痛みを感じない国王陛下の大いなる愛の執着

永江寧々

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終幕

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「陛下」

 披露宴が終わったのは深夜三時を過ぎた頃。
 疲れ果て、ベッドにダイブしたい気持ちはあれど、エリンシアはそれよりも怒りが勝っていた。
 怒気を含むその声に反応したヴァレンが着替えながら振り返る。

「悪かった」
「何に対しての謝罪でしょうか?」
「一緒に一度の結婚式を僕自身が台無しにしてしまったことだ」
「それで私が怒っていると?」
「楽しみにしていただろう」

 呆れてしまう。大きな溜息をついて首を振ると、何もわかっていない彼の前で口を閉ざした。

「僕の手は痛くない。お前が気にする必要はない」

 そういうことではないと首を振る。

「ハッキリ言え。わからぬ」

 何を言ったところで彼は理解しない。エリンシアは彼と過ごしている中で、久しぶりに精神的な疲労を感じていた。まるで戴冠式直後のように。

「披露宴などしなければよかった」
「ッ!?」

 ヴァレンの言葉にエリンシアは思わず目を見開いた。

「は……?」
「王族である以上、結婚式は義務だ。同盟国に披露するのもな。だから渋々披露宴も取り行ったが、僕は披露宴はしたくなかった」

 初めて耳にする彼の本音にエリンシアは眉を下げるどころかシワが刻まれるほど寄せていく。

「お前に易々と触れることを許すような場を作るべきではなかった。初めから披露宴はしないと断っておけばよかったのだ。そうすればこんな厄介なことにはならなかった。自国の民にだけ披露すればそれで平穏に済んだというのに。面倒な──」

 パンッと乾いた音が漏れ、エリンシアを見ていたヴァレンの顔が窓側を向いた。
 初めて見るヴァレンの驚いた顔。
 何が起こったのかわからないと言いたげな表情を見せるヴァレンの目の映ったのは激しい怒りを露わにしたエリンシア。

「エリンシア……?」
「私も、あなたがそこまで自制できない方だと知っていたら結婚なんてしませんでした」

 互いの言葉は刃となって互いを傷つける。

「なんだと……」

 朝まで夢物語のように幸せだったのが、今は嘘のように怒りが渦巻いている。

「ダンスがあることはわかっていたはずです。踊るということがどういうことかも。許可を出したのもあなたです。それなのにあなたは自らの感情を抑えきれず、愚かにも自分の手を傷つけた」
「僕が愚かだと……」
「愚かでなければなんだと言うのですか? わかりきっていたことを割り切れず、自制できない人間を世の中では愚かだと言うのです」
「僕がお前の父親や元婚約者と同じだと言うのか……?」
「同じです。自制できず、己の感情を優先し──ッ!?」

 頬を掴まれたのは初めてではないが、これほど強く掴まれたのは初めてだった。
 彼の怒りが伝わってくるほどの痛みに眉を寄せながらもエリンシアは睨むようにヴァレンを見つめる。
 
「誰がお前を救ってやったと思っているのだ? 婚約者に、親友に。父親に裏切られていることに一年も気づかず、愚かにもその男と結婚しようとしていたお前を地獄に落ちる前に救ってやったのは誰だ?」
「私は──」
「お前は何も知らぬまま結婚式で男が指示した安上がりのドレスに不満を抱えながらも笑顔で親友に手を振っただろう。隣を歩く男と親友はお前に気づかれぬようにアイコンタクトを取り、奴らはお前が鈍感なのをいいことに、結婚後も関係を続けていただろうな」
「ッ……」

 ヴァレンの言葉の棘が深くエリンシアの心に突き刺さっていく。
 否定はできない。アルトゥールもマリエルも反省の色がなかった。彼らはきっと“相性”が良かったのだろう。だから平気で一年も裏切った。
 気づかなかったのは自分が鈍感だからか、それとも彼らが狡猾で巧妙だったからか。
 悔しさに震える唇をギュッと噛み締めながらヴァレンの腕を掴む。

