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7 天国と地獄
しおりを挟む朝から散々だった。
午前中から野球部の練習があるというのに、明け方ようやく眠りに落ちた俺はまおさんに叩き起こされて、ようやく目を覚ました。
土曜日でまおさんの仕事は休みだった。一緒にいたかった俺は練習を休むと言ったが、まおさんは許してくれなかった。
寝ぼけた頭を熱いシャワーで無理やり起こし、髪の毛を乾かしきらないまま、まおさんの作ってくれていた朝食も食べられずに家を飛び出した。財布を持ち忘れたことに気づいたのは残高がぎりぎりのICカードで発車直前の電車に飛び乗った後だった。行きに食料を買いそびれたまま練習に参加したが、空腹と、何より気を抜くたびに目の前に浮かび上がる昨夜の光景が――まおさんの得も言われぬ妖艶な表情が幾度も俺の集中力を奪っていった。守備練習では飛んできたボールを取りそびれては野次られ、他の選手と交錯しかけては怒声を浴びた。昼食は親しい同級生に金を借りて食堂で摂ったが、水の入ったグラスを倒して冷ややかな目で見られるし、挙げ句の果てに午後からの練習試合では、打席でサインミスを犯して得点のチャンスを逃すわ、守備ではどうってことのない打球をトンネルしてエラーになるわで、早々に交代させられてしまう有様だった。「途中で『家に帰れ』と言われなかっただけマシ」と妙な慰められ方をしながら練習を終えた頃には、気疲れと睡眠不足でぐったりしてしまった。
それでも、家に帰るとまおさんはちゃんと待っていてくれた。
玄関で出迎えてくれたまおさんは、俺の顔を見るなり「なんかあったの?」と大きな瞳を見開いて顔を覗き込んだ。憂鬱な感情は押し隠していたつもりだったから、敏感に察してくれたまおさんの観察力に、うっかり涙が出そうになった。
それほどまでに今日一日の出来事に精神的ダメージを受けていた。
靴を脱ぎながら家を出てからの顛末を語ると、まおさんは仕方なさそうに眉を寄せながらほんのりと微笑んだ。
「ツイてない日だったね」
靴を脱いだ状態でうつむく俺の頭を、腕を伸ばしてそっと撫でながら、「その分、代わりに何か良いことが起きるよ」と慰めてくれた。大きな瞳をきらきらと輝かせて俺の心の内を読み取ろうとする、その仕草と表情に懐かしい過去の記憶がふんわりと蘇る。
「良いこと……あるかなそんなの」
「あるよ」
まおさんが、俺のすぐ目の前に立っている。
両腕を伸ばせば簡単に抱き留められるほど近くにいるこの人と、こうしてごく間近で向かい合ったのは、高校生の時、別れの挨拶をしに部屋を訪れたあの夜以来のはずだ。
あの時もこんな風に、少し困ったように眉を寄せながら、優しい眼差しで俺の目を見つめてくれた。
異なっているのは、まおさんの目線はその時よりもさらに下から見上げていることであり、その時には自分でも判断つかなかったまおさんへの感情と欲望が、今は明確に自覚できていることだ。
この家で再会した時、まおさんは俺に言った。背が伸びたね、と。
覚えていてくれたことがどうしようもなく嬉しくて、俺は密かに舞い上がっていた――。
その時の甘酸っぱい感情を、間近にある瞳を見返しながらふと思い起こす。
「まおさん」
俺は名前を呼びながら両手をまおさんの腰に回し、恐る恐る身体を引き寄せた。
「……良いこと、今すぐ欲しい」
より接近した表情に勇気を振り絞ってそっと囁きかけると、まおさんは伏し目がちに俺の口元に視線を移しながら、両腕で俺の肩に抱きついた。
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