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非常事態
しおりを挟む二日酔いで一日を棒に振ったその日の晩。時刻は深夜一時を過ぎていた。外からの明かりが、薄ぼんやりと同じベッドに並んで眠る二人を照らしている。
部屋に満ちた静寂を引き裂いたのは一通の着信だった。
歩はそのけたたましい着信音で目を覚ます。
(なに…?)
寝ぼけ眼で音のする方を見ると、ちょうど肘をついて起き上がった滉が、ベッドのヘッドボードに置かれたスマホに手を伸ばしたところだった。
嫌な胸騒ぎを覚えつつ、歩はスマホの画面を見て顔を顰めた滉の横顔を見つめる。
「はい」
声を低めてその電話に出た滉は、話しながらこそこそと寝所を出ていく。リビングと歩のいる寝室を隔てる扉がパタンと閉められて、歩ははぁ、と息をつく。
(電話、女の人の声だった)
歩は布団を引き上げてそれを頭からすっぽりと被った。リビングからはボソボソと話し声が聞こえるが、布団を被っているのも相まって内容までは聞こえてこない。
暫くして通話を終えたのか、扉が開く音がして滉が近づく気配がした。しかし、その気配はベッドのそばで動かない。あれ、と疑問に思い、歩が被っていた布団をどかした時、こちらを見下ろす目が僅かに見開かれた。
「ごめん、起こした?」
「あ、いや…うん…」
誰から?とは聞けなくて、歩はやり場のない気持ちを押しこめる。
「今、姉ちゃんから電話あって」
「え、お姉さん?」
電話相手は意外にも滉の姉だったらしい。それにしてもなんで?と歩は僅かに身を固くする。
「母さんが救急搬送されたって…」
「え、」
歩は思わず横たえていた体を起き上がらせる。
「お母さんの様子は…?」
「すごい腹、痛がってるみたい…。」
暗がりでもわかるほど滉の顔色が悪い。よほど緊迫した状況にあるらしい。
「…そう」
歩は言ったきり俯き黙り込む。滉もまた、俯いて黙り込んだ。
「行かなくていいの?」
「え…」
歩の言葉に滉は俯けていた顔を上げる。
「でも、俺行ってもな…姉ちゃん付き添ってるし…あっ、」
言いかけたところで、滉が手にしていたスマホが鳴った。
「ごめん、姉ちゃんから」
歩は頷き、歩は電話をする滉を固唾をのんで見守る。
「…うん、わかった。今からいく。…うん。…はい。…じゃあ」
通話を終え、滉がスマホを持ったままの手を下ろした。
「ごめん、今から病院行ってくる」
滉が病院から帰ってきたのは、それから40分ほど経ってからだった。
「しの、おかえり…え、」
「ただいま」
小声で言って、滉はそうっと靴を脱いで家に上がる。歩は滉を、─いや、滉の背中に背負われたものをぽかんとした顔で眺める。
「ごめん、二、三日預かることになった」
「え、ああ、うん。わかった」
滉におぶられていたのは、五歳になる滉の姪だった。
深く眠っているその子どもをベッドに下ろし、布団を掛けてやる。そこまでやって、滉は詰めていた息を吐いた。
小さく寝息をたてる子どもを残し、二人はリビングに移動する。
「お母さんどうだった?」
ソファに腰掛けた滉に続いて、歩も隣に腰を下ろす。
「今頃検査中かな。処置室の前で待たされてた姉ちゃんに状況聞いて、ひな、──姪っ子連れて帰ってきただけだから俺も詳しくは…」
「そっか」
「…」
「…」
黙して二人は、沈痛な面持ちで俯いた。
「あ、」
突如、再び滉の手の中のスマホが鳴った。
「はい」
慌ててそれに出た滉の横で、歩はその横顔を心配そうに見つめる。
「…うん、うん、…え?…あー、うん、なんだ…。はい。それじゃあ。」
その数秒の通話の途中で、明らかに重かった空気が霧散する瞬間が、隣にいた歩にも感じ取れた。
滉は深く息を吐きながら、電話を切ってスマホを脇に伏せた。
「お姉さんから?」
「うん。虚血性大腸炎っていう病気らしい。要は大腸の炎症らしい。一週間くらい入院になるみたいだけど、すぐよくなるって…」
吐き出すように言った滉からは、安堵が伝わってくる。
「そうなんだ。じゃあそんなに心配いらないってこと?」
「うん。姉ちゃんもそう言ってた。まあ、入院のあれこれがあるから、ひなは二、三日預かるけど」
「そっか。それならよかった。」
「とりあえず寝るか」
「うん。オレ今日はソファで寝るから、滉はひなちゃんと寝て」
「うん。わかった。ごめん、のん。」
「ううん」
滉が寝室に行くのを見送って、歩はリビングの照明を消してソファの背に掛かっていたブランケットに包まって横になる。
(思いがけない事態になってしまったな…)
歩はふぁと欠伸を一つする。緊張が解けたら急に眠気が襲ってきた。
歩は目を瞑って、その眠気に抗わずにそのまま眠りに落ちていった。
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