのお花ちゃんとは知らなかった、ってさ」
「ダメに決まってる! バリーが僕の花に手を出すなんて絞首刑ものだよ!」
アルフレッドの幼馴染であるバリー・ヘンネフェルトはアルフレッドと同じ女好きで常に令嬢たちを周りに置いている男。パーティーで会う度にアルフレッドに突っかかっていく。
女を取った取らないの醜い争いは今や彼らが出席するパーティーの名物となっている。
大声を上げるアルフレッドをアリシアが宥め、その様子を見たセシルは肩を竦める。
「ヴィンセルもそうだよ。彼のことだから言った言わないの水掛け論はしないだろうけど、バカな選択だったね」
同じ学び舎にいるのだから焦る必要などなかったはず。昼休みはランチに誘って、放課後少し話す仲になって卒業間近に話を進めてもよかったはずなのに何をそんなに焦ってしまったのかセシルには理解できなかった。
アリスが絶世の美女で、この学院中の男が全員アリスを狙っているというのなら話は別だがそうじゃない。アリスを狙っている男がいるという噂は残念ながらここにいる四人でさえ一つも聞いた事がないのだから。
「でもカイルも悪いと思うんだよね」
「まあね。過保護すぎ」
もし狙っている男がいたとしてもアリスに辿り着く前にカイル・ベンフィールドという高き壁を越えなければ辿り着けない。その壁を越えてまでアリスを手に入れたいと思う男は少ないだろう。
アリスが傷付いたのは確かだとしても、当事者ではないカイルが怒るのは違うと皆が頷くもセシルはカイルの気持ちがわからないわけではなかった。
「アリスってさ、マカロンみたいな子だなって思うんだよね」
「カラフルなイメージないけど」
「見た目しか気にしないアルフレッドからすればそうだろうね」
「言い方」
ナディアが持っていた袋から小箱を取り出して中に入っていたマカロンを見せるセシルをアルフレッドたちは不思議そうに見つめる。
「彼女たちのように自分の意思を持ってる子と違ってアリスは周りに左右されやすい。気が弱いっていうのもあるけど、アリスは自分の言葉で誰かが泣いたり怒ったりするのが嫌なんだよ。困らせたくないし、傷つけたくない。だからいつも人の顔色を窺って発言する」
「確かに、アリスはわたくしたちが笑えばアリスも笑いますの。わたくしたちしかわからない話なのに」
「合わせることで安全性を取るって上手いようで生き方としては下手なんだよ。それはあまりにも脆い。だからアリスはマカロンみたいだなって思うんだ」
セシルがほんの少し力を加えるだけで表面が砕けてしまったマカロンを見ながらアリスが今どうしているのかセシルは気になって仕方なかった。
「君たちが支えになってやってよ」
「もちろんですわ」
「親友ですもの」
アリシアとナディアの笑顔にセシルは小さく頷いた。
「ティーナ・ベルフォルンとは大違いだね」
「そうだね」
「ナディアちゃんのこと、どう思う?」
「ちょっとアルフレッド様よしてくださいませ! わたくし心の準備ができていませんことよ!」
「見た目?」
「個人的感想」
「一本筋の通った立派な令嬢だよ。アボット公爵の娘であることが信じられないぐらい」
ナディアの緊張を無視して個人的感想を口にしたセシルだが、ナディアが想像していたのとは全く違う恋も発生しないような言葉だった。
アリシアがナディアの肩を叩き、ゆっくり首を振る。
「カイルのせいで最近のアリス元気ないように見えて仕方ないよ」
カイルという兄に溺愛されて守られて育ったにしては驕ることのない性格。内気で弱いアリスをセシルは守りたいと思った。
だから今回のことでヴィンセルをフォローする気にはならなかった。
アリスの匂いだけを必要としているのならアリスのハンカチを貰い続ければいい。定期便のように郵送してもらうか、学校で受け取れば済むのだから。
もし本当にヴィンセルが心からアリスを欲しているのならライバルとして迎え撃つつもりだったが、こうして無惨な形で終えた結果に呆れと怒りを感じているセシルは首を振って大きく息を吐き出しながら歩きだす。
