痛みを感じない国王陛下の大いなる愛の執着

永江寧々

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理解できない男

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 翌日早朝、まだ夜が明けきる前だというのに、ヴァレンは起きていた。起きて、エリンシアの前に立っている。

「やはり逃げ出そうとしたか、エリンシア」

 昨夜、エリンシアはあれから大人しく眠るふりをしていたが、一睡もできなかった。できるはずがない。だから宵闇に紛れてフィオレンツを出ようとしたのだが、城の門に辿り着くこともできず、裏口に立っていた兵士に捕まった。

「妻が出ようとするかもしれないから絶対に出すなと命じておいて正解だった」

 裏口に兵士を立てているはずがないのに、何故だと浮かぶ疑問はヴァレンの発言によって解決した。
 彼はきっと、全ての出口に兵を配置していたに違いない。

「何故逃げようとするのだ? お前の居場所はここだ。僕のもとからお前を連れ去った愚か者のもとへ自ら戻る理由がどこにある?」
「愚か者ではなく、私の両親です」
「僕の命令を聞かなかった者は総じて愚か者だが、お前の両親はそれに加えて罪人だ」
「罪人などではありません!」
「人のものを盗めば罪人。シアレスでは違うのか?」

 夜明け前だというのにヴァレンの態度に隙はない。昨日と同じ、感情を見せずに淡々とした対応を見せる彼にエリンシアは苦痛を感じていた。
 自分だけの世界で生きて来たのだろうヴァレンに何を言ったところで意見を変えることはないだろう。しばらくの間は警備が緩むこともなく、きっと泣き落としも通用しない。
 彼が望むのは従順さであり、お気に入りのぬいぐるみや人形のように傍にいること。
 それはエリンシアにとって地獄にも等しいことだが、足掻くだけ苦痛を味わうことになるのは目に見えている。
 ここでムキになるのは意味がないと諦めたエリンシアはキュッと唇を噛んだあと、静かに息を吐いて背筋を伸ばした。

「陛下、私を妻だとおっしゃるのであれば、妻の両親を侮辱する言動は正しいこととは言えません」
「僕は正しいことを言っている」
「私は、私が愛しているものを同じように大切にしてくださらない方を愛することはできません」

 その発言に少し考えるように身体の前で腕を組んだヴァレンが「ふむ……」と声を漏らす。
 相手を説得し、両親と婚約者が待つシアレス公国に戻るためには焦ってはいけないと自分に言い聞かせて相手を見つめる。

「わかった。控えよう」

 意外にも反論しなかった相手に驚くエリンシアを見て、ヴァレンはその頬に手を伸ばす。

「お前がそう言うからには、お前は僕の妻として生きる覚悟があるということだろうからな」

 墓穴を掘る形にはなったが、焦りはなかった。
 今は大人しくヴァレンの傍にいて、整理する時間を取る。
 彼が固執する十二年の空白に何があったのか、エリンシアも知りたいとは考えている。何故彼がここまで異常な執着を見せるのか。

「ですが、式も挙げていませんし、すぐに王妃として振る舞うことはできません」
「そうだな。僕もそれは急いでいない。大事なのはお前がこの国の母として生きることではなく、僕の傍にいるということなのだから」

 一週間後にでも挙式を、と言い出しかねないと思っていただけに、相手の返事は予想外なことが多く、それが余計にエリンシアを混乱させる。

「陛下、私は聖女でもありませんし、上流階級の人間でもありません。陛下に目をかけていただくような身分ではないのです」
「身分などどうでもいい。僕はお前が気に入っている。僕がお前を妻にすると決めたのだ。お前は何も気にせず、僕の傍にいろ。それだけでいい」

 愛情深いような言葉も抑揚のない声では愛のカケラも感じない。
 十二年前のあの日で止まっているからこそ離れることを嫌う彼をどう扱えばいいのか。それが今のエリンシアの課題だった。

「城の中は好きに歩き回って構わない」
「庭を散歩したいときはどうすればよいのでしょう?」
「僕を呼べ」
「陛下のお時間を奪うようなことはできません」
「僕が呼べと言っているのだ」

