運命だとか、番とか、俺には関係ないけれど

Q矢(Q.➽)

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おだやかな陽射しのようだと思っていた。
優しい春雨のようだとも。
時には嵐のように。                                

けれど、その全てが実は自分以外の誰かに向けられているのだとしたら。
誰かを愛した過去ごと受け入れたつもりだった。けれど、それが現在進行形であるとしたら、自分はどうしたら良いのだろうか。




何も初めてじゃない。付き合ってきたアルファの恋人達には抱かれてきている。 
だから、平気な筈だ。あんなレイプごときーー。

通り魔のような悪意に刺されて、一時的にショックを受けたのだと考えようとした。時間が経てば気持ちの整理もつき、落ち着く。自分は女性やオメガではないのだから、被害と言っても多少体が傷つけられただけで妊娠のリスクがある訳ではない。

忘れられると思った。犬に噛まれたと思ってという言葉の通り、忘れようと。

けれど、どうだろう。
凌辱の記憶は薄まるどころか、ふとした時に脳裏に蘇り眠れば夢に見る。
欲に湿った荒い息を耳の後ろに吐きかけられ、狭い場所を無理矢理に押し入られ穿たれ続けたあの時間が、目覚めるまでリフレインするのだ。

あの恐怖と激痛と嫌悪感が、繰り返し、繰り返し。

眠れなくなった。
そうして斗真はやっと理解した。
過去の恋人達が、男性を受け入れる為の器官を持たず、分泌液を出して濡れる事も無いベータの自分を、如何に丁重に気を使いながら抱いてくれていたのかを。
庄田がどれだけ斗真の体を大切に扱っていたのかを。
慈しみ労られながら求められ交わすセックスと、只々欲に任せて貪られるセックスは全く違うという事も。
慈愛と暴力。例えるならそんなところだろうか。

同じ行為であって、同じではない。心の無いそれがどれほどの苦痛を伴うものであるのかを、斗真はこの歳になってやっと知ったのだ。
恋人運が無いと思ってばかりいたけれど、実は恵まれていたのかもしれないと初めて思った。


庄田のところに戻りたいという気持ちはある。恋しい。本当は飛んで帰って、あの広い胸に取り縋って泣きたいと、何度思ったか知れない。でも、羽純に似ていると言った鳥谷の言葉がそれを阻んだ。
庄田が求めているのは、斗真の持つ羽純の面影なのではないのか。そう考えれば考えるほど、その思いに囚われてしまった。

それに、と斗真は考える。

庄田の元に戻ったとして。
様々な違和感の原因を知ってしまった自分が、以前のような暮らしに戻れるだろうか。

男相手のセックスに恐怖を植え付けられた体が、前のように庄田を受け入れられるだろうか。庄田は、汚された斗真を受け入れてくれるのか。
抱けなくなり、羽純の代替としても使えなくなった自分に庄田はどんな目を向けるのだろう。哀れみなのか、侮蔑なのか、無関心か。
何れにせよ庄田にとって、代替にも使えなくなった自分の存在価値はゼロになるのだろう。


匿われた雅紀の部屋は、昼なおとても静かだった。
雅紀が仕事に出ている間も、斗真はずっと窓の外の空を見つめては、自問自答を繰り返した。
三日三晩考えても、庄田に向き合う勇気は出なかった。
羽純でなく自分を見てくれていると信じられていたあの日々に戻れたらと、只そればかり。

