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妻が知る真実
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「愛人を作ったのは君も知ってのとおり、五年前だ。理由は……性処理のためだ」
ユーフェミアからの反応はない。真っ直ぐこちらを見つめて黙っている。絡み合う視線はまるで嘘発見器の如くトリスタンの機微を見逃すまいとしているようで汗が滲みそうになるも話し合うと決めた以上は下手な言い訳はしないと決めた。どれほどの非難を受けようとも。
「君が妊娠できないとわかったのは十年前。あの検査の日だ。まだ二十代という若さもあって、結果がどうであれそのうちできると信じていた。でも、アードルフの言うとおり、どれほど頑張ろうと神は子を授けてはくれない。その翌年から、世継ぎの誕生がない王室への……君への当たりが強くなってきたのを感じて僕も焦っていた」
三十歳を過ぎても子を産んている女性はいるかもしれないが、残念ながら付き合いのある王室で三十を超えてから第一子を出産をした者はいない。
「三十歳がリミットだと言われている昨今、僕はなんとかして三十歳を迎えるまでに君を母にしてやりたかった。それで、僕にできることは何かと考えた。今思えばとてつもない愚かな考えだったのだが、当時は……というか、つい先日の世界会議まではそれが正しいと思っていたのだ」
「それが愛人を作ることですか?」
「違う! そうじゃない!」
かすりもしていないユーフェミアの言葉を大声で否定すると手を伸ばしてユーフェミアの手を握る。
「精のつく料理を三食食べることにしたんだ」
トリスタンの言っている意味がわからずユーフェミアは十秒ほど固まり、その間になんとか頭の中を整理して理解するスペースを空けようとするのに余分は空白は生まれず、わけがわからないと首を傾げる。
「やはりおかしな話だと思うのか。世界会議でも呆れられてしまった。僕はそれが君のためになると────」
「ちょ、ちょっと待ってください。なぜ、陛下が精のつく料理を? 陛下の身体に問題はありません。精のつく料理など必要ないはず。それなのにどうして……」
入ってきた種を攻撃してしまう身体を持っているのは自分。いつでも妊娠させられる元気な種を持っている相手がなぜだと全くもって理解できない行動に怪訝な表情を浮かべるユーフェミアに苦笑する。
「君が拒んでしまうのなら、拒まれても負けない種を作りたかった。そうすれば届くのではないかと思っていたから」
声が少し小さくなって俯くトリスタンのつむじを見つめながら傾げていた首を戻す。
「精のつく料理を毎日食べ続けているせいで蓄積される性欲を解消するために愛人を作ったのだ」
「……そう……」
「え?」
想像していなかったユーフェミアの反応に思わず同じ言葉を口にしたトリスタン。
「……えっと……整理してもよろしい、ですか?」
「ああ」
こめかみに人差し指を当てて目を閉じ眉を寄せるユーフェミアは深刻そうに話した馬鹿馬鹿しい内容を必死に良い風に解釈しようとしていた。だがそれには限界がある。
幼稚な性格だと知っているし、それを愛おしいと思うこともある。仕事は真面目にするし、泣き喚きながらも必死に食らいついてきた根性もある努力家の男。だが、今はそれを知っていても尚、彼の言葉を馬鹿馬鹿しいと思ってしまう。
「わたくしが陛下の種を攻撃してしまうから、その攻撃に負けない強い種を作るために五年前のある日、突然わたくしとは違う食事を食べ始めたと」
「そうだ」
「わたくしに出す料理はわたくしの美容のためと言いながら実際は陛下のメニューが変わったのを隠すためだったと?」
「違うけどそうで、そうだけど違う! あれは本当に君のためのメニューだ! 若い頃の食事を続けていては身体に良くないと聞いたんだ。だから歳を重ねるごとに失われる栄養を補う君のための食事なんだ。君の美しさを維持するための食事を作らせた」
「で、陛下の食事もついでに変えたと」
「そうです」
「四人の愛人は食事のせいで蓄積された性処理役だと?」
「そうです、はい」
ユーフェミアの雰囲気が変わってきたのに合わせてトリスタンは敬語になる。ルドラが呆れたようにユーフェミアも呆れているのかもしれないと思ったのも束の間、どこからどう見てもユーフェミアは怒っていた。
