腐女子な王女は妄想する

永江寧々

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唐突な結婚話

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「いやっ! 絶対にやだっ! お断りよ!」

 案の定、アーティは婚約を嫌がった。父親の部屋で大声を出すのはアーティだけ。

「これはもう決まったことだ。明日、顔合わせに出てもらうぞ、アーティ」
「嫌よ! どうしてシャティお姉様だけ免除されて私だけお嫁に行かなきゃいけないの!?」
「ベアも結婚しただろう」
「でもアウラからは出ないじゃない! 私だけ、私だけ外に出るのよ! そんなのズルい!」

 アーティの大声に父親は眉を下げる。

「シャスティーナは言うことを聞かんのだ」
「だったら追い出せばいいじゃない!」
「なんてことを言うんだ!」

 アーティが口にした予想外の言葉に父親が少し怒ったような顔を見せるもアーティは引かない。

「だってそうじゃない! お父様の言うことを聞かないなら追い出せばいいでしょ! それもしないで言うこと聞かないから結婚も諦めてるなんてズルい! 私だって結婚なんてしたくない! シャティお姉様が結婚しないから私の結婚を急ぐなんて最低よ!」
「もう結婚していてもおかしくない歳だ! いつまで甘えるんだ!」
「甘える……? 私が? 私がお父様に甘えてるっていうの!? ベアトリスお姉様もシャティお姉様も自分の好きな道を歩んでるのに私が結婚嫌だって言ったらそれだけで甘えてることになるの!?」
「二年前、お前はやりたいことがあるから結婚はしたくないって言ったな? 二年間、お前の様子を見てきたが、やりたいことがあるようには思えなかった。この二年で何か成し遂げたことがあるのか? 何か目標に近付いたのか?」

 父親の問いかけにアーティは黙りこむ。震えることでカチカチと鳴りそうになる唇を噛みしめると口角が下がる。泣かないと思っているのに勝手に溢れる涙はアーティの言葉の代わり。それでも二年前、今と全く同じ状況になったため今回ばかりは父親も甘くはならない。

「アーティ、お前にベアのような意思があれば私も結婚を急かしたりはせん。だがお前には目標がない。このままダラダラ過ごしているぐらいなら同盟国にでも嫁いでアウラではない世界を見たほうがよいと思っているのだ」

 アーティは首を振るだけで答えない。
 ベアトリスは植物の研究をしたいと言っていた。その結果が出たら必ず結婚すると言って先延ばしにしていた。それが今回、結果が出たものだから約束通り結婚したのだが、アーティには先延ばしにする理由がない。

「他の世界なんて……見たくない……。アウラが好きなの……」

 震える声で訴える言葉に父親が目を閉じる。三姉妹の中でアーティが一番愛国心が強く、アウラを見て回っている。だからこそ、その言葉が突き刺さる。

「ならもう暫く先延ばしにするか?」
「いいの?」
「そこまで言われてはな……。だが、メイナードは結婚させる」
「え?」
「メイナードの結婚相手も見つけてある。結婚すればお前の従者から外れることになるんだ」

 朝起きたとき、メイナードは何も言わなかった。父親が呼んでいるということだけ伝えて、あとはいつも通りだった。後ろで待機している今、彼はどんな顔をしているのかと振り返るも表情はいつも通りで変わらない。

「……そう、よかった」
「よかった?」

 意外な言葉に首を傾げる父親にアーティは笑顔を見せる。

「だって、彼はもう四十二歳よ? とっくに子供がいてもおかしくないのに私のせいで婚期を逃してたんだから丁度いいわ。昨日もそんな話をしてたの」
「そうか。気立ての良い娘だ。お前も安心するといい」
「ええ」

 笑顔を浮かべるアーティに安堵した父親は「メイナード、向こうからの返事だ」と手紙を見せて残るよう指示し、アーティだけが部屋を後にした。すれ違うとき、チラッとアーティを見てみたが顔は見えなかった。

