feel like WATER

七星満実

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Sixth feel

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「コウヘイ!久しぶりだな!」
 僕は電話を出るなり、意気揚々とそう言った。
「ああ、悪いな連絡遅くなって。ツアーでバタバタしててさ。やっと落ち着いたんだ」
 元気そうなコウヘイの声色に、どこかホッとする。まともに声を聞くのも数年ぶりだ。
「そうだったのか。お前がイギリスで音楽やってるって聞いた時は、驚いたよ。さすがだな」
 僕は、地下鉄への入り口を目前に捉えながら言った。
「ははは。そんな大したことじゃねぇよ。流れに身を任せてたら、いつの間にかこうなってただけさ」
「……流れに身を任せてたら、か。羨ましいよ。俺も、そうありたいもんだ」
 地下鉄の階段を降りながら、僕は素直に本音を言う。
「お前も役者続けてるんだろ?立派なことじゃないか。やりたいことやるのは、しんどいけどいいもんだろう」
「確かに、な。金にはならないけど、いいもんだった」
 僕は、東京で役者を目指して必死に駆け抜けた8年間について、遠い昔を懐かしむように答えた。
「俺とマサトは似てるんだよ。自由に、人生を泳いでる。……金にならなくたっていいじゃないか。金の海を泳いで生きるぐらいなら、愛の海で溺れて死んだ方がマシさ」
 コウヘイは、今も僕が役者を続けていると思って、励ましてくれているつもりなのだろうか。
「俺にはコウヘイほどの才能なんてないよ。……愛の海、か。確かに、それには同感だよ。そのために帰ってきたんだからな」
 切符売り場の前でゴソゴソと財布を探りながら、僕は本題に入ろうとした。
「……帰ってきた?東京からか?」
 僕の近況を知らないコウヘイは、意外そうに言う。
「そうなんだよ。実は、舞台の稽古中に怪我しちまって。それが原因で、役者を辞めることになったんだ」
 俺とお前は似てる。今も夢を追いかけ、その手に掴もうとしているコウヘイにそう言われて嬉しかった分、この事を伝えるのは心苦しかった。
「怪我って、役者を辞めるほどの大怪我だったのか?そりゃあ、大変だったな……」電話の向こうでコウヘイはにわかな動揺を隠さなかったが、すぐに言葉を続けた。「でも、お前のことだ。何かしらの目標を立てて帰ったんだろう?」
 お見通しだぞ、と言わんばかりの口調に、僕は笑った。
「はは、敵わないなお前には。……実は、その件で連絡したんだよ」僕は改札を抜けながら、要件を伝えた。「4月の終わりに、同窓会ライブイベントをしようと思っててさ。コウヘイにも、ボーカルで出演して欲しくて」
 行き交う地下の雑踏をかき分け、ホームを目指す。週末の夜だけあって、駅構内はなかなかに混雑していた。
「同窓会ライブか……。いいな、なんか面白そうじゃん。ちょうど春にはまとまって休みが取れるから、久しぶりに日本へ戻るつもりだったんだ」
 僕は、嬉しい誤算に驚いて答えた。
「本当か?イギリスにいるって聞いてたから、半ば諦めてたよ。ぜひ、引き受けてほしい」
「慌てるなよ。日程が合うとは限らない。それに、俺が戻れなくてもお前が歌えばいいじゃないか」
「……俺が歌を?バカ言うなよ、カラオケぐらいでしか歌ったことないんだぜ」
「何言ってるんだ。中学の頃にバンド組んだ時、最初のボーカルはお前だったじゃないか」
 コウヘイがそう言った時、目の前で凄い音を立てながら、快速電車が横切っていった。
「俺が、最初のボーカルだったって……?」
 僕は虚を突かれたように、コウヘイの言葉を繰り返した。
「ああ。お前がすぐに辞めちまって、俺がギターボーカル担当になったけどな。……覚えてないのか?」
 僕は、言葉を失った。まったくそんな覚えが無かったからだ。
「俺はお前のボーカル気に入ってたんだけどな。まぁ、結局はそれが、俺が歌をやり始めるきっかけになって今があるんだけどよ」
 単なる記憶違いだろうか。いや、それを忘れていたとして、コウヘイから聞かされた今も、その事を思い出せないのはおかしい。
「……マサト?聞いてるか?」
 ホームの喧騒がどこか遠くから聞こえてくるような、奇妙な感覚に囚われながら、気がつくと僕は押し黙ってしまっていた。
「あ、ああ。聞いてるよ。すっかり忘れてたよ、そんなこと」慌てて返事をした時、ちょうど乗り込む電車がスピードを落としながらやってきた。「とにかく、4月の最終日曜が本番日だからさ。なんとか日程調整頑張ってくれよ」
(脅かすわけじゃないですが、皐月さんの場合、逆行性健忘の症状を併発する可能性が高いかもしれません)
 僕は担当医の言葉を反芻して動揺しながらも、落ち着いた口調でコウヘイにそう告げた。
「わかった。日本に戻る目処が立ったらまた連絡するよ。じゃあ、またな」
「……ああ、また」
 胸に去来する不吉な思いを色濃く感じながら電話を切ると、目の前で電車がプシューッと音を立てて停まった。
「まさか、嘘だろ……これからって時に……」
 降りてきた乗客たちが、呆然と立ち尽くす僕の肩にぶつかりながらすれ違ってゆく。

