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怒り
「グレンお兄様はいったい何様のつもりなの!? 失礼なことばっかり言って! 初対面よ!?」
グレンはアーサーと顔見知りどころか過去に一度会ったことがあるわけでもない。そんな相手が挑発と嫌味をぶつけ続けることにベンジャミンだけではなくマリーも腹を立てていた。
「マリー、いいんだよ。彼は君を心配して言って──」
マリーの肩に触れるもそれを強く払うマリーの怒りは今まで見たこともないほど強く、アーサーは驚きに目を瞬かせる。
拒まれたではなく、止めるなというマリーの強い意思。
「どうして! そんな! ひどいことを! 言うのよ!」
何度も強くグレンの胸を突き飛ばすように押すマリーの怒りにはグレンも戸惑っていた。
マリーのために言っていたつもりが、まさかマリーを怒らせることになるとは思ってもいなかったのだ。
「マリー、俺はお前のためを思って言ったんだ」
「私のためなんかじゃない! 全部グレンお兄様の気持ちじゃない!」
「彼と結婚するということはお前があっという間に一人になるってことなんだ! それは同年代と結婚するよりもずっと早く訪れることだ! それをわかってるのか!? 今が良ければそれでいいなんてのはまやかしだ! 夢の中で生きてるのと同じなんだよ!」
「そんなの同年代と結婚したって、あなたと結婚したって同じよ! 事故に遭って亡くなるかもしれない! 病気になって亡くなるかもしれない! 若いから健康で生きられる保証なんてどこにもないんだから! 歳の差だけで彼を酷い言葉で責めないでよ!」
「マリー……」
愛する人がいなくなる現実は誰よりも知っている。
五歳まで親の愛情をたっぷり受けて育ったマリーはある日を境にその愛情を失った。両親という大きな存在と、その愛と温もりを。
歳だったわけじゃない。まだ若かった。若すぎた。それでもいなくなってしまう。自分の親よりも先に亡くなる現実を知っているからこそ、年の差で責めるグレンが許せなかった。
ボロボロと溢れ出す涙を拭うこともせずにグレンの胸を何度も突き飛ばすマリーをアーサーが引き寄せて抱きしめる。
「マリー、そんなことしなくていいんだよ。大丈夫。私は君より長生きするって約束しただろう? 心配しなくていい。君を一人になんかするものか」
胸の中で泣き震えるマリーに優しい声を降らせながら何度も髪を撫でる。
悲しみと悔しさが込み上げているのだろうマリーは声を押し殺しながら泣いている。
「僕のために大切な人に怒らなくていいんだよ」
優しい子だと心から思う。そういうところがとても愛しいと。愛していると。
「……それが……無責任だって言ってるんですよ……」
「グレンッ、いい加減にしろ!!」
ベンジャミンの怒声にグレンが振り向く。
「お前をここに連れてきたことを後悔させるな」
「ベンじい……」
バツの悪そうな顔で地面を見つめるグレンの腕をカサンドラがそっと撫でる。
情けなくなったグレンは背を向けて門のほうへと歩いていく。
「ごめんなさいね。グレンはマリーをすごく可愛がっていたから取られちゃった気分なんだと思います。マリーを奪えないほど素敵な相手だから子供みたいになっちゃって」
「わかっています」
「心配なら心配だとそれだけ言えばいいんです。外国に行って女々しく成り下がって……。アーサー様、医者の免許を取っただけで自分を偉人と勘違いしておったこの愚か者を若さ故だと寛大なお心でどうかお許しください」
「許すも何も、私も張り合って言っていたわけですから。お互い様です」
二人で頭を下げる様子に逆に頭を上げるようお願いすると上がりはしたが、申し訳なさが顔に残っている。
「マリー、グレンはあなたの幸せを心から願ってるの。それだけはわかってあげて」
「わかってるけど……」
マリーの口から「うぅっ…」とまた小さな声が漏れる。背中が不規則に震えることからまた涙が出てきているのだとわかり、カサンドラは苦笑してしまう。
一人になるという言葉はマリーにとって何よりも辛い言葉だ。
帰ってくるはずの両親が帰ってこなかった経験はマリーの心に大きな傷を残している。その傷は祖父母の愛によって癒やされはしたが、傷は残ったままだ。
