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78 衝撃
しおりを挟むしかし、そんな月岡の願いが叶う事は無く、またしても斗真は裏切られた。
大学四年生。
就活を終え一般企業に内定をもらい、後は卒論…という時期の事だった。
昼過ぎに出掛けて行った斗真は夕方18時頃には帰って来た。
1人なので適当にカップ麺でも食べようか、それとも近くに食べに出ようかと迷いながらキッチンに立っていた月岡は、すぐにドアの開閉音に気づいた。急ぎ足で玄関に向かうと、斗真はスニーカーを脱ぎ上がり框を上がったところだった。
「早かったな。」
少し驚きながらそう声をかけると、俯いたままで頷いた斗真に言い知れぬ違和感を抱く。
何時も朝森とのデートの時、斗真の帰りは早くても21時を回っていた。斗真がこのマンションに朝森を連れて来たのは、月岡に紹介する為に連れてきた一度きり。それからは部屋に呼ぶ事もなかった。聞いてみた訳ではないが、おそらく恋人同士の営みにももっぱらホテルを使っていたのではないかと推測している。真面目な性格ゆえ、連れ込むのは家主である月岡に悪いと思っているらしかった。だからこそ21時や22時の帰りになっていた筈で、18時などという時間は想定外だ。喧嘩でもしたのか、それとも朝森に何か急用が出来たのだろうか。
月岡の問いに答える事も無く、斗真はフローリングの廊下を歩いて来て、横を通り過ぎた。
「…斗真?」
「…。」
再度の声かけにもやはり反応は無い。明らかに何時もとは違った。
「斗真、どうした。」
俯いたまま横を通り過ぎた斗真の左腕を掴み、月岡はまた問いかけた。執拗いと思われるだろうか。しかし、只事ではない様子の彼をこのまま見過ごしてはおけない。
「斗真。どうしたんだよ、何かあったのか?」
ゆっくりと、できるだけ穏やかにそう言った月岡の声に、斗真は帰って来てから初めて顔を上げた。その目は泣いていたのがあからさまに白目が赤く充血し、下瞼は腫れ、頬には涙の流れた跡が薄く見える。
胸の奥にカッと火がついたように熱くなった。
泣いたのか。何故。斗真が泣くような状況、それはどんな…。
嫌な予感がした。
「……雅紀が…」
やっと開いた斗真の唇は、戦慄いていた。
「雅紀…朝森君に何かあったのか?」
まさか、朝森が事故や病気に?しかしそれならば斗真がこんなに早々に帰って来る事は無いだろうと思いながら聞く。
だがその問いに答える前に斗真の膝が崩れ、月岡は慌てて前のめりに倒れかけたその体をがしりと受け止めた。
「雅紀が…雅紀は、」
受け止められたまま、月岡にしがみついて斗真はしゃくり上げ始める。Tシャツの肩が彼の涙で濡れていくのを感じながら、月岡は斗真を抱きしめた。
ずっと近くにあって誰よりも遠かった温もりが、今腕の中にある。だが、その嬉しさやときめきに浸る事よりも、今は斗真が泣いているという事実に胸が騒いだ。
頼りなく震える背中をさすりながら、月岡は優しく言った。
「ゆっくりで良い。ゆっくり話せ。」
月岡に抱きしめられて暫く泣いた後、支えられながらリビングのソファに移動した斗真はポツポツと話し始めた。
「雅紀に、運命の番が現れた。」
「……は?運命の…って…アルファが、って事だよな?」
がん、と頭を殴られたような衝撃。番。運命の番…だと?