「歳は二十三だが、イイ年頃だろう。そなたも若いほうがいいだろう? そなたの武勇を継ぐ者を残さねばならぬしな」

 二十三歳。結婚するにはイイ年頃であることは間違いない。男爵令嬢というのも騎士からすればもったいない家柄。文句などあるはずがない。
 それなのに結婚に乗り気にはなれない。

「近々、顔合わせをする。予定がわかり次第知らせる」
「はっ」

 返事をして下がった後、メイナードは右へと歩きだす。

「姫」

 ノックを鳴らして声をかけても返事はない。

「入りますよ」

 中に入るとベッドは膨らんでいなかった。てっきりベッドの中で丸まっているのだとばかり思っていたのが外れ、メイナードは辺りを見回す。

「姫?」
「あ、メイナード! 丁度良かった!」
「え?」

 明るい声で宝箱型の小さなジュエリーボックスを持ってきたアーティがメイナードの前でそれを開ける。

「美しい宝石ばかりですね。ブローチにイヤリング、指輪も」

 全て姉達からのお下がりばかり。アーティは装飾品には興味がなく、それよりも本をたくさん買いたかった。だから自分で買った装飾品はほとんどない。
 それでもお気に入りはあった。その中から一つずつ選んだ品を見せるアーティが何をしたいのかわからずメイナードは首を傾げる。

「これ、あなたの奥さんにあげて」
「は?」

 突然の言葉に戸惑うメイナードの手をジュエリーボックスを推しつけ、アーティは笑顔を見せる。

「だって、私の従者がお嫁さんをもらうのよ? 主として何か贈らなきゃ」
「このような物、姫が贈る必要などありません」
「でも素敵な物ばかりよ? あなたには価値なんてわからないでしょうけど、奥さんはきっと喜ぶわ」
「姫、これはあなたの物です。大切にしまっておいてください」
「いいの! 私はどうせ持っていけないんだから」

 押し返そうとするメイナードの手が止まった。
 父親はもう少し先延ばしにすると言ったが、それもいつ変わるかわからない。相手の返事次第では明日にでも顔合わせになるかもしれない。アーティが泣こうと国の経済を守るためなら娘一人嫁に出す覚悟がフィル四世にはある。民の暮らしを守るには同盟国との絆を揺らがせるわけにはいかないのだ。
 もう少し様子を見ると言ってもアーティが大喜びしなかったのはそれがわかっているから。
 結婚すれば自国で使っていた物は持っていくことができない。向こうの人間になるのだから何から何まで向こうの物を身につける。これはアウラ王国第三王女が身につける物であって他国に嫁いだ物はもうつけられない物。だからアーティは譲ろうと思った。

「素晴らしい物なんだから箱にしまっておくよりも使ってもらえるほうが幸せでしょ? だから、ね? 受け取って。私からの結婚のお祝いよ」

 どうしてこんなに苦しいのかアーティはわからない。今すぐにでも泣きだしてしまいたいほど胸が苦しくてたまらないのにそれをどう吐きだせばいいのかわからなかった。
 笑顔でいるつもりなのにジワリと滲む涙は何度拭ってもこぼれてきてしまう。

「姫……」

 抱きしめていいものかわからず、メイナードは強く拳を握りながら見つめているとアーティと目が合った。

「ずっと一緒にいられるって思ってた」

 アーティは結婚しなければと口にしながらも本当は現実になるなど想像したこともなかったのだ。シャスティーナが結婚しなければ自分が結婚することはないと思っていたし、自分が結婚するまでメイナードも結婚しないと。それなのにメイナードは結婚してしまう。王命であれば断れない。だから必ず結婚する。そして、自分には違う人間がついて、アーティは自分の趣味も話せない人間と一緒に過ごす。
 そんな日が来るなんて思ってもいなかった。

「だからちょっとびっくり。でも男爵令嬢なら悪くないわよね。パパが気立ての良い人だって言ってたし、きっと良いお嫁さんになってくれるわ。きっと今頃シェフに料理を教えてもらってるはず。騎士団長の身体を守るのは奥さんの役目だもの」