その祖父母もいつかはいなくなってしまう。アーサーよりもずっと年上なのだから当然のこと。順番だ。
その“いつか“にマリーは怯え続けていた。そんな中、アーサーと出会い、人生を共にする伴侶となったが、それでもグレンの言うように年齢から考えてアーサーが先に亡くなるのもまた“順番”。事故や病気でもない限り逆転はない。
突きつけられた現実に傷が開くような痛みを味わうマリーをアーサーは強く抱きしめていた。
「マリー、もう泣かないの。皆さんをお見送りするまでが大公妃の仕事でしょう?」
「……はい……」
厳しく聞こえるカサンドラの言葉を誰も止めることはしなかった。ベンジャミンは酷だと思っているし、アーサーも可哀想に思っているが、マリーは病気ではない。今日までは大公妃として立派に背筋を伸ばしていなければならないのは事実だ。
今日はアルキュミアにとって一年で一番大切な日なのだからと近付くとアーサーから離れたマリーの顔を見て苦笑する。
「あらあら、ひどい顔。こっちへいらっしゃい」
ハンカチを顔に当てて涙を拭くのではなく吸い取ってやりながらカサンドラがマリーを少し離れた場所へと連れていく。
二人を横目で見送りながらベンジャミンはグレンに先に馬車に乗っているよう指示した。
「私らはこのまま帰ろうかと思います」
「彼のことを気にしているのなら、そんな遠慮はやめてください」
「あやつをこのまま泊らせていただくわけにはいきません。連絡もせずに勝手に連れてきてしまったのは私らですから」
「あれは彼なりに心配してのことです」
「いや、あれはただの驕り高ぶった人間です。教育し直さねば」
「このまま別れてしまうのは良くないと思うんです。彼もマリーに怒られてショックを受けているでしょうし、マリーに謝りたいと思っているかもしれない」
「傷つく権利など奴にはありません。全ては連れてきた私の責任です。ですから──」
「ベンジャミン」
それでも帰ると言うつもりだろうベンジャミンにアーサーはかぶりを振った。
アーサーは傷ついていない。グレンの言っていることはアーサーも何百回と考えてたことだから。でもそれを無視してでもマリーとの結婚を選んだのは事実。
この結婚を後悔していないからこそ、グレンに何を言われようと傷つくことはないし、謝罪をしてほしいとも思っていない。それよりもグレンが謝るチャンスを失うことを懸念していた。
「若さ故、というものをあなたはよく知っているはずだ」
ベンジャミンが言った言葉を使うと深くシワを刻みながら苦笑する彼にアーサーは優しい微笑みを向ける。
「……はあ……あなたというお人は……」
六十を超えているベンジャミンならわかるはずと微笑むとベンジャミンは軽く両手を上げて諦めたように笑いながら首を振った。
「明日、帰るときに謝罪させますので」
「謝罪は強制するものじゃないよ」
「必要な謝罪は強制してでもさせる主義ですので」
「ああ、カサンドラから教育を受けたんだね」
「数えきれないほどに」
アーサーは冗談で言ったことでも、ベンジャミンの返事はどこまでが冗談かわからない。
だが、笑ってくれたことにとりあえずは安堵する。
「マリー、大丈夫かい?」
「は、はい……」
俯きながら戻ってきたマリーの顔を覗き込もうとすると柔らかな手に目を覆われる。
「お化粧が落ちてしまったことを気にしてるんです。アーサー様にお会いするまでお化粧なんてほとんどしなかったのに」
「そういうこと言わないで! お化粧ぐらいしてた!」
「ふふっ、いいじゃない。それだけ女性になってるってことよ」
俯いている理由をカサンドラが暴露するとアーサーはマリーの手を離し、そのまま頬を包み込んで自分の方を向かせた。
「化粧をしていない顔も愛しているよ。寝る前と起きた時はいつも見てるじゃないか」
「それはいつもネグリジェだから……」
今は素敵なドレスを着ている。自分が質素な顔をしていることは自覚済みであるためスッピンでは今のドレスが似合わないのではないかとマリーは不安だった。
そんな思いに気付いているのか、アーサーは頬を包み込んだままコツンと額を合わせた。
「どんなマリーだって可愛いって思うよ。心配しなくていい。今のマリーも素敵だ」
「嘘ばっかり」
「私が嘘をついたことがあるかい?」
「ないです……」
