3 / 80
結婚しないか?
しおりを挟む
マリーが乗ってきた馬車はネイトのであるため、アーサーは自分の馬車に乗るよう言い、ネイトの馬車の御者には先に帰るよう伝えた。ネイトを置いて帰ることになるが、アーサーの指示に背くこともできずあからさまな困惑と共に馬車を出した。
マリーはどうにも居心地が悪い状況に膝の上に置いた自分の手を見つめる。
「あの、アーサー様」
「ん?」
「ありがとうございました」
アーサーがいなければ自分はあんなにも強気に言い返すことはできなかった。泣きながら帰って、気丈に振る舞おうとして結局泣いて祖父母に心配をかけてしまうのは容易に想像がついていた。でも、これで少しスッキリしたため泣かずに話せそうだと感謝と共に頭を下げた。
結婚式を一ヵ月後に控えていた段階での婚約破棄。ショックは計り知れない。自分勝手に婚約破棄を告げたネイトはいい。公爵家を盾にすれば誰も文句は言えないのだから。マリーは男爵令嬢。訴えることも文句も許されない。
(辛かっただろうに……)
気丈に振舞おうとするマリーの笑顔が痛々しく、思わず伸ばした手で髪を撫でるとマリーの肩がピクッと揺れる。
「結婚、白紙になってしまって申し訳なかったね」
「いいんです。結婚する前でよかったと思うことにしますから」
「結婚できて嬉しいと喜んでくれていた君にこんなひどいことをした甥には、後日、ちゃんと謝罪させる」
「謝罪は必要ありません」
「だが……」
「平気ですから」
平気なわけがない。傷ついていないわけがない。あんな大勢の前で婚約破棄されたのだ。それなのにマリーは笑顔でかぶりを振る。しかし、それが苦笑に変わるのに時間はかからなかった。
「それに私、謝ってもらう資格なんてないんです」
「どういうことだい?」
まるで自分に落ち度があるかのような言い方をするマリーの顔をアーサーが覗きこむと一瞬目が合い、マリーの苦笑が濃くなる。
「私が結婚を喜んでいたのは、彼と結婚できるからではなく……私を育ててくれた祖父母に喜んでもらえると思ったからなんです」
甥の婚約者が決まったと聞いたとき、アーサーはマリーのことを調べた。そのときの報告資料に「両親は事故で死亡。現在は祖父母と暮らしている」と書いてあったのを思い出した。
「祖父母はもう高齢で、孫は私だけだし、二人が楽しみにしてくれているウエディングドレス姿を見せてあげたいってずっと焦っていました。いつ病気になるかわからないし……だから結婚すればウエディングドレス姿見せてあげられるって思って。私が喜んでいたのは彼との婚約が理由ではなかったんです。祖父母をがっかりさせてしまうことは辛いですが、謝ってもらう資格なんてないんです。彼との結婚自体、望んでいたわけではありませんから」
人はいつ死ぬかわからない。年老いていく祖父母と暮らす彼女が誰よりもわかっているだろうその現実。見たかったと言わせないために急いでいた。そうでなければマリーがネイトなどに惹かれるわけがないとアーサーは思う。
ネイトが評判の良い男ではないことはアーサーの耳にも届いている。女遊びが激しく、見栄っ張りのかっこつけ。口が悪く横柄。そんな男がアーチボルト家の人間であることはアーサーにとって恥でしかないが、自分は他国にいて関わりもほとんどないため口出しはしないようにしてきた。
今回も来る気はなかったが、ネイトの父親がどうしても来て祝ってやってくれと何度もしつこく手紙を寄越したから渋々来たのだが、半分以上はマリーのためでもあった。
初めて紹介されたのは、ちょうど一年前。婚約したばかりだと聞き、どんなバカ女が釣れたのかと見に行ったのだが、思わず「え?」と声を出すほど驚いたのを覚えている。愛らしい笑顔が印象的で少し気弱な性格。ああ、この子はネイトに騙されているのだと思った。
その日、ネイトに夜に話を聞いて知ったのは『マリーの祖父であるベンジャミン・アーネットは横の繋がりが大きく、特に商人との繋がりが深い。その繋がりを手に入れるためにマリーに目をつけた』ということ。
