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おばあちゃんと私
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みなさんは人生で1番後悔した事、腰が抜けるほど泣いたことそんな出来事はありますか?
これは私が人生で1番後悔をし、人生で初めて本気で涙を流した話。
全て実話のこの話、あなたの人生の中に伝えたい想いがあっても意地張ったり、その時の感情が邪魔して伝えられなかった、まだ伝えてないこと、そういったことはありますか?
私のこの文章を読んで、少しでもみなさんに後悔ない人生を歩んでいっていただけるその『一歩』になれればと思います。
私の名前は【ミミ】
私の両親は、共働きだった。
そのせいもあり、母方のおじいちゃん、おばあちゃんと一緒にいることが多かった。
幼稚園の迎え、中学校では何かあるたびに迎えにきてくれて、高校でも駅まで迎えにきてくれたり、買い物したり、お茶をしたり私にとって本当に大好きなおじいちゃんとおばあちゃんだ。
おばあちゃんは、昔から治らない病気だった。
命にかかわるというより長期戦でそこから次の病気につながり亡くなってしまう可能性が高かった。
まだ、この時の私はこの病気の恐ろしさをわかっていなかった。
30年近くその病気と戦ったおばあちゃん。
ついに、酸素をしてないと息するのも厳しかった。
その光景は今でも忘れられない、苦しそうで辛そうな顔をしていた。
時々、散歩に一緒に行くと息がとても苦しそうだったが、一緒に行けることはとても嬉しかった。
そんな中でもおばあちゃんは私達、孫と会うと楽しいそうに一生懸命色々な話をしてくれた。
余命宣告もされるもそんなのは嘘かのように余命宣告から何年も何年も経過していた。
いつかはとは思っていても今死ぬはずはない、まだまだ喧嘩したりたくさんいろんな話をしたり、これからの未来の想像ばかりはたくさんしていた。
しかし、世の中はうまく簡単にはいかないものだ。
私は当時反抗期真っ只中。
多分、一番手が兄弟の中でかかっただろう。
20歳を超えるまでは本当に恥ずかしくなるくらい、両親はじめ色んな人に対抗心だらけだった。
今思えば、何であんな態度をしていたのか信じられないひどい態度をしていた。
高校卒業した私は、同年代の人に苦手意識もあり、就職も進学をせず、居心地よかった薬局のバイトを続けるという選択をした。
しかし、心のどっかでひっかかっていた小さな頃からなりたいと思っていた職業‥看護師だ。
人の命を救いたいという夢を捨てきれず都会の看護学校に家族全員の反対を押し切って受験した。
受験料30万円も兄から半分借りて受験、見事合格おばあちゃんに伝えたがまさかの大反対だった。
それがきっかけとなり、当時入院中だったおばあちゃんと大喧嘩してしまった。
それ以来、会うことを私は避けてしまっていた。
おばあちゃんはその後退院し、自宅にいた。
おばあちゃんから電話が来て、「ミミ、ごめんね、また遊びにきてね」と。
まさかこれが最後の電話になるなんて思ってもいなかった。
しかし、私は変な意地があり、いかなかった。
しかも、通う予定の看護学校は提携する病院もなく、合格から3ヶ月後くらいに一括で授業料
200万払えと、、。
こればかりはあきらめるしかなかった。
数日後の夜、、。
“プルプル”電話がなった。おじいちゃんからだ。
「ばあさんがおかしい。返答しない」
様子がおかしい事に焦ったおじいちゃんは私の家に電話をかけてきたのであった。
お母さんは慌てて「救急車を呼んで」と伝えた。
私達も慌てておじいちゃんちへ向かった。
衝撃だった。最後に会った時よりさらに痩せ切っていて救急隊員に運ばれて、心臓マッサージをしている所を目の当たりにした。あの光景は一生忘れられない、いや、忘れてはいけない。
病院につき、懸命の処置を医師はしてくれたが、、
おばあちゃんは、帰らぬ人となってしまった。
私は今までの人生で1番泣いた。
初めて腰が抜けるほど。自然と目から出てくる滴。
涙ってこんな自然にたくさん流れてくるものなのか。これが本当の後悔というものなのか、
と思い知った。
