feel like WATER

七星満実

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Fifth feel

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 開演を待つ寒空の下。僕はライブハウスの外に設置された灰皿の前で、ナルに二度目の電話をかけていた。
「……やっぱり、出ないな」
 急用でもできたのだろうか?ここのところしょっちゅう駆り出させてしまっていたから、こういう事があっても仕方ないかと、諦めて電話を切る。
「皐月さん、お久しぶりです!」
 スマホをポケットに滑らせメビウスに火をつけようとしたら、突然声をかけられた。
「伺いましたよ。役者をお辞めになったとか。すごくいい演技されてたから、残念に思いましたけど……。他になさりたい事が新しくできた、とか、そういうご事情なんですか?」
 白のベレー坊に白のショートコートの女性が、やけに流暢に言葉を続ける。まったく初めて見る顔だった。
「えっと……すいません、どこかでお会いしましたか?」
 勢いに押されながらも、ついつい本音が出てしまう。
「えー!やだなぁ、竜崎さんのイベントでご一緒したじゃないですか」
 竜崎さんとは、例のアーティストチームのリーダーのことで、今日のライブイベントの主催者だ。イベントへの参加は去年に一度しかしてないので、僕が共演者を忘れるはずがなかった。
「あ、ああ!大変失礼しました、ちょっと考え事してまして、つい」
 僕は、慌てて頭を下げて謝罪した。
「私ってそんなに印象薄いですかぁ?あの時は私のライブペイント、すっごい褒めてくれたのに」
「ま、まさか。もちろん覚えてますよ。……あの、そろそろ本番始まりますよ」
 あまりの失態に焦って、僕はわかりやすく話を変えた。
「……あ、ほんとだ。中、入りましょうか」
「え、ええ」
 ペインターの女性に促されるまま、僕は吸いかけていたタバコの箱をポケットにやり、ライブハウスの中へと入っていった。

「やっぱ、すげぇ……」
 ゴリゴリとヘビーロックバンドのサウンドビームが会場に飛び交う中、大トリの竜崎さんのペイントが始まった。
 とめ、はね、はらい。まるで洗練された書の書き手のように、キレのある腕の動きによって、2メートル四方ほどのキャンバスへみるみるうちに絵が描かれていく。スピーディでありながら正確、大胆でありながら緻密。久しぶりに竜崎さんの見るライブペイントの迫力に、僕は改めて驚いていた。
「かっこいいですよね、竜崎さん」
 隣で、さっきのペインターの女性が呟いた。絵自体もさる事ながら、そのダイナミックな描き姿を前にすれば、同意せざるを得なかった。
「海外からオファーがくるのも、頷けます」
 照明が赤、青、黄色と目まぐるしく変化する中、キャンバスの絵も徐々に大きな形を成していく。
 そこへ、ビキニのような露出度の高い服装に、顔、腕、腹、足と、全身にトライバル模様のような青の蛍光塗料でボディペイントが施された、ダンサーのヒカリさんが現れた。
 バンドの低く重たくもメロディアスな演奏に合わせて、流れるようにナチュラルな舞いで呼応する。つま先から指先までエナジーを行き届かせるように、全身を回転させながら舞台狭しと、流れるような動きで竜崎さんのペインティングに華を添える。
 気付けば、キャンバスには巨大な龍の姿が現れていた。照明が抑えられ、キャンバスにのみスポットライトが当たる。バンドサウンドも最高潮を迎え、さらに激しくなるのに合わせ、蛍光塗料によって青い光の渦のようになったヒカリさんのダンスも、スピードと回転がさらに増していく。
 何か神聖さすら感じさせるヒカリさんという名の美しい巫女は、キャンバスに浮かび上がる龍の神を降臨させるべく踊り狂う、芸術の螺旋と化してしていくのだった。
 心臓にまで響く重低音に心臓を鷲掴みにされながら、その様子を眺める僕の脳内はじんわりと熱くなり、ドロリとした濃密な快感が、頭から全身を駆け巡るような感覚に囚われる。
 その場から逃げ出したくなるほどの興奮を覚えて呼吸すらしづらくなった頃、ヘビーロックバンドの演奏が終わり、ヒカリさんも舞台中央でピタリと静止した。キャンバスには、禍々しさと尊大さが同居した躍動感あふれる巨大な龍の姿が完成していた。
 拍手喝采の嵐を背に受けながら、竜崎さんがキャンバスを掴んでグルリと半回転させ、絵を天地逆にする。不思議に思って目を凝らすと、そこには恐ろしい表情の巨大な鬼の顔が現れた。
「嘘だろ、こんな仕掛けまで……」
 信じられないほどの速さで龍を描きながら、絵を反対にすると違う絵が出現するという離れ業、いや、神業を見せつけた竜崎さん。ライブハウス全体が、驚きと感嘆の声に包まれる。
 それは、アートライブイベントというプログラムのフィニッシュアクトを飾るにふさわしい、まさしく稀有な芸術体験だった。

