冬に出会って春に恋して

永江寧々

文字の大きさ
29 / 74

クリスマス

しおりを挟む
「ローストビーフって意外と簡単にできるもんなんだな。俺もっと手が込んでるもんだと思ってた」
「旦那様がお上手だからかもしれませんね」
「褒めても何も出ないぞ」

 朝からクリスマスディナーの準備を始めて、今日の昼は軽めにとうどんを食べている。
 ローストビーフは絶対に買ったほうがいいと言っていたが、レシピを調べてみると簡単すぎたこともあり家で作ることに。寝かせる時間もそれほど長くないため夜には美味しく食べられるよう仕上がるはずとうどんを啜りながら満足げな笑みを浮かべていた。
 慣れない洋食に困惑しているのは椿のほう。柊は和食でもいいと言ったのだが、せっかくのクリスマスだから世間に倣った物が食べたいとの希望を受けてレシピと睨めっこしながら悪戦苦闘中。
 わかるところは手伝っていても普段から料理をしない柊が教えられることは少ない。レシピ本でわからないことはスマホに頼る。そうこうしている間にあっという間に昼になってしまい、まだまだ残っている作業に椿は少し焦っていた。

「本当に素うどんでよろしかったのですか?」
「夜はご馳走だぞ? 消化の良い物を食べる。これ常識な」
「なるほど」

 嘘ではないが常識でもない。椿は柊の言葉ならなんでも素直に信じてしまう。柊自身その自覚があるだけに毎回言葉を選んで話すようにはしているのだが、こうして椿が知らないのをいいことに簡単に済ませてしまうことも多い。自分が人に常識を説けるほどの人生を送っていないだけに教えるのも難しい。
 椿に教えることについてなんでも考えすぎだとこれも自覚はあれどやめられない。一線を引くのも踏み込みすぎるのも怖い。既に後戻りできない場所まで来ているのにまだそんなことを考えていた。
 具のないうどんのみの昼食。味気ないが文句はない。椿が向かいに座って一緒に食べている。それだけで充分満足なのだから。

「旦那様?」
「ん? あ、なんか来たな」
「あ、私が出ます。旦那様は座っていてください」
「俺の荷物かもだからいい。椿こそ座って──げっ」

 立ち上がろうとする椿の肩を押さえてモニターを見ると柊が固まる。どうしたのかと後ろから覗き込もうとする椿に振り向いてモニターを隠した。

「どうなさいました?」
「いや、なんでもない。知らない奴だから出なくていい。うどんが伸びるから食っちまおう」
「でもお客様──」
「違う違う。お客じゃない。たぶん押し売りかなんかだからいいんだよ」
「クリスマスに押し売りですか?」
「ツリーいりませんかーってな。よくあるんだよ」

 女の子をお持ち帰りのときのように無理ある説明をする様子に半信半疑の目を向ける。押し売りは一度も来たことない。許可がなければエントランスに入ることさえできないマンションだ。セールスマンが勝手に入ってくるわけがない。
 何か隠している。半疑が確信へと変わるも無理には覗こうとしなかった。理解したフリをして席へと戻っていく椿に安堵したのも束の間、今度はドアが叩かれる。

「柊くーん」

 高い女の声が玄関から聞こえてくる。

「いないのー?」

 もう一度ドアを叩いて声をかける女。あれを部下だと言い訳はできない。部下が上司の名前を君付けで呼ぶはずがないのだから。上司と言うのも無理。上司が事前連絡もなく突撃訪問するはずがない。

「彼氏にフラれちゃったから一緒に過ごそ~? クラブ行こ~? クリスマスに一人なんて絶対にやなの~」

 以前、お持ち帰りした女だ。遊び慣れていて彼氏も多いため一夜限りの関係には最適な相手だったのだが、酔っ払ってここの番号を教えてしまったのは失敗だった。
 既に酔っているのかふわふわと話す女にどうしようかと迷っていると椿が立ち上がる。

「椿!?」
「ドアを叩かれ続けては他の住民の方のご迷惑になりますので対処します」
「俺がするから椿はここでうどん食っててくれ!」

 どういう女と遊んでいたか椿に知られたくないとモニターを手で隠した状態でマイクを押して「出る」とだけ伝え、慌てて玄関のドアを開けた。

「柊くんいた~」

 やはり既に酔っ払っている。慣れていたはずの酒と香水の匂いに吐き気を感じながら抱きついてきた女を引き剥がした。

「ヒナのこと覚えてる~?」
「なんでここに?」
「彼氏にフラレチャって~、それはいいんだけど~、クリぼっちは嫌じゃん? それで~、どうせクリスマス過ごすなら柊くんがい~な~って思ってここまで来たの~」
「よく覚えてたな」
「メモしてた~。賢いでしょ~」

 できればバカなだけでいてほしかったと溜息が溢れる。こんな酔っ払いが知り合いだと思われると同じフロアの住民と関わりがないと言えど気まずい。どう対処すべきかと苦い顔をしているとまた抱きついてきた。

「ヒナね~、柊くんの彼女になってもい~よ~」
「お断りだ。クラブには行かねぇし、今日は予定があるから帰れ」
「え~! や~だ~! 柊くんと一緒に過ごす~! ヒナが一人になってもい~の~?」

 あれだけ遊び慣れていた女が酔うとここまで面倒になるとは思ってもいなかった。酔っているせいで声量が調節できず声を張る女の口を押さえるもそれさえ嬉しそうに笑って受け入れてくる。そっちの気がある奴だったと思い出すもそれさえ面倒でしかない。