アーネット家は公爵家と繋がりができるし、要はよくある政略結婚。マリーはネイトの父親にそんな下心があることは知らなかっただろう。祖父を利用されるなら結婚はしないと言う確信がアーサーにはあった。祖父母について話すマリーはとても輝いて見えたから。
「彼に気持ちがないのに求婚を受けた罰かもしれませんね。公爵家の方が男爵の娘を本気で気にかけてくださるわけないのに」
苦笑を笑顔に変えようとするマリーの目から涙がこぼれる。
「おじいさまとおばあさまをがっかりさせてしまう……ッ」
自分だけが罰を受けるのならいい。大勢の前で婚約破棄をされようと笑い者にされようと受け止める。だが、今回のことは祖父母を悲しませる結果になってしまった。それだけが辛い。
あれだけ楽しみにしていたウエディングドレス姿が見られないことにきっとガッカリする。二人の楽しみを、笑顔を奪ってしまったのだと申し訳なさに溢れ出す涙が増えていく。
「ネイトは君にキスさせないと愚痴をこぼした。寝技の一つでも覚えろと暴言を吐いた。そして駄々をこねる子供よりもひどい理由をつけて君に婚約破棄を告げた。罰を受けるのは君じゃなくてネイトだ。あんな大馬鹿者と結婚せずに済んだことを喜ぶべきだと思うよ、マリー」
祖父母を喜ばせたくて結婚を選んだ娘がなぜ罰を受けなければならないのか。そんなことあっていいはずがない。ましてやその罰を下す相手が神ではなくネイト・アーチボルトであるなど、アーサーは絶対に許せない。
自分の安い言葉で慰めになるとは思っていないが、ネイト・アーチボルトからの婚約破棄を罰だとは思ってほしくなかった。
「君がネイトからの謝罪を必要としないのなら、私が代わりに君のおじいさんとおばあさんに謝るよ。彼らが愛する孫を傷つけてしまったことを謝らせてほしい」
「アーサー様に謝罪していただく必要はありません。祖父母にはちゃんと話をして、次はちゃんと素敵な人を見つけようと思います」
両手で顔を覆っていたマリーがアーサーの言葉に顔を上げて笑顔を見せるとアーサーは吹くはずのない風を感じた。窓は閉まっている。入り込む風はないはずなのに、髪がなびくほどの風を感じた。
「……私と、結婚しないか?」
気がつけばアーサーはマリーの手を握り、涙に濡れた瞳を真っ直ぐに見つめながらそんなことを口走っていた。
マリーはどうにも居心地が悪い状況に膝の上に置いた自分の手を見つめる。
「あの、アーサー様」
「ん?」
「ありがとうございました」
アーサーがいなければ自分はあんなにも強気に言い返すことはできなかった。泣きながら帰って、気丈に振る舞おうとして結局泣いて祖父母に心配をかけてしまうのは容易に想像がついていた。でも、これで少しスッキリしたため泣かずに話せそうだと感謝と共に頭を下げた。
結婚式を一ヵ月後に控えていた段階での婚約破棄。ショックは計り知れない。自分勝手に婚約破棄を告げたネイトはいい。公爵家を盾にすれば誰も文句は言えないのだから。マリーは男爵令嬢。訴えることも文句も許されない。
(辛かっただろうに……)
気丈に振舞おうとするマリーの笑顔が痛々しく、思わず伸ばした手で髪を撫でるとマリーの肩がピクッと揺れる。
「結婚、白紙になってしまって申し訳なかったね」
「いいんです。結婚する前でよかったと思うことにしますから」
「結婚できて嬉しいと喜んでくれていた君にこんなひどいことをした甥には、後日、ちゃんと謝罪させる」
「謝罪は必要ありません」
「だが……」
「平気ですから」
平気なわけがない。傷ついていないわけがない。あんな大勢の前で婚約破棄されたのだ。それなのにマリーは笑顔でかぶりを振る。しかし、それが苦笑に変わるのに時間はかからなかった。
「それに私、謝ってもらう資格なんてないんです」
「どういうことだい?」
まるで自分に落ち度があるかのような言い方をするマリーの顔をアーサーが覗きこむと一瞬目が合い、マリーの苦笑が濃くなる。
「私が結婚を喜んでいたのは、彼と結婚できるからではなく……私を育ててくれた祖父母に喜んでもらえると思ったからなんです」
甥の婚約者が決まったと聞いたとき、アーサーはマリーのことを調べた。そのときの報告資料に「両親は事故で死亡。現在は祖父母と暮らしている」と書いてあったのを思い出した。