数秒呆然とした後、気を取り直して思考する。
確かに、斗真の恋人である朝森はオメガだ。という事は、朝森に対になるアルファが現れたという事か。
しかし、運命の番に出会える確率は宝くじに当たるようなものの筈だ。早々現れるものでは無く、出会えないまま一生を終える方が普通だと言われている。
ただ一人の相手と巡り会い、本能で身も心も強烈に惹き寄せられ、結ばれ、添い遂げる。そんな、一見ロマンチックとも言える"運命の番"は、おおかたのアルファとオメガにとっては憧れの対象とも言える。しかしそれが全てではない。その運命は、既に愛する人のいる者の存在する状況に於いては、脅威でもあるからだ。
朝森はそんな相手に出会ってしまったというのか。
「…何かの間違いなんじゃないのか?」
思わずそう言ってしまった月岡に、斗真は首を振った。
「今日、その相手も来てたんだ。雅紀とその人、両方が、出会った瞬間にそれまでに無かった感覚を感じたと言っていた。
番契約も、もう済んでたよ。」
「…そう、か…番にも…。」
番という言葉に絶句しかけて、辛うじて絞り出した台詞。何度目かの衝撃だ。
本能と嗅覚での感知。そればかりは当人同士でなければわからないもの。仮に違ったとしても、2人がそう主張してしまえば他人には判断出来ない。それはわかるのだが、既に番になってしまっているというのはどういう訳なのか。斗真と付き合っておきながら、愛されていながら、裏切っていたのか…。
頭に血が上ってくる。
ほんの一ヶ月前にも、外での待ち合わせをした2人の姿を見掛けたばかりだ。その時見た斗真と朝森は変わりなく仲良さげで、その表情には何の翳りも感じられなかった。
朝森の事は嫌いだ。斗真の相手は、朝森に限らず嫌いだ。だが斗真が幸せならば、斗真を幸せにしてくれているならばと、全てを飲み込んで受け入れてきた。なのに、朝森があの一途そうな表情の裏で斗真を裏切っていたと知れば、胸の奥深くに押し込めていた朝森への憎しみは一気に憎悪に変わっていく。
許せない。そう思った。
だが、幾分落ち着きを取り戻した斗真は、そんな月岡の烈しい怒りを凪ぐように静かに話す。
「…礼儀正しい人だったよ。歳上で、きちんとした大人で、良いスーツ着てて、成功していて…。実家もさ、すごい資産家なんだって。…雅紀は玉の輿だな。」
俺には勿体無いくらい綺麗だもんな、と泣き笑いのような顔で強がった斗真が堪らなかった。
今彼の胸の中は、アルファとオメガの"運命"を受け入れようと、受け入れなければと葛藤している。抗う事すら許されない理不尽なその"運命"を許さなければならないと、藻掻いている。
込み上げて来る熱に、息が詰まった。
「…何だよ、なんでお前まで泣くの、実仁…。」
込み上げた熱は涙に変わり、堪える間もなく月岡の目から溢れ出た。
「…っ」
「ありがとな…」
そう言った斗真の声は、もう穏やかだった。それが余計に月岡の胸を苦しくする。
(っ、なんで、お前が…お前ばかりが…)
自分なら、そんな思いはさせない。
その時、今少しの勇気を出してそれが言えていたなら、2人の関係は違うものになっていたのだろうか。
その僅かな勇気が無かった事が幸だったのか不幸だったのかはわからないが、結局その後も月岡と斗真の友人関係は変わらなかった。
2人は大学を卒業し、就職を機に斗真は別にマンションを借り月岡の部屋を出た。関係が悪くなったからではなく、単純に会社への通勤距離の関係だ。
就職して数ヶ月経った頃、斗真は会社の先輩で教育係として世話になったというアルファに口説き落とされ、付き合い始めた。
「凄く頼りになる真面目な人なんだ。」
嬉しそうな中に、ほんの少しの諦めを含む声でそう言った斗真を、月岡は物言いたげな目で見つめた。それを察したのか、彼は苦笑する。
「性懲りも無く、って思ってるだろ?でも、良いんだ。俺も、好きだし。
彼に相応しい相手が現れたら、潔く身を引く気構えはしてるから、大丈夫。
もう前みたいに傷ついたりしないよ。」
そう微笑んだ斗真に、月岡はもう何も言えなかった。
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