「旦那様、その方もご一緒に中へ」

 後ろから聞こえた声に顔だけ向けて「すぐ帰すから」と言うも「近所迷惑ですので」と言われて黙り込む。
 せっかくのクリスマスと思うのは柊だけではない。朝からクリスマスだと幸せに感じている者たちもいる。クレームを入れられては困ると女を引っ張ってリビングに通した。

「柊くんのお部屋二回目~……って、あ~! 先約がいる~! なんでなんで~?」

 椿を見て騒ぐ女に椿はグラスに入った水を差し出す。

「柊くんのタイプじゃないじゃ~ん。え~、こういう子にも手ぇ出すことにしたの~?」
「婚約者だから」

 キョトンとする女が椿と柊を交互に見る。酔いも冷めるほど驚いたのか、見開く目と口で驚きを表現しながら「えー!」と声を張った。

「え、え、え、え、え! でもカズくんそんなこと言ってなかった!」
「言ってないし」
「なんで~!? 内緒なの!? 喧嘩した!? だから合コン来なくなったの!? うそぉ! 柊くん結婚するの~!?」

 理解できない状況に地団駄を踏みながら声を上げる女を椿は表情一つ変えることなく見ている。どういう感情なのか読めないのが怖いと柊はいつも思う。関係ないと思っているのだろうか。怒っているだろうか。嫉妬は……ないとわかっているため予想からは除外。
 今日の予定はまだ終わっていない。ここで無駄な時間を過ごすわけにはいかないと柊は女に向かって言い放った。

「そういうわけだから他当たってくれ」
「え~! 柊くんぐらいスペック高いのいないよ~! 困る~!」
「困るのはこっちだ」
「身体の相性良かったのに~」
「やめろ!」

 どういう関係だったか今更隠したところで意味はないのについ大声を出してしまう。

「奥さんのほうが良かったの~?」
「もう帰れ」
「や~だ~」
「なんでだよ! 婚約者いるってわかっただろ!」
 
 往生際の悪さに苛立ちが募る。相手に恋人がいても引かない人間はいる。でも婚約者なら引くだろと思うも不倫という言葉が世の中に定着しているぐらいだから相手がいようと関係ないと思う人間もいるということ。
 柊は運悪くそういう女を掴んでしまった。

「じゃあ最後に一回だけシよ? そしたら柊くんのこと諦めるから」
「何言ってんだよ……マジで帰れって……」

 頭を抱えたくなるほどの態度に苛立ちが止まらない。
 今日は最高の日にする予定だった。二人で一緒にディナーの準備をして、終わったら夜までクリスマス映画を見て過ごす。夜は二人で作ったディナーを食べて、ケーキで驚かせて、プレゼント交換。それが女の登場で一気に崩れてしまった。過去の自分に会いに行って殴ってやりたい気分になる。

「一回シてくれたらちゃんと帰るから~。お願い~。お嫁ちゃんもいていいし~。そうだ! 三人でシようよ! クリスマスだもん! ね、お嫁ちゃんもそれがいいよね? 柊くんすっごいんだよ! 柊くんの弱点教えてあげるから一緒にシよ? ね?」
「ッ! いい加減に──」

 椿を巻き込もうとする女に反射的に怒鳴ろうとしたのを椿が手を握ることで止めた。

「椿……?」

 相変わらず読めない表情で首を振る椿が口を開く。

「送ってあげてください」
「いや、帰らせるから」

 静かにかぶりを振る椿から信用していないと言われているように感じた。
 帰らせようとしても帰らないの一点張りでは帰すと言ったところで意味がない。強制的に外に放り出してもドアを叩かれれば同じこと。大神に連れて行ってもらおうとしても追い出されるまで喚く可能性がある。
 近所の目など気にしたことはなかったが、ここに住んでいく以上はそういうわけにもいかない。
 髪を掻き乱したくなるほどの苛立ちを抑えながら目を閉じて強く長い息を吐き出し、女の手を引いて玄関の靴箱の上に置いている皿の中から車の鍵を取って外に出た。

「……はあ……」

 溜息か安堵か、椿自身わからない息が溢れた。
 誰にだって過去はあって、それは自分がどれほど悔やんでも消えないもの。本当の婚約者でもない自分が相手の過去や女の趣味についてどうこう言えることはなく、できることは感情を乱さないことだけ。
 上手くできただろうか。
 テーブルの上にある二人分のうどんを片付けて一人黙々とディナーの準備を再開し始めた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ
恋愛
月代結奈は、ある日突然、見知らぬ場所に立っていた。 そこで行われていたのは「正妃選びの儀」正妃に側室? 王太子はまったく好みじゃない。 彼女は「これは夢だ」と思い、とっとと「正妃」を辞退してその場から去る。 彼女が思いこんだ「夢設定」の流れの中、帰った屋敷は超アウェイ。 そんな中、現れたまさしく「理想の男性」なんと、それは彼女のお祖父さまだった! 彼女を正妃にするのを諦めない王太子と側近魔術師サイラスの企み。 そんな2人から彼女守ろうとする理想の男性、お祖父さま。 恋愛よりも家族愛を優先する彼女の日常に否応なく訪れる試練。 この世界で彼女がくだす決断と、肝心な恋愛の結末は?  ◇◇◇◇◇設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 R-Kingdom_1 他サイトでも掲載しています。

【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!

satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。 働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。 早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。 そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。 大丈夫なのかなぁ?

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜

ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。 そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、 理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。 しかも理樹には婚約者がいたのである。 全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。 二人は結婚出来るのであろうか。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...