 笑顔で受け止めようとしているのに話せば話すほど涙は大粒に変わり、こぼれていく。

「婚約、おめでとうって……言わなきゃ、いけないのに……言えないの……ごめんなさい」
「ッ!」

 その言葉にメイナードは拳をほどいてアーティを抱きしめた。細く小さな身体が震えている。寂しさか恋しさか、そんなことを探るのはあまりにも無粋だとメイナードは何も聞かなかった。
 姉が結婚しても涙一つ滲ませなかった少女がこうして今、自分の従者が結婚することに涙している現実だけでじゅうぶんだった。

「私の婚約者がクリスだったら喜んでくれましたか?」

 どうにかして笑ってほしくて言った言葉がこれかとメイナードは自分に苦笑してしまう。四十を過ぎてもかけられる言葉がこれなのではあまりにも情けない。

「……わからない」

 失敗した。
 あれは趣味であって彼女の人生の指針ではないのに余計なことを言ってしまった。

「ごめんなさい、メイナード。一人にして」

 ゆっくり頭を下げて部屋から出ていくとメイナードはそのまま宿舎へと戻った。訓練は既に始まっている。自分が指揮を取らずともクリスが立派にやってくれるのだ。近い将来、騎士団長になるのはクリスだろう。
結婚して家庭を持った自分は今よりずっと抱えなければならない選択肢が増えて、別の仕事も増える。それをやる気として生きられるかどうか。

「団長! メイナード団長!」
「あ……どうした?」
「いや、姫が結婚するってマジですか?」
「どこからそれを?」
「俺です。団長にサインをいただく書類があったので探していたらアルベルティーヌ様のお声が聞こえて……」

 デレクとクリスが小声で話すのは配慮してのこと。噂が一気に広まればアーティに逃げ場はない。望んでいない結婚だと誰もがわかっている。クリスとデレクもなんとなくは気付いているのだ。なぜ毎日ここにアーティが来るのかを。
 もしそれが当たっているなら結婚は望んでするものではないことも。

「もう姫は来ないってことっすか?」
「わからん」
「お相手は?」
「アドルフ王子だ」
「フェルムの?」
「そうだ」

 フェルム王国第三王子であるアドルフについて持っている情報は少ない。公務をしないわけではないが、積極的に出ているわけではない。女の噂もチラホラ聞くだけに心配なのはメイナードだけではなくクリスも同じだった。

「アルベルティーヌ様がフェルムでやっていけるとは思えません」
「それは私も同じだ」
「フェルムって薬学がスゲーとこですよね?」
「そうだ」
「姫ってそういうの知識ありましたっけ?」
「ない」

 薬学に詳しいのは長女のベアトリスであって他二人は興味を持ったことさえない。フェルムに嫁いで王妃として何ができるのか、何も知らない少女がどう扱われるのかが心配だった。

「心配っすよね」

 デレクの言葉にクリスが頷く。

「陛下はなぜ急にアルベルティーヌ様の結婚を決められたのでしょうか?」
「ベアトリス様が結婚された歳まで八年もあるのに変っすよね?」
「同盟のためだろう。フェルムは同盟国が多い。全ての同盟国に平等に接するのは難しい。同盟国の方針によっては嫌悪する場合もあるだろうし、フェルム王が気に食わない国と懇意にしていれば当然快く思われない。そういう所は解除こそされないものの同盟国の中でも受ける恩恵は少なくなる。陛下はそれを避けたいのだ」
「それって姫を生贄として差し出すってことですか!?」
「デレク、言葉を慎め」

 注意しながらもクリスも同じことを思っている。優遇してもらうためには何かとびきりの物を差し出さなければならない。同盟国が少ない相手であれば特産品を贈ることで優遇してもらえることもあるが、同盟国が多ければそんな物では優遇などしてもらえるはずがなく、フィル四世が取った手段は娘を差し出すこと。