「……凄かったです。とにかく、感動しました。……すいません、語彙力がなくて」
 ライブ後、大柄な体に仙人のように蓄えられた立派な髭、肩よりも長い髪を頭に巻かれた白いタオルで束ねた竜崎さんに対峙し、わずかな緊張を覚えながら僕は声をかけた。
「言葉で説明できるようなものやってないからな、俺達は」描き疲れた様子も見せず、自信に満ちた表情で竜崎さんはそう答えてから、さらに続けた。「で、どうなんだ。病気の具合は」
 僕は、こんなに力のあるアーティストに病状を気にかけてもらえていることに、何だか誇らしさすら感じてしまった。
「今のところは、ちょっと物覚えが悪くなったと感じるくらいで、問題なく生活できてます」
 そう言いながら、以前イベントで共演したはずの、さっき声をかけてきたペインターの女性を忘れてしまっていた事実が、ふと頭をよぎった。発病前の記憶を失ってしまうという、逆行性健忘。もしかすると、その発症の予兆かもしれない、と、内心で僕は動揺していた。
「そうか。皐月の演技は何かが憑依してるような迫力があったから、俺も一目置いてたんだがな。……役者の引退は勿体無かったが、お前はやれる奴だ。何か違う形で、センスを発揮できると思うぞ」
 竜崎さんはそう言うと、控室のテーブルに置かれたウイスキーのロックを飲み干した。
「は、はい!僕なんかには勿体無いお言葉です、ありがとうございます」
 さっきあれだけのパフォーマンスを見せた人から、まさかそんな心強い言葉を貰えるとは思ってもみなかったので、僕は思わず目頭を熱くさせかけた。
「今度の同窓会イベントに協力するのも、同情なんかじゃない。お前を認めているから、協力するんだぞ。そのあたり、勘違いするなよ」
 ジャックダニエルをトクトクとウイスキーグラスへ豪快に注ぎながら、竜崎さんが言う。ナルも、似たような言葉をかけてくれた事を思い出す。
「はい、本当に感謝してます。竜崎さんのペイントとヒカリさんのダンスが、僕の同級生バンドとコラボしてもらえるなんて……まだ信じられません。楽しみで仕方ないです」
「皐月からは、アーティストへのリスペクトを感じるからな。ヒカリもお前の演技力を認めてたし、そのあたりの事も伝わってるから、きっと引き受ける事に決めたんだと思うぞ」
 竜崎さんがそう語っていると、ちょうど控室にダンスの熱気をわずかに残したまま、ヒカリさんが入ってきた。
「ああ!竜崎さん。今日はお越しいただきありがとうございました。……その後、お加減はいかがですか?」
 ヒカリさんは少女のようの屈託ない笑顔で、そう声をかけてくれる。
「素晴らしかったですヒカリさん、お疲れ様でした。おかげさまで、なんとか元気にやってます」
 僕の言葉に、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出しながらヒカリさんが答える。
「それは良かったです。日程、4月の最終日曜に決まったんですって?」
「ええ、色々と今準備に動いているところです。水をテーマに、イベントのディレクションをさせてもらおうかと思ってます」
 冷えた水をゆっくりと喉に流し込みながらそう聞くと、ミネラルウォーターのパッケージを眺めながらヒカリさんは答えた。
「水、ですか……。いいですね、色々とイメージが湧きそうなテーマで」
 額に少し汗を浮かべながらそう語る彼女の表情はとても綺麗で、僕は柄にもなくドキドキしてしまう。あれだけのパフォーマンスを見せつけられた後だったから、余計にそう感じたんだろう。
「お声をかけて頂けて光栄です。いいイベントにしましょうね、皐月さん」
 僕の目をまっすぐに見つめてもう一度笑うヒカリさんの瞳には、まさに僕の希望となり得る、強く、美しい光がはっきりと宿っているように思えた。



 竜崎さん達に後日詳細についてのミーティングを約束させてもらうと、挨拶とお礼を終えて、僕はライブハウスを後にして地下鉄へ向かっていた。
 ソウタやサトシの演奏と、竜崎さんのインパクトあるライブペイント、ヒカリさんの神々しいダンスを、どのようにして組み合わせるか。僕の頭の中は、もうそのことでいっぱいだった。声をかけてくれたペインターの女性を覚えていなかったという一抹の不安も、幸か不幸か、すでに消え失せていたんだ。
 ピリリリリリリ。
 スマホが鳴る。
 ピリリリリリリ。
 ナルだ!
 そう思ってスマホを手にすると、そこには意外な人物の名が表示されていた。
「コウヘイ……!?」
 イギリスへ渡ったという、音楽センスの塊のようだった同級生、コウヘイ。半ば諦めかけていた彼からの連絡に、僕は心躍った。
 
 失われゆく自分の記憶に刻み付けようと、みんなの心に水のようなメッセージを届けようと、力強く動き出した希望のイベント。いよいよそれが実現の兆しを見せ始めていた。
 この時僕の知らないところで起こっていたあまりにも残酷な現実を、まるで、僕の目から隠そうとしているかのように。



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