朝も昼も夜も。
眠れない斗真が想うのは、庄田の優しい眼差しと、何時も大きく広げて自分を迎えてくれていた腕だった。

『おかえり』

そう言って微笑む庄田の姿を、白昼夢のように見てしまう。今にも彼が迎えに来てくれるのではと、そればかりを願っている自分に気づいた。

『誰に似ていなくても良い。斗真のままで良い。』

そう言って欲しい。庄田が望んでいるのは、斗真ではなく羽純なのに。

好きだ。愛している。庄田の隣に戻りたい。傍に居たい。
でも、庄田と斗真の想いはイコールでは無い。
そして斗真は、おそらくそれに耐えられない。

「匠…たく、たくみ…たくみ…」

半端にカーテンを閉めた薄暗い部屋の中、斗真は一人涙を流した。

今までの理不尽な別れの数々が霞んでしまうほど、心が千々に引き裂かれてしまうような辛さだった。

諦める事で自分を守ってきたつもりで、実は何一つ達観など出来ていなかったのだと、斗真は自分を嘲笑った。






「今日ね、庄田さんがお店に来たよ。」

仕事から帰って食事を用意してくれた雅紀の口から出た言葉に、心臓がどくりと音を立てた。

「すごく心配してた。
斗真は元気です、って言ったら少しは安心してたみたいだけど…。少しの間ウチに泊めますって言って帰ってもらったよ。」

「……。」

庄田に知られたくなくて、向き合うのを避けて、スマホの電源を落とした。心配性の庄田がGPSアプリを落とし込んでいたのを知っていた。電源が入っているままでは位置情報はすぐに知れてしまう。
心配するのはわかっていた。だから庄田に知らせていなかった実家へ行くと言ったのだ。そうすれば、数日は待つのではないかと。
だが、今日雅紀の店を突き止めたという事は、斗真が帰らなかった翌日には動いたという事だろうか。それを確かに嬉しく思うのに、すぐにどうせ羽純の替わりを逃したくないだけだろうという気持ちがそれを上回ってしまう。

「…そっか。匠、来たんだ。」

動揺を隠してそう答えるのがやっとだった。

「気持ちが落ち着いたら、連絡してって言ってたよ。」

「……そうだな。」

気持ちが落ち着いたら?
それは何時になるのだろう。今は鳥谷に与えられた傷よりも、庄田の愛の内訳に疑念を抱いている事の方が辛い。
庄田の元に戻ったら、待っているのは何だろう。

斗真の心の中は波立った。雅紀の心尽くしの雑炊の味は、動揺で全くわからなくなってしまった。


翌日、雅紀が仕事に出た後。斗真は借りていた部屋着から、この部屋に来た時に来てきたスーツに着替えた。雅紀が洗濯してくれたシャツに袖を通した時、洗剤の匂いにホッとして涙が膜を張った。

「…雅紀、ごめん。」

肝心な事を何も言わずにいた自分を、献身的に支えようとしてくれた。彼の気持ちを知りながら、利用してしまったようで胸が痛む。でも、感謝している。昔のようには戻れず、同じ気持ちは返せないけれど。


斗真は雅紀の部屋を簡単に片付け、キッチンに出されていた食器を洗った。
それから鞄の中の財布の中の所持金を確認した。カードで幾らか下ろさなければ雅紀に世話代も返せないほどにしか入っていない。
部屋を見回して、チェストの上にダイレクトメールが何通か置かれているのに気がついた。カメラ機能を使う為に電源を入れようとして一瞬躊躇したが、どうせ居所は知られているのだから少しくらいは構わないと思い直した。雅紀の住所を撮影した後、また電源を落とした。これで後から金を送れる。斗真が転がり込んだ所為で、手当する為に色々買い込ませてしまったし、世話もしてもらったのだ。昼休みに様子を見に来る事もあったし、仕事しながら斗真の面倒を見るのは大変だったろう。

最後にもう一度部屋中を見渡してから、斗真はもしも外出するなら使えと言われていた、チェストの1段目の引き出しの中にあった合鍵を取り出した。中にあったメモ用紙を1枚破り、自分の鞄から取り出したペンで何かを走り書きしてローテーブルの上に置く。それから上着を着て、鞄を持ち玄関に向かう。靴を履いて、部屋の中に向かって頭を下げた。

「ありがとう。」


一言だけ礼を言って、斗真はドアを閉め、施錠した鍵をドアポストの中に落とした。

そして、マンションを出た。





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