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67 距離
しおりを挟む呆然とした様子の庄田を支えながら帰って行く和久田。彼らを下まで送る為にその後を追った内藤が此方に目配せしながらドアを閉め、部屋には斗真と鳥谷の2人きりになった。けれど、鳥谷と1対1になっても、少し前までの恐怖や緊張感は無い。
今、斗真の胸にあるのは、寂しさだった。
「なあ、マジで別れるのか?」
今までの鳥谷からは信じられないほどの、気遣うような声色に少し頬が緩みそうになりながら答える。
「…少し離れようって言っただけです。」
「離れよう、ねえ…。」
「離れよう、です。」
斗真の答えに鳥谷は腑に落ちない顔をしているが、それは本心だ。未だ完全な決別を望んでいる訳ではない。斗真の中には、この半年以上で育まれた庄田への気持ちが丸々残っている。それは、亡くなった伴侶と重ねられていたという事を知っても消せないものだった。重ねられていようがどうだろうが、斗真が庄田から迸るような愛を注がれていたのも事実なのだ。
つまらない只のベータの男が、王子様のようなアルファに愛される。それも、並居る美しいオメガ達には目もくれず。そんなシンデレラストーリー、普通に考えれば有り得ない事だ。だから最初から不安だった。王子様の過去にあった不幸を知って、それならばこんな事もあるのかもしれないと納得したような気になっても、拭いきれなかったその不安。その正体に気づかせてくれたのが鳥谷だったのは皮肉な事だったが、ずっと胸の隅に蟠っていたモヤモヤしたものは払拭でき、目の前が晴れた事には少しばかり感謝すらしている。
「…離れてみる事で気づける事も、見えてくる事もあるじゃないですか。」
斗真はマンションの下を見ようと窓辺に歩いた。昨日見た時、すぐ下には車道が見えていた。この部屋の位置からはマンションから出て行く庄田達は見えるのだろうか。それともエントランスは逆側なのだろうか。この高さからして見えても豆粒程にもならないかもしれないが、見えないものだろうかと思ったのだ。
だが、そうして眼下に庄田と思しき姿を探そうとする自分に気づいて唇を噛む。
ついさっき離れると告げたのは自分の方なのに、今からこんな事でどうするのか。
「離れてどうすんの?オメガと死別したアルファが自分のオメガの事を忘れるなんて無いだろうし、目を瞑って囲われといた方が良かったんじゃない?」
少し意地悪そうな物言いに振り返って鳥谷の表情を見れば眉が下がっていて、彼なりに斗真達の事を案じているのだとわかった。
そうだなあ、と斗真は空を見上げる。雅紀の部屋でカーテンの隙間から見ていた空と同じ空の筈なのに、別物のようだ。目の前の霧は晴れてもまだまだ先の見えない状況なのに、目に映る空だけは澄んだ色をしているなんて、これもまた皮肉な話だなと思う。
「…それならその時は、仕方ないですね。」
誰にだって過去はある。斗真自身にだって。だから羽純の事ごと、庄田を受け入れたつもりだった。むしろ、悪戯に遍歴を重ねてしまった自分とは違い、只1人だけを一途に愛したという庄田に好感が高まった。アルファとオメガの間の恋愛熱量とはかくも熱く深いものなのかと羨ましくも思い、その熱量をそのまま向けられて、ベータの自分には余るほどの幸せだと…そう思っていた。重苦しい程の愛情を受けて幸せな日々の中に少しばかりの違和感を覚えたって、目を閉じてしまえれば良かったのに。それができない自分の不器用さに舌打ちをしたくなる。
けれど、過去ごと受け入れる事と、この先もずっと羽純の面影を押し付けられるのを受け入れるのは違うと、どうしても考えてしまう。
羽純が嫌いとか、憎いとかそういう事ではなく。羽純との類似点を除いた斗真は、庄田にとって価値のある存在でいられるのだろうかと、思ってしまうのだ。
好きになり過ぎるな、期待をするな。誰かの気持ちを受け入れる度、自分にそう課してきた筈なのに、何時の間にこれほど欲張りになっていたのだろうか。
「…冷静になって、距離と同じように気持ちも離れるなら…それはもう、仕方ないです。」
鳥谷の問いに答えたようでいて、それは自分自身に言い聞かせた言葉だ。庄田が斗真の言った意味に気づくかはわからない。けれど、物理的距離を取る事で、庄田が斗真に見た夢が覚めていくのなら…それもまた、受け入れるしか出来ないのだろう。
何時もの恋人達との別れのように。
翌日、内藤が呼んだ不動産会社の社員に幾つかの物件の情報を提示された斗真は、幾つかの物件の内見に回った。この際溜まった有給の消化をしようと、会社は今週いっぱい休みにしてある。あの日の様子を見ていた上司がそれを渋る事は無く、しっかり休養を取り体調を整えるようにと言われた。だから今週中には部屋を決めて、そこに引っ越すつもりだ。
夕方には雅紀にも、一応の状況の報告と、黙って部屋を出た事への詫びの為に電話を入れた。斗真が無事である事と庄田達に会えた事に、雅紀は心底ホッとしたようだったが、部屋を探している事を伝えると不安そうな声で言った。
『…大丈夫なの?ウチに住んだって良いんだよ?ウチなら前の部屋とも近いし、生活環境が戻るだけになるでしょ?』
不義理を働いてしまったというのに、雅紀は優しい。だからこそ、もう甘えられないと思う。
彼の気持ちを知っている。けれど、斗真の中には未だ庄田への愛がある。雅紀に期待させるような真似はできない。
「ありがとう。でもこれ以上迷惑はかけられないからさ。気持ちだけ、ありがたく受け取っとく。それに、暫く1人になりたいんだ。」
『……そっか、そうだね。
でも、何かあれば力になるから。』
「雅紀…ありがとう。ありがとな。」
『……水臭い事言わないでよ。…僕は斗真が無事で元気でいてくれるなら、良いんだから。』
そう言った雅紀の声が少し涙声のように聞こえて、斗真は堪らなくなった。
あの頃のように、同じ気持ちを返せたなら、今ならきっと幸せになれる。それがわかっているのに、そこには戻れない。
自分の心でさえ、これだけ持て余す。人の心とは何故、こんなにもままならないものなのだろうかと思いながら、斗真は通話を閉じた。
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