痛みを感じない国王陛下の大いなる愛の執着

永江寧々

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庭造り─土壌改良─

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「随分と時間がかかったな」

 戴冠式から七ヶ月が経過し、ようやく土が完成した。
 長すぎる時の中で雑草も生えないほど踏み固められた土を耕すだけでも時間がかかった。
 そこから肥料を混ぜ、ようやく土らしくなったことがエリンシアは嬉しかったのだが、ヴァレンは時間がかかりすぎていることに文句を言う。

「陛下、よくご覧ください。以前の荒野のような庭ではなく、ここに広がっているのは土ですよ? これから植栽も行われるのですから、少しずつ変わっていく景色を楽しみにしませんか?」
「僕は早くお前に美しい庭を見せてやりたいのだ」
「私は陛下とこの過程を楽しみたいと思っています」

 エリンシアの笑顔を見れば楽しいかと聞くのは愚問だ。
 ヴァレンの中にあるのは花畑を見て満面の笑みを浮かべるエリンシアの美しさであり、そこを歩くエリンシアの美しい姿。
 彼にとって土が出来上がっただけの状態はなんの価値もない。
 だが、エリンシアの一言で少し大人しくなる。

「木や花々を植えれば景色もまた変わります」

 楽しみだと笑うエリンシアに身体を向けたヴァレンに彼女は首を傾げる。

「お前の楽しみを奪うつもりはないが、その前に構造物が先だ」
「そうなのですか?」
「構造物を後回しにすると植栽回りを踏み荒らすことになるからな」

 納得したように頷くエリンシアの表情は落ち込むどころか明るくなっていく。

「では、植栽の時には完成した道の上を歩きながら陛下とその様子を見て回ることができるのですね?」
「そうだな。約束どおり、散歩ができる」

 ただ窓から庭の完成を見ているだけよりもずっと楽しみだと笑うエリンシアにヴァレンは静かに頷く。

「陛下が健康になられるのは良いことです」
「僕はもともと健康だ」

 ヴァレンは基本的に執務室の椅子から立ち上がることがなかった。
 食事も睡眠時間も不規則で、引き継ぎがないまま両親が亡くなったため、その対応に追われる日々。
 食事も執務室の机で、仮眠も同じ。使用人たちも心配していたが、彼に心配の声をかけることはできなかった。一言でもかけようものなら『僕がこれぐらいで潰れると思っているのか?』と冷たい反応をされる。だから誰も言えなかったのだが、エリンシアが来てからヴァレンは全てが変わった。
 一日のスケジュールを立て始め、それに沿って活動する。休憩時間には必ずエリンシアと雑談をし、エリンシアが座るソファーの向かいに移動するようになった。
 食事は食堂に移動するようになり、仮眠はしなくなった。エリンシアが来てから彼女の睡眠時間に合わせて自分も眠るようになったからだ。

「大理石で道を作り──」
「陛下、大理石にすると雨の日は滑りませんか?」
「雨の日に何故外を歩く?」
「ガゼボの中でお話するのもロマンチックで良いと思いませんか?」
「思わん」

 わざわざ雨が降る鬱陶しい中を歩く意味がわからず、理解できないヴァレンにエリンシアはクスッと笑う。

「雨の日は雨の日で──」
「僕は雨が嫌いだ」

 珍しく、少し力が入った言い方だった。
 言葉が止まったエリンシアの手をヴァレンがそっと握る。

「お前が僕の目の前からいなくなったのは、雨の日だった」

 だから雨が嫌いだと呟くヴァレンの手をしっかりと握り返したエリンシアが向けるのは笑顔。

「でも、今は隣にいます。ここに来て七ヶ月が経ちましたが、雨の日もたくさんありました。それでも私は変わらずここにいます。」
「お前がこれから何十年と僕の傍にいようとも、あの日、お前が僕の世界から姿を消したことは変わらぬ事実だ」

 その言葉にエリンシアは同意するように頷く。
 どれほどの年月が過ぎようとも、婚約者と親友が一年も関係を持っていたことを忘れはしないだろう。トラウマというほどではないが、娘よりも婚約者を守った父親にも二度と会いたくないと思うほどには気持ちが消えてしまった。何百回、何千回と謝られようとも、気持ちが戻ることはない。
 彼にとって、引き止められなかったあの日のことは、何があろうと消えることはないのだ。あの瞬間の悔しさ、恨み、悲しみ、辛さ──全てが一生残り続けるのだろう。
 
