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連載
66 いわゆる、婚約者の距離感 (※サイラス視点)
しおりを挟む悲しいことに、味覚の麻痺するランチタイムは、その日だけでは終わらなかった。なんと彼らは、翌日の昼休みにもやって来てアルを誘ったのだ。
「そんなの悪いから」と遠慮するアルに、あのセラフという生徒は「何言ってんの。昨日言っただろ? お礼に今日から十回、昼食をご馳走するって」と言って退かなかった。アルが何故十回なのかを困り顔で聞くと、「学生食堂のメニューの平均価格×十日分が、盗られそうになった財布の中の所持金の一割くらいかと思って」などという。
まあたしかに、アカデミー内に三店舗ある学生食堂はどこも価格が抑えられていて安価なので、裕福な者であればあるほど、食事一食程度では気持ちがおさまらないと思うかもしれない。しかしこうまで恐縮されたなら、しつこく誘ったりせずに、何か他の手段で感謝の気持ちを示せば良くないだろうか。
(いやに食い下がるな。本人がもういいと言っているんだから、さっさと諦めれば良いだろうに)
私はそう思いながらも、アルとセラフ・ルークとのやり取りを黙って見ていた。今日もエラド・リンはセラフ・ルークに着いて来ていたが、彼も私と同じように黙って成り行きを見守っているようだった。私の視線を感じたのか、こちらを見たエラド・リンと視線がかち合い、私は微笑みながら会釈をした。すると、表情は変えないながらも丁寧な返礼の会釈があった。
やはり得体は知れないが、悪い人間ではなさそうだと思った。
結局、アルはセラフ・ルークに押し負け、あと九日間のランチタイムを彼と共に過ごすことを了承してしまった。
私はそれに、内心かなりガッカリしたが、申し訳なさそうな顔をしたアルに小声で「勝手に決めてごめんな、サイラス」なんて謝られては、余裕の表情で返すしかない。
「気にしなくていいよ」
「でも、昨日も急に付き合ってもらったし」
そりゃそうだろう。身元が知れたのはともかく、どんな人間かもわからない男とアルだけを行かせる訳にはいかない。どんなに気が進まなかろうが、状況を把握できるだけ同席しているほうがマシだ。
波立つ心を隠し、私は心にもない言葉を口にした。
「いや、大丈夫だよ。それに、こういう異文化交流こそ、アカデミーならではの醍醐味だ。だろう?」
「サイラス……ありがとう」
アルはそれに安心したように笑い、私はそんなアルの様子に、これで正解だったんだ自分に言い聞かせた。
今日を入れてあと九日。九日間、食事を取る時間だけを我慢したらいい。その後はまた、元の二人のペースに戻れる。どうせ話が弾むのはアルとセラフ・ルークの二人だけ。連れのエラド・リンは寡黙な性質のようだし、私は話を振られた時だけ頷くなり微笑むなりしていれば、時間は過ぎていくだろう。
うん、大丈夫だ。耐えられる。
しかしそんな私の覚悟は、すぐにグラつくことになった。
四人だけのはずだった昼食会に、いつしか余計な頭数が増えてしまったからだ。そしてその生徒もまた、外国からの留学生だった。
セラフ・ルーク達とは対照的に、明るい髪色と白い肌。
見た目から明るい雰囲気の、なかなか洗練された容姿をした、ライ・ナナルという生徒だ。
彼は私達と同じく今年入学した新入生だが、年齢は二つ上だということだった。しかし目が大きいからか少々幼く見え、本人から言われなければ、歳上だとはわからなかったと思う。
一見すると貴族の令息のように整った外見だが、実は平民出身だと聞いた。気さくな性格らしく、見かける度に人の輪の中にいるのが、あの喧しい赤毛の旧友を想起させる。入学前から身分が知られている所為で、視線は集めながらも遠巻きにされがちな私とはえらい違いだと思った。
まあ私の場合は立場的にも性格的にも、遠巻きにされているくらいのほうが都合は良い。誰も彼もに馴れ馴れしく寄って来られるよりは、篩にかける手間が省けると考えがちだからだ。
しかし気儘な振る舞いがマルセルを思い出させるライ・ナナルを見ていると、交友関係が賑やかだった学園時代が懐かしく思えることもあった。