「どこ行くんだい?」
「ラフレシアの咲いてないとこ」
振り返らずに歩いていくセシルにアルフレッドは苦笑にも似た笑みを浮かべて肩を竦める。
「わかりやすいなぁ」
初めて見るセシルの様子は微笑ましいのに思いきり笑うことができないのは、このままでは皆がバラバラになってしまうのではないかとアルフレッドの中にも小さな不安があるから。
アリスにとってセシルは弟のように可愛い存在だが、セシルにとってもアリスは姉のような存在とは言えない。
セシルはヴィンセルにもカイルにも遠慮しない。そして誰よりもアリスと仲がいい。
アリスが苦しんでいるこの状況を脱せる者がいるとすればセシルだろうと、アルフレッドは追いかけるべきか迷っているナディアを引き留めて一緒に見送った。
迎えに行けばきっとアリスは困った顔をしながらも乗り込むのだろう。王子が直々に迎えに来たのに断れるはずがない。
『ご理解ください』
そう言ったアリスを無視して迎えに行けるほどヴィンセルは図太い神経をしていない。
ただ、ちゃんと学校には来るだろうかと心配で朝は早めに家を出て、生徒会室からずっと門を見張っている。
「ん? ああ、カイルか。アリスはちゃんと──」
ドアの開く音に振り返った先にはカイルがいた。昨日あれからどうしていたかと問いかけるよりも先にカイルの拳がその口を塞いだ。
「カイル何をッ──……」
カイルが向ける目は今まで見たことがないほど酷く冷たいもので、燃え盛るような怒りを通り越してもはや軽蔑すらしているのが伝わってくる。
怒られている間はまだいいと言う。何も言われなくなった時こそ本当に終わりなのだと。
熱を持ち、ズキズキと痛む頬を押さえながら立ち上がるときにもう一発拳が飛んでくることを覚悟していたが、二度も振り下ろされることはなかった。
「お前は今後二度とアリスの名を口にするな。アリスの視界に入るな。アリスの人生に関わるな」
「カイル教えてくれ。アリ──」
「二度は言わん。お前が王子じゃなかったら俺はこの場でお前を殺してるぞ、ヴィンセル」
ゾッとするほど冷たい声を残して去っていくカイルの態度にヴィンセルはアリスがあれから泣いたのだと察した。
アリスのことだからきっと理由は言ってないだろう。
ヴィンセルの前でさえ泣くのを堪えていたのだ。家に帰ってすぐ泣いてしまったのかもしれない。
性的欲求がなくとも自分のあの言葉は下心そのものだった。アリスが持つ小さな好意には気付いている。
アリスに惹かれてアリスの傍にいたいと思ったのではなく、自分のためにアリスの傍にいたかっただけ。彼女の好意を利用するような台詞を吐いた。
アリスの言った『楽になれる』という言葉が何度もヴィンセルの頭の中で繰り返される。
自分の喜びと感謝を伝えたかったのに、出てきたのは愚かにも相手を傷つけるための言葉だった。
(自分ではなく自分の香りを目的とする男を誰が受け入れるというのか……)
もし自分だったら──その場でそう考えてから発言すべきだった。もし立場が逆なら『相手に失礼だと思わないのか?』と聞くだろう。もしかすると『君は一度自分の考え方を改めた方がいい』とも言うかもしれない。軽蔑の眼差しと共に冷たい声で言い放ってワザと足音を立てながらその場を立ち去るだろう。
相手に言われたとき想像ならこんなにも簡単に想像できてしまうのに、なぜ自分が言った時の相手の気持ちを考えようとは思わなかったのか。
ほんの少し頭を使えばわかることなのに。
「たった一人の女性の気持ちも考えられないとは……何が王子だ。笑わせるな」
自嘲めいた笑みを浮かべながらこぼれた呟きは誰の耳に入るでもなく、静かな空間の中で虚しく消えていった。
「セシル」
「ゲッ、アルフレッド」
「ちょっと、僕の顔見てそんな顔する?」
「する、というかした。で、何か用?」
あからさまに嫌そうな顔を見せるセシルが苛立っている様子にアルフレッドは苦笑を見せる。
「そんな苛立ってる君を見るのは久しぶりだね。どうしたの?」
「別に。カイルにムカついてるだけ」
