痛みを感じない国王陛下の大いなる愛の執着

永江寧々

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無礼者

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 今朝は目を覚ました瞬間から雨が降っていた。
 暗い空に大きな雨粒の音。
 エリンシアは雨は苦手ではないが、好きでもない。

「雨ですね、陛下」
「ああ」

 雨の日は、いつもよりヴァレンの口数が少なくなる。
 彼の中で雨はトラウマのようなもので、苦しむまではいかないものの、いつまで経っても嫌な記憶を掘り起こしてしまうのだろう。
 それを掘り起こす手伝いはしたくないと、エリンシアも彼が何を考えているのか聞くことはしないが、やはり、ただ寂しくはある。
 皿にカトラリーが当たる音だけが響く食堂は晴れた日よりもずっと冷えているように感じていた。

「ん?」

 いつも静かな城内だが、雨の日は特に静かである。それはきっと、エリンシアが来る前のヴァレンの態度に問題があってのことなのだろうが、今日はそれを破るように慌ただしい足音が聞こえてきた。

「走るなと注意を受けなければわからないのか?」
「申し訳ございません!」

 ドアの前で立ち止まってから入ってきた執事が早々に受けた苦言に深々と頭を下げるが、その表情を見るに忘れていたわけではないことは二人にもわかった。

「何事だ?」
「ロドリク大公閣下がご来訪でございます」
「予定には入っていない。追い返せ」

 驚きを露わにしたのは執事だった。
 ヴァレンの返事には一切の迷いもなく、吐き捨てるように告げたのだ。

「そういう態度を直せと言っただろう、ヴァレン。無礼だぞ」

 エリンシアにとっては聞き覚えのない声に振り返ると身長百九十は超えているだろう大柄な男が食堂の入り口に立っていた。
 深々と頭を下げる執事の横を通ってテーブルへと近づいてくるロドリクがカゴに入ったパンを手に取ると同時にヴァレンがフォークを置く。

「王の許可なく入城することは無礼ではないのか?」
「生まれ育った家に入るのに許可は必要ない」
「ここの主は僕であり、貴殿の家ではない」
「お前の父親は快く迎え入れたがな?」
「先代は規律を重んじる方だった。貴殿がこうして不躾にも連絡もなしに訪ねてくることを快く思うことはなかっただろう。それに、貴殿と先代が親しげに話しているのを見たことがない」
「お前のいない場所ではそうだった」

 ヴァレンは黙った。しかし、これが言い返せなくなったことによる沈黙ではないことをエリンシアは知っている。これは呆れているときの沈黙だ。

「お前は──」
「貴殿は王族でありながら王に対し、随分と砕けた物言いをするのだな」

 今度はロドリクが黙った。失敗したという感情ではなく、気に入らないと感じての沈黙だろう。
 眉を寄せるロドリクの表情が険しくなろうとも、ヴァレンの表情は変わらない。

「俺は叔父さんだ」
「僕は王だ。大公閣下」

 身内としての立場を口にするロドリクと、王族としての立場を口にするヴァレンの相性は最悪で、エリンシアはハラハラしていた。
 今日は雨で、ヴァレンの機嫌は良いとは言い難い。そんな中、予定調和を崩す人間が現れた彼の胸中を察したエリンシアは立ち上がろうとした。

「エリンシア、こっちへ」

 触れられない距離に移動させようとするヴァレンの意図を汲んで、エリンシアは立ち上がり、ロドリクに会釈をしてから遠回りでヴァレンの隣に向かった。

「座れ」

 引かれた椅子に座るとテーブルの下で手が握られる。

「おいおい、妻に挨拶ぐらいさせたらどうだ?」
「何用だ?」

 ヴァレンの一言が気に入らないロドリクは向かいの椅子を引いてドカッと腰掛け、足を組んだ。
 
「可愛い甥っこの結婚式に招待されなかったもんでな。祝いに来たんだ。優しい叔父さんに泣けるだろ?」

 嫌味だとわかった。結婚式はまだ挙げていない。それは国内にいる彼なら当然知っているはずだ。それなのにそうした言葉を吐く彼にエリンシアも良い印象を抱かなかった。
 いや、思い出した。彼は戴冠式のときに自分の隣にいて、自分を睨んでいた男だと。
 視界に映る範囲でしか見ていなかったため気づくのが遅れたが、彼はあの瞬間、確かに隣にいた。