あの頃も最初のうちは、親からアクシアンに取り入れと吹き込まれた令息達ばかりが近づいて来て、勝手に取り巻きを形成しようとしていた。私はそれを冷めた目で見ていながらも、面倒臭さからその状況を放置しようとしていた。
けれど、アルに出会った。
初めての教室で、まっすぐな瞳をした彼に一目惚れをした。そしてアルは、それまで会った誰とも違っていた。
私は、幼い頃から褒めそやされてきて、容姿に関してはそれなりに優れている自覚がある。家柄についても、然り。本来ならば二学年上に、従兄・シュラバーツ王子が在籍しているべきだったが、彼は入学をごねた。その為、王族不在の学園に於いて最も家格が高いのは、王弟である公爵を父に持つ私だった。故に、コネクションを得たい貴族の子弟達が私に群がろうとするのは、ごく自然な現象でもあった。
そういうこともあり、思い上がっていたのは否めない。私が少し笑いかければ、きっと彼も親しくしてくれるだろうと。
今思えばあの頃の私は、態度にださないだけで、心の内はかなり傲慢だった。
しかし、私がわざわざ彼に近づき、目を合わせて挨拶をしても、アルは控えめに挨拶を返してくれるだけだった。はにかむような愛らしい微笑みを見せてはくれるので、嫌われているとは思えなかった。が、そこから先に進まない。
いつもならここまですれば、相手は私の興味や関心を引けたと思って、自分から話しかけてくるようになる。だがアルはそれ以降も、自分から近づいて来てくれることはなかった。アルは、身分差を気にして分別を弁えただけだったのだろうが、思い通りにいかない状況は、余計に私を夢中にさせた。
徐々に、そして静かに深く、私はアルに傾倒していって……。
「サイラス?」
私を呼ぶアルの声に、ハッと意識を引き戻される。同時に、周囲のざわめきも耳に蘇ってきた。
「あ……」
「どうした? さっきからライが話しかけてるぞ?」
「ああ、すまない」
周りを見回して、思い出す。そうだ、今はランチタイムの途中だった。どうやら食事の席があまりにつまらな過ぎて、知らず楽しかった過去の回想に逃げていたようだ。
私としたことが……。
「ぼんやりして君らしくもない。でも、食事が全然進んでないな。……もしかして、具合い悪い?」
心配顔のアルが席を立って来て、私の額に手を当ててくる。アルから触れてくれた不意打ちの嬉しさに、胸が震えた。
「熱……は、ないな」
私の額に当てた手を自分の額に当てて、首を傾げる仕草が愛しい。しかし心配させておく訳にはいかないので、私は首を横に振って微笑んでみせた。
「大丈夫。考え事をしてただけで、体は何ともないよ」
「本当に?」
「うん」
「なら良いけど……もし何かあれば、無理はするなよ?」
「アル……私を心配してくれるのか」
「何を言ってるんだ、そんなの当たり前だろう」
不覚にも、嬉しくて目頭が熱くなる。
アルは私を気にかけてくれている。他に気を取られているようでも、ちゃんと私を見てくれている。
彼には少しの心労も与えたくないと思うのに、その気遣いが嬉しい私は、本当に駄目な人間だ。
「えっ、サイラス……どうした?」
私の目が潤んでいることに気づいたアルが、動揺したように顔を近づけて来て、私の頭を両腕に抱きしめてくれた。
すると――。
「へえ、婚約者の距離感って普段はこんな感じなんだぁ」
せっかくの良い雰囲気に茶々を入れて来たのは、あのライ・ナナルの声だった。視線を投げると、ニヤニヤと妙な笑いを浮かべて私とアルを見ている。
「へ、変なことを言うなよ。これはだな」
「照れなくて良いのに。僕の国じゃ、同性婚なんて珍しくも何ともないよ。好き合ってる婚約者同士がイチャつくのは、むしろ普通でしょ」
「べっ、別にイチャついてなんかないだろ!」
真っ赤になったアルを、更に揶揄って遊ぶライ・ナナル。 こういうところも、本当にあいつそっくりだ……と苦笑しながら、ふとある事を思いついた。
(待てよ。そうか、その手があったな)
この時、アルの腕の隙間からライ・ナナルを見ながら、事の段取りを考えることに頭を巡らせていた私は、気付けなかった。
そんな私とアルの姿を見つめるあの二人の、それぞれの表情に。
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