 その時だった。
 ピリリリリリリ。ピリリリリリリ。
 再び、電話が鳴る。
 と同時に、プルルルルルとけたたましく発車のベルが鳴った。
 僕は停止線から一歩離れて、スマホの画面に目をやる。
「……サトシ?」
 イベントの件で何かあったのかと思って、僕は電車をやり過ごすことにした。
「もしもし」
「……マサトか。さっき、ソウタから聞いたよ」電話に出るなり、サトシはぶっきらぼうに言った。「水臭いじゃないか。お前も、知ってたんだろう?」
「ま、待てよ。いきなり、なんのことだ?」
 まったく話が見えない。車掌が笛を吹き、電車が出発しようとしていた。
「ナルのことさ。……白血病を患ってたって。話すタイミングが無かったって言われたけど、それじゃあまりに……」
 僕は突然の言葉に耳を疑った。
「ナルが……白血病だって!?」
 あまりの報告に、心臓が大きく脈打ち始める。
「な、なんだよ。まさか、マサトも聞かされてなかったのか?」
「もちろんだよ!知ってたら、同窓会の件だって協力してもらうもんか!」
 僕はまくしたてるように言った。わけがわからなかった。自分の病気の事で頭がいっぱいで、まさかナルが白血病を抱えているなんて夢にも思わなかった。
「そうだったのか……。いいか、マサト。……落ち着いて、俺の話を聞いてくれ……」
 ただ事ではないサトシの様子に、僕は全身の血の気が引いていくのを感じた。
「さっき、ナルが病院で息を引き取ったそうだ。ナルは治療を続けながら、日常生活する事を選んでいたらしい。ドナーも、適合する人が見つからなかったんだってさ……」
 サトシがそう言った時、僕の目の前を、たくさんの乗客を乗せた電車がゆっくりと横切り始めていた。
「……嘘だろ、サトシ……。ナルのやつ、あんなに元気だったのに……。つい先週も、一緒に飯食ったばかりなんだよ!」
 周囲に人がいることも気にせず、僕は喚き散らした。
「お前の前だから、無理してたんじゃないのか。店も、しばらく前から開けてなかったらしい」
 そんな、バカな。ナルは、何も言ってなかった。
 いや、そうじゃない。僕が自分のことばかりで、ナルの異変に気付いていなかったんだ。ナルは僕の病気の話と同窓会イベントの話を聞いて、自分の病気の事を言えなかった……。
 そんな、そんなことって……。
「……サチやソウタから、そっちにも連絡がいくと思う。……きっとあいつら、お前にはあえて隠してたんだよ。ナルが、お前のやろうとしてるイベントに水を差したくないとでも、言ったんだろう」
 電車が行ってしまい、さっきまでの人混みが嘘のように利用者がまばらになる。僕は返事もせずに、その場に立ち尽くしていた。
「マサト?……大丈夫か?」

 イベントだって?そんなこと、どうでもいいんだよ、ナル。
 俺は、お前がいたからここまで来れたんだ。
 お前がいつも、そばで俺を支えてくれたから……勇気付けてくれたから……。
 お前さえいてくれたら、他のことなんてどうだってよかったんだ。
 役者として成功したかったのも、マドカを安心して任せたのも、病に冒されてももう一度奮い立って同窓会を企画したのも……全部、お前がいてくれたからなんだよ。

「どうして……どうしてだよ、ナル……」
 僕は一目も憚らず、その場にうずくまり、頭を抱えた。
 悪い夢でも見ているようだった。
 ナルが、僕に何も言わずに死んでいったなんて。
 何も言ってもらえず、ナルに置いていかれてしまうなんて。
「マサト!おい、返事しろ!」

 水のような生き方……。そんな事、もうどうでもよかった。
 希望を求めて立ち上がろうとした僕の心は、ナルとの唐突な別れによって、かつてない絶望の渦に飲み込まれようとしていた。



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