烏の王と宵の花嫁

水川サキ

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二章

いとまごい

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「月夜、月夜……」

 月夜が廊下を歩いていると、兄の光汰が部屋の障子からこっそり顔だけ出して声をかけてきた。とっさに警戒したが、光汰はじっとしていてそれ以上出てこないようだ。

 そばに使用人がいるから光汰も月夜に近づけないのだろう。
 だが、月夜の表情は強張っている。


「お前に何かしようと思ってねぇよ。今までのことは謝る。仲良くしよう」
「そんなこと、信じられません」

 月夜はきっぱりと強く言った。
 光汰は小さく嘆息し、困惑の表情を月夜に向ける。

「だいたい、お前のせいでもあるんだぞ。俺がお前に妙な感情を抱くようになったのは」
「意味がわかりません」

 月夜は怒りがわいてきて、光汰をじろりと睨みつけた。
 光汰は狼狽えながら必死に弁明する。

「しばらく離れて冷静になったんだ。月夜には何か特殊な能力でもあるんじゃないかって。ほら、干野川のあいつだって会って間もないお前に求婚したくらいだし。お前には男を惹きつける力があるんだよ」


 よくもそんな自分に都合のいいことをまくし立てる。
 月夜は嫌悪の表情を兄に向けた。

「お兄さま、それ以上品のないことは言わないで」

 冷たく見つめる月夜に、光汰は尻込みしながら話す。

「わかった。もう二度と言わないから、一応警告しておく。お前、あんまり男に近づくな。それだけ。じゃあな!」

 そう言って障子を閉めようとする光汰を、月夜は静かに呼び止めた。


「お兄さま」
「な、何だよ?」
「お怪我は?」

 光汰は驚いて一瞬戸惑ったが、すぐに愛想笑いを浮かべた。

「ああ、これか。骨には異常なかった。お前、すげぇ力だったけど手加減したんだな。俺に情があったのか?」
「まさか」

 月夜はすぐさま冷たく返す。
 光汰は虚ろな表情でため息をついた。

「もう話しかけないからさ。俺のことは忘れてくれよ」
「何を都合のいいことを言っているの? 忘れるわけがないでしょう。お兄さまが私におこなった数々のことを」

 決して目を合わせない月夜に向かって、光汰は唇を噛みしめてため息をつく。


「……だよな。本当に俺、どうかしていたな」
「暗い部屋に閉じ込められて、あの人たちに虐められる中、お兄さまが私に持ってきためずらしいお菓子は美味しかった。私はそれに何度も救われた」
「え? 月夜、そんなことか?」

 呆気にとられる光汰に向けて、月夜は鋭い視線を投げつける。

「でも、その見返りで私の身体を触ろうとしたことは決して許せない」
「……わかってる」
「気持ち悪かった」
「ごめん」

 月夜は怖かった。昔は純粋な優しさを向けてくれた兄が、だんだん変わっていくのが怖くてたまらなかった。そして、悲しかったのだ。
 それでも、今までの人生で救われたことのほうが多かったから、月夜は穏やかな口調で兄に告げる。


「お兄さま、まっとうな人生を生きてください。どうか、あの人たちのようにはならないで」

 月夜は両親のことをあえて口にはしなかったが、光汰は察したようだった。

「ああ、わかった」

 そう言って、光汰は静かに障子を閉めた。

 月夜は何も言わずにその場を離れるも、その胸中は複雑だった。
 幼い頃は大好きだったからこそ許せない。
 それでも憎みきれなくて、時折思い出すのは笑顔で月夜にお菓子を持ってきてくれる優しい兄だ。

 金輪際、兄と関わることはないだろう。
 月夜は固く心に誓った。

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