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王様は下僕を離さない
しおりを挟む香原はカフェを出ていく春原の背中を呆然と見送った。
(…え?今何が起きた?)
テーブルの上には 飲みかけのコーヒーと、傍に置かれた1000円札2枚。
春原を囲ってから今迄、香原は春原に1円の金も出させた事が無い。
それは春原を自分のモノだと思っているからだ。
自分のモノにかかる金は惜しまないのが香原の流儀だから。
それは香原の中ではごく自然な事で、そこに春原の意思も人格も関係無かった。
春原だけではない。
香原に追従し、香原自身が選んだ人間に、彼は金を惜しんだ事はない。
けれど。
春原は今、金を置いてさっさと店を出て行った。
春原が香原の返事を待たず先に行く事なんて、これ迄一度も無かったのに。
何か気に障ったのか。
いや、春原は飄々とした奴だ。感情がフラットで、だからやりやすかった。
計算高い所があって、結局は損得勘定で動く。
でもそれが香原には都合が良かった。
プラスになると思わせられる内は、春原は自分から離れてはいかないとわかったからだ。
だからこそ香原は春原を気に入っていた。
弓月に似ているという事が一番の理由だが、体も良いし、頭も良い。空気が読めて機転も利く。
香原は春原を右腕に据えて、側近としてずっと置くつもりだ。
その春原が。
(……嫉妬…? じゃないよな…。)
それなら未だ可愛げがあるが、春原はそういうタイプではない。
彼の性格から推測するに、おそらく香原と弓月がよりを戻した場合、春原自身は体の関係は断ち、ビジネス方面だけで繋がりを継続したいと考えているのだろう。
ひけらかしはしないが、自信家な男だ。
春原は香原が春原自身の能力面を買っている事を知っている。
今更体の関係が切れた所で香原が春原を手放さないとわかっている。
だが、弓月と同じではないが、香原が春原に執着し始めているのは知っているのだろうか?
実を言うと、絶対に弓月が自分に戻ってきてくれるとは、香原も考えてはいない。
でも、会いたいのだ。
中途半端なところで手放した後悔と恋慕が、心の奥でずっと燻っている。
出来れば、自分に引き戻したい。
他の奴に奪られそうになって、何故俺じゃないのかと焦っている。
もし、春原が言っていたように弓月がその男に本気なら、αとΩの事だ。
惹かれあってさっさと番になってしまって、香原が行ったって相手にもされないだろう。
だけど、それでも 会いたい。
会って、弓月にハッキリと拒否されれば、何時迄もウダウダと未練がましい弓月への感情にケリがつけられるかもしれないと、そういう気持ちもある。
もしかしたら自分を選んでくれるのではという期待も少し。
でも、それから先は…。
混沌とした感情の波に、香原は頭を抱えた。
頭痛がする。
俺は一体どうしたいんだ。
春原に言ったのは、何故だったんだろうか。
言わずに、さっさと行動してしまって、どっちに転んでも事後承諾で良かった筈だ。春原は淡々と全てを受け入れるだろう。
アレはそういう男だ。
春原は香原に特別な感情なんか持ってはいない。
セックスなんかでは縛り付けておけない男という点でも、春原は弓月と似ている。
春原は…香原との肉体関係から解放されたらされたで、晴れ晴れするだけだろう。
そうしたら、今度は他にそういう相手を作って、抱くのか、抱かれるのか。
抱かれるのか、あの春原が、俺以外の男に。
胸がチリつく。
背中の毛と皮膚が波立つような感覚。
(俺は、嫉妬しているのか。
俺が、嫉妬しているのか。)
春原ではなく、嫉妬しているのは香原自身だった事に気づいて、狼狽える。
未だ起こってもいない、確定もしていない未来にこんなに嫉妬するなんて滑稽だ。
それでも止められない。
弓月の報告を受けた時以上に動揺している自分に、香原は困惑している。
香原はじっとりと春原の飲みかけだったコーヒーを眺め、身を乗り出してそのカップの取っ手を摘んだ。
春原の飲み口に唇を当ててカップを傾けた。
濃い褐色の液体は、既に冷えている。
香原はそれを一気に飲み干すと、飲み口であろう箇所を舐めた。
「…斗和とどうなろうと、離してなんかやるか。」
春原は香原に気づかせてしまった。
これは春原自身のミスだ。
そして、 こうしている間にも、香原の春原への執着は、知らず知らずのうちに ゆっくりと密やかに深まっていく。
何も知らない春原を他所にして。
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