リタとのキスは嘘をついているわけじゃない。ただの過去。それはもう気にしないと決めた。自分に過去がないから気にしてしまうだけだとわかったのだ。だからマリーはそのまま目を閉じて小さく息を吐き出す。
そのチャンスを逃すことなくアーサーはマリーにキスをした。
「ッ!?」
「僕はね、マリーに嘘をついたりしない。そもそも、君は本当に可愛いんだよ。愛らしいし、素敵だし、キレイだ」
「ア、アーサー様っ」
突然のキスに驚くが、続くアーサーの笑顔と褒め言葉にマリーは恥ずかしくなり顔が真っ赤になっていく。
「好きだよ、マリー。どんな君だって愛してる」
またすぐに重なった柔らかな唇。拒絶はない。
その久しぶりの感触にアーサーはすぐに離すことができず、頬に添えていた手を腰に回してそのまま抱き寄せ、マリーの温もりを感じればたまらなくなって次第にキスが深くなっていく。
ベンジャミンたちの前だとか、解放月の最終日だとかそういうものは一切どうでもよくなっていて、久しぶりのマリーの体温と匂いがこんなにも傍にあるという喜びから止まらなかった。
「ゴホンッ、ゴホンゴホンッ」
少ししてからベンジャミンのわざとらしい咳払いが聞こえたことでハッとしたアーサーがキスをやめた。
「私らはいいですが、皆が見ておりますよ」
皆とは誰のことかと壇上の方へ顔を向けると花火を見ていたはずの者たちが花火を無視して自分たちを見ていることに気付いた。
ニヤついている者もいれば驚いている者もいる。中にはアーサーのキスを目の当たりにして泣いている者まで。
「は、花火も終わりに近付いている。どうか楽しんでくれ」
こっちではなく花火を見てほしいと言うアーサーの言葉に皆が花火のほうへと向きを戻すが、ほとんどの者が花火ではなくアーサーのキスシーンについて何やらヒソヒソと話していた。
(明日になったら新聞に何か書かれていたりするんだろうな……)
新聞のどこかに今のことが書かれているだろうことは想像に難くないが、どうせ読みはしない。しかし、それを読んだこの場にいない令嬢たちが騒ぐのを想像しては気が重くなった。
他人のことなど放っておけばいいのにと思うアーサーのような人間のほうが少ないのだ。
「また来年、アーサー様にお会いできるのを楽しみにしています」
「ありがとう。また来年、お待ちしています」
花火が終わり、一組ずつ帰っていくのを門に立って見送る。
門の前で一度馬車が止まり、一人ずつ挨拶をしてくれる。それにお礼を言って見送るのを最後の一組まで続けるのも毎年のこと。
最後の一組を見送ればゆっくりと門が閉まって鍵がかかる。その音がアーサーに解放月が終わったのだと実感させる。
「終わったね、マリー」
「お疲れ様でした」
「マリーもお疲れ様でした」
「私は何も。私のわがままでアーサー様を気遣わせて疲れさせてしまって……妻失格で──キャッ! アーサー様!?」
マリーの謝罪は最後まで聞かず抱き上げたアーサーは一緒にいたハンネスに仕事は終わりだと告げて足速に部屋へと戻っていく。
「ずっとマリーに触れたかったんだ」
「あ、ああああああの……! わ、私、アーサー様にちゃんと謝らなきゃいけな──」
「あとで聞く」
マリーに触れても大丈夫というのはキスで確信した。
部屋に入ってベッドに一緒に倒れると顔中にキスを降らせながら唇は顔だけではなく喉や鎖骨へと降りていく。
「ド、ドレスがシワになってしまいますから……!」
「マリー、僕もあとで君に謝罪する。今からしようとしてることがちょっと強引なものになるだろうから」
アーサーはいつだってマリーの意志を尊重してくれる。マリーが何か悩んでいても無理に聞き出したりはせず、自ら話すまで待つタイプ。
しかし、恋愛の行為となると話は別。キスもマリーが戸惑っているのに場所など関係なくキスはするし、マリーが自分でドレスを脱ぐことも待てずに少し乱暴に脱がせていく。
それでもマリーは嫌悪や恐怖は感じていない。普段優しすぎる彼が欲望に忠実な顔が好きだった。
きっと朝になったらいつも通りのアーサーに戻っていて、ベッドの上で申し訳なさそうにするのだろうと思うと自然と笑みが浮かぶ。
「必死なのは僕だけ?」
「そうです」
「悔しいな」
「ふふっ、私のことを必死にさせてください」
腕を首に回したマリーの挑発とも取れる言葉にアーサーはゴクッと喉を鳴らした。だが同時に嬉しそうでもあった。
「その言葉、後悔しないように」
マリーが受け入れてくれるのならマリーからの謝罪なんて必要ない。
自分にとって全てであるマリーにこうして触れられていることがアーサーはただ幸せだった。
グレンはアーサーと顔見知りどころか過去に一度会ったことがあるわけでもない。そんな相手が挑発と嫌味をぶつけ続けることにベンジャミンだけではなくマリーも腹を立てていた。
「マリー、いいんだよ。彼は君を心配して言って──」
マリーの肩に触れるもそれを強く払うマリーの怒りは今まで見たこともないほど強く、アーサーは驚きに目を瞬かせる。
拒まれたではなく、止めるなというマリーの強い意思。
「どうして! そんな! ひどいことを! 言うのよ!」
何度も強くグレンの胸を突き飛ばすように押すマリーの怒りにはグレンも戸惑っていた。
マリーのために言っていたつもりが、まさかマリーを怒らせることになるとは思ってもいなかったのだ。
「マリー、俺はお前のためを思って言ったんだ」
「私のためなんかじゃない! 全部グレンお兄様の気持ちじゃない!」
「彼と結婚するということはお前があっという間に一人になるってことなんだ! それは同年代と結婚するよりもずっと早く訪れることだ! それをわかってるのか!? 今が良ければそれでいいなんてのはまやかしだ! 夢の中で生きてるのと同じなんだよ!」
「そんなの同年代と結婚したって、あなたと結婚したって同じよ! 事故に遭って亡くなるかもしれない! 病気になって亡くなるかもしれない! 若いから健康で生きられる保証なんてどこにもないんだから! 歳の差だけで彼を酷い言葉で責めないでよ!」
「マリー……」
愛する人がいなくなる現実は誰よりも知っている。
五歳まで親の愛情をたっぷり受けて育ったマリーはある日を境にその愛情を失った。両親という大きな存在と、その愛と温もりを。
歳だったわけじゃない。まだ若かった。若すぎた。それでもいなくなってしまう。自分の親よりも先に亡くなる現実を知っているからこそ、年の差で責めるグレンが許せなかった。
ボロボロと溢れ出す涙を拭うこともせずにグレンの胸を何度も突き飛ばすマリーをアーサーが引き寄せて抱きしめる。
「マリー、そんなことしなくていいんだよ。大丈夫。私は君より長生きするって約束しただろう? 心配しなくていい。君を一人になんかするものか」
胸の中で泣き震えるマリーに優しい声を降らせながら何度も髪を撫でる。
悲しみと悔しさが込み上げているのだろうマリーは声を押し殺しながら泣いている。
「僕のために大切な人に怒らなくていいんだよ」
優しい子だと心から思う。そういうところがとても愛しいと。愛していると。
「……それが……無責任だって言ってるんですよ……」
「グレンッ、いい加減にしろ!!」
ベンジャミンの怒声にグレンが振り向く。
「お前をここに連れてきたことを後悔させるな」
「ベンじい……」
バツの悪そうな顔で地面を見つめるグレンの腕をカサンドラがそっと撫でる。
情けなくなったグレンは背を向けて門のほうへと歩いていく。
「ごめんなさいね。グレンはマリーをすごく可愛がっていたから取られちゃった気分なんだと思います。マリーを奪えないほど素敵な相手だから子供みたいになっちゃって」
「わかっています」
「心配なら心配だとそれだけ言えばいいんです。外国に行って女々しく成り下がって……。アーサー様、医者の免許を取っただけで自分を偉人と勘違いしておったこの愚か者を若さ故だと寛大なお心でどうかお許しください」
「許すも何も、私も張り合って言っていたわけですから。お互い様です」
二人で頭を下げる様子に逆に頭を上げるようお願いすると上がりはしたが、申し訳なさが顔に残っている。
「マリー、グレンはあなたの幸せを心から願ってるの。それだけはわかってあげて」
「わかってるけど……」
マリーの口から「うぅっ…」とまた小さな声が漏れる。背中が不規則に震えることからまた涙が出てきているのだとわかり、カサンドラは苦笑してしまう。
一人になるという言葉はマリーにとって何よりも辛い言葉だ。
帰ってくるはずの両親が帰ってこなかった経験はマリーの心に大きな傷を残している。その傷は祖父母の愛によって癒やされはしたが、傷は残ったままだ。
その祖父母もいつかはいなくなってしまう。アーサーよりもずっと年上なのだから当然のこと。順番だ。