怒りのあまり湯気さえ見えるような雰囲気にトリスタンは握った手こそ離さないものの飛んでくるかもしれない平手打ちに備えて少し身体を引く。
「こっっっっっの……バカッ!」
「んぶっ!?」
震えるユーフェミアが顔を上げたのとトリスタンの顔にクッションが当たったのはほぼ同時。平手打ちではなかっただけ衝撃は薄いが、それでも渾身の力で叩きつけられたクッションは痛かった。
「何を、何をどう考えたらそんな結論に至るわけ!? それが本当に私のためになると思ったの!?」
「ゆ、ユーフェミア落ち着いてくれ! い、痛い! ぼ、僕は本当に君のためを思ってそうしただけで……!」
「じゃあ本当にバカなのね! 私に届けるために強くした種を他で使ってどうするのよ! それで結局は私じゃなくて愛人に当たったって? バカじゃないの!? あなたって本当にバカ! どうしようもないバカよ!」
「すまない! すまないユーフェミア! 僕は、いたっ! 僕はなんとしても君を母にしてあげたかった! 国民に更に愛される王妃にしてあげたかったんだ! 子ができないことに悩み苦しむ君を見たくなくて必死だった! 確かに愚行だったかもしれない! それは申し訳なく思っている! それについては一生詫び続ける! だから疑わないでほしい! 一瞬たりとも愛人を愛したことはない!」
何度も何度も叩きつけられるクッションに頭を抱えて必死に防御するもその場から逃げようとはしない。
「だったら全部私に使えば良かったでしょ!」
「四人もいなきゃ発散できないだけの欲を君にぶつけたら君が壊れるだろう!」
「一人の人間を十月十日お腹の中で育てる女体がそう簡単に壊れるわけないでしょ! ちょっと考えたらわかるじゃない!」
「わからなかったんだ! 君にそんな欲をぶつけたくなかった! 君を物扱いしたくなかったんだ!」
「そんなくだらない理由で愛人を四人も作って、愛人を妊娠させるなんて最低よ! 愛人作ろうって頭をどうして物扱いしないで済む方法に使わなかったのよ! バカじゃないの!?」
「ああ、僕はバカだったんだ」
「知ってるわよ!」
「ぶわッ!」
辺りに羽根が舞い散るほどの力でクッションを何度もトリスタンに叩きつけるユーフェミアに顔を上げると同時に手から抜けたクッションが顔に当たった。それでも足りないと手を振り上げたが、それがトリスタンの頭にも顔にも届くことはなく、ユーフェミアは力が抜けたように地面に座り込んだ。
「わ、私はずっと……心のどこかで、あなたが私に飽きてるんじゃないかって……思って……」
ずっと不安だった。言葉にしたことは一度もなかったが、愛人が増えるたびに自分では物足りないのだと傷ついていた。
安堵と共に溢れ零れる涙が頬を伝い、クシャッと顔を歪めるユーフェミアの前に座って抱きしめようとするも叩かれて拒まれる。
「そんなことあるわけないじゃないか! 君に飽きるなんてそんなことは天地がひっくり返ろうとありえないことだ!」
「あなたはそう言ってくれなかったじゃない! 正直に話してくれないから……ずっと……不安だった……」
両手で顔を覆うユーフェミアに遠慮がちに触れて拒絶されないとわかると、そのままゆっくり抱きしめた。もたれかかってくる愛しい重みを受け止めながら抱きしめる腕に少しずつ力を込める。
自分がしていたことは相手のためではなく自分のためで、愛しているからだと言いながら自分だけを愛していた。
恐れることなく話し合えばよかった。種が少ないけど種を強くする料理を食べることにした。その副作用によって回数が多くなるがとちゃんと話していればきっと受け入れてくれただろう。種がないと嘘をついただからそれを正しく利用すべきだったのに、至らない考えのせいで相手を傷つけていた。五年間ずっと。
わかってくれていると相手の我慢の上に胡座をかき、都合良く愛する者との子供を望み、傷つけ、悲しませ、絶望させるだけさせた愚かな夫だと苦笑する。
「君のためにしているから君はきっと許してくれると思っていた。でもルドラに言われたんだ。それは許してくれているんじゃなくて、君が我慢してくれているのだと。僕はそれに気付けなかった。理由を説明しなければわかってもらえるはずなどないのにな」
なぜ簡単なことが言えなかったのだろう。種を強くするために食事を変える。それによって営みの回数は増えるかもしれない。愛する妻を壊さないために情婦を迎えようと思う。どうだろうか?と。
