痛みを感じない国王陛下の大いなる愛の執着

永江寧々

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帰還

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「よく戻ったな、エリンシア」

 フィオレンツに到着したのは夕方頃だった。
 ヴァレンが門前まで迎えにきてくれることは予想外だっただけに驚きを露わにするが、差し出された手を握って馬車を降りた。

「実家に戻る許可をくださいましたこと、感謝申し上げます」
「堅苦しい礼は必要ない。僕はお前があの場所に未練を残さず、この場所で穏やかに暮らせるようにしてやっただけだ」

 ヴァレンらしい言葉に頷きながら一緒に城へと入っていく。
 相変わらず無表情を貫く使用人たちが働く城内はとても静かで、大勢の人間がいるとは思えないほどひんやりと感じた。

「空腹か?」
「そうですね。ここを出てからまともに食べていないので」
「御者はお前に何も食べさせなかったのか?」
「違います違います! そういう意味ではありません! 私が食べたくなくて食べなかっただけです! 彼は何十回も気にかけてくださいました!」

 今すぐ罰しに行くとでも言い出しそうな彼が踵を返すのを、腕を引っ張って防ぐとそのまま強引に食堂へと向かう。
 なんとか彼を制御して椅子に座らせると、すぐに夕食が運ばれてきた。
 ただのポタージュだというのに、まるで一ヶ月ぶりの食事であるかのように身体に染み渡るのを感じる。

「実家はどうだった?」

 スプーンを握ったまま、エリンシアはヴァレンを見た。

「報告は受けていないのですか?」
「お前が無事だったのだ。お前の口から聞きたい」

 護衛は当然のようについていたが、一名、馬に乗っていた者が帰りはその姿が見えなかった。報告は受けていたのだろうが、彼はそれを先回りしてエリンシアに話すことはしなかった。
 こうした小さなことが会話へと繋がることがわかっていてそうしているのだろうか、とエリンシアは不思議に思う。
 広く寂しい食堂の中、二人きりの食事。しかも相手は笑顔を見せることすらない無表情の男。
 それでも、エリンシアは今、これも悪くないと思えていた。静かだが、穏やか。彼を理解することが関係の前進に繋がると考えることに決めたのだ。
 エリンシアは実家に戻ってから起きた出来事を丁寧に説明し始めた。

「やはりお前は聡明だな、エリンシア」

 説明を終えたあとの第一声に、何を聞けばそうなるのかがわからず、エリンシアは思わず眉を寄せる。

「聡明な点は、どこにもなかったように思うのですが…」
「お前の両親がその程度の人間性であることは把握していたが、そこまでとはな。それに対し、お前は物事を上手く利用し、流れを作った。その場を掌握していたのは間違いなくお前だ」

 エリンシアは、帰りの馬車の中でずっと考えていた。親を騙し、脅し、自分の意見を押し通す形を作ってしまったこと。それがとても親不孝であったと。
 しかし、彼はそうは言わなかった。人の親を愚かだと侮辱するぐらいなのだから、それを親不孝だなどと言うはずもないが、彼が言った「流れ」そして「掌握」という言葉。目から鱗が落ちるように感じた。

「お前のことだ、親不孝だとでも思っていたのだろうがな」
「はい…」
「気にする必要はない。お前の人生はお前の物だ。僕は、裏切り者には罰を、と考えるが、彼らは僕が罰を与える前に死んでしまった。生きていれば死ぬより苦しい罰を与えてやった」

 とんでもないことを言い出したヴァレンが冗談を言っているとは思えず、苦笑を滲ませる。

「もし、彼らが今もご存命であれば、陛下は王子のままでしたね」
「それは間違いない。お前を妻に迎えるのも遅くなってしまうところだった」

 彼が王位を継承しなければ、間違いなくアルトゥールの浮気に気づくことなく結婚していた。マリエルを親友だと信じ、笑顔で他愛のない話をしていたはずだ。
 それでもヴァレンはきっと、奪いに来たような気がする──エリンシアは思った。
 結婚したと知って諦めるような男なら、相手が震え上がるほど詳細な情報収集などしないだろう。
 彼の執着は異常なもので、それは他の誰よりもエリンシアが実感している。
 結婚したあとだったら……そう考えると、今この状況はとてもありがたい物なのだと思ってしまう。