ランチにアリスを呼ぼうとするとアリスの教室前に居たカイルがダメだと言い、いつもの調子で文句を言うと『あそこにアリスを呼ぶ正当な理由などないだろう』と半ばキレ気味に言われてしまってから呼べていない。
クラスが違えど学年が同じであるため廊下などで擦れ違う際に顔は合わせていてものんびり食事をしながらお喋りをする時間は全く取れないままの二週間。
セシルの我慢はそろそろ限界を迎えそうだった。
アリスが来ないことで起きる問題はないが、それよりもヴィンセルとカイルの仲を問題視しているアルフレッドにとって解決策を相談できる相手はセシルだけ。そのセシルも今は過度のストレスの中にいて態度が悪い。
「あんまり食べ過ぎると血糖値上がるよ」
「食べても太らないからいいの」
「痩せてても内臓脂肪はあるんだよ」
「嫉妬してる暇があるなら痩せたら?」
「太ってないからね!?」
抱える紙袋の中には溢れんばかりのパンが山盛り入っている。カフェテリアの袋ではないことからナディア・アボットの差し入れだろうと隣に立つナディアを見てわかった。それでも幸せそうにしないのはアリスのパンが特別だからで、このパンではないというストレスがまたセシルを追い詰めていた。
「ヴィンセルがした失敗にどうして僕が巻き込まれなきゃいけないわけ? おかしいでしょ」
「だね」
あれだけ話したのに上手くいかなかったのかと呆れるアルフレッドが怒るセシルに同意する。
大事な友達だからこそ、ちゃんと上手くいってほしいのにヴィンセルとアリスの間には大事なものがないため上手く進まなかった。
「アボット嬢は何か知らないのかい?」
「知らないんだって」
「アボット嬢に聞いてるんだけど」
「僕が何回も聞いた」
苦笑を浮かべるナディアはアルフレッドの傍にいるアリシアと目を合わせてどうするか目だけで会話をしていた。
アリスから聞いた言葉はある。だが本人のいない場所で自分たちが勝手に答えてしまっていいものか、二人はずっと迷っている。
貴族は口が軽く噂話が三度の飯より好きと言われており、彼女たちもそれに当てはまるとしても友人のこととなると話は別。
「アリシア、僕の美しい花。どうか教えておくれ。二人の間には何があったんだい?」
ナディアが話さないのならとアリシアに振り向いて顎を持ち上げ、今にも唇が触れそうなほど近くまで顔を寄せて甘ったるい声で問いかけた。
友達は大切。でも推しのお願いだからと反応する乙女心が迷っていた口を無理矢理開かせる。
「アリシア、堪えるのよ! 言ってはダメ!」
震えながら唇を開くアリシアにナディアが声をかけるも唇は閉じず、軽く引っ張られた腕に視線を軽く下ろすとアリシアの目が見上げるセシルの目と合った。
「君は知ってるんだね?」
「あ……」
先に口を開けたのはナディアの方だった。
「──というわけなんです……」
憧れの人の前では黙っていることできず、二人とも自分が知っていることをぽろぽろとこぼすように話した。
なにより、二人とも被害者でもある。アリスやヴィンセルのことを心配しているし、カイルの対応にも困っている。
話しておいたほうがいいのかもしれないと思った。
アリシアとナディアの説明に二人はすぐに口を開かなかったが、その表情から滲み出る呆れが彼らの感情を物語っている。
「傍にいたいって伝えるなんて何考えてるんだか……」
「気持ちがあってこその言葉なのになぁ」
想いを言葉にするのは間違いではない。むしろ正解だと言えるだろう。しかしヴィンセルのしたことは思慮の浅さを、下心を丸出しにしただけであって、そんな言葉で誰が心を動かすのかと呆れるしかなかった。
「わたくしでも靡きませんわ」
「僕が言っても?」
「ええ」
セシルは試しに言ってみた言葉に焦りもなくハッキリ返すナディアに驚いた。
相手は侯爵令嬢なのだから伯爵にひれ伏す必要はない。当たり前の事なのにセシルはあまりにもハッキリ返すものだから驚きを隠せなかった。
推しだなんだと言って尽くしてくれるナディアがそれは断るのだと。