霊安室に案内され、家族みんなそれぞれやる事や、気持ち的な面で、私がおじいちゃんのそばで、死因などを詳しく一緒に聞いた。その後はもう反応しないとわかっていたが、私はおばあちゃんと一緒の空間にいて目の前の綺麗なおばあちゃんの顔を見ては謝る事しかできなかった。まだまだ話したい事はたくさんあった。
これからの未来、私の大切な人も紹介してない、私の子供も見せてない。
話すことはたくさんあったのに、なぜ、その時の私はなにもしなかったのか。悔やんでも悔やみきれない。
焼き場でも私はひたすら頭を下げて謝る事しかできなかった。お母さんはそんな私の姿をみて「ミミ、もういいのよ」って泣きながら言ってくれた。
そんな自分が憎くて悔しくて後悔しかなかった。
おじいちゃんの家は自営業をしている為、お客さんも来ていたということもあり、おじいちゃんも、いつもみたいにトイレに行ってて少し長めだと思っていたばかりにと自分を責めていた。
しかし、これは当たり前だが誰のせいでもない。
だが、おじいちゃんにとってはこれが1つ目の初めのきっかけになったのだろう。
”死にたい”とよく口に出すようになってしまったのだ。
高校生からずっと一緒のおじいちゃんおばあちゃん。
失った辛さは、私たち誰にもわからない。おじいちゃんにしかわからないとても大きいものだろう。
私は絶対おじいちゃんに’死にたい’なんて思って欲しくない。
それとは、うらはらにだんだん見るたびに細く痩せていくおじいちゃん。
私が今できるおばあちゃんへの償いはおじいちゃんのそばにいて、これからまだまだ楽しいと思ってもらえる人生を歩んでもらうこと。
休みがあれば、お茶をしに。
大好きな温泉に一緒に行ったり。
ちょっと近場でドライブしたり。
私にできる事は本当に小さな事でしかない。
最近、私の兄の子供も産まれた。
初めて見た日おじいちゃんは涙を流していたという。
きっとおばあちゃんに会わせたかったんだろうなと。
ひ孫も産まれてだんだん元気を取り戻して来てくれたら私はそれだけで良い。
ただただ、笑顔で元気でいてくれれば良い。
私はおじいちゃん子だ。
おじいちゃんも私の事をすごく心配してくれて頼ってくれて家に頻繁にくるほど私の事を大事にしてくれる。
そんなおじいちゃんに対し私は決めている事がある。
私のウエディングドレスの姿を見てもらう事。
そしていつかお母さんになった時、自分の子供を抱っこしてもらうまで絶対死なせないこと。
人は本当にいつ死んでしまうかわからない。
だからこそ、小さなことでも伝えないといけない事はしっかりと伝えていく。
本気で後悔しても、もう”その時”、”その日”という時間は戻ってこない。だからこそ、私はこれからの人生、大切な人や友人、家族、伝えていくべき事は伝えていかなければならないと思っている。
まだこのタイミングではない、そんな些細な事でも、後悔してしまうことは少なくない。
人生なんて1度きりなのだから、決断するには早いうちに後悔する前にやるだけやってしまえばよい。
何かあった時はその時であってその時解決すれば良い。
そして今もなお、私のお守りとして、私が高校を卒業した際に、おじいちゃんとおばあちゃん、私と3人でとった写真、この写真を見ると、辛い時やふとした時悩んだ時、自分を後押ししてくれるそんな気持ちになれる1枚だ。
おじいちゃんのおかげで、一周忌などの法要は普通、故人を思い出したりして悲しくなってくる。
しかし、おじいちゃんの人柄で、法要が笑いに包まれた。普通ならダメなのかもしれない。
しかし、和尚さんはこう言った。
「故人が望むことはみなさんが笑顔で楽しく
生きていてくれる事」
その瞬間、涙が止まらなかった。
きっとおばあちゃんもおじいちゃんの笑いを誘う法要もきっと笑ってみてくれていたのではないかなと思うと家族みんなで、悲しいより楽しい気持ちになった。
大好きなおばあちゃん
いつも見守っててくれてありがとう。
寂しいかもしれないけど、これからもおじいちゃんやみんなを青い空の上から微笑みながら暖かく見守っていてね。
最後に・・・“絶対”なんて言葉はこの世にはないのだ。
これは私が人生で1番後悔をし、人生で初めて本気で涙を流した話。
全て実話のこの話、あなたの人生の中に伝えたい想いがあっても意地張ったり、その時の感情が邪魔して伝えられなかった、まだ伝えてないこと、そういったことはありますか?
