遊び人公爵令息に婚約破棄された男爵令嬢は恋愛初心者の大公様に嫁いで溺愛される

永江寧々

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最高と最悪

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 アーネット邸から去る馬車の中でアーサーは笑顔を崩せないでいた。マリーの額にキスをし、ベンジャミンとカサンドラに挨拶をしたときの笑顔のまま固まっている。
 プレゼントはちゃんと渡せた。余計なことは何も言わず、紳士的に額にキスをして祖父母の二人にも紳士的な挨拶ができた。悪印象はなかったはず。

「プレゼント、喜んでくれるだろうか?」
「アーサー・アーチボルトからの物を喜ばない女性はおりませんよ」
「マリーを他の女性と同じに考えるな」

 今頃、家に入ってプレゼントを開けていると思うとドキドキする。自分が贈ったプレゼントの意味に気付いてくれるだろうか? 三つも贈ったのは欲張りだっただろうか?と少し不安はあるが、頻繁に会えるわけではない以上、欲張りたかった。
 気付いてくれたら嬉しい。どうか気付いてほしい。プレゼントの意味を一つずつ説明して渡すのは押し付けがまし気がしてできなかった。カサンドラとベンジャミンなら気づいてくれるはずだと一緒に見るだろう二人に頼ろうと考えて贈った。

「マリー様は、ご主人様自らキスをした女性ですからね」
「ハンネス」
「大丈夫ですよ。誰もご主人様が童貞だなんて気付きませんし、知る由もありませんから」
「ハンネス」
「よかったじゃないですか。ご主人様自ら行動に出られたということは、長年待ち続けていた運命のお相手ということ」

 アーサー・アーチボルトはモテる。身長188センチ。まず顔が良い。弟のアベラルドと違って腹も出てはおらず、スタイル抜群の長い手足。いつだって女性に優しい最高の紳士。
 貴族令嬢の中でアーサーは【抱かれたい男ナンバーワン】となっている。
 四十二歳にもなって結婚どころか婚約者さえいないのは〝一生独身のままで遊びたいから〟という噂が流れたのも、アーサーが誰にでも分け隔てなく優しすぎるからで。
 誰かが『遊び相手でもいいから抱いてほしい』と言いはじめ、それに対して『アンタじゃムリ。アーサー・アーチボルトが抱く女はもっとレベル高いでしょ』という返事があり、『じゃあどういう女か』に変わって盛り上がった妄想話がいつしかそれが真実であるかのように広まったのは数年前。今は何故か『アルキュミアの屋敷には絶世の美女を複数人囲っている』という噂が増えている。
 噂を聞いたばかりの頃は否定していたが、誰もが否定を謙遜だと勘違いして信じてくれなかったため否定するのをやめて今に至る。そしてこの噂は令嬢たちからの誘いを断るのに存外便利だと思うようになっていた。肯定はしない。強い否定もしないというだけだが、効果的だった。
 しかし、実際のアーサー・アーチボルトは複数人の恋人がいるどころか〝童貞〟である。それも乙女のように〝運命の相手〟を待っていた四十二歳童貞。
 十代の頃から表に顔を出せば女性に囲まれるのが当たり前。自分の顔が整った部類であることに自覚はあったが、それによって女性陣は自分の顔しか見ないとわかり、うんざりするようになった。
 そしてそれは、大公に襲名してから更にひどくなった。囲まれるのが嫌でパーティーに出席する回数も減っていったことで出会いも激減。四十歳を迎えた日、アーサーは開き直ることにした。

『運命の相手は突如現れるものだ』と。

 そう開き直ってから一年、二年と時が流れ、現在四十二歳独身童貞。知人の中には早い者で孫がいる。アーサーは子供どころかまだ女の味さえ知らない。
 誰も知らないアーサーの知られるわけにはいかない最大の秘密。

「なあ、ハンネス。もしかするとセーフかもしれないから聞くけど、僕が今日、マリーにしたことは──」
「ご安心ください、ご主人様。アウトです」
「ですよね……」

 相手は婚約者ではない。自分が一方的に求婚しているだけの相手。デビュダントデビューもまだの十七歳の少女。今まで出席したパーティーは知人の家で開かれるパーティーだけだろう。そんな汚れない少女にあんなキスをしてしまった。自分でもアウトだと思ったのはマリーが目を回したのを見てから。
 本当は数秒間触れるだけのキスで終わらせるはずだった。ロマンチックなキスで良い印象を与えたかった。だが、自分でも驚くほど止められなかったのだ。細い指が唇をなぞる感触に背を震わせた瞬間、あの細い手首を掴んで引き寄せ、唇を重ねていた。
 柔らかな唇を余すことなくむしゃぶりついた四十二歳を気持ち悪いと思わなかっただろうか。それだけが心配だった。プレゼントを渡したときは喜んでくれていたが、それは自分が大公だからであって、家に帰ったら二人に泣きついているかもしれない。
 アウトラインを一瞬で超えた理性のない獣に嫁ぐことを不安に思うのは当然だ。勝手に自分を絶望に落とすアーサーは一人で頭を抱えて唸り声を漏らす。