「なんだ、この手は。僕が間違っているか? お前のもうひとつの未来を語ってやっているだけだろう」
「あなたは……人の心の痛みがわからない……」
「愚弄するな。お前を失ったとき、僕がどれほど心を痛めたか、お前は知らないだろう」
「その痛みはあなただけのもの。他人の心の痛みなんてわからないくせに」

 ギリッとヴァレンの手に更に力がこもる。
 エリンシアも、もう後には引けなくなっていた。

「僕を怒らせるなど、どういうつもりだ? お前はここで、僕の隣で生きるしかないというのに、何故僕を怒らせるのだ?」
「だからあなたは人の心がわからないというのです……」

 エリンシアを引き寄せたのか、自分から近づいたのか、至近距離に寄せられるヴァレンの瞳の冷たさにエリンシアは初めてゾッとした。
 これほど冷たい目を向けられたことがないエリンシアはずっと不思議だったが、この瞬間、初めてわかった。使用人が怯えていたのはこの冷たさだったのだと。

「シアレスに戻れるのか?」

 その権利を持っているのはヴァレンだけ。

「実家に戻ったお前を誰が歓迎する? 母親は嘆き、絶望するだろうな。また子爵夫人に戻り、残ったのは「“元王妃”の母」という聞くに耐えぬ嘲笑の的だ。社交の場には二度と顔を出せぬだろう。お前の父親は妻と娘の顔色を気にすることで精神を病むかもしれぬ。母親からの非難、父親からの顔色伺いを受けながらお前はまた子爵令嬢として生きられるのか? 愚者であるアルトゥール・ヘイザーとマリエル・ベルモントに慰めてもらうのか? 頼り所はそこしかないのだろうからな」

 この人は、人の追い詰め方を知っている。エリンシアは初めて気づいた。
 これまで、自分に向けられるのは両手では抱えきれないほどの大きな愛情だった。
 傲慢なだけだと思っていたし、変わっているとも思っていた。だが、根っこまでは変えられていない。彼は、変わったのではなく、あくまでも妻の意見を受け入れてくれていただけ。
 ここまで言われなければならないのかとエリンシアの瞳から大粒の涙が溢れる。

「お前に逃げ道を作ってやったのは僕だ。お前の逃げ場、母親の歓喜を作ってやったのは僕だということを忘れるな」

 吐き捨てるような言い方にギュッと目を閉じたことでようやく解放された。

「あなたは……何もわかってない……」
「僕は人の心がわからないのだから当然だろう」

 エリンシアの言葉を使うヴァレンに何も言い返すことはできず、立ち上がってドアへと向かう。

「人の心がわからぬ人間に察せと願ったところで無駄だ。話し合いは言葉でしかできぬ。それを放棄するというのだな?」
「……今のあなたとは話したくありません」

 ヴァレンが何も言わないことを了承だと捉え、エリンシアは部屋を出ていった。

「王妃陛下……」

 心配そうに声をかける侍女に顔を向ける前に涙を拭って息を吐いた。

「心配かけてごめんなさい」

 苦笑しながら謝るその表情を見つめながら「いいえ」と小さく答える声の優しさにほんの少し救われる。
 言いたいことはたくさんあった。もっと丁寧に伝えることもできたはず。
 でもあのときはあれが精一杯だった。
 売り言葉に買い言葉であればいいが、あれもきっとヴァレンの本音なのだろう。
 救われたのは間違いない。彼が言っていた「もうひとつの未来」はきっと当たっていただろう。
 自分を裏切った者たちから逃げるためにフィオレンツに戻った。それも事実だ。
 だがそれを、ヴァレンの口から聞くのが辛かった。
 唇を噛んで涙を堪えながら、エリンシアは久しぶりに自室へと戻っていった。
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