「誰だって自分を愛してくれる男性と結婚したいに決まってますわ。婚約者が決まっているのであれば話は別ですけれど、選べる状況にあるのなら愛してくれる男性を選びたいですもの。たとえ相手が王子だとしても、愛してくださらないのなら結ばれるべきではないのではないかしら」
尤もだと三人は頷く。
ヴィンセルがアリスに興味を持ったのは自分が落ち着く香りを持っていたからであってアリスが魅力的だったからではない。
そんな邪な気持ちでアリスの傍にいようなどと笑わせるなとナディアは飛び出しそうになる言葉を無理矢理飲み込んだ。
「アリスちゃんはヴィンセルが好きなんだよね?」
アルフレッドは確信を持っていたがアリシアとナディアは顔を見合わせて難しい顔を見せる。
「わたくしたちにもそれはわかりませんの。あの子は確かにずっと彼を目で追ってはいましたけど、アリシアとは違う気がしてますの」
「ちょっと! どうしてわたくしの名を出しますの!?」
「だってあなた、アルフレッド様にガチ恋なんでしょう?」
「ガチ恋ではありませんわ! わたくしには婚約者がいますのよ! 彼は私の中の最推しというだけですわ!」
憧れか恋かは紙一重で、アリスを見ているだけではどちらなのか、二人は確信が得られなかった。
アボット姉妹はアリスの話を聞きながら常に思っていた。恋であれば今までの状況をもっとハシャぐのではないだろうかと。
ロマンス小説好きの妄想好きの少女が憧れていた王子と過ごす人生の中で驚くほど落ち着いている理由は何なのか、それが二人にはわからない。
もしかすると怪我をさせてしまったと思わせてしまったという罪悪感のせいでハシャげないのかもしれないと思ったが、それにしてもアリスはあまりに落ち着いていた。
「ナディアちゃんはセシルにガチ恋?」
「わたくしもアリシアと同じですわ。卒業までセシル様を推して推して推しまくって、卒業と同時に婚約者と結婚する道筋ができていますの」
「婚約者に悪いとは?」
「ふふっ、花を連れ歩く殿方がおかしなことを言いますのね。わたくしはまだ誰のものでもありませんの。推し活ぐらいでガタガタ言うような婚約者なら結婚しませんわ」
「婚約者はその推し活とやらを知ってるのかい?」
「ええ、もちろん。セシル・アッシュバートンがいかに素晴らしい方が毎夜語り聞かせていますもの」
「やめてよ」
それを受け止めている婚約者がすごいとアルフレッドは苦笑こそしないものの、こんな婚約者なら自分は絶対に上手く行かないと思っていた。
気持ち悪そうに顔を歪めるセシルだけが感情に素直に生きている。
「ヴィンセルは今まで女性と接したことがないから誘い方や気遣いを知らないのは仕方ないと言えば仕方ないんだよね。ましてや女心なんてあることさえ知らないだろうし」
「知らなかったで済まされることって勉強ぐらいじゃない?」
「でも事実そうだろう?」
「バリーが君の花に手を出しても同じことが言えるんだ? 君が問い詰めてもバリーはたぶんこう言うだろうね。ああ、アルフレッドのお花ちゃんとは知らなかった、ってさ」
「ダメに決まってる! バリーが僕の花に手を出すなんて絞首刑ものだよ!」
アルフレッドの幼馴染であるバリー・ヘンネフェルトはアルフレッドと同じ女好きで常に令嬢たちを周りに置いている男。パーティーで会う度にアルフレッドに突っかかっていく。
女を取った取らないの醜い争いは今や彼らが出席するパーティーの名物となっている。
大声を上げるアルフレッドをアリシアが宥め、その様子を見たセシルは肩を竦める。
「ヴィンセルもそうだよ。彼のことだから言った言わないの水掛け論はしないだろうけど、バカな選択だったね」
同じ学び舎にいるのだから焦る必要などなかったはず。昼休みはランチに誘って、放課後少し話す仲になって卒業間近に話を進めてもよかったはずなのに何をそんなに焦ってしまったのかセシルには理解できなかった。
アリスが絶世の美女で、この学院中の男が全員アリスを狙っているというのなら話は別だがそうじゃない。アリスを狙っている男がいるという噂は残念ながらここにいる四人でさえ一つも聞いた事がないのだから。
