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痛み

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 ストーキングされていると言うのに、拍子抜けする程平坦に、日常は過ぎていった。

 慣れ。
 そう、慣れてしまっていた。
 絶望の予兆は確実にあったというのに。





「うぐっああああぁぁあああぁぁ!!!!」

 獣のように響いた声が最早本当に自分のものかもわからなかった。

 熱い、熱い、痛いぃい!!!
 頭の中はそればかり。
 何が、一体俺の顔に何が?!!

 警官が駆け寄ってきたのは涙で滲む視界でも、朧気に覚えている。俺は周囲に居た通行人が呼んだ救急車に搬送された。それからは苦痛で気を失ってしまって、記憶が無い。
 自分の身に何が起こったのか知ったのは、それから3日も後の事だった。
 
 数人の目撃者の話によれば、俺は男に呼び止められ、振り返りざまに何かを顔に押し付けられていたという話だった。男は俺が痛みに叫びだすと、直ぐに人混みに紛れ、逃げた。
 居合わせた通行人が異変に気づいて追ったが、既に犯人は姿を消していた。
 駅前で、付近には防犯カメラも幾つかあった。にも関わらず、犯人は2年経った今でも捕まっていない。
 グレーのフードにマスク。目元も隠れていてわからなかった。
 体格や走り去る様子から、十代半ばから30代前半迄の若い男だろうという事だけが公表された。しかしそんなのは警察でなくともあの場にいた人間なら誰しもが見てわかっただろう事だ。
 日本の警察は優秀だと聞いていたのに、と父や母は憤りを隠さなかった。勿論、幼馴染みの彼も。穏やかな彼の静かな怒りは震える拳から伝わってきた。だが、家族や彼の怒りより、その時の俺は自分の頬の状態が気になって仕方なかった。

 事件がそれなりに大きく報道された事もあり、俺は暫くそのまま入院生活を送る事になった。関係あるのかはわからないが、警察にはストーカーによる被害の報告もしたので、その事から身を守る意味もあったのかもしれない。
 捜査の手は一応、クラスメイトや学校関係者にも及んだらしかった。

 2週間経過した頃、業を煮やし、母に怪我の状況を聞いた。だが、家族も、彼も、そして医師も誰も何も教えてくれない。鎮痛剤を処方されても、包帯に覆われた頬のじくじくする痛みは完全には消え去らない。これは余程酷い事になっているのでは、と俺は気が気では無かった。
 只でさえ、制約の多いΩという性。容姿だって、そこそこ整っているという程度で他のΩよりも優れている訳ではない。
 頭の出来も並み。何か身を立てる特技になりそうなものがある訳でもないから、それなりに負担の少ない仕事について、幼馴染みと番を結んで家庭に入るつもりだった。
 なんの取り柄もない俺を番にしてくれるというのに、容姿迄ケチがついてしまっては彼に申し訳無い…だから出来るだけ軽い傷である事を願ったのに。

 1ヶ月後、鏡を見た俺は、情けない事だけれど気を失った。

 左頬は傷では無かった。
 大きな、Sの字にも見えるような引き攣れた、その痕。まるで焼きごてでも押されたかのような……。
 マスクでも隠しきれないその痕。

「俺が一体、何をしたってんだよ……」

 目を覚ました時、母は既に帰宅していた。俺は独り、病室のベッドで泣いた。
 引き攣れた頬にはもう、意外な程に涙は沁みなかった。





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