そう話すだけでよかったのに、何一つ相談もせず独断で決めてしまった結果、相手が離婚を決意するまで追い込んでしまった。
余計なことばかり口にするのに大事なことは何も言わない。そんな夫を彼女がこれからも愛してくれるとは限らない。失いたくない。遅すぎる後悔に唇を噛み締めながら目を閉じる。
「全て僕が間違っていた。もし君がある日突然愛人を作ってその理由を語らなければ僕はきっとおかしくなる。嫌で嫌でたまらなくて泣き叫ぶかもしれない。そんなこと少し考えれば……いや、考えずともわかるなのに、僕は何も考えず、独断で行動してしまった。五年間、君がどれほど苦しんでいたか……今更謝っても遅いかもしれないが、どうか愚かな僕を許してほしい」
グスッと鼻を鳴らしながら身体を離したユーフェミアが逃げてしまわないように両手を握って返事を待つトリスタンが見るのは涙に濡れたユーフェミアの瞳。昔を思い出す。目を真っ赤にしながら『大丈夫。陛下ならきっとできます』と言って励まし、慰めてくれた若かりし頃の愛しい妻の姿。でもあの頃と違うのはその涙は教育係ではなく自分が流させたということ。
あまりの愚かさに悔しげに眉を寄せる。
「どうして急に愛人を切ったの?」
「愛人を抱えたのは過ちだったと気付いたからだ。妊娠させてしまった事実は変えられない過ちだが、その過ちを二度と繰り返さないために切った」
「その説明もなく、朗報だとだけ言って切ったことについてどう思ってるの?」
「え……?」
そんな問いかけをされると思っていなかったトリスタンは口を開けてマヌケな返事をする。
「説明もなく愛人を作られて、説明もなく愛人を切って、本当に私が喜ぶと思ったの? 本当にそれで納得すると思った?」
「そ、そのときはそう思っていた。今は、そのやり方も間違っていたと思っている」
「……本当に?」
「もちろんだ! 本当に思っている! 心から反省しているんだ! だからもう二度と愛人は作らないし、君を裏切らないと約束する!」
「そんな当たり前の約束されても困る」
信用を裏切ったトリスタンへの冷たい言葉が放たれ、槍となって胸に突き刺さる。当たり前の約束を当たり前に守るために約束してもユーフェミアは頷いてはくれない。
胸に刺さった槍を抜いて投げ捨てたトリスタンが握っていたユーフェミアの手の甲に口付けて見つめる。
「どうすれば僕を許してくれる?」
トリスタンの問いかけにユーフェミアは答えない。まだボロボロと溢れる涙が言葉の邪魔をする。
「ユーフェミア、すまなかった。愚かな僕を許してほしい。本当にすまなかった!」
勢いよく頭を下げて土下座をすると勢い余って額が思いきり床にぶつかった。ゴンっと鈍い大きな音に驚いたユーフェミアは慌てて床に膝をついてトリスタンの頭を上げさせる。
「へ、陛下、大丈夫ですか!?」
「ははっ、これぐらいなんでもない。君の五年間の痛みに比べたらこんなもの痛みですらない」
「血が出ていますッ! 誰か来てッ! 誰かッ!」
「大袈裟だな、ユーフェミア。血が滲んでるぐらいで」
「滲んでない! 流れてるの! 誰か! 早く!」
ユーフェミアの大声に駆け付けたラモーナが頭から血を流すトリスタンの姿に驚きに悲鳴を上げ「救急箱~!」と叫びながら走っていく。
「救急箱じゃなくて医者を呼んで!」
遠くで「は、はい~!」と返事が聞こえ、ユーフェミアは中身が外に出てぺったんこになったクッションを取って止血のために額に押し当てるとその手を強く握られる。
「ユーフェミア、僕に失望していてもいい。呆れてくれてもいい。蔑んでくれてもいい。だけど、僕の傍から離れないでくれ。目の前から消えたりしないでくれ」
返事はない。
「今回のことで君が僕に失望したのはわかっている。でも、僕には君が必要なんだ。君がいない世界など考えられない」
「わたくしの気持ちは?」
「……そうだな。まただ……また僕は自分のことばかり……。こんな男が夫では君が離婚を考えるのも当然だ……。すまない、ユーフェミア」
自嘲するトリスタンがそれからすぐ静かになったことに首を傾げ、目元まで隠していたクッションをどけるとトリスタンの意識がなかった。
「嘘でしょ……トリスタン!? トリスタン!」
それからすぐ医者が到着し、取り乱すユーフェミアをエリオットが引き剥がして抱えて廊下に連れだした。
重症ではない。ただ意識を失っているだけだと医者がすぐに伝えてもユーフェミアはトリスタンの名前を呼び続けていた。