「なるべくしてなっただけだ」
「心を読むのをやめてください」
「顔に書くのをやめればいい」
「書いていません」

 そう言いながらも、言葉を消すように頬を撫でてしまう。

「全ては予想の範疇、と言ったところだな」
「予想されていたのですか?」
「お前が父親に失望したから言うが、奴は例えようがない愚か者だ」

 ちゃんと事前に言葉にする彼を、律儀な男だとエリンシアは思う。

「僕からお前を奪ったことを抜きにしても、愚かだ。八つ裂きにし、野犬の餌にでもしてやりたいぐらいにはな」
「……他に何かご存じなのですか?」
「ああ。だが、お前を傷つけたくない」
「ここまで言っておいて隠すのですか?」
「僕がそう言うぐらいには、と思っておけばいい。お前が詳細を知ったところで何ができるわけではないだろう」

 彼の言葉には思いやりがあるのはわかっていても言い方には思いやりがない。
 そういった配慮を学ぶことなく生きてきたのだから仕方ないと受け止め、出てきたステーキに目を輝かせる。

「お前はステーキが好きだったな」

 貴族社会でも牛肉は高級食材で、子爵程度では“特別な日に食べるご馳走”だった。
 初めてステーキを食べたのはヴァレンと出会った日の立食。
 庭でシェフによって上手く焼かれたステーキを食べた日、とんでもないほど感動したのを覚えている。子供の口でも脂の甘さがわかるほど上質で、何度もおかわりに行った。
 今でも好きだが、ヴァレンがそれを信じて用意してくれたことがとても嬉しかった。

「美味いか?」
「とっても」
「そうか」

 微笑みはない。だが、彼が安堵したのはわかった。

「お前の母親に手紙を書こう」

 突然の申し出に手が小さく跳ね、フォークに刺さっていた肉がするりと皿の上に戻っていった。

「で、ですが、陛下は既に警告を出されたではありませんか」
「あれはお前の愚父に宛てたものだ」

 父親に渡した手紙の内容は『王妃の実家として振る舞うな』というものだった。
 それを知っていたからこそ、母親に嘘をついてしまったことに対して罪悪感を覚えていたのだが、ヴァレンはその手紙はあくまでも父親に宛てたものだと言う。

「彼女は愚母ではないとお思いですか?」
「没落貴族の出であれば、貴族社会で過敏になるのは当然だ。お前の母親もまた、愚父のもとで育った。賭博に溺れ、破産し、全てを終わらせた人間を親にもつ子供がまともな精神状態で育つはずがないからな」

 母親がトラウマのように評判を気にする理由にエリンシアは目を閉じて頷いた。

「お前が言った言葉は僕が責任を取ってやる」
「え?」
「お前が嘘で苦しまずに済むようにしてやるのが夫である僕の務めだ。手紙と贈り物をしてやれば、お前に縋りつくこともないだろう」

 娘が王家に嫁いだところで、実家が受ける恩恵は少ない。あるとすれば、王妃の実家と言えることだけだろう。
 だが、都合がいい。母親が受けたい恩恵はまさにそれなのだ。子爵夫人と言われ、下級貴族と言われ、評判を気にして生きてきた。でもこれから違う。王妃を産んだと自らを誇り、王から手紙を受け取り、贈り物を受け取ったことを自慢し続ける。
 それで彼女が幸せに生きられるのなら、とエリンシアは思った。

「欲をかかないことを願います……」
「欲をかけば終わる。それだけだ」

 顔も知らない祖父は欲をかいて自滅した。母親がそれをトラウマにしてくれていればいいのだが、わからない。浮かれた人間はミスをする。
 ヴァレンはエリンシアのために動くと言っている。エリンシアに少しでも魔の手が伸びようものなら、ヴァレンは躊躇なくその手を切り落とすだろう。

「お前の部屋の準備がようやく整った。そこで持ち帰った物を整理するといい」
「ありがとうございます」

 今日はゆっくり休もう。
 明日の朝まで、いや、丸二日ぐらい泥のように眠りたい。
 だが、その日は少し遅くまでヴァレンと話をしてから部屋に戻った。
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