 有無を言わさない言い方は彼の父親そっくりだと思った。
 二度、彼の父が息子を呼ぶ声を聞いたことがある。

『ヴァレン、来るんだ』
『もう少しだけエリンシアと話がしたいです』
『私が来いと言っているんだ』

 少しの沈黙のあと、こちらに控えめに片手を上げて去っていくヴァレンはどこか悲しそうに見えた。
 親の背中を見て育った彼が高圧的にならないはずがない。しっかりと、見て育ってしまった彼はきっと、孤独の王になる。いや、既になっているのかもしれない。
 使用人たちに笑顔はなく、誰もが感情を失っているような無表情で働いているのが印象的だった。
 兵士でさえヴァレン同じ淡々とした口調で、だが、有無を言わさないような高圧的な態度を取った。

『陛下のご命令です。この城から出ることは許可されておりませんので、ただちにお戻りください』

 ここで働く者たちは誰一人として感情を出すことは許可されていないのだろう。
 命令は絶対で、逆らう者は愚か者として罰を与えられるのかもしれない。
 彼が父親からそうされたように……

「散歩などしたいとは思わぬだろうが」

 零すように呟いた言葉にエリンシアが首を傾げると、ヴァレンは窓辺に寄っていく。

「見ろ」

 隣に立つとエリンシアは目を見開いた。
 窓の向こうに広がっていたのは息を呑むほど美しい光景ではなく、庭と認識するのも難しいほど緑のない土地が広がっているだけ。
 衝撃のあまり思わず部屋を飛び出そうとしたエリンシアだが、ヴァレンの手によって阻まれた。

「走って行ったところで景色は変わらぬ。歩いていけばいい」

 ヴァレンに手首を掴まれたまま一緒に庭に出ると、やはりその光景に唖然とする。
 雑草すら生えぬ踏み固められた土が広がっているだけの景色はまるで小さな荒野のようで、王族が暮らす城の庭が何故こんな状態になっているのかがわからなかった。

「財政難……ですか?」

 まさか、と恐る恐る問いかけたのだが、隣に立つヴァレンはエリンシアを見ないまま「いや」と否定する。

「ここは昔からこうだ。僕が生まれるよりずっと前からな」

 また耳を疑いたくなる発言にエリンシアは身体ごとヴァレンに向いた。

「これから、整えるのですか?」

 先代や先先代がそう決めたのだとしても、代替わりしたのだからと横顔を見て問いかけるが、ヴァレンはまた「いや」と否定する。

「その予定はない」
「ずっとこのままにしておくつもりですか?」
「花には興味がない。誰も眺めもしない場所に金をかける必要はないだろう。ここを庭として機能させるためには人を雇わなければならないのだからな」
 
 美しい庭がなければ、ということはない。この広大な庭を美しくするためには莫大な金がかかり、庭師は一人二人では済まないだろう。
 彼が花に興味がないことに驚きはないが、これからも永遠にこのままなのだろうかと引っ掛かりを覚えた。

「庭が欲しいか?」
「そういうわけではありませんが……少し驚きました」

 欲しいと言えば逃げ道を失いそうで否定をするが、エリンシアはこの光景に胸を痛めていた。
 なんの感情もなく、当たり前の光景として見つめる彼とこの庭が重なって見える。
 放置された荒廃ではなく、意図的に何も育てられなかった虚無が広がっているようで──それはまさしく、この孤独な王の姿そのものだと。

「庭が欲しくなったら言え。お前のために庭を作ろう」
「私だけが眺めるための庭は必要ありません」
「お前が喜ぶなら私財をはたく。僕はここをお前にとって居心地の良い場所にしてやりたいのだ」

 エリンシアの願いは、ここで居心地良く暮らすことではなく、愛する人が待つシアレス公国に帰ること。
 しかし、それは口にはしなかった。
 彼に言ったところで伝わないとわかっているから。
 エリンシアは込み上げる言葉を静かに飲み込み、小さな頷きだけを返した。
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