私のこの文章を読んで、少しでもみなさんに後悔ない人生を歩んでいっていただけるその『一歩』になれればと思います。
私の名前は【ミミ】
私の両親は、共働きだった。
そのせいもあり、母方のおじいちゃん、おばあちゃんと一緒にいることが多かった。
幼稚園の迎え、中学校では何かあるたびに迎えにきてくれて、高校でも駅まで迎えにきてくれたり、買い物したり、お茶をしたり私にとって本当に大好きなおじいちゃんとおばあちゃんだ。
おばあちゃんは、昔から治らない病気だった。
命にかかわるというより長期戦でそこから次の病気につながり亡くなってしまう可能性が高かった。
まだ、この時の私はこの病気の恐ろしさをわかっていなかった。
30年近くその病気と戦ったおばあちゃん。
ついに、酸素をしてないと息するのも厳しかった。
その光景は今でも忘れられない、苦しそうで辛そうな顔をしていた。
時々、散歩に一緒に行くと息がとても苦しそうだったが、一緒に行けることはとても嬉しかった。
そんな中でもおばあちゃんは私達、孫と会うと楽しいそうに一生懸命色々な話をしてくれた。
余命宣告もされるもそんなのは嘘かのように余命宣告から何年も何年も経過していた。
いつかはとは思っていても今死ぬはずはない、まだまだ喧嘩したりたくさんいろんな話をしたり、これからの未来の想像ばかりはたくさんしていた。
しかし、世の中はうまく簡単にはいかないものだ。
私は当時反抗期真っ只中。
多分、一番手が兄弟の中でかかっただろう。
20歳を超えるまでは本当に恥ずかしくなるくらい、両親はじめ色んな人に対抗心だらけだった。
今思えば、何であんな態度をしていたのか信じられないひどい態度をしていた。
高校卒業した私は、同年代の人に苦手意識もあり、就職も進学をせず、居心地よかった薬局のバイトを続けるという選択をした。
しかし、心のどっかでひっかかっていた小さな頃からなりたいと思っていた職業‥看護師だ。
人の命を救いたいという夢を捨てきれず都会の看護学校に家族全員の反対を押し切って受験した。
受験料30万円も兄から半分借りて受験、見事合格おばあちゃんに伝えたがまさかの大反対だった。
それがきっかけとなり、当時入院中だったおばあちゃんと大喧嘩してしまった。
それ以来、会うことを私は避けてしまっていた。
おばあちゃんはその後退院し、自宅にいた。
おばあちゃんから電話が来て、「ミミ、ごめんね、また遊びにきてね」と。
まさかこれが最後の電話になるなんて思ってもいなかった。
しかし、私は変な意地があり、いかなかった。
しかも、通う予定の看護学校は提携する病院もなく、合格から3ヶ月後くらいに一括で授業料
200万払えと、、。
こればかりはあきらめるしかなかった。
数日後の夜、、。
“プルプル”電話がなった。おじいちゃんからだ。
「ばあさんがおかしい。返答しない」
様子がおかしい事に焦ったおじいちゃんは私の家に電話をかけてきたのであった。
お母さんは慌てて「救急車を呼んで」と伝えた。
私達も慌てておじいちゃんちへ向かった。
衝撃だった。最後に会った時よりさらに痩せ切っていて救急隊員に運ばれて、心臓マッサージをしている所を目の当たりにした。あの光景は一生忘れられない、いや、忘れてはいけない。
病院につき、懸命の処置を医師はしてくれたが、、
おばあちゃんは、帰らぬ人となってしまった。
私は今までの人生で1番泣いた。
初めて腰が抜けるほど。自然と目から出てくる滴。
涙ってこんな自然にたくさん流れてくるものなのか。これが本当の後悔というものなのか、
と思い知った。
霊安室に案内され、家族みんなそれぞれやる事や、気持ち的な面で、私がおじいちゃんのそばで、死因などを詳しく一緒に聞いた。その後はもう反応しないとわかっていたが、私はおばあちゃんと一緒の空間にいて目の前の綺麗なおばあちゃんの顔を見ては謝る事しかできなかった。まだまだ話したい事はたくさんあった。