「祖父母はもう高齢で、孫は私だけだし、二人が楽しみにしてくれているウエディングドレス姿を見せてあげたいってずっと焦っていました。いつ病気になるかわからないし……だから結婚すればウエディングドレス姿見せてあげられるって思って。私が喜んでいたのは彼との婚約が理由ではなかったんです。祖父母をがっかりさせてしまうことは辛いですが、謝ってもらう資格なんてないんです。彼との結婚自体、望んでいたわけではありませんから」
人はいつ死ぬかわからない。年老いていく祖父母と暮らす彼女が誰よりもわかっているだろうその現実。見たかったと言わせないために急いでいた。そうでなければマリーがネイトなどに惹かれるわけがないとアーサーは思う。
ネイトが評判の良い男ではないことはアーサーの耳にも届いている。女遊びが激しく、見栄っ張りのかっこつけ。口が悪く横柄。そんな男がアーチボルト家の人間であることはアーサーにとって恥でしかないが、自分は他国にいて関わりもほとんどないため口出しはしないようにしてきた。
今回も来る気はなかったが、ネイトの父親がどうしても来て祝ってやってくれと何度もしつこく手紙を寄越したから渋々来たのだが、半分以上はマリーのためでもあった。
初めて紹介されたのは、ちょうど一年前。婚約したばかりだと聞き、どんなバカ女が釣れたのかと見に行ったのだが、思わず「え?」と声を出すほど驚いたのを覚えている。愛らしい笑顔が印象的で少し気弱な性格。ああ、この子はネイトに騙されているのだと思った。
その日、ネイトに夜に話を聞いて知ったのは『マリーの祖父であるベンジャミン・アーネットは横の繋がりが大きく、特に商人との繋がりが深い。その繋がりを手に入れるためにマリーに目をつけた』ということ。
アーネット家は公爵家と繋がりができるし、要はよくある政略結婚。マリーはネイトの父親にそんな下心があることは知らなかっただろう。祖父を利用されるなら結婚はしないと言う確信がアーサーにはあった。祖父母について話すマリーはとても輝いて見えたから。
「彼に気持ちがないのに求婚を受けた罰かもしれませんね。公爵家の方が男爵の娘を本気で気にかけてくださるわけないのに」
苦笑を笑顔に変えようとするマリーの目から涙がこぼれる。
「おじいさまとおばあさまをがっかりさせてしまう……ッ」
自分だけが罰を受けるのならいい。大勢の前で婚約破棄をされようと笑い者にされようと受け止める。だが、今回のことは祖父母を悲しませる結果になってしまった。それだけが辛い。
あれだけ楽しみにしていたウエディングドレス姿が見られないことにきっとガッカリする。二人の楽しみを、笑顔を奪ってしまったのだと申し訳なさに溢れ出す涙が増えていく。
「ネイトは君にキスさせないと愚痴をこぼした。寝技の一つでも覚えろと暴言を吐いた。そして駄々をこねる子供よりもひどい理由をつけて君に婚約破棄を告げた。罰を受けるのは君じゃなくてネイトだ。あんな大馬鹿者と結婚せずに済んだことを喜ぶべきだと思うよ、マリー」
祖父母を喜ばせたくて結婚を選んだ娘がなぜ罰を受けなければならないのか。そんなことあっていいはずがない。ましてやその罰を下す相手が神ではなくネイト・アーチボルトであるなど、アーサーは絶対に許せない。
自分の安い言葉で慰めになるとは思っていないが、ネイト・アーチボルトからの婚約破棄を罰だとは思ってほしくなかった。
「君がネイトからの謝罪を必要としないのなら、私が代わりに君のおじいさんとおばあさんに謝るよ。彼らが愛する孫を傷つけてしまったことを謝らせてほしい」
「アーサー様に謝罪していただく必要はありません。祖父母にはちゃんと話をして、次はちゃんと素敵な人を見つけようと思います」
両手で顔を覆っていたマリーがアーサーの言葉に顔を上げて笑顔を見せるとアーサーは吹くはずのない風を感じた。窓は閉まっている。入り込む風はないはずなのに、髪がなびくほどの風を感じた。
「……私と、結婚しないか?」
気がつけばアーサーはマリーの手を握り、涙に濡れた瞳を真っ直ぐに見つめながらそんなことを口走っていた。
22