「でもカイルも悪いと思うんだよね」
「まあね。過保護すぎ」
もし狙っている男がいたとしてもアリスに辿り着く前にカイル・ベンフィールドという高き壁を越えなければ辿り着けない。その壁を越えてまでアリスを手に入れたいと思う男は少ないだろう。
アリスが傷付いたのは確かだとしても、当事者ではないカイルが怒るのは違うと皆が頷くもセシルはカイルの気持ちがわからないわけではなかった。
「アリスってさ、マカロンみたいな子だなって思うんだよね」
「カラフルなイメージないけど」
「見た目しか気にしないアルフレッドからすればそうだろうね」
「言い方」
ナディアが持っていた袋から小箱を取り出して中に入っていたマカロンを見せるセシルをアルフレッドたちは不思議そうに見つめる。
「彼女たちのように自分の意思を持ってる子と違ってアリスは周りに左右されやすい。気が弱いっていうのもあるけど、アリスは自分の言葉で誰かが泣いたり怒ったりするのが嫌なんだよ。困らせたくないし、傷つけたくない。だからいつも人の顔色を窺って発言する」
「確かに、アリスはわたくしたちが笑えばアリスも笑いますの。わたくしたちしかわからない話なのに」
「合わせることで安全性を取るって上手いようで生き方としては下手なんだよ。それはあまりにも脆い。だからアリスはマカロンみたいだなって思うんだ」
セシルがほんの少し力を加えるだけで表面が砕けてしまったマカロンを見ながらアリスが今どうしているのかセシルは気になって仕方なかった。
「君たちが支えになってやってよ」
「もちろんですわ」
「親友ですもの」
アリシアとナディアの笑顔にセシルは小さく頷いた。
「ティーナ・ベルフォルンとは大違いだね」
「そうだね」
「ナディアちゃんのこと、どう思う?」
「ちょっとアルフレッド様よしてくださいませ! わたくし心の準備ができていませんことよ!」
「見た目?」
「個人的感想」
「一本筋の通った立派な令嬢だよ。アボット公爵の娘であることが信じられないぐらい」
ナディアの緊張を無視して個人的感想を口にしたセシルだが、ナディアが想像していたのとは全く違う恋も発生しないような言葉だった。
アリシアがナディアの肩を叩き、ゆっくり首を振る。
「カイルのせいで最近のアリス元気ないように見えて仕方ないよ」
カイルという兄に溺愛されて守られて育ったにしては驕ることのない性格。内気で弱いアリスをセシルは守りたいと思った。
だから今回のことでヴィンセルをフォローする気にはならなかった。
アリスの匂いだけを必要としているのならアリスのハンカチを貰い続ければいい。定期便のように郵送してもらうか、学校で受け取れば済むのだから。
もし本当にヴィンセルが心からアリスを欲しているのならライバルとして迎え撃つつもりだったが、こうして無惨な形で終えた結果に呆れと怒りを感じているセシルは首を振って大きく息を吐き出しながら歩きだす。
「どこ行くんだい?」
「ラフレシアの咲いてないとこ」
振り返らずに歩いていくセシルにアルフレッドは苦笑にも似た笑みを浮かべて肩を竦める。
「わかりやすいなぁ」
初めて見るセシルの様子は微笑ましいのに思いきり笑うことができないのは、このままでは皆がバラバラになってしまうのではないかとアルフレッドの中にも小さな不安があるから。
アリスにとってセシルは弟のように可愛い存在だが、セシルにとってもアリスは姉のような存在とは言えない。
セシルはヴィンセルにもカイルにも遠慮しない。そして誰よりもアリスと仲がいい。
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魔力を与え続けた結果、彼女は魔力を失い、容姿も衰え、社交界から姿を消してしまう事となった。
一方、妹ミアーラは姉から与えられた魔力を使い、聖女候補として称賛されるように。
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