ユーフェミアからの反応はない。真っ直ぐこちらを見つめて黙っている。絡み合う視線はまるで嘘発見器の如くトリスタンの機微を見逃すまいとしているようで汗が滲みそうになるも話し合うと決めた以上は下手な言い訳はしないと決めた。どれほどの非難を受けようとも。
「君が妊娠できないとわかったのは十年前。あの検査の日だ。まだ二十代という若さもあって、結果がどうであれそのうちできると信じていた。でも、アードルフの言うとおり、どれほど頑張ろうと神は子を授けてはくれない。その翌年から、世継ぎの誕生がない王室への……君への当たりが強くなってきたのを感じて僕も焦っていた」
三十歳を過ぎても子を産んている女性はいるかもしれないが、残念ながら付き合いのある王室で三十を超えてから第一子を出産をした者はいない。
「三十歳がリミットだと言われている昨今、僕はなんとかして三十歳を迎えるまでに君を母にしてやりたかった。それで、僕にできることは何かと考えた。今思えばとてつもない愚かな考えだったのだが、当時は……というか、つい先日の世界会議まではそれが正しいと思っていたのだ」
「それが愛人を作ることですか?」
「違う! そうじゃない!」
かすりもしていないユーフェミアの言葉を大声で否定すると手を伸ばしてユーフェミアの手を握る。
「精のつく料理を三食食べることにしたんだ」
トリスタンの言っている意味がわからずユーフェミアは十秒ほど固まり、その間になんとか頭の中を整理して理解するスペースを空けようとするのに余分は空白は生まれず、わけがわからないと首を傾げる。
「やはりおかしな話だと思うのか。世界会議でも呆れられてしまった。僕はそれが君のためになると────」
「ちょ、ちょっと待ってください。なぜ、陛下が精のつく料理を? 陛下の身体に問題はありません。精のつく料理など必要ないはず。それなのにどうして……」
入ってきた種を攻撃してしまう身体を持っているのは自分。いつでも妊娠させられる元気な種を持っている相手がなぜだと全くもって理解できない行動に怪訝な表情を浮かべるユーフェミアに苦笑する。
「君が拒んでしまうのなら、拒まれても負けない種を作りたかった。そうすれば届くのではないかと思っていたから」
声が少し小さくなって俯くトリスタンのつむじを見つめながら傾げていた首を戻す。
「精のつく料理を毎日食べ続けているせいで蓄積される性欲を解消するために愛人を作ったのだ」
「……そう……」
「え?」
想像していなかったユーフェミアの反応に思わず同じ言葉を口にしたトリスタン。
「……えっと……整理してもよろしい、ですか?」
「ああ」
こめかみに人差し指を当てて目を閉じ眉を寄せるユーフェミアは深刻そうに話した馬鹿馬鹿しい内容を必死に良い風に解釈しようとしていた。だがそれには限界がある。
幼稚な性格だと知っているし、それを愛おしいと思うこともある。仕事は真面目にするし、泣き喚きながらも必死に食らいついてきた根性もある努力家の男。だが、今はそれを知っていても尚、彼の言葉を馬鹿馬鹿しいと思ってしまう。
「わたくしが陛下の種を攻撃してしまうから、その攻撃に負けない強い種を作るために五年前のある日、突然わたくしとは違う食事を食べ始めたと」
「そうだ」
「わたくしに出す料理はわたくしの美容のためと言いながら実際は陛下のメニューが変わったのを隠すためだったと?」
「違うけどそうで、そうだけど違う! あれは本当に君のためのメニューだ! 若い頃の食事を続けていては身体に良くないと聞いたんだ。だから歳を重ねるごとに失われる栄養を補う君のための食事なんだ。君の美しさを維持するための食事を作らせた」
「で、陛下の食事もついでに変えたと」
「そうです」
「四人の愛人は食事のせいで蓄積された性処理役だと?」
「そうです、はい」
ユーフェミアの雰囲気が変わってきたのに合わせてトリスタンは敬語になる。ルドラが呆れたようにユーフェミアも呆れているのかもしれないと思ったのも束の間、どこからどう見てもユーフェミアは怒っていた。
怒りのあまり湯気さえ見えるような雰囲気にトリスタンは握った手こそ離さないものの飛んでくるかもしれない平手打ちに備えて少し身体を引く。
「こっっっっっの……バカッ!」
「んぶっ!?」
震えるユーフェミアが顔を上げたのとトリスタンの顔にクッションが当たったのはほぼ同時。平手打ちではなかっただけ衝撃は薄いが、それでも渾身の力で叩きつけられたクッションは痛かった。