「作り話をしに来たのであれば帰れ。僕は貴殿の与太話に付き合うほど暇ではないのだ」
「父親そっくりだな、その物言い」
「親しかったのでは?」

 忌々しげに顔を歪めて睨みつけるロドリクがテーブルに乗せていた足を上げ、そのまま叩き落とした。
 踵が落ちたテーブルは激しい音を立てて食器や蝋燭立てを跳ね上げては落とす。

「エリンシア、怪我はないか?」
「大丈夫です」

 瞬時にヴァレンがテーブルクロスを持ち上げて防いでくれたため、スープも何もかからずに済んだ。

「ああ、悪いな。足を下ろそうと思ったら当たっちまった」

 悪びれる様子のない言い方には、まだどこか苛立ちが含まれている。彼の中ではヴァレンの歪む顔が見たかったのだろうが、失敗に終わった。
 ゆっくりとテーブルクロスを下ろしたヴァレンはエリンシアの手を一度ぎゅっと握ってから離し、立ち上がった。

「陛下?」

 少し雰囲気が変わったように見えるヴァレンに手を伸ばすが、空を切る。
 歩み寄ってくるヴァレンにニヤつきを向けるロドリクはまだ足をテーブルに乗せたまま。
 それを見たヴァレンはテーブルの上に散乱しているカトラリーの中からフォークを手に取った。

「失敗するのは姿勢の悪さ、そして育ちの悪さが出ると教わった。貴殿はその手本のような存在だ」
「おいおい、王族としての持ち方じゃねぇな。フォークの持ち方ひとつ教わらなかった──おいっ!!」

 ヴァレンがフォークを下ろしたのは一瞬だった。持ち上げて勢いをつけることはしなかったため、ロドリクの反応が遅れた。
 フォークは彼のズボンに突き刺さり、エボニーで作られた木製テーブルに固定される。

「貴殿の教養の低さを嘲笑うつもりはない。貴殿がどこで恥をかこうと僕の知ったことではないからだ」
「あ?」
「だが……お前の愚行で僕の妻に傷がつくことだけは許さない」

 フォークから手を離さないまま話すことにロドリクは本能で危機を感じ取っていた。
 迷いなくフォークを振り下ろしたのは獲物を逃すつもりがない、確実に仕留めるための確実性を得るため。無駄な一秒を与えないためだ。
 振り下ろすならいい。まだ時間はある。だが、横に刺されたら?
 目を逸らさないヴァレンは何を考えているのか読めないだけに、ロドリクは緊張からごくりと喉を鳴らした。

「貴殿から大公の位を取り上げることもできるのだぞ。僕は貴殿らに思い入れなどないのだからな」

 脅しではないことをヴァレンは全てで物語る。目も、表情も、声も全てが冷たい。
 自分への侮辱ではなく、妻に危険が及びそうになったことに怒りを抱いているのだとロドリクは察した。

「わ、悪かったよ」
「僕ではない。妻に謝れ。貴殿のくだらん話をするためだけにある口で、己の愚行を恥じながら謝罪しろ」
「へ、陛下、私は大丈夫ですから──」
「お前は黙っていろ。僕の気がすまないのだ」
「エリンシア王妃……ッ!?」

 思いきり叩かれたテーブルにロドリクが足を動かしたことでズボンが少し裂けた。

「その薄汚い口で妻の名を呼ぶな。王妃陛下と呼べ」

 これまでのどの言葉よりも感情が込められている気がした。もしここで一瞬でもふざけようものなら、脚はタダでは済まないだろうと予感させるほどには強い。

「王妃陛下、大変申し訳ございませんでした」

 謝罪を口にするとようやくフォークが抜かれた。

「もう一度だ」

 正しい姿勢で、と言われているのだと察し、椅子から立ち上がり、頭を下げて謝罪する。

「大変申し訳ございませんでした」

 エリンシアは何と返すのが正解なのかわからなかった。
 間違いなくヴァレンは怒っている。その中で自分が「気にしていない」と発することは王族として正しいのかを迷っていた。
 もう子爵令嬢ではない。軽く見られて笑顔で流すことが正しいとは言えない立場にいることは、感情をどうするかを複雑にする。

「暇なら娘にでも相手をしてもらうのだな」

 執事に向かって顔を動かして合図をすると、待機していた使用人たちがロドリクに帰るよう促す。
 謝罪をしただけのロドリクはすぐに表情を歪め、不機嫌な感情を残して帰っていった。
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