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三章
ためされる胆気
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会場となる大広間は広々としていて床は真っ赤な絨毯が敷かれていた。華やかな洋装姿の人々が飲み物のグラスを手にして歓談している。
人々の笑い声が響き渡り、月夜はその中に溶け込むことができるのかと不安になる。周囲を見まわすと視線が集まってきているのを感じた。少し息が詰まる。
ふいに女性たちの声が耳に入ってきた。
「あれは烏波巳さまではないかしら?」
「まあ、夜会へ参加されるなんてめずらしいですわね」
「お近づきになりたいわ。けれど、あの令嬢はどなたかしら? お見かけしたことがないわね」
月夜は自分よりもずっと美しく着飾った彼女たちを見て虚ろな気持ちになった。社交界はあまりにもきらびやかで、闇の中で過ごしてきた時間が長い月夜には、まぶしすぎる。
くらりと眩暈がしそうになると、となりで縁樹が支えになった。
「大丈夫?」
「……うん」
「周囲の声など気にするな。堂々としていればいい」
月夜はこくりとうなずく。
縁樹の手に力がこもる。月夜をしっかり守ってくれようとしている。彼のその何気ない仕草は不思議と月夜の心を落ちつかせてくれた。
数人が声をかけてきたので、月夜は言われたとおり背筋を伸ばして彼らをまっすぐ見つめた。わずかに唇が震えるも、うつむいたりしなかった。
「彼女は俺の婚約者。媛地月夜さん」
縁樹は軽い口調でさらりと月夜を紹介した。すると周囲からわずかに動揺が広がった。
「媛地家? あの噂は本当だったのか」
「ああ、知っている。媛地家の当主が自慢げに話しているのを聞いたぞ」
「まあ、烏波巳さまはその縁談に納得されているんですか?」
「だって教育を受けていらっしゃらないという噂では……」
月夜にはその意味がよくわかった。ここにいる者たちはなぜ暁未ではないのかと言いたいのだろう。暁未が妖力を持っていなくても、彼女は令嬢として世に出ているので見知った顔が多いはずだ。
月夜が不安げに縁樹の顔を見ると、彼は表情を変えずまっすぐ彼らを見据えていた。その胸中が月夜にはわからず不安がよぎる。
するとその直後、縁樹は周囲に向かってきっぱりと言った。
「ふさわしいかどうかは当主である俺が決めること。余計な詮索は無用」
月夜は驚き、同時に安堵した。
縁樹のような人にふさわしくないことは月夜自身が一番よくわかっているし、彼が祖母との約束のために仕方なく婚約者を演じていることも理解している。
それでも嬉しかった。誰にも認められなくても、縁樹に認められていればそれでいい。
とはいえ、月夜はせめてこの場で彼に恥じない相手であるべきだと思い、勇気をふりしぼって彼らに目を向けた。
そして、緊張しながらも声が震えないように努めて話す。
「私は……媛地家の令嬢です。いずれは烏波巳家の妻として、旦那さまをお支えするつもりです」
それが精一杯だった。
仮の妻であっても、一緒にいるあいだは彼の負担になりたくないし、ましてや周囲に舐められたくはない。
月夜がただ守られているだけの妻だと周囲に思わせてしまっては、縁樹に申し訳ない。だから、月夜はできるかどうかもわからないのに、わざと背伸びした言葉を口にしたのだ。
自分でもなんて大それたことを言ったのだろうと今さら怖気づいている。
周囲はさまざまな反応をしたが、縁樹は月夜の手を引いてその場を離れた。好意的な反応ばかりではなかったからだ。嘲笑する者もいたし、呆れる者もいた。
しかし縁樹はそうでもないようだった。彼は月夜の手を引きながらわずかに微笑み、ちらりと視線を向けて言った。
「君はなかなか度胸がある」
月夜は驚いて目を丸くした。胸が打ち震えて言葉に詰まる。
返す言葉の代わりに満面の笑みがこぼれた。
人々の笑い声が響き渡り、月夜はその中に溶け込むことができるのかと不安になる。周囲を見まわすと視線が集まってきているのを感じた。少し息が詰まる。
ふいに女性たちの声が耳に入ってきた。
「あれは烏波巳さまではないかしら?」
「まあ、夜会へ参加されるなんてめずらしいですわね」
「お近づきになりたいわ。けれど、あの令嬢はどなたかしら? お見かけしたことがないわね」
月夜は自分よりもずっと美しく着飾った彼女たちを見て虚ろな気持ちになった。社交界はあまりにもきらびやかで、闇の中で過ごしてきた時間が長い月夜には、まぶしすぎる。
くらりと眩暈がしそうになると、となりで縁樹が支えになった。
「大丈夫?」
「……うん」
「周囲の声など気にするな。堂々としていればいい」
月夜はこくりとうなずく。
縁樹の手に力がこもる。月夜をしっかり守ってくれようとしている。彼のその何気ない仕草は不思議と月夜の心を落ちつかせてくれた。
数人が声をかけてきたので、月夜は言われたとおり背筋を伸ばして彼らをまっすぐ見つめた。わずかに唇が震えるも、うつむいたりしなかった。
「彼女は俺の婚約者。媛地月夜さん」
縁樹は軽い口調でさらりと月夜を紹介した。すると周囲からわずかに動揺が広がった。
「媛地家? あの噂は本当だったのか」
「ああ、知っている。媛地家の当主が自慢げに話しているのを聞いたぞ」
「まあ、烏波巳さまはその縁談に納得されているんですか?」
「だって教育を受けていらっしゃらないという噂では……」
月夜にはその意味がよくわかった。ここにいる者たちはなぜ暁未ではないのかと言いたいのだろう。暁未が妖力を持っていなくても、彼女は令嬢として世に出ているので見知った顔が多いはずだ。
月夜が不安げに縁樹の顔を見ると、彼は表情を変えずまっすぐ彼らを見据えていた。その胸中が月夜にはわからず不安がよぎる。
するとその直後、縁樹は周囲に向かってきっぱりと言った。
「ふさわしいかどうかは当主である俺が決めること。余計な詮索は無用」
月夜は驚き、同時に安堵した。
縁樹のような人にふさわしくないことは月夜自身が一番よくわかっているし、彼が祖母との約束のために仕方なく婚約者を演じていることも理解している。
それでも嬉しかった。誰にも認められなくても、縁樹に認められていればそれでいい。
とはいえ、月夜はせめてこの場で彼に恥じない相手であるべきだと思い、勇気をふりしぼって彼らに目を向けた。
そして、緊張しながらも声が震えないように努めて話す。
「私は……媛地家の令嬢です。いずれは烏波巳家の妻として、旦那さまをお支えするつもりです」
それが精一杯だった。
仮の妻であっても、一緒にいるあいだは彼の負担になりたくないし、ましてや周囲に舐められたくはない。
月夜がただ守られているだけの妻だと周囲に思わせてしまっては、縁樹に申し訳ない。だから、月夜はできるかどうかもわからないのに、わざと背伸びした言葉を口にしたのだ。
自分でもなんて大それたことを言ったのだろうと今さら怖気づいている。
周囲はさまざまな反応をしたが、縁樹は月夜の手を引いてその場を離れた。好意的な反応ばかりではなかったからだ。嘲笑する者もいたし、呆れる者もいた。
しかし縁樹はそうでもないようだった。彼は月夜の手を引きながらわずかに微笑み、ちらりと視線を向けて言った。
「君はなかなか度胸がある」
月夜は驚いて目を丸くした。胸が打ち震えて言葉に詰まる。
返す言葉の代わりに満面の笑みがこぼれた。
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