薄幸系オメガ君、夜の蝶になる

Q矢(Q.➽)

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番外編・それはある日突然に 前編

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 それは、結婚式を一週間後に控えたある日の事だった。

 その日羽黒は、週に一度の出社日。
 蛍が羽黒邸に出勤したのと入れ替わるように出かけなければならない、憂鬱な日でもあった。

「行ってらっしゃい、慧生さん!」

 向日葵のような曇りなき笑顔で羽黒を見送る蛍。対して羽黒の顔には、いつもの余裕に満ちた笑顔は無かった。というより、あからさまにしょんぼりと眉を下げ、滲み出る寂しさを隠しもしない。
 蛍に入れ込み過ぎたこのところの羽黒は、急速に駄目な大人化が進んでいた。

「いってきます、蛍くん。ハァ……愛し合う二人が意識のある状態で、ここから六時間も離れ離れだなんてね。この世には神も仏も無い。……あ、お昼ご飯はサンドイッチを用意してあるからね。あとお茶は……」
「あっハイ、だいじょぶです! お茶はケトルじゃなくてサーバーのお湯で入れますね! 行ってらっしゃい!!」

 玄関先で自分を抱きしめ、今生の別れかのように未練タラタラな羽黒の長台詞を、蛍が元気にスパッと切る。
 そりゃ蛍だって、今日のお昼ご飯は一人かあ、と残念には思う。しかし六時間なんて、仕事をしていればあっという間に過ぎる。夕方前には手土産を携えて帰ってくるのがわかっているから、特に寂しいとは思わなかった。

「がんばってきてくださいね! 俺もがんばります!」
「蛍くんんんんん~」

 断末魔のような情けない声を最後に羽黒は、呼びに来た楡崎に首根っこを掴まれて出社していったのだった。
 それが、午前九時半の事。
 社に着いてから決済を必要とする書類に目を通し、来社した取引先の社長とランチを共にした後、会議に顔を出すなどの業務を淡々とこなした羽黒は、三時半には社を出て送迎車に乗った。それから、蛍の好きなパティスリーに立ち寄って、いつものように各種カットケーキをおすすめで大箱二つ分詰めてもらい、それの入った袋を手にぶら下げて、無事帰宅した。そして、パティスリーの袋を見て喜ぶ蛍を思いながら、羽黒は玄関ドアのロックを解き、開けたのだった。
 ところが。

「蛍くん、ただいま……?」

 言い終わる前に、違和感を感じた。
 いつもならば出迎えに来てくれる蛍の姿が、今日は無い。向かってくる足音すら聞こえない。
 時間的には、既に仕事を終えてシャワーを使い、着替えて帰宅の準備をしている頃だ。

(作業が長引いて、まだシャワー中なんだろうか?)

 庭の手入れや用具の洗浄で業務終了が少し遅くなる事は、これまでもあった。だから羽黒は気を取り直して玄関を上がった。
 リビングのテーブルにパティスリーの袋を置き、スーツのジャケットを脱いでソファの背に掛けてから、バスルームへ向かう。
 思った通り、微かに水音が聞こえて、羽黒は何故かホッとした。やっぱりシャワーで出迎えられなかったのだ。
 そのまま歩を進めれば、シャワーを終えて出てくるしどけない姿が見られるかもと、不埒な気持ちがふつふつと湧く。しかし、蛍にはいい格好をしていたい羽黒は、首を横に振ってそのスケベ心を打ち消した。
 蛍が稀に見る初心男子ゆえ、出来たのは未だに手繋ぎとキスと膝枕(膝枕?)程度。だが、それが良い。それで良い。
 いずれは激しく求め合う時が来る。
 それまでは、蛍のペースに合わせてゆっくりと育んでいこうと、羽黒は決めたのだから。
 そうしてスケベな葛藤を理性で抑え込む事に成功した羽黒は、リビングへ戻る為に踵を返そうとした。

 ところが、その時。
 背中越しに名前を呼ばれたような気がして、羽黒は反射的に振り返った。
 途端。
 蕩けるように甘い芳香が、無防備な羽黒の鼻を突いた。瞬時に香りで脳髄が痺れそうになり、膝が折れそうになるのをぐっと耐える。

(これは、明らかにオメガのヒートフェロモンだ。まさか、蛍にヒートが?)

 第二次性徴期から慢性的に続いた栄養不足で成長を阻害されていた蛍のオメガ性。問題が解消された今、来るべきものは緩やかにやってくるだろうと、医師に言われた。その兆候もあった。
 けれど羽黒が見たところ、それは本当に微かでゆっくりで、成熟するにはもう少しの時間を要すると、そう思っていたのに。
 それなのに、こんなに急に?
今朝会った時には、いつもと変わらない様子だったのに?

「さときさん、たす、けて……」

 掠れ声を絞り出すようにそう言った蛍は、バスルームのドアにしがみつくようにして、やっと立っているように見えて、危うい。このままでは出た途端に倒れてしまうだろう。支えなければと思った羽黒は、どうにか体を動かして蛍に駆け寄る。
 ハイクラスアルファの意志の力は伊達じゃないのだ。

「蛍くん、大丈夫?」
「さときさん……」

 シャワーに濡れたままの髪や体。それでも顔は上気して、羽黒を見上げる大きな瞳は、今にも泣き出しそうなほど潤んでいた。

「体が熱い……発熱か。やはり……」
「なんか、さっき、きゅうに、こんな」
「わかった。とにかくこのままじゃいけない。運ぶよ」
「おれ、どうしたの? もしかして、これ、ヒート、ですか?」

 初めて聞く、怯えたような蛍の声に、羽黒の胸が痛む。急にこんな状態になって、どれだけ混乱している事か。怖くない筈がない。
 羽黒の腕を掴む細い指は、ワイシャツの布越しでも熱い。日頃服に隠れて日焼けしていない部分の肌は白く、幼気な乳首は、薄桃色。初めて会ったあの日よりも幾分健康的になったはずの体は、それでも細く。辛うじて濡れたタオルが巻かれた腰は、羽黒の両手で掴めば折れてしまいそう。
 タオルからすんなりと伸びた細い足には、すね毛らしいすね毛は無く。
  肩を抱くと目に映る綺麗に浮き出た鎖骨と濡れた体に、いけないとわかりながらも、羽黒は思わず喉を鳴らした。





 
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