「あー! 情けなくてみっともなくて恥ずかしくて死にそうだ!」

 自分でもなぜあんな大胆なキスをしたのかわからない。マリーと唇を重ね合わせた瞬間、全身に電気が走ったような感覚に陥り、この柔らかな感触を離したくないと思ったらマリーが目を回すまでキスをし続けた。
 大人の男がやることではない。それも十七歳の少女相手に。

「暴走しなかっただけマシ、か?」
「下半身の話ですか?」
「違う! 僕をなんだと思ってるんだ!」
「四十二年分ですからねぇ」
「ハンネス、怒るぞ!」

 パッと顔を上げて自己フォローに入ったアーサーをからかうハンネスは明らかに楽しんでいる。
 女性に不自由しない条件を全て与えられた男が自分に寄ってくる女を鬱陶しいと思い、運命の相手とやらを待つようになった時点でハンネスは彼の華やかな人生を諦めていた。あっという間に四十二歳を迎えてしまい『ああ、アーサー・アーチボルトの子は拝めないのだ』と覚悟を決めるぐらい、アーサーは女と過ごすことはしなかった。それが覆るかもしれない状況になったのだから嬉しくないわけがない。
 今日だけではない。昨日からのアーサーの行動はハンネスが驚くほど予想不可能の連続。本当にこれがあのアーサー・アーチボルトかと自分の目と耳を疑ってしまうぐらいには。

「キスを許したのですよ? 彼女も好意を寄せているとは思わないのですか?」
「それならすぐに求婚の返事をしているはずだ。朝一番にでもな」
「焦らすのは淑女の駆け引きの定番ですよ」
「そうなのか?」
「ええ」

 ハンネスの言葉に腕組をしながら首を傾げて「うーん」と唸って少し考えはしたが、アーサーは笑顔で背もたれに背を預けて小窓から見える御者席の足元を見上げ

「マリーは、そういうの苦手だと思うんだ。祖父母のために好きでも相手と結婚しようとするぐらいだし、駆け引き上手な子だったらネイトのような最悪物件じゃなく、もっと優良物件を選ぶんじゃないか? あの子は自分に自信がない」
「自信がないということは貴族の世界では命取りでしょうに」
「そうだな。でもそれでいいんだ。誰もがマリーの魅力に気付く必要はないからな」
「若く有望な公子でも現れれば、たとえ大公であろうと中年男では勝ち目がありませんからねぇ」

 からかいはするが、ハンネスにもわかっていた。言葉を交わしたことは一度もないが、マリー・アーネットは自分の身分をちゃんと自覚している。大公の婚約者を選ぶ催しがあっても参加さえしないだろう。
 貴族の娘は大体の者が愛されて育っている。何不自由ない生活の中で親から与えられる無償の愛を食べ続けて育つ。何をしても可愛いと絶賛され、歩くだけで使用人たちは首を垂れる。それ故に自分には絶対的な魅力があると勘違いしてしまうのだ。
 マリー・アーネットも何不自由ない生活の中で無償の愛を与えられて育った。しかし、ネイトの婚約者として紹介する食事会のときもマリーは自分に自信がない故の控えめさを感じた。まるで愛を受けずに育った子供のように。
 公子と結婚する男爵令嬢として控えめでいるのは当然かもしれないが、その控えめさは公爵家相手だからではなく本来の彼女がそうなのだと感じた。
 自由奔放でもなければ無邪気でもない。大人しく、控えめで、丁寧。しかし、笑顔は控えめながらに明るい。それが印象的だった。あと二十年早く生まれてきてくれていればアーサーの婚約者に推したのにと思ったほどに。
 それがまさか本当にアーサーの相手になるかもしれない状況は、誰よりもアーサー・アーチボルトを知るハンネスでも予想できなかった。悪くはないと思っていたが、十七歳の少女に大公の妻として何ができるのか。ハンネスは現実問題を不安視していた。
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