その“いつか“にマリーは怯え続けていた。そんな中、アーサーと出会い、人生を共にする伴侶となったが、それでもグレンの言うように年齢から考えてアーサーが先に亡くなるのもまた“順番”。事故や病気でもない限り逆転はない。
突きつけられた現実に傷が開くような痛みを味わうマリーをアーサーは強く抱きしめていた。
「マリー、もう泣かないの。皆さんをお見送りするまでが大公妃の仕事でしょう?」
「……はい……」
厳しく聞こえるカサンドラの言葉を誰も止めることはしなかった。ベンジャミンは酷だと思っているし、アーサーも可哀想に思っているが、マリーは病気ではない。今日までは大公妃として立派に背筋を伸ばしていなければならないのは事実だ。
今日はアルキュミアにとって一年で一番大切な日なのだからと近付くとアーサーから離れたマリーの顔を見て苦笑する。
「あらあら、ひどい顔。こっちへいらっしゃい」
ハンカチを顔に当てて涙を拭くのではなく吸い取ってやりながらカサンドラがマリーを少し離れた場所へと連れていく。
二人を横目で見送りながらベンジャミンはグレンに先に馬車に乗っているよう指示した。
「私らはこのまま帰ろうかと思います」
「彼のことを気にしているのなら、そんな遠慮はやめてください」
「あやつをこのまま泊らせていただくわけにはいきません。連絡もせずに勝手に連れてきてしまったのは私らですから」
「あれは彼なりに心配してのことです」
「いや、あれはただの驕り高ぶった人間です。教育し直さねば」
「このまま別れてしまうのは良くないと思うんです。彼もマリーに怒られてショックを受けているでしょうし、マリーに謝りたいと思っているかもしれない」
「傷つく権利など奴にはありません。全ては連れてきた私の責任です。ですから──」
「ベンジャミン」
それでも帰ると言うつもりだろうベンジャミンにアーサーはかぶりを振った。
アーサーは傷ついていない。グレンの言っていることはアーサーも何百回と考えてたことだから。でもそれを無視してでもマリーとの結婚を選んだのは事実。
この結婚を後悔していないからこそ、グレンに何を言われようと傷つくことはないし、謝罪をしてほしいとも思っていない。それよりもグレンが謝るチャンスを失うことを懸念していた。
「若さ故、というものをあなたはよく知っているはずだ」
ベンジャミンが言った言葉を使うと深くシワを刻みながら苦笑する彼にアーサーは優しい微笑みを向ける。
「……はあ……あなたというお人は……」
六十を超えているベンジャミンならわかるはずと微笑むとベンジャミンは軽く両手を上げて諦めたように笑いながら首を振った。
「明日、帰るときに謝罪させますので」
「謝罪は強制するものじゃないよ」
「必要な謝罪は強制してでもさせる主義ですので」
「ああ、カサンドラから教育を受けたんだね」
「数えきれないほどに」
アーサーは冗談で言ったことでも、ベンジャミンの返事はどこまでが冗談かわからない。
だが、笑ってくれたことにとりあえずは安堵する。
「マリー、大丈夫かい?」
「は、はい……」
俯きながら戻ってきたマリーの顔を覗き込もうとすると柔らかな手に目を覆われる。
「お化粧が落ちてしまったことを気にしてるんです。アーサー様にお会いするまでお化粧なんてほとんどしなかったのに」
「そういうこと言わないで! お化粧ぐらいしてた!」
「ふふっ、いいじゃない。それだけ女性になってるってことよ」
俯いている理由をカサンドラが暴露するとアーサーはマリーの手を離し、そのまま頬を包み込んで自分の方を向かせた。
「化粧をしていない顔も愛しているよ。寝る前と起きた時はいつも見てるじゃないか」
「それはいつもネグリジェだから……」
今は素敵なドレスを着ている。自分が質素な顔をしていることは自覚済みであるためスッピンでは今のドレスが似合わないのではないかとマリーは不安だった。
そんな思いに気付いているのか、アーサーは頬を包み込んだままコツンと額を合わせた。
「どんなマリーだって可愛いって思うよ。心配しなくていい。今のマリーも素敵だ」
「嘘ばっかり」
「私が嘘をついたことがあるかい?」
「ないです……」
リタとのキスは嘘をついているわけじゃない。ただの過去。それはもう気にしないと決めた。自分に過去がないから気にしてしまうだけだとわかったのだ。だからマリーはそのまま目を閉じて小さく息を吐き出す。