これからの未来、私の大切な人も紹介してない、私の子供も見せてない。
話すことはたくさんあったのに、なぜ、その時の私はなにもしなかったのか。悔やんでも悔やみきれない。
焼き場でも私はひたすら頭を下げて謝る事しかできなかった。お母さんはそんな私の姿をみて「ミミ、もういいのよ」って泣きながら言ってくれた。
そんな自分が憎くて悔しくて後悔しかなかった。
おじいちゃんの家は自営業をしている為、お客さんも来ていたということもあり、おじいちゃんも、いつもみたいにトイレに行ってて少し長めだと思っていたばかりにと自分を責めていた。
しかし、これは当たり前だが誰のせいでもない。
だが、おじいちゃんにとってはこれが1つ目の初めのきっかけになったのだろう。
”死にたい”とよく口に出すようになってしまったのだ。
高校生からずっと一緒のおじいちゃんおばあちゃん。
失った辛さは、私たち誰にもわからない。おじいちゃんにしかわからないとても大きいものだろう。
私は絶対おじいちゃんに’死にたい’なんて思って欲しくない。
それとは、うらはらにだんだん見るたびに細く痩せていくおじいちゃん。
私が今できるおばあちゃんへの償いはおじいちゃんのそばにいて、これからまだまだ楽しいと思ってもらえる人生を歩んでもらうこと。
休みがあれば、お茶をしに。
大好きな温泉に一緒に行ったり。
ちょっと近場でドライブしたり。
私にできる事は本当に小さな事でしかない。
最近、私の兄の子供も産まれた。
初めて見た日おじいちゃんは涙を流していたという。
きっとおばあちゃんに会わせたかったんだろうなと。
ひ孫も産まれてだんだん元気を取り戻して来てくれたら私はそれだけで良い。
ただただ、笑顔で元気でいてくれれば良い。
私はおじいちゃん子だ。
おじいちゃんも私の事をすごく心配してくれて頼ってくれて家に頻繁にくるほど私の事を大事にしてくれる。
そんなおじいちゃんに対し私は決めている事がある。
私のウエディングドレスの姿を見てもらう事。
そしていつかお母さんになった時、自分の子供を抱っこしてもらうまで絶対死なせないこと。
人は本当にいつ死んでしまうかわからない。
だからこそ、小さなことでも伝えないといけない事はしっかりと伝えていく。
本気で後悔しても、もう”その時”、”その日”という時間は戻ってこない。だからこそ、私はこれからの人生、大切な人や友人、家族、伝えていくべき事は伝えていかなければならないと思っている。
まだこのタイミングではない、そんな些細な事でも、後悔してしまうことは少なくない。
人生なんて1度きりなのだから、決断するには早いうちに後悔する前にやるだけやってしまえばよい。
何かあった時はその時であってその時解決すれば良い。
そして今もなお、私のお守りとして、私が高校を卒業した際に、おじいちゃんとおばあちゃん、私と3人でとった写真、この写真を見ると、辛い時やふとした時悩んだ時、自分を後押ししてくれるそんな気持ちになれる1枚だ。
おじいちゃんのおかげで、一周忌などの法要は普通、故人を思い出したりして悲しくなってくる。
しかし、おじいちゃんの人柄で、法要が笑いに包まれた。普通ならダメなのかもしれない。
しかし、和尚さんはこう言った。
「故人が望むことはみなさんが笑顔で楽しく
生きていてくれる事」
その瞬間、涙が止まらなかった。
きっとおばあちゃんもおじいちゃんの笑いを誘う法要もきっと笑ってみてくれていたのではないかなと思うと家族みんなで、悲しいより楽しい気持ちになった。
大好きなおばあちゃん
いつも見守っててくれてありがとう。
寂しいかもしれないけど、これからもおじいちゃんやみんなを青い空の上から微笑みながら暖かく見守っていてね。
最後に・・・“絶対”なんて言葉はこの世にはないのだ。
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