「何を、何をどう考えたらそんな結論に至るわけ!? それが本当に私のためになると思ったの!?」
「ゆ、ユーフェミア落ち着いてくれ! い、痛い! ぼ、僕は本当に君のためを思ってそうしただけで……!」
「じゃあ本当にバカなのね! 私に届けるために強くした種を他で使ってどうするのよ! それで結局は私じゃなくて愛人に当たったって? バカじゃないの!? あなたって本当にバカ! どうしようもないバカよ!」
「すまない! すまないユーフェミア! 僕は、いたっ! 僕はなんとしても君を母にしてあげたかった! 国民に更に愛される王妃にしてあげたかったんだ! 子ができないことに悩み苦しむ君を見たくなくて必死だった! 確かに愚行だったかもしれない! それは申し訳なく思っている! それについては一生詫び続ける! だから疑わないでほしい! 一瞬たりとも愛人を愛したことはない!」
何度も何度も叩きつけられるクッションに頭を抱えて必死に防御するもその場から逃げようとはしない。
「だったら全部私に使えば良かったでしょ!」
「四人もいなきゃ発散できないだけの欲を君にぶつけたら君が壊れるだろう!」
「一人の人間を十月十日お腹の中で育てる女体がそう簡単に壊れるわけないでしょ! ちょっと考えたらわかるじゃない!」
「わからなかったんだ! 君にそんな欲をぶつけたくなかった! 君を物扱いしたくなかったんだ!」
「そんなくだらない理由で愛人を四人も作って、愛人を妊娠させるなんて最低よ! 愛人作ろうって頭をどうして物扱いしないで済む方法に使わなかったのよ! バカじゃないの!?」
「ああ、僕はバカだったんだ」
「知ってるわよ!」
「ぶわッ!」
辺りに羽根が舞い散るほどの力でクッションを何度もトリスタンに叩きつけるユーフェミアに顔を上げると同時に手から抜けたクッションが顔に当たった。それでも足りないと手を振り上げたが、それがトリスタンの頭にも顔にも届くことはなく、ユーフェミアは力が抜けたように地面に座り込んだ。
「わ、私はずっと……心のどこかで、あなたが私に飽きてるんじゃないかって……思って……」
ずっと不安だった。言葉にしたことは一度もなかったが、愛人が増えるたびに自分では物足りないのだと傷ついていた。
安堵と共に溢れ零れる涙が頬を伝い、クシャッと顔を歪めるユーフェミアの前に座って抱きしめようとするも叩かれて拒まれる。
「そんなことあるわけないじゃないか! 君に飽きるなんてそんなことは天地がひっくり返ろうとありえないことだ!」
「あなたはそう言ってくれなかったじゃない! 正直に話してくれないから……ずっと……不安だった……」
両手で顔を覆うユーフェミアに遠慮がちに触れて拒絶されないとわかると、そのままゆっくり抱きしめた。もたれかかってくる愛しい重みを受け止めながら抱きしめる腕に少しずつ力を込める。
自分がしていたことは相手のためではなく自分のためで、愛しているからだと言いながら自分だけを愛していた。
恐れることなく話し合えばよかった。種が少ないけど種を強くする料理を食べることにした。その副作用によって回数が多くなるがとちゃんと話していればきっと受け入れてくれただろう。種がないと嘘をついただからそれを正しく利用すべきだったのに、至らない考えのせいで相手を傷つけていた。五年間ずっと。
わかってくれていると相手の我慢の上に胡座をかき、都合良く愛する者との子供を望み、傷つけ、悲しませ、絶望させるだけさせた愚かな夫だと苦笑する。
「君のためにしているから君はきっと許してくれると思っていた。でもルドラに言われたんだ。それは許してくれているんじゃなくて、君が我慢してくれているのだと。僕はそれに気付けなかった。理由を説明しなければわかってもらえるはずなどないのにな」
なぜ簡単なことが言えなかったのだろう。種を強くするために食事を変える。それによって営みの回数は増えるかもしれない。愛する妻を壊さないために情婦を迎えようと思う。どうだろうか?と。
そう話すだけでよかったのに、何一つ相談もせず独断で決めてしまった結果、相手が離婚を決意するまで追い込んでしまった。
余計なことばかり口にするのに大事なことは何も言わない。そんな夫を彼女がこれからも愛してくれるとは限らない。失いたくない。遅すぎる後悔に唇を噛み締めながら目を閉じる。