「それにわざわざ鬱陶しい湿気の中で話をする必要はない。どうしても話がしたければガラスの温室を用意してやる」
「ガゼボの中がいいんです」
「雨が吹き込む」

 いつもはすぐに折れてくれるのだが、今回ばかりは引きそうになかった。
 
「わかりました。では、道と構造物については陛下にお任せします」

 既に庭全体のデザインは決まっているのだから今更変えさせるような話はすべきではなかったと、エリンシアは反省していた。彼のトラウマを自分が呼び起こすような真似はすべきではなかったと。

「少し急がせるか」
「陛下、丁寧な仕事は時間がかかります」

 自分だけのことなら丁寧にする必要はないと言い返すのだが、これはエリンシアのための庭。圧をかけて失敗でもしようものなら自分でもどう動くかわからないだけに、ヴァレンは何も言い返さなかった。
 しかし、一応、デザイナーと現場監督たちに話を聞きに行ったヴァレンに同行したエリンシアは終始、苦笑していた。
 圧はかけないと言っていた。彼は圧をかけているつもりはない。だが、説明している彼らは圧をかけられているように嫌な汗を滲ませ、緊張で声が上擦ることがあった。
 可哀想だとは思うが、これがこの国の王である。
 怒っているのかいないのかわからないからこそ、誰もが怯える。もし怒っていたら……と。
 しかし、こればかりはエリンシアにもどうしようもない。怒っていないと首からカードをかけさせるわけにもいかず、怒っていないと逐一言わせるわけにもいかない。
 愛のない世界で育った彼にとって笑顔とは当たり前にあるものではなかった。
 彼に笑顔を。そう考えてエリンシアも何かと笑顔を見せてはいるのだが、未だ笑顔は片鱗さえ見たことがない。

「四ヶ月で完成するなら早いと思いますよ、陛下」

 ハンカチがぐっしょりと濡れるほど汗を拭い続ける現場監督を見ていられず、後ろから声をかけた。その瞬間、彼らが安堵するのが見えた。

「三年ぐらいはかかると考えていたではありませんか。まだ一年も経っていないのですよ?」
「一年で土と道だけか?」
「ご不満ですか?」
「お前と何もない道を歩けと言うのか?」
「お花がなければ私との散歩はつまらないと?」
「違う。誤解するな。僕が言いたいのは、何もない庭を歩くのはお前が残念がるのではないかと懸念しているということだ」

 思わず瞬きが多くなったエリンシアだが、すぐに小さく笑い声を漏らした。
 途端に怪訝そうな顔をする彼に首を振り、改めて庭を見回す。

「何もないなんてことはないんです」
「何もない」
「いいえ、陛下。私たちは本当に何もなかった庭を知っています。そこが今、ちゃんと土が広がっているんです。植栽できるだけの土が。私はこの光景を見ているだけで嬉しいのです」
「稀有なことだ」
「ふふっ、道が出来たらそれはそれで嬉しいじゃないですか。土だけだったこの場所に今度は美しい道ができるのですよ?」

 やはりそれも理解できないのだろう。どんなに美しく咲き誇る花にすら興味が湧かない彼に未完成を喜ぼうと言ったところで共感できるはずがない。
 自分がいることで彼の心が落ち着くことは知っている。だが、エリンシアは今ここで自分が思い違いをしていたことに気づいた。
 自分が傍にいたところで彼の考えがすぐに変わるわけではないのだと。
 彼の人生は色鮮やかなものではなく、あの踏み固められた荒野のような道だった。必要なのは次期後継者として意識と能力、そして両親への従順さ。それだけを求められてきた彼の考えは偏りがあり、頑固。
 悪いわけではないが、良くもない。
 アルトゥールと婚約破棄をして半年。エリンシアはもう彼を思い出すことは少なく、今はヴァレンに寄り添おうと考えていた。
 それが、ただ傍にいて笑っていればいいわけではないのだと気づいたのは、ここに戻ってきた半年後の今日だった。
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