feel like WATER

七星満実

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Fourth feel

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「マサト!サトシから連絡があったって?」
 座敷でひとり座っていると、ナルが興奮した口調で肩を叩きながら声をかけてきた。
「あ、ああ。どこまでやれるかわからないけど、手伝わせて欲しいって」僕は、タバコの火を消しながら続けた。「ナルのおかげだよ。説得してくれたんだろう?」
 上着を脱ぎながら、ナルも席に着く。
「説得なんて大それたもんじゃないよ。あいつがまたドラム叩いてみようかな、って言ったから、じゃあマサトのイベントにも出ろよって言っただけさ」
 ナルと酒を飲むのは久し振りだった。去年の春、ソウタと3人でバカ騒ぎして以来だ。
「ありがとな、ナル。色々気ぃ回してくれて」
 僕はナルにメニュー表を渡しながらお礼を言った。
「お安い御用さ。俺だってイベントが楽しみだからな。……えーと、ウーロン茶にするわ」
 メニュー表を眺めるナルの意外な言葉に、僕は不思議に思った。
「ウーロン茶?なんでだよ」
「……酒、やめたんだ。最近の話だけどな」
「やめた?あれだけ好きだったのに」
 今度は驚いて返す。
「もうすぐ子供も生まれるからな。色々、生活習慣も変えていこうかなって」
 ナルはもっともらしい事を言いながら、メニュー表をこちらへよこした。
「そういや、タバコも吸ってないよな」
 今になって、その事にも気付く。
「そういうこと。なんでもやめ始めて、お前とは逆ってわけだ」
 ナルはそう言うと、無邪気に笑った。
「……えらいよな。色々先の事考えてよ」
 僕は、店員を呼ぶベルを押しながら返した。
「そんなことないさ。まぁ、マサトも家庭を持てばわかるよ」
 ナルの言葉が、やけに大人びた言い方に聞こえる。
「ナルも、サトシも、サチも……みんな家庭があるんだもんな」
 みんなきちんとした大人になり、自分だけが、取り残されているような気分になった。
「お前やソウタは、目標があるからさ。俺達からすれば、そっちがうらやましいぜ」
「……そんなことないさ。大人になりきれてないだけだよ」
 僕がそう答えた時、若い女性の店員さんが座敷にやってきた。
「お待たせしました、ご注文ですか?」
「はい。えーと、ウーロン茶と、生中ひとつ。あと枝豆と、ピリ辛きゅうり。唐揚げと、生春巻きもください」
 僕はメニューを見ながら適当に注文を告げた。
「……はい、かしこまりました。先にお飲み物お持ちしますね」
 店員さんは電子伝票に入力しながらそう言うと、座敷から引き上げて行った。
「実はさ、その辺のこともちょっと気になってて」
「?なんだよ、その辺のことって」
 ナルが聞き返す。
「ナルもマドカが出産控えてるのに、こうして協力してくれるしさ。サチだって子供もいて大変なのに、同級生達に連絡回してくれたり……。サトシも、嫁さんがいる立場で、手伝ってくれることになってさ。ソウタだって、バンドで忙しいのに快く引き受けてくれて。……本当にこれでいいのかな、って」
 僕は、力を貸してくれるみんなのことを思い浮かべながら言った。
「らしくないな。そんなこと気にしてるのか?」
「俺が、こんな病気になっちまったからさ。だから、みんなに気を使わせてるの、申し訳ない気持ちになってきたんだよ。それぞれ、仕事や家庭もあるのにな」
 僕はそう言いながら、2本目のメビウスに火をつけた。
「お前が病気だからみんな協力してるって言いたいのか?そりゃ。みくびりすぎだよ。みんな、お前がやろうとしてることを応援してるだけだぜ」
 ナルはそう言ってくれたが、勢いに任せて無理をお願いしている事に、僕は今更ながら罪悪感のようなものを感じていた。
「なんか、独りよがりって言うかさ。病気の事があってから、何か目標のみたいなものが……何か、残せるようなものが欲しくてさ。ずっと、その事ばかり考えてた」そこまで言うと、僕はタバコをひと吸いしてから再び口を開いた。「無理にでも前向きになろうとして、今回のイベントを思いついたけど。なんだかんだ、自分勝手に周りを巻き込んでるんじゃないか、って」
 ナルは、黙って話を聞いていた。
「お待たせしました。生中とウーロン茶、枝豆とピリ辛きゅうりになります」
 ちょうどその時、さっきの女性店員さんが注文した品を持ってきた。
「ありがとう。……とりあえず、乾杯しようぜ」
 ウーロン茶を受け取ると、ナルがジョッキをこちらに近づけて言う。
「そうだな。……乾杯!」
 僕はジョッキをカツンとナルに合わせると、勢いよくビールを流し込んだ。
 ゴク、ゴク、ゴク、と喉を鳴らし、ジョッキをテーブルに勢いよく置く。
「くはー。うまいっ。帰ってきてから初めての酒だ」
 僕が続けざまにジョッキを傾けようとした時、ナルが呟いた。
「独りよがりなんかじゃねぇよ」
「……ん?」
 僕は一口だけビールを飲むと、再びジョッキを置いた。
「お前は昔からさ、水みたいな生き方だったよ」
「……水、だって?」
 僕が聞き返すと、ナルは頷いてからさらに言った。
「何かにぶつかっても、流れを変えてまた進んでさ。誰かが困ってたら、そこに向かって手を差し伸べた。誰かとトラブっても、気にしないで水に流してさ。友達同士の中に緩やかに入ってきて、間を取り持ってさ。いつも、穏やかだった。……まるで、水みたいな奴だと思ってたよ、昔から」
 僕はそれを聞いて、なんだか妙に恥ずかしくなって笑ってごまかす。
「水みたいな奴、か。……はは、詩人だなナル」
 しかし、ナルの顔は真剣だった。
「そんなお前が、心に感動を伝えることのできる仲間達の姿を、同級生に見せたいんだろう?誰かが、それをお前の独りよがりだって言っても、違うね。って言ってやるさ俺が
」ウーロン茶をビールのようにグイと流し込んでから、ナルは続けた。「お前が見てきたもの、受けてきた感動を誰かに伝えたいって気持ちよくわかるよ。俺だって、叶うならそうしたい。だけどその方法なんて、なかなか浮かばない。それは、とても難しいことだと思うんだ」
 僕はもう茶化す事もできず、黙って聞きながら3口目のビールをゴクリと飲んだ。
「でも、お前は違うじゃないか。行動に起こして、実現しようとしてる。それは、自分の満足のためだけじゃない。水みたいに、みんなの乾いた心に染み込んで潤すようなメッセージが、そこに込められてると思うんだ」
「……違うぜ、ナル」僕はそこまで聞いて、ようやく口をはさんだ。「お前がいつも助けてくれたからなんだ。ガキの頃から、お前が必ず味方になってくれたから、そんな生き方が出来たんだよ。俺が下手やらかした時も、必ずかばってくれた。高校の頃に親父が亡くなった時だって、ずっとそばで励ましてくれたろう?今回だって、お前がいなきゃ、こんなイベントやろうとしないさ。……俺の背中を押してくれるのは、いつだってお前だったんだ」
 そう言った僕が残りのビールを飲み干すのを待ってから、ナルはまた口を開いた。
「……俺が、マドカに告白したいって言った時は、お前が背中を押してくれたんだぜ。自分の気持ちを隠してな」
 ナルは、時々思い出したようにその話をする。
「その事はもういいって。俺は、お前だったら仕方ないと思って、気持ちよく身を引いたんだからな」
 それは本当だった。遠慮したわけじゃない。
 ナルなら……。ナルだったら、きっとマドカとうまくやれる。マドカを、任せられる。そう思ったんだ。
「とにかくさ」ナルが枝豆をつまみながら言う。「お前がやろうとしてることは、きっとみんなの心に届くから安心しろよ。……ただ、お前は結構無理するからな。それだけが心配だ。無理せず、気長にな。それだけは約束してくれ」
 ナルの言葉に、僕はピリ辛きゅうりを口に運びながら頷いた。
「そうだな……わかった。ありがとな、ナル」
 そう言ったところで、例の店員さんが唐揚げと生春巻きを持ってやってきた。
「お待たせしましたー」
 僕はそれを合図に、二杯目のビールを注文した。まだ酔ってもいないのに、不思議と、今までにないくらい美味い酒に感じていた。