そのチャンスを逃すことなくアーサーはマリーにキスをした。
「ッ!?」
「僕はね、マリーに嘘をついたりしない。そもそも、君は本当に可愛いんだよ。愛らしいし、素敵だし、キレイだ」
「ア、アーサー様っ」
突然のキスに驚くが、続くアーサーの笑顔と褒め言葉にマリーは恥ずかしくなり顔が真っ赤になっていく。
「好きだよ、マリー。どんな君だって愛してる」
またすぐに重なった柔らかな唇。拒絶はない。
その久しぶりの感触にアーサーはすぐに離すことができず、頬に添えていた手を腰に回してそのまま抱き寄せ、マリーの温もりを感じればたまらなくなって次第にキスが深くなっていく。
ベンジャミンたちの前だとか、解放月の最終日だとかそういうものは一切どうでもよくなっていて、久しぶりのマリーの体温と匂いがこんなにも傍にあるという喜びから止まらなかった。
「ゴホンッ、ゴホンゴホンッ」
少ししてからベンジャミンのわざとらしい咳払いが聞こえたことでハッとしたアーサーがキスをやめた。
「私らはいいですが、皆が見ておりますよ」
皆とは誰のことかと壇上の方へ顔を向けると花火を見ていたはずの者たちが花火を無視して自分たちを見ていることに気付いた。
ニヤついている者もいれば驚いている者もいる。中にはアーサーのキスを目の当たりにして泣いている者まで。
「は、花火も終わりに近付いている。どうか楽しんでくれ」
こっちではなく花火を見てほしいと言うアーサーの言葉に皆が花火のほうへと向きを戻すが、ほとんどの者が花火ではなくアーサーのキスシーンについて何やらヒソヒソと話していた。
(明日になったら新聞に何か書かれていたりするんだろうな……)
新聞のどこかに今のことが書かれているだろうことは想像に難くないが、どうせ読みはしない。しかし、それを読んだこの場にいない令嬢たちが騒ぐのを想像しては気が重くなった。
他人のことなど放っておけばいいのにと思うアーサーのような人間のほうが少ないのだ。
「また来年、アーサー様にお会いできるのを楽しみにしています」
「ありがとう。また来年、お待ちしています」
花火が終わり、一組ずつ帰っていくのを門に立って見送る。
門の前で一度馬車が止まり、一人ずつ挨拶をしてくれる。それにお礼を言って見送るのを最後の一組まで続けるのも毎年のこと。
最後の一組を見送ればゆっくりと門が閉まって鍵がかかる。その音がアーサーに解放月が終わったのだと実感させる。
「終わったね、マリー」
「お疲れ様でした」
「マリーもお疲れ様でした」
「私は何も。私のわがままでアーサー様を気遣わせて疲れさせてしまって……妻失格で──キャッ! アーサー様!?」
マリーの謝罪は最後まで聞かず抱き上げたアーサーは一緒にいたハンネスに仕事は終わりだと告げて足速に部屋へと戻っていく。
「ずっとマリーに触れたかったんだ」
「あ、ああああああの……! わ、私、アーサー様にちゃんと謝らなきゃいけな──」
「あとで聞く」
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「ド、ドレスがシワになってしまいますから……!」
「マリー、僕もあとで君に謝罪する。今からしようとしてることがちょっと強引なものになるだろうから」
アーサーはいつだってマリーの意志を尊重してくれる。マリーが何か悩んでいても無理に聞き出したりはせず、自ら話すまで待つタイプ。
しかし、恋愛の行為となると話は別。キスもマリーが戸惑っているのに場所など関係なくキスはするし、マリーが自分でドレスを脱ぐことも待てずに少し乱暴に脱がせていく。
それでもマリーは嫌悪や恐怖は感じていない。普段優しすぎる彼が欲望に忠実な顔が好きだった。
きっと朝になったらいつも通りのアーサーに戻っていて、ベッドの上で申し訳なさそうにするのだろうと思うと自然と笑みが浮かぶ。
「必死なのは僕だけ?」
「そうです」
「悔しいな」
「ふふっ、私のことを必死にさせてください」
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青春ならではのちょっぴり恥ずかしい二人の言動を「気持ち悪い!」と吐き捨てる姉の婚約者にもご注目ください。