「全て僕が間違っていた。もし君がある日突然愛人を作ってその理由を語らなければ僕はきっとおかしくなる。嫌で嫌でたまらなくて泣き叫ぶかもしれない。そんなこと少し考えれば……いや、考えずともわかるなのに、僕は何も考えず、独断で行動してしまった。五年間、君がどれほど苦しんでいたか……今更謝っても遅いかもしれないが、どうか愚かな僕を許してほしい」
グスッと鼻を鳴らしながら身体を離したユーフェミアが逃げてしまわないように両手を握って返事を待つトリスタンが見るのは涙に濡れたユーフェミアの瞳。昔を思い出す。目を真っ赤にしながら『大丈夫。陛下ならきっとできます』と言って励まし、慰めてくれた若かりし頃の愛しい妻の姿。でもあの頃と違うのはその涙は教育係ではなく自分が流させたということ。
あまりの愚かさに悔しげに眉を寄せる。
「どうして急に愛人を切ったの?」
「愛人を抱えたのは過ちだったと気付いたからだ。妊娠させてしまった事実は変えられない過ちだが、その過ちを二度と繰り返さないために切った」
「その説明もなく、朗報だとだけ言って切ったことについてどう思ってるの?」
「え……?」
そんな問いかけをされると思っていなかったトリスタンは口を開けてマヌケな返事をする。
「説明もなく愛人を作られて、説明もなく愛人を切って、本当に私が喜ぶと思ったの? 本当にそれで納得すると思った?」
「そ、そのときはそう思っていた。今は、そのやり方も間違っていたと思っている」
「……本当に?」
「もちろんだ! 本当に思っている! 心から反省しているんだ! だからもう二度と愛人は作らないし、君を裏切らないと約束する!」
「そんな当たり前の約束されても困る」
信用を裏切ったトリスタンへの冷たい言葉が放たれ、槍となって胸に突き刺さる。当たり前の約束を当たり前に守るために約束してもユーフェミアは頷いてはくれない。
胸に刺さった槍を抜いて投げ捨てたトリスタンが握っていたユーフェミアの手の甲に口付けて見つめる。
「どうすれば僕を許してくれる?」
トリスタンの問いかけにユーフェミアは答えない。まだボロボロと溢れる涙が言葉の邪魔をする。
「ユーフェミア、すまなかった。愚かな僕を許してほしい。本当にすまなかった!」
勢いよく頭を下げて土下座をすると勢い余って額が思いきり床にぶつかった。ゴンっと鈍い大きな音に驚いたユーフェミアは慌てて床に膝をついてトリスタンの頭を上げさせる。
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「血が出ていますッ! 誰か来てッ! 誰かッ!」
「大袈裟だな、ユーフェミア。血が滲んでるぐらいで」
「滲んでない! 流れてるの! 誰か! 早く!」
ユーフェミアの大声に駆け付けたラモーナが頭から血を流すトリスタンの姿に驚きに悲鳴を上げ「救急箱~!」と叫びながら走っていく。
「救急箱じゃなくて医者を呼んで!」
遠くで「は、はい~!」と返事が聞こえ、ユーフェミアは中身が外に出てぺったんこになったクッションを取って止血のために額に押し当てるとその手を強く握られる。
「ユーフェミア、僕に失望していてもいい。呆れてくれてもいい。蔑んでくれてもいい。だけど、僕の傍から離れないでくれ。目の前から消えたりしないでくれ」
返事はない。
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「わたくしの気持ちは?」
「……そうだな。まただ……また僕は自分のことばかり……。こんな男が夫では君が離婚を考えるのも当然だ……。すまない、ユーフェミア」
自嘲するトリスタンがそれからすぐ静かになったことに首を傾げ、目元まで隠していたクッションをどけるとトリスタンの意識がなかった。
「嘘でしょ……トリスタン!? トリスタン!」
それからすぐ医者が到着し、取り乱すユーフェミアをエリオットが引き剥がして抱えて廊下に連れだした。
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そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー
最後まで書きあがっていますので、随時更新します。
表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。
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