「ベアトリス様のほうがよかったんじゃないですか?」
「七年前からの決まっていた婚約者を蹴ってフェルムに送り出せばよかったと言うのか?」
「ダメっすか?」
「ダメに決まってるだろ。大体、ベアトリス様が婿を取らなければ誰が婿を取るというんだ」
「シャスティーナ様」

 クリスは呆れたように首を振る。
 三姉妹の中で最も男慣れしているのはシャスティーナで間違いない。だが、シャスティーナは相手の位は気にならない。大事なのは顔と身体だと言う。だからこそ父親は次女になんの期待もしていないし、婿を取らせようとも思わないのだ。

「それこそ、姫に婿を迎えさせればよかったんですよ」
「姫は……」

 クリスは言いかけてやめた。いつかは嫁ぐ日がくる。第三であろうと王女は王女。嫁がず一人でというわけにはいかない。だが、今のアーティでは王いい結果は想像できず、メイナードの前であるため口を一度閉じた。

「団長が婿になれば結果オーライじゃないっすか?」
「は?」
「は!?」
「だからー、ベアトリス様がフェルムに嫁いで、シャスティーナもどっかに嫁に行って、我らが姫が婿を迎えればよかったんですよ。我らが団長という最強の婿を!」

 とんでもないことを言いだしたと思いながらもクリスはその案に賛成だった。しかし、ベアトリスが婿を迎えた以上、それは願望でしかなく、第三王女と騎士団長が結婚など認められるわけがない。どうせなら王子に嫁がせたいに決まっている。
 クリスは苦笑しながらメイナードを見るが、メイナードも同じ考えなのか苦笑していた。

「俺は姫にずっとここにいてほしいですけど……」
「それは俺達も同じだ」
「あ、じゃあ俺が陛下にお願いしましょうか!?」
「下っ端のお前じゃ陛下に謁見することもできないぞ」

 苦笑するデレクは後頭部に両手を回して大きな溜息をついた。

「でも意外っすね。陛下ってもっと親バカなんだと思ってた」
「デレク、お前は言葉を慎めという言葉がわからないのか?」
「だって悔しいじゃないですか! 団長には姫が結婚するまで結婚するなって命じておいて、姫が結婚したら用済みなんすよ? 団長もう四十二歳っすよ!?」
「四十二歳だって結婚はできる。団長の人気知ってるだろ」
「一番人気の人が言ってもねぇ」
「……城外五十周するか?」

 慌てて両手で口を押さえながら首を振るデレクは逃げるように訓練に戻っていく。いつもより元気に剣を振る様子に溜息をつくクリスはメイナードの隣に腰かけて空を仰いだ。

「姫が嫁いでしまうなんて想像できませんね」
「そうだな」
「寂しくなります」
「俺もだ」

 ハッキリ言葉にできるほど寂しいと思っている。自分の娘のように育ててきた子が嫁いでしまうのに寂しさを感じない者はいない。あの笑顔が目の前から消えてしまう。あのおてんばが消えてしまう。そんな日々にいつか慣れる日が来るのだろうかと不安になる。慣れてしまうことに……

「一緒について行かれては?」
「バカなことを言うな。許されるはずがないだろう」
「アルベルティーヌ様がおっしゃれば可能性はあります」

 メイナードは首を振る。

「陛下は私と姫を離したがっているんだ。姫がどれほど泣いて訴えようと陛下は聞き入れてくださらないだろう」
「まあ、ベッタリですからね」

 幼い頃からアーティはメイナードにベッタリだった。お茶をするのもメイナードと。遊ぶのもメイナードと。刺繍をするのもダンスをするのもメイナードと。何をするにも親ではなくメイナードと一緒で、分かち合う相手もメイナードだった。
 誰が見ても親子か、それ以上に見え、二人の仲を微笑ましく見つめる者も多かった。だからこそアーティが他国へ嫁ぐ話にクリスは驚きを隠せないでいる。

「陛下の命令であれば従うしかない。私にできることはないのだ」
「辛いですね……」
「そうだな……」

 同じように空を仰ぎながら呟くようにこぼした言葉は風に乗って飛んでいく。王にもアーティにも届かない。

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