あなたにおすすめの小説
俺の妻になれと言われたので秒でお断りしてみた
ましろ
恋愛
「俺の妻になれ」
「嫌ですけど」
何かしら、今の台詞は。
思わず脊髄反射的にお断りしてしまいました。
ちなみに『俺』とは皇太子殿下で私は伯爵令嬢。立派に不敬罪なのかもしれません。
✻ゆるふわ設定です。
気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。
✻R-15は保険です。
『有能すぎる王太子秘書官、馬鹿がいいと言われ婚約破棄されましたが、国を賢者にして去ります』
しおしお
恋愛
王太子の秘書官として、陰で国政を支えてきたアヴェンタドール。
どれほど杜撰な政策案でも整え、形にし、成果へ導いてきたのは彼女だった。
しかし王太子エリシオンは、その功績に気づくことなく、
「女は馬鹿なくらいがいい」
という傲慢な理由で婚約破棄を言い渡す。
出しゃばりすぎる女は、妃に相応しくない――
そう断じられ、王宮から追い出された彼女を待っていたのは、
さらに危険な第二王子の婚約話と、国家を揺るがす陰謀だった。
王太子は無能さを露呈し、
第二王子は野心のために手段を選ばない。
そして隣国と帝国の影が、静かに国を包囲していく。
ならば――
関わらないために、関わるしかない。
アヴェンタドールは王国を救うため、
政治の最前線に立つことを選ぶ。
だがそれは、権力を欲したからではない。
国を“賢く”して、
自分がいなくても回るようにするため。
有能すぎたがゆえに切り捨てられた一人の女性が、
ざまぁの先で選んだのは、復讐でも栄光でもない、
静かな勝利だった。
---
【12月末日公開終了】これは裏切りですか?
たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。
だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。
そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
【完結】お飾りではなかった王妃の実力
鏑木 うりこ
恋愛
王妃アイリーンは国王エルファードに離婚を告げられる。
「お前のような醜い女はいらん!今すぐに出て行け!」
しかしアイリーンは追い出していい人物ではなかった。アイリーンが去った国と迎え入れた国の明暗。
完結致しました(2022/06/28完結表記)
GWだから見切り発車した作品ですが、完結まで辿り着きました。
★お礼★
たくさんのご感想、お気に入り登録、しおり等ありがとうございます!
中々、感想にお返事を書くことが出来なくてとても心苦しく思っています(;´Д`)全部読ませていただいており、とても嬉しいです!!内容に反映したりしなかったりあると思います。ありがとうございます~!
誰でもイイけど、お前は無いわw
猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。
同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。
見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、
「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」
と言われてしまう。
悪役令嬢に転生したと気付いたら、咄嗟に婚約者の記憶を失くしたフリをしてしまった。
ねーさん
恋愛
あ、私、悪役令嬢だ。
クリスティナは婚約者であるアレクシス王子に近付くフローラを階段から落とそうとして、誤って自分が落ちてしまう。
気を失ったクリスティナの頭に前世で読んだ小説のストーリーが甦る。自分がその小説の悪役令嬢に転生したと気付いたクリスティナは、目が覚めた時「貴方は誰?」と咄嗟に記憶を失くしたフリをしてしまって──…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる