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77 何故
しおりを挟む当時、故郷を出て進学した月岡と斗真は、同じマンションに住んでいた。もう少し詳しく言うと、月岡が借りた2LDKのマンションでルームシェアという形をとっていたのだ。持ち掛けたのは当然月岡の方。本当は無料で斗真を住まわせたかったが、本人の性格上、そう言うと断るだろうと予想が出来た。だから断られないよう、ルームシェア代を格安にする代わりに家事を7:3で請け負って欲しいと提案し、斗真はその条件に乗った。
斗真としても、その提案はありがたい話だった。なにせ普通に部屋を借りるとなると、安い部屋でもそれなりに初期費用などで出費が嵩む。とある事情を背景に家を出る事にした斗真は、実はある程度纏まった金は持っている。しかし斗真は、学生生活4年間をこれで賄おうと考えており、もう実家に頼る気も無かった事から、可能な限り切り詰めたかったのだ。
斗真の実家は少し複雑だった。斗真と両親には、一応の血の繋がりはあるが、実の親ではない。正しくは、実の母親の従兄弟夫婦に引き取られて育てられた。幼い頃には自分の出生の事は知らなかったし、可愛がってくれる両親が実の親でないなどとは夢にも思ってはいなかった。だが、物心がついていくにつれ、両親が自分に気を使っているのを肌で感じるようになる。弟が生まれてからは、余計にそんな空気が強くなったように感じ、斗真自身も家族に対しぎこちなく接するようになってしまった。
斗真が両親に実の親の事を打ち明けられたのは、中学一年になった時だ。父親が母親と産まれたばかりの斗真を捨てたのだと聞かされた。母親は斗真が2歳になる直前に亡くなった。亡くなり方に言及しない事から、きっとあまり良い死に方ではなかったのだろうと思った。だから深く問いただす事はやめた。人が口篭る事を無理に聞き出してもろくな事は聞けそうにないと、まだ中学生ながらに思ったからだった。
実の父親が生きているかどうかはわからない。知りたいとも思わなかった。乳飲み子を抱えた妻を捨てていけるような人間が自分の父親である事に落胆し、会いたいとも思わなかった。
育ての両親が一人ぼっちで残された斗真を引き取る事に決めたのは、その時彼らが結婚して3年目の子無し夫婦でまだ子が無かったのと、従姉妹である母と兄妹のように仲が良かったからだと聞いた。だが、その夫であった父親の事には口が重かった。
つまり、口の端にも乗せたくない人物なのだろう、と斗真は納得した。
都会の大学に進学を決めた時も、両親は複雑そうにしながらも止める事はしなかった。ただ、通帳を2冊渡してくれながら、こんな言葉を添えた。
『一冊はお前の実の母親が遺したもの、もう1冊はお前を引き取った時から私達がお前用に貯めていたものだ。学生の間の生活費にはなるだろうから持っていきなさい。大学の学費は別に用意してあるから心配はするな。』
父の言葉に頷いて、斗真はその通帳を開き、その印字された数字に目を見開いた。亡き母の遺したという通帳には500万以上の金額が、もう1冊には300万を越す金額が記されていたからだ。正直、ずっと質素な暮らしぶりだったから、まさか両親が自分の為にこれだけの金額を用意してくれていたとは思わなかった。
実家は決して裕福ではない。にも関わらず、実の母が遺したという金にも手をつける事無く守ってくれていた事に感謝しかない。養育費として使ってしまったとしても、斗真に言わなければわからなかっただろうに。斗真を育ててくれたこの両親は、まともで実直な人達なのだと改めて思った。実際、そんな2人を見て育った自分にもそんな部分が受け継がれていると思う。しかし時折、斗真を通して誰かを見ているような目や、腫れ物に触るような様子に、身の置き所の無い思いをしたのも事実だった。そして両親も、そんな斗真に気づいていたし、自分達の戸惑いを知らずの内に斗真に気取られてしまっていた事に悩んだ時期もあった。
だが、それをどうにかするにはもう今更過ぎた。憎みあっている訳でもなく、不仲という訳でもなく、ただ心に距離があるだけ。いっそ喧嘩出来るような仲ならばまだやりようがあったのだろうが…。
多分両親は、自分が早くに家を出るかもしれない事を薄々感じていたのでは、と斗真は笑った。
『仲の悪い家族ではなかったよ。良くしてもらえていたと思う。だけど、ほんの小さな頃から何故だか何時も疎外感があった。俺はこの家の中の異分子なんだって。あの家に居ると、嫌でもそれを感じるんだ。だから中学になってその理由を知った時には、逆に安心したくらいだったよ。気の所為じゃなかったんだって。
両親の事は嫌いじゃない。感謝もしてる。でも、あの家は俺の家ではないんだ。』
そう言った斗真の表情が少しだけ寂しげに見えたのは、月岡の思い込みだけではなかっただろう。
2人暮らしを始めても、月岡は斗真に想いを告げる事もなく、親友としての距離を保った。一つ屋根の下、危うい距離感。
斗真の作った料理を向かい合って食べながら、何度か告白じみた真似をしてみた。
『美味い。俺、お前を嫁に欲しいわ』
斗真はそれを褒め言葉の冗談として受け取り、笑った。本気にしてもらえないのはわかっていたから、月岡も合わせて笑ってそれ以上は深追いしない。
意識してもらえないなら、せめて妙な真似をして嫌われたくない。月岡が本気だとわかり信頼を失ってしまえば、斗真は出て行ってしまうだろう。やっと手に入れた2人の生活を手放したくはなかった。
恋愛じゃなくても良い。一番近くに居られるのならと割り切った、つもりだった。
しかし斗真は何時の間にか、朝森 雅紀という少年と付き合い始めた。そして、それを知らされて暫くした頃、実は朝森がオメガであるのだという事も知らされた。
最初にそれを打ち明けられた時は、どうしてだ、と思った。
どうして、オメガと?
斗真は高校生の頃、恋人だった慶太をオメガの女に寝盗られた。アルファとオメガのどうにもならない関係性に打ちのめされた筈の彼が、何故憎い筈のオメガなんかと…。
アルファともオメガとも、もう付き合わない方が良いよな、なんてクマをこしらえた顔で、泣き腫らした目で微笑んだのは、ついこの間のようにも思えるのに。
『何故だ?』
信じられない気持ちで問いかけた月岡に、斗真は意外な答えを返してきた。
『出来るなら関わりたくはないと思うのは、今でも同じだ。でも俺は、アルファもオメガも憎いとは思っていないんだよ。
全てのアルファとオメガが同じでは、ないだろ?』
少しはにかんだような笑顔に、既に朝森というオメガを好きになってしまっている事が伺えた。割り切れたと思っていたのに、胸が苦しくなる。
それなら俺でも良いじゃないか、と口から溢れてしまいそうになる。
親友で良いなんて嘘だ。朝森が羨ましい。羨ましくて堪らない。斗真と恋を語れる朝森が、憎らしくて堪らない。これだけ近くに居ながら月岡の気持ちに微塵も気づいてくれない斗真が、恨めしくて恋しくて堪らない。
けれど、斗真を失う事に臆病になるが故に、何一つ本気のアクションを起こさなかった自分がそんな事を言えた義理ではない事も、わかっていた。
月岡にできる事は、せめて斗真が再び傷つけられる事がないようにと願う事だけだ。
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