運命だとか、番とか、俺には関係ないけれど

Q矢(Q.➽)

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ハウスクリーニング済みで即入居出来る部屋を決め、土曜にはそのマンションに移り住む予定に決めた。20件以上の資料と8件の内見の末にそのマンションにした決め手は、通勤や生活上の利便性から見れば破格の賃料だった事だ。あまりの好条件に、最初は事故物件か瑕疵物件かと疑ったくらいなのだが、そういう事情は一切無かった。実はそのマンションは不動産会社が貸主になっている物件で、そこに更に鳥谷が融通を利かせてくれたという事らしい。恐縮しながらも契約を決めた後『1日お時間をいただけますか。』と言われて、何故ですかと聞いた斗真に、『必要な物は此方で全て整えさせていただきます。お任せを。』と答えた内藤。
どういう事かと聞くと、生活必需品は全て鳥谷の方で揃えるとの事で、斗真は慌てて遠慮した。だが、内藤は神妙な顔で告げてきたのだ。

『庄田様と菱田様が離れるとなってしまった事、遥一様は気に病んでおいでなのです。』

『そんな…』

『今回、菱田様が生活環境を変えなければならなくなった発端は遥一様にあります。それに関する全ての責任は自分が負うとの事ですので。…それでも贖罪には足りませんでしょうが…。』

鳥谷のした事が発端というなら確かにそうだが、結果的にはそのお陰でわかった事もあり、それによって離れる事を決めたのも斗真自身だ。だが鳥谷は、自らのした事を後悔して謝罪をしてくれた後、何度も『何でも言ってくれ。』と言ってくれていた。償いにこのマンションを譲るとも。おそらく鳥谷は、謝罪をなにかしら形にしたいとも考えているのだろう。それならば何もかもを拒否するのも、鳥谷の気持ちを無下にしてしまう事になりそうだ。

(…このマンションを受け取るよりは良いか…。)

正直言えばありがたい。真面目に働いてきたとはいえ、一気に出費が嵩むのはきつい。

そう結論づけて、鳥谷の厚意を受け取る事にした。

そして今日は1日開けた金曜日。内藤と共に新しいマンションを訪れてみれば、既に全てが揃っていたという訳だ。滞在しているマンションの内装から、鳥谷とは趣味が合わないとわかっていた斗真は内藤に、

『出来るだけ、シンプルめに…。』

と頼んでいた。それが功を奏したのか、家具家電は可もなく不可もないようなモノトーンで統一されている。斗真の趣味に合うかと言われるとそれも少し微妙だが、赤と黒と紫で構成されてしまうよりは全然良い。品物はかなり高価な物ばかりのようだし、分不相応なくらいだとまたまた恐縮する。

「ありがとうございます、こんな…助かりました。」

「いえ、この程度の事なら何時でも仰っていただければ。」

「いえ、もう十分です…。」

「そう仰らず、何時でもご連絡を。」

真面目な顔でそう言う内藤に苦笑い。本当にこれ以上は償われ過ぎになる。

「本当に感謝してます。これで不足無く生活を始められます。」

前に一人暮らししていたマンションに比べると、外観も洒落ていて格段に綺麗で広い。只のアラサーリーマンには分不相応に思えるほどだ。それでも家賃は変わらないのだから、本当にありがたかった。通勤時間も15分は短縮されそうだ。その分、周辺も前の郊外より賑やかではあるが、それもじきに慣れるだろう…と考えていて、ふと気づく。

「…あ。」

「どうかされましたか?」

斗真は眉を下げながら内藤に向かって言う。

「あの、内藤さん。もう少しだけ、お時間ありますか?鳥谷さんが待ってらっしゃいますかね?」

「いえ、本日は菱田様のお手伝いをしてこいと命じられておりますので、それはお気になさらず。何かございますか?」

「…荷物を…取りに行きたくて。」

斗真は視線を落とし、手の中のキーケースを見た。その中には庄田の家の鍵がある。金曜の昼間のこの時間なら、庄田は会社にいる筈だ。荷物を取りに戻っても鉢合わせたりはしないだろう。

「かしこまりました。庄田様のお宅ですね。」

「お手数ですが、お願いします。」

そうして斗真は内藤の運転する車で、久しぶり振りに庄田と暮らした家に戻った。
近くで内藤の車を待たせ、1人家に入った斗真は、すぐに寝室へ向かった。たった2週間しか経っていないのに、ガランと無人のそこは、もう知らない家のようだ。嗅ぎ慣れた芳香剤の香りに、最初に訪れた日の気持ちを思い出して涙ぐみそうになる。
あの時は、まさかこんな日が来るとは考えもしなかった。この家で暮らして、今度はこんな風に荷物を取りに来る事になるなんて。

寝室に入ると、また馴染んだ香りが鼻を擽った。庄田の持つあたたかみのある体臭。庄田は香水を使わない。けれど何時もすぐに彼だとわかる香りがしていた。斗真はベータだから、その香りが庄田のアルファフェロモンではないのはわかっている。それでもあれだけ良い匂いなら、自身がオメガだったなら、どれだけ良い香りが嗅げるのだろうと思う事もあった。羽純は庄田の香りに、何時でも夢見心地だったのだろうと。

クロゼットの中から、自分のボストンバッグを引っ張り出して、ハンガーに掛かるワイシャツや服を詰めていく。元々、斗真がこの家に持ち込んだ荷物はそう多くはなかった。古かった家具家電も全て処分して、身の回りの物だけ持って連れてこられたのだ。よって、詰める荷物も少ない。庄田に買い与えられた物は置いていく。


「…さて。」

カバーに覆われたスーツを4着手に持ち、ボストンバッグを肩に掛けて寝室を出た。玄関に向かおうとして、ふと立ち止まり、踵を返してリビングへ向かう。リビングは2週間前と変わりないようで、空気が澱んでいるようにも感じた。どうしたのだろうか。換気をしていないのだろうか。

羽純の仏壇に歩み寄り、荷物を横に置いて座った。仏壇に何時も絶やしていなかった花が枯れている事に気づいて、一旦リビングの窓を開けて庭を見渡し、隅に咲いている小さなピンクの花を鋏で切って水に挿した。雑草でも、花屋の花でも、花は等しく美しいと斗真は思っている。
仏壇の前に座り、改めて手を合わせながら、羽純に語りかけた。

「羽純さん、ごめんなさい。俺、2人の場所に、ズカズカと。…俺、行きますね。」

それだけ言うと、斗真は荷物を持ち直して立ち上がり、今度こそ玄関に向かう。そして靴を履くと、ドアノブに手を掛ける前に一度家の中を振り返って、深々と頭を下げた。

「…ありがとうございました。」

そして玄関を出て施錠する。再びこの家に戻る事があるのかはわからない。本当は鍵を返していくべきなのだろうが、最後の答えが出るその時まで持っていて良いだろうか。
これを返してしまうと、本当に庄田と自身を繋ぐ全ての糸が切れてしまう気がして、斗真は手の中に鍵を握りしめた。






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