遊び人公爵令息に婚約破棄された男爵令嬢は恋愛初心者の大公様に嫁いで溺愛される

永江寧々

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結婚しないか?

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 マリーが乗ってきた馬車はネイトのであるため、アーサーは自分の馬車に乗るよう言い、ネイトの馬車の御者には先に帰るよう伝えた。ネイトを置いて帰ることになるが、アーサーの指示に背くこともできずあからさまな困惑と共に馬車を出した。
 マリーはどうにも居心地が悪い状況に膝の上に置いた自分の手を見つめる。

「あの、アーサー様」
「ん?」
「ありがとうございました」

 アーサーがいなければ自分はあんなにも強気に言い返すことはできなかった。泣きながら帰って、気丈に振る舞おうとして結局泣いて祖父母に心配をかけてしまうのは容易に想像がついていた。でも、これで少しスッキリしたため泣かずに話せそうだと感謝と共に頭を下げた。
 結婚式を一ヵ月後に控えていた段階での婚約破棄。ショックは計り知れない。自分勝手に婚約破棄を告げたネイトはいい。公爵家を盾にすれば誰も文句は言えないのだから。マリーは男爵令嬢。訴えることも文句も許されない。

(辛かっただろうに……)

 気丈に振舞おうとするマリーの笑顔が痛々しく、思わず伸ばした手で髪を撫でるとマリーの肩がピクッと揺れる。

「結婚、白紙になってしまって申し訳なかったね」
「いいんです。結婚する前でよかったと思うことにしますから」
「結婚できて嬉しいと喜んでくれていた君にこんなひどいことをした甥には、後日、ちゃんと謝罪させる」
「謝罪は必要ありません」
「だが……」
「平気ですから」

 平気なわけがない。傷ついていないわけがない。あんな大勢の前で婚約破棄されたのだ。それなのにマリーは笑顔でかぶりを振る。しかし、それが苦笑に変わるのに時間はかからなかった。

「それに私、謝ってもらう資格なんてないんです」
「どういうことだい?」

 まるで自分に落ち度があるかのような言い方をするマリーの顔をアーサーが覗きこむと一瞬目が合い、マリーの苦笑が濃くなる。

「私が結婚を喜んでいたのは、彼と結婚できるからではなく……私を育ててくれた祖父母に喜んでもらえると思ったからなんです」

 甥の婚約者が決まったと聞いたとき、アーサーはマリーのことを調べた。そのときの報告資料に「両親は事故で死亡。現在は祖父母と暮らしている」と書いてあったのを思い出した。

「祖父母はもう高齢で、孫は私だけだし、二人が楽しみにしてくれているウエディングドレス姿を見せてあげたいってずっと焦っていました。いつ病気になるかわからないし……だから結婚すればウエディングドレス姿見せてあげられるって思って。私が喜んでいたのは彼との婚約が理由ではなかったんです。祖父母をがっかりさせてしまうことは辛いですが、謝ってもらう資格なんてないんです。彼との結婚自体、望んでいたわけではありませんから」

 人はいつ死ぬかわからない。年老いていく祖父母と暮らす彼女が誰よりもわかっているだろうその現実。見たかったと言わせないために急いでいた。そうでなければマリーがネイトなどに惹かれるわけがないとアーサーは思う。
 ネイトが評判の良い男ではないことはアーサーの耳にも届いている。女遊びが激しく、見栄っ張りのかっこつけ。口が悪く横柄。そんな男がアーチボルト家の人間であることはアーサーにとって恥でしかないが、自分は他国にいて関わりもほとんどないため口出しはしないようにしてきた。
 今回も来る気はなかったが、ネイトの父親がどうしても来て祝ってやってくれと何度もしつこく手紙を寄越したから渋々来たのだが、半分以上はマリーのためでもあった。
 初めて紹介されたのは、ちょうど一年前。婚約したばかりだと聞き、どんなバカ女が釣れたのかと見に行ったのだが、思わず「え?」と声を出すほど驚いたのを覚えている。愛らしい笑顔が印象的で少し気弱な性格。ああ、この子はネイトに騙されているのだと思った。
 その日、ネイトに夜に話を聞いて知ったのは『マリーの祖父であるベンジャミン・アーネットは横の繋がりが大きく、特に商人との繋がりが深い。その繋がりを手に入れるためにマリーに目をつけた』ということ。
 アーネット家は公爵家と繋がりができるし、要はよくある政略結婚。マリーはネイトの父親にそんな下心があることは知らなかっただろう。祖父を利用されるなら結婚はしないと言う確信がアーサーにはあった。祖父母について話すマリーはとても輝いて見えたから。

「彼に気持ちがないのに求婚を受けた罰かもしれませんね。公爵家の方が男爵の娘を本気で気にかけてくださるわけないのに」

 苦笑を笑顔に変えようとするマリーの目から涙がこぼれる。

「おじいさまとおばあさまをがっかりさせてしまう……ッ」

 自分だけが罰を受けるのならいい。大勢の前で婚約破棄をされようと笑い者にされようと受け止める。だが、今回のことは祖父母を悲しませる結果になってしまった。それだけが辛い。
 あれだけ楽しみにしていたウエディングドレス姿が見られないことにきっとガッカリする。二人の楽しみを、笑顔を奪ってしまったのだと申し訳なさに溢れ出す涙が増えていく。

「ネイトは君にキスさせないと愚痴をこぼした。寝技の一つでも覚えろと暴言を吐いた。そして駄々をこねる子供よりもひどい理由をつけて君に婚約破棄を告げた。罰を受けるのは君じゃなくてネイトだ。あんな大馬鹿者と結婚せずに済んだことを喜ぶべきだと思うよ、マリー」

 祖父母を喜ばせたくて結婚を選んだ娘がなぜ罰を受けなければならないのか。そんなことあっていいはずがない。ましてやその罰を下す相手が神ではなくネイト・アーチボルトであるなど、アーサーは絶対に許せない。
 自分の安い言葉で慰めになるとは思っていないが、ネイト・アーチボルトからの婚約破棄を罰だとは思ってほしくなかった。

「君がネイトからの謝罪を必要としないのなら、私が代わりに君のおじいさんとおばあさんに謝るよ。彼らが愛する孫を傷つけてしまったことを謝らせてほしい」
「アーサー様に謝罪していただく必要はありません。祖父母にはちゃんと話をして、次はちゃんと素敵な人を見つけようと思います」

 両手で顔を覆っていたマリーがアーサーの言葉に顔を上げて笑顔を見せるとアーサーは吹くはずのない風を感じた。窓は閉まっている。入り込む風はないはずなのに、髪がなびくほどの風を感じた。

「……私と、結婚しないか?」

 気がつけばアーサーはマリーの手を握り、涙に濡れた瞳を真っ直ぐに見つめながらそんなことを口走っていた。
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