 水みたいな生き方……。自分は、本当にそうやって生きて来れたんだろうか。
 ナルと別れた後、僕は天戸川にやってきていた。水面に滲む控え目な町の夜景を、眺めたくなったからだ。
 役者を目指したのは、親父が舞台作家だったから、という理由も大きかった。小さい頃から演劇を目にする機会は多かったし、小さい頃から役者に興味を持っていた。親父が亡くなった事を機に、親父が遺してくれたものを引き継ぎたいという思いも芽生えたんだ。
 滔々と流れるこの天戸川のように、目立つやり方ではなかったけど、親父なりに愛情を注いできてくれた事を、亡くなってから初めて気付いた。当時は仕事一辺倒に見えてはいたけど、自慢の親父だった。親父が書いた脚本でたくさんの人が感動し、たくさんの人が勇気付けられているのを、間近で見てきたからだ。
 親父もきっと色んなことにぶつかり、水のように流れを変えながらも、自分の信じるもののために、守りたいもののために進み続けたんだろう。早すぎる死だったけど、もしかすると親父にとっては満足のいく人生だったのかもしれない。今なら、そう思える気がする。
 人間の体の7割は水だと、何かで読んだことがある。親父から受け継いだ血とともに、僕の体の中のほとんどが水で構成されているんだ。だったら、水のように生きられるはずだ。ナルが言ってたみたいに、流れを変えたり、枝分かれしたり、必要とされるところへ進んだり、傷ついた過去を、洗い流したり。

 僕は思った。
 きっとこの病は、僕に必要なものだったんだ。水になったような気持ちで生きていく、その意義を知るために。
 例え、新しい記憶が増えにくくなっても。例え、忘れたくないことを忘れてしまっても。そうなったらそうなったで、受け入れるしかない。だからこそ、僕という人間を作り上げたこの町に、家族に、同級生のみんなに、恩返しがしたいんだ。

 僕は天戸川の流れに、絶望に苛まれながらも自分の体中に駆け巡る希望を重ねながら、ひとり、そんな事を考えていた。

 かつてない試練が、足音も立てずすぐそばまで忍